完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

突然思い出した「名コラムニスト」

2006年04月05日 | 
私は中年である。
中年はブログを始めて、そのむずかしさに
思い出した人がいる。

「ブログ」というものが、ただに日記であるなら
それは「記録」でしかないわけで、あとで「自分」が
読むときのためにしか書かなくて良い。他人から見て
意味不明でも、自分さえ分っていれば良いわけだ。

しかし、ブログは人に読んでもらうことを前提と
している(はずだ)。もちろんそれはUpする人間の
感覚で限りなく日記に近いものから新聞記者並みの
客観性をもつブログもある。

いずれにせよ「読んでもらう」ことを意識した文章を
書くことは「本当にむずかしいことだ」と今実感して
いる。そして、一人の名コラムニストを思い出した。

     「ナンシー関」

この名前を知っているだろうか。正確には・・・・。
「消しゴム版画家」にして「テレビウォッチャー」そして、
ついでに「エッセイスト・コラムニスト」の肩書きを
持っていた。

メガネをかけて、ふくよかな巨体を持った女性で4年前に
突然この世を去った。急性心不全であった。

その辛辣にして的確なコラムは、いまだこれ以上の
「キレ」のよい文章を読んだ記憶がない。

何よりも、このひとはテレビに出ている人たちのホンの
小さな変化を見逃さなかった。一般人が「何かこの人は
おかしい・・・。」と思っても、なかなか説明できない
ことを実に的確に文章にして「笑わせて」くれた。

少々文章を引用させてもらう

「私は、日常生活においては、ほとんど人の顔など見ちゃ
 いないのである。だから、失礼な話であるが一度や二度
 会ったくらいでは認識できない。あいさつされても
 『どうも』なんて返事しながらその実最後まで誰だか
 分らないなんてのは当たり前みたいなもんである。
 忘れてしまったのではなく、ハナから覚えていないのだ」

このエラそうな感覚で、芸能人・有名人を滅多切りにして
この時代のコラムを席巻していた。

今、数多くの彼女著の文庫本がたくさん出回っているが、
まったく残念なことに、彼女の真骨頂は「今」という
舞台で初めて「輝く」文章だから、どれを読んでみても
そのときに読んだカタルシスは、味わうことが出来ない。

私には、無理であろうが彼女の「テレビを見る目」を
見習い、このブログを充実させたい!と切に思っている。


今回も最後までお付き合いいただき「ありがとう!」
これを読んだみんなに幸多かれと祈ってます。  may



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