私は初老男である。
日曜日は「題名のない音楽会」と「クラシック音楽館」の、二つのクラシック音楽番組がある。
そして、今日は「情熱大陸」で若手ピアニスト「反田恭平」が取り上げられていた。
いまその「情熱大陸」が終わったところである。
武満徹も、反田恭平も、私はよく知らない。
もちろん、クラシックファンというレベルでの武満の知識は持っている。
ただ、反田は知らなかった。
私が喰いついたのは、反田の父親が未だに反田がピアニストになることを
「許していない」
ということ。
2012年に第81回日本音楽コンクール第1位を獲得している息子にである。
「なんでこんな奴が一位なんだと思ってる」とのたまった。
武満真樹は洋画字幕の翻訳家であるという。
クラシック音楽館の中で、指揮者のパーヴォ・ヤルヴィとの対談で、父徹が子供の頃「あなたは私の『所有物』ではない」と言われ悲しくなったと語っていた。
武満徹は、まるで会社員のように仕事をしたという。
芸術家には、時間の感覚を忘れて「真夜中から朝方」に製作する人物も少なくないだろう。
そうした中で「あの武満」が、そうした製作方法を取っていることは意外であった。
「題名の名音楽会」の最後に武満の作曲した「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎作詞)が歌われていた。
この歌は、私の遠い記憶の中にあった。
歌ったのは、高石ともや。
その記憶の中では、まさか「武満作曲・谷川作詞」とは思っていなかった。
久しぶりに聞いたこの曲に「脳天をブン殴られたような衝撃」を受けた。
しかも、私が聞いた高石の歌は「最後の4小節」が歌われていなかったことも知った。
そうした武満は、5歳の娘を「人としての人格」を認めていた。
反田の父親は「音楽でロシア留学をして、すでにCDデビューしている22歳の息子」の生き方を認めていない。
「つぶしがきかない」「勉強が嫌でピアノに逃げている」と言って。
・・・・・人間って「面白い」と思う。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「人間の意識」のむずかしさを認識しますように。
May
「辻井伸行というピアニスト」と、全く逆のタイプのピアニスト。それが「反田恭平」ですな。この二人が次々に現れることに、日本のクラシック音楽界の「強靭さ」を感じる。
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