Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

社会からの逸脱欲求と創造性。

2014-06-18 15:45:22 | 考えの切れ端
タバコって、新大陸として発見されたアメリカの
ネイティブアメリカンからヨーロッパに伝わって広まったものなんだね。
大航海時代に広まっていった嗜好品。

年齢制限があるからこそ、酒とかタバコとかに反社会性を持たせて
未成年が飲むこともあるわけだけれど、反抗精神の象徴みたいな気持って
20歳を越えてもまだあった気がする。
それは僕が20歳を越えても学生だったのが理由かもしれない。
酒はそこそこに飲まなくなり、タバコは頑張ってやめた。

年齢制限もそうだけれど、酒もタバコも
気分などに関係する化学物質を体内に取り込むことだから、
そういう意味での、逸脱行為としての気持ちよさもあるわけで。
ドラッグもそうだが、逸脱したい欲求、常日頃から脱したい欲求が、
それを摂取させる。

だからかもしれないけれども、そういうのは「一種の安易な逃げ」に見えてきたりも。
逸脱なんかの欲求は創造面だとかで発散する方法もあるので、
そうしないでただ溺れるようなのはかっこよくない(と思えるようになってきた)。
まぁ、ほどほどに、だよなぁ。

酒を飲みながら絵を描く画家、
タバコを次々と吸いながら文章を書く作家、
ドラッグをやりながらプレーするミュージシャン。
そうしないとスイッチが入らないのか。
そういう化学物質無しで逸脱する自信がないのか、
そうすると戻ってこれない怖さがあるのか。
化学物質無しのクリエイターは腹がくくれてるように見えませんか。

人間は社会的な生き物だから、
ノーマルな状態で社会生活をしないといけないという、
ノーマルへの重力を感じながらみんな生活をしている。
だから、しらふで逸脱できちゃうと、
社会的な生き物である人間の、
人間性そのものの在り方に問題がでてくるんじゃないかなぁ。

だからこそ、
正気でもって逸脱できるのはすごい人で、
正気を失って逸脱するのは病人ということになる。

と、頭で考えてみたものの、
でも、ホントのところはどうなんだろう?
過剰な真剣さを薄めてちょうど良くするために、
酒やタバコを飲むというのはあるだろうか?
力みをとる、というような意味合いで。
それでも、やっぱり、そういう化学物質を取りこまないで
自分自身で調子を整える方法をもっているほうが
かっこよく感じてしまう。

ちなみに、ヤクザやマフィアといった逸脱は省きました。
彼らは自身の両足を社会の枠組みからはずれたところにつっこんでいる。
ここで論じているのは、片足だけ社会からはずれたところにつっこんでみている、という、
まぁ、まだ通常の行為です。
通常といいつつ、前出のドラッグは、
違法だし身体が蝕まれるからやるべきじゃないですね。

また、社会性を反映した作品、だとかってよくありますが、
音楽にしろ小説にしろ絵にしろ、
そういうものがもうすでに逸脱的な存在だったりしないかな、
と思っての考えでした。
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