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『わかりあえないことから』

2014-06-14 22:16:12 | 読書。
読書。
『わかりあえないことから』 平田オリザ
を読んだ。

著者の平田オリザさんは演劇人で、
僕は大学生の頃に友人が録画してくれたNHK-BSか何かの番組で、
そこに出演されていたのを見たことがありますが、
どんな人なのかはそれから何年かを経て知ることになりました。
鳩山首相のスピーチの台本を書いていたりもしたみたいですね。
大阪大学では演劇を中心としたコミュニケーションの講義をされているようです。

僕の好きだったボウリングが出てきたり、
僕の住む街の名前が出てきたり、
前回読んだ、みうらじゅんさんの「自分無くし」に通じるような、
「演じる自分」を楽しむようにしていこうという主張だとか、
すごく自分にとって、自分とリンクした情報の載っている本でした。
こういうのって、運が良いというか、運命というか、
そういうものを感じます。

みんな、感じ方や考え方が違って大変ななかでどうしようか、
っていうまとめが最後の章なんですが、
そのへんの考え方というか、目のつけ方は、
僕の最初の短編小説に通じるものがあって、
自分の作ったのだけれど読みなおしてみようかと思うくらい。

また序盤ででてきたのが、いたるところででくわすアレ。
いったいどっちよ?どっちを信じればいいのよ?っていう
矛盾的指図だとか、規律と現実の矛盾だとか。
そういうのって「ダブルバインド」というそうですね。
社会や家庭やいろいろなところでのそういうのがひきこもりの大きな一因なんだとか。
「コミュニケーション解決能力を持て!」というのと、
社会に浸透する同調圧力。これも大きなダブルバインドだとか。
提案したり発言したりをよしとしながら、
一方では空気を読んで発言を控えろとか発言で波紋を作るなとかいわれるアレです。

建前が「提案や発言をしろ!」で本音が「波風立てるな、同調しろ」だったら、
社会はもう「GAME OVER」って感じがしました。誰も参加したがらない。
まぁ、本音と建前じゃなしに、やっぱりどっちも本音としてあるんでしょうね、
だからダブルバインドなんです。
それも全くもってよろしくないわけですが、
著者はそういうのも甘受して、受け止めていこうと言っています。
一段階ぐっとおなかに力が入るようでいながら、
力が抜けていくような決意が必要というわけです。

コミュニケーション能力が低くなったわけではない、
コミュニケーションの意欲が低下しただけだ、という観点から始まります。
僕もそんなにコミュニケーションが上手くはないし、
意欲もそれほどないような気がするので、
自分もまだまだ途上段階の若者であるかのように読みました。

わかりあえる、か、わかりあえない、か。
どっちを前提にコミュニケーションをしていくか。
僕は前にも記事に書いたことがあるけれども、後者なんですよね。
それで、共通項を探っていくけどもそれで万事がわかりあえたような錯覚はしないし、
わかりあえないと感じれば排除するというムラ社会的な行為はしない。
たぶん、これからもそうやって生きていきます。

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