完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

結論ではないけれど。    ~「ライフワーク」の答え(多分80%くらい)~

2020年08月16日 | ライフワーク

私は初老男である






一日遅れになってしまった。







そう「敗戦記念日」







私は8月15日をそう呼ぶことにしている。









勝った国は「戦勝記念日」という風に指定しているであろう。











そして、勝つべき計画と実行をしながら勝てなかったのに「終戦」というのは欺瞞に感じるからだ。










私のライフワーク




          「日本は何故、勝てる見込みのないアメリカに戦争を挑んだか」



                    

                                  の答えを探ること。









その答えが中年から初老になり、中老になろうとしている現在。










形になり始めている。









つまり、この疑問の答えは「複雑怪奇」であり、すべての面から見た場合結局










                「良く分からない」









                             という答えしかでてこない。










そうした中で、私の示せる事柄で答えを文字にすることにしよう。










まずもって。










「平和」の対義語が何であるか?









これの答えを「戦争」だと思っている人には、これから書くことの意味はほとんど理解できないであろう。










「平和」の対義語は「無秩序(混乱)」である。












また「戦争」と「事変」、「戦争」と「紛争」の違いが分からない方も同様である。














実も蓋もない結論であるが結局「歴史にもしもは許されない」というのが今の私の結論である。










日本が戦争に向かっていく中において、多分、政治家・軍人の誰かひとりでも欠けていれば。ちょっとしたアクシデントが起きていれば。ヨーロッパで起きていたことが数日遅れていれば。。。。。。。











今の日本の形は随分違ったものになっていただろう。









こんな陳腐な答えにしかたどり着けないことが情けないのであるが・・・やっぱりこれに尽きる。







そうした意味で今の私は「パールハーバー」は、軍事的には成功だったかもしれないが外交・政治的には成功と言い切れないのではないかと思っている。









アメリカが最終的にはこれを「開戦」の口実にしたからね。









当時の日本国民が世界で起きていることを「知らないで開戦を望んでいた」とも思えない。(アメリカとの開戦をほとんどの国民が狂喜乱舞したという)









まあ、本当の戦争の悲惨さを知っていたとも思えないけど。










だから単純に「政治家が悪い」とも思えないし、利益のために「戦争反対」を書かなかったマスコミを非難することも、答えを知っている者の後出しジャンケンのようで・・・・。










戦争と事変の違いが「宣戦布告」をしているかいないかであるとするなら、事変のおいての片方に援助している国に苦情は言えても攻撃はできない。








支那事変においてのアメリカ・イギリス(のちの連合国)の中国への援助は、日本側から見れば「憎むべき行為」であることは明白だが、彼の国には彼の国なりの事情と理由がある。









さりとて日本が支那事変に向かっていくことが、単純に「侵略」とは定義できるだろうか?










「やった方」と「やられた方」では、認識は全く違うのは当たり前である。








日本が戦争に向かっていったのに連合国側の「挑発」があったのも事実だし、その挑発の前に日本が「中国の挑発」に乗ったのも事実。










太平洋戦争(大東亜戦争)の始まりがそこにあるとするならば、さらにその中国の挑発にのらざるを得なかった日本の国内事情にその種がある。










そうやってたどっていけば・・・・。









明治維新あたりまで、最低でも遡らざるを得ない。









そして、最初に戻る。








その間に現れた主要な政治家(殿様)・軍人(侍)・市井の人達に突然変異的な人が居たら。






あるいは誰か欠けていたなら、違った歴史になったはずである。







現在「戦争状態」の国は、ほとんど無いはずだ。(韓国と北朝鮮は「休戦」だから戦争状態かもしれないが)










しかし「紛争」は絶えない。









戦争は「国vs国」であり、ある意味分かりやすかった。







だが、様々な理由から起きている紛争は「国vs主義(宗教・利益等々)」である。









だから、戦争という定義で守られるべき協定が守れない(先の事変と似ている)簡単に収まらないし落とし所が見つからない。











そして、憎しみと悲しみが拡散していく。








こんな「答え」では腑に落ちないのであるが・・・・。







今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、腑に落ちない答えでもとにかくたどり着きますように。








                May






本当のところ「日本はある時点で、うまく立ち回れば戦争回避の可能性があったんじゃないか」って結論なんだけどね。












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