完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

「中老男」を自覚するのだ・・・。     ~中村吉右衛門逝去に寄せて~

2021年12月04日 | 時事ネタ

 

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

 

自分が中老男である自覚というのは・・・。

 

 

 

 

 

若い時には全く興味の無かった事柄に、如何ばかりかの知識が積み重なっていることに気が付く時である。

 

 

 

 

 

 

30代なかばまで全く興味無かった「歌舞伎」のことを「落語」からつながってから調べ始めた。

 

 

 

 

落語の演目には、歌舞伎をモチーフにしたものが少なからずある。

 

 

 

 

「中村仲蔵」などはその「歌舞伎ネタ」の最たるものだ。(詳しくはサーチして見て欲しい)

 

 

 

 

 

そして、江戸時代から脈々と受け継がれてきている「歌舞伎」というモノに「日本人の血」を感じている。

 

 

 

 

 

 

中村吉右衛門を観たのは数年前の歌舞伎座。

 

 

 

 

 

演目が何であったかは定かではないのだが・・・。

 

 

 

 

 

既に一般的には「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵のイメージが強く残っているだろう。

 

 

 

 

 

兄である松本白鴎(いまだ「松本幸四郎」どころか「市川染五郎」の名前の方が中老男にはぴったりくるんだけど・・・)が、洗練された現代劇からミュージカルまでこなすのに比べて。

 

 

 

 

 

吉右衛門はずっと「髷(まげ)」が似合う。どころか、髷がない方に違和感があった。

 

 

 

 

顔の造作も兄よりも顔が大きく目鼻がおおきい。

 

 

 

 

そして「良く通る声」である。

 

 

 

 

これこそが「歌舞伎役者」というモノであろう。







舞台でこそ映える存在と言える。(先代の市川團十郎を彷彿とさせる)



 

 

とにかく、こうしたベテランが逝ってしまうと。

 

 

 

 

 

持っていた「芸そのもの」も亡くなってしまう。

 

 

 

 

映像がいかに残っていても、その舞台の雰囲気・緊張感は残念ながら伝わってこない。

 

 

 

 

 

若い時に年寄りが「昔は良かった」というセリフばかりを吐いていたのに辟易したものだが。

 

 

 

 

 

自分自身がそうなりつつあることに「自己嫌悪」を抱く中老男である。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、時空の中で生きた自分の記憶や感覚を大事にしますように。

 

 

 

 

        May

 

 

 

 

「鬼平の長谷川平蔵」に「雲霧仁左衛門の阿部式部」を重ねてしまうのは「野暮」なんだろうなぁ・・・・。

 

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

合掌。

 


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