Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

無クナレ眼ノ疾患

2009-09-20 19:06:42 | days
僕はかなり目が悪く、度の強い眼鏡をかけています。
子どもの頃から悪かったので、片目の視力が1.5とかの世界って
どういうものなんだろうなぁ、と羨ましく考えたりします。
想像もつかないねぇ。

100年後の未来には、遠視も近視も乱視も、
治療できるようになっているかもしれません。
20~21世紀の人たちは眼鏡とかコンタクレンズだとかいうものを
つけていたんだってさー、なんて若い子達が話したりして。
地球温暖化による気象変動など、未来の世代に暗雲がたちこめているような
ところもありますが、それでも未来の便利さや生きやすさっていうものは
あるんだと思います。
そういう良い面を強く享受させられる世界にできたなら、
今の世代はよくやってくれたと未来の世界で感謝されるのかもしれませんね。
でも、どうだ、今の世代、前の世代に感謝しているか?
今を生きるだけで精一杯かな、今も未来も。
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フロンティア

2009-09-19 18:35:02 | days
嘘も涙もおなじ色になる----。

何年か前に発売された中谷美紀さんのシングル曲、
『フロンティア』の歌詞の一部分です。
久しぶりに車の中で聴いてみたら、ハマりましたねぇ。
もともと好きな曲だったんですが、
歌詞に惹かれるものがあります。

フロンティアというタイトルですから、
きっと、とある発展の仕方をした未来社会での、
少年の生身の心の部分に語りかけているように聴こえます。

君がえらんだ時計をすすめて、
自由で満たすガラスの盃----。

選ばれた何人かの少年の生き方によって、
時代の方針が決まっていく未来社会なんじゃないかと想像します。

少年のプライバシーは、その少年は気づいていないのだけれど、
丸裸にされて他の国民の衆目にさらされていて、
その少年の言葉や行動の中から時代の構築の仕方が決められていく。

孤独な太陽 枯れるまで照らす-----。

その少年が老いて死ぬまで、その衆目にさらされる「囲み」は解かれない。

君のてのひら命がこぼれていく-----。

その少年の生き方には、他の国民の命運さえ握らされている。
国民はその少年を監視することに、エネルギーを使わされる。
エネルギーというか興味を、なかば強引にもたされることになる。
そうやって、国民の注意なんかを少年に使わせることで、
他の興味を持たせなくする社会。ある意味、ポピュリズム。
もちろん、その少年に関連する言葉は、直接、言葉にしてはいけない。
言葉の裏に隠しながらその意味を汲みあう。

病的な世界ですね。
そんな世界を感じさせるこの歌。
未来社会かパラレルワールドか。
一つの物語に、出来る人なら出来そうな世界観です。
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『限りなく透明に近いブルー』

2009-09-18 15:24:14 | 読書。
読書。
『限りなく透明に近いブルー』 村上龍
を読んだ。

大作家村上龍さんのデビュー作。
龍さんの本は、10代~20代半ばくらいまでの間に
20作品くらい読んでいるんですよね。
でも、長編はほとんど読んでいないんだよなぁ。
今度読んでみようかなと思います。
ちなみに、初めて読んだ村上龍さんの本は、中3のときに買って読んだ
『トパーズ』でした。よくこんなのを読んだものだ。
読んじゃいけないものを読んでいるような気がしたものです。

それで、今作。
デビュー作で芥川賞受賞作だから、どれほどの出来なのかな、どれどれ…、
とちょっと上から構えて読んでみました。

前半まで読んだところでは、
「退廃的というよりは、原始の祝祭的な快楽主義みたいなものを感じる。
同時代の文学だから読んだわけで、これが昔の小説だったりしたら
読まなかったんじゃないか」という感想。

しかし、全部読み終わってこう変わります。
「『これは傑作だ』と驚く。今まで読んだどの村上龍の小説よりも
面白いかもしれない」

話のテンポといい、言葉の使い方、文体、描かれる内容、
どれにも光るものがあります。
現代という時代が近代を超えたことを意味する文学だといっても、
はずれではないのではないか。
夏目漱石や太宰治や三島由紀夫を超えてでてきた作品だという感じがする。
現代の進歩というものが、文学にも出てきた感じだなぁと。

そういうのが30数年前に発表された本だなんて、驚いてしまいますね。
村上龍さんすげぇわぁ。

だけど、その後の作品で、このデビュー作を超えたものがあったのだろうか。
あったんだろうけど、読んでいないのだろうな。
この作品のような直球勝負で臨んだ作品をまた読んでみたいよねぇ。
抜群でした。
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ラーメンハ危険物

2009-09-17 19:44:20 | days
長い付き合いの友人が以前、
「ラーメンを食べたらおなかが壊れるので食べない」
と言っていたことがあって、
なんだそんなおなか、よわっちぃなぁ、なんて、
他人事の気持ちまんまんで、少しだけバカにしていました。
ここ数年になってそういうこともなくなってきたのか、
一緒にラーメン屋にはいることも何回かありました。
そうか、その友人のおなかが強くなったのかなと思っていました。

それで、昨日、とあるラーメン屋で大盛のネギ塩ラーメンを食べたあと、
1時間半くらいしてから、猛烈なおなかの痛みと
ぎゅるぎゅるという音と水分が動くような感触に襲われました。
丁度帰宅したところで、トイレに駆け込むことができました。
そのタイミングだけは幸運でしたね。
それで、でるわでるわ、どろっどろなのが。最初は硬かったんだけどねー。
なんて、汚い話はここまで。

ラーメンの何が悪いんだろうと考えてみた。
ラーメンの油分が胃にたまって、水を飲むことで固まるのが良くないっていう
話を聞いたことがあります。しかし、そんな、固まるか?
たしかに、昨日はラーメンのあとに水をコップ一杯飲み干して店を出たんです。
でも、ラーメンを注文するときに、「油少なめ」とオーダーしたので、
それほど油っこいラーメンでもなかったのです。

では、そこの店の衛生面に問題があったりしなかっただろうか。
ネギをあえるタッパが汚そうではあったかなぁ。
さらに、ラーメンを作りながら、ホースで水をまいたりして、
なんか汚らしい作業をやっていたかな。
それを見ただけで、おなかを壊しそうな気もする。

けっこう、アンケートを取ったりしたら、
ラーメンを食べておなかを壊す人って多いという結果がでるかもしれない。
まぁ、店によるんだろうけどね。
そういうの、誰か、メディアの人、調べてみてください。
昨日は、僕の友人の気持ちと体調がわかった日でした。

というわけでね、のりピーが保釈されたので、
それにあやかり、げりピーの話をしてみました。
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『哲学は人生の役に立つのか』

2009-09-16 00:06:48 | 読書。
読書。
『哲学は人生の役に立つのか』 木田元
を読んだ。

2008年の本で、そのときに80歳だった、
東北大学卒、中央大学哲学科の教授、木田元さんの、
主に自分史を語った本でした。

哲学の入門書かかな、なんて読んでみたら、自伝だったので
面食らいましたが、語りを文字に起こすという形での執筆のようで、
平易な文章で読みやすかったです。ぺろっと読めちゃった。

序盤にちらっと昨今の世の中の動きについて触れているのですが、
わかったような感じでとにかく言葉にするという姿勢ではなく、
わからないことをちゃんと見据えて、深入りせずに軽く語っていました、
そういうところを読んで、さすがに哲学をやってきただけあって、
慎重なのかなと思いました。やっぱり研究をしている人っていうのは
そんな感じなのかなぁ。ただ、そういう人って、
ちゃんとわかったことに対しては深く理解しているような
ところがありますよね。間違いなくそうだっていう確信をもって
研究されている雰囲気を感じます。

さっきも書きましたように、哲学者や哲学に触れてはいるものの、
自伝的な本なので、哲学の教授をやったおじいちゃんのお話を
拝聴しているというような本でした。
なるほどね、そういう人生もあったのか、という聞き手のような
読み方がされる。
また、けっこう高校生とか、若い人を読者に考えて話しているのかなぁ
と読めるところもあるのですが、そうじゃないところもでてきて、
読者層は広く計算しているのかもしれない。

筆者はドイツの哲学者のハイデガーを中心に哲学にふれていますが、
ハイデガーがどんな哲学を世に示したかについては、
まったくといっていいほど触れられていません。
それについては他の本を読んでくださいということなんでしょう。

そういった意味で、哲学に触れたいと思った人には物足りない本です。
まぁ、でも、興味をひくような意味合いはありますかねぇ。
そのうち、余裕があるときにでも、哲学を話題にした本を読んでみようと思います。

こういう人が学者さんになるんだなっていうことを知るには
良い本かもしれません。
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『しんぼる』

2009-09-15 13:39:51 | 映画
今日は行きつけの映画館がメンズデーで、
1,000円で映画を観ることが出来るので、
松本人志さんの第2回監督作品『しんぼる』を観てきました。

これはね、一言で言うと、現代に発現した神話ですね。
主人公の、パジャマ姿でマッシュルームカットの男が、
目覚めたら白い部屋に閉じ込められていてじたばたするんですが、
そのじたばたぶりがなかなか面白いです。
『大日本人』に比べると、笑いやすくなっているなぁという印象。
メキシコでのストーリーと交差して、途中でちょっと飽きてきそうだな
と思ったところで、パリッとした笑える映像が挿入されたりします。
そういうメリハリがあって良かったです。

男一人、密室の中での物語なだけに、会話のシーンなんかはないので、
そのあたり松本さんは楽をしたんじゃないかと斜に構えて観ても
いたのですが、ストーリーや画面の様子とか映像の挿入の仕方とかに
存分に頭を使っているなぁと感心しました。

朝イチで観たせいか、公開間もないのにお客さんはなんと僕一人でした。
そんな寂れてしまうような映画じゃないのになぁ。
そこはかなり残念でした。
もっとお客さんが集まっても良い映画です。
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『草枕』

2009-09-14 18:24:46 | 読書。
読書。
『草枕』 夏目漱石
を読んだ。

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』に次ぐ、
夏目漱石初期の作品ということです。
かなり難しい言葉が並んで、注釈の量も膨大でした。
それでも読んでいて面白かったですねぇ。
はっきりした筋があるわけでもないんですが、
かえってその方が小説の中の世界の広さを感じました。

>智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
>兎角に人の世は住みにくい。

と1ページ目から、世間に対して嘆息のような断じかたを
している主人公ですからね。
そういった窮屈さから逃れた小説になったんでしょう。

解説を読んでみると、これは奇妙な小説だなんて書かれていますが、
それほど小説を読み込んでいない、それも明治とか大正とか昭和初期とかの
小説にあまり触れていないせいなのか、奇妙だとは思いませんでした。
きっとね、現代の小説を近代に持ち込んだら、
「なんだこの小説は、なっとらん」
みたいな言われ方をするのかもしれない。

『草枕』は全然「あり」だと思いましたよ。
10代とか20代とかの頃に読んだ、
夏目漱石の代表作の『こころ』とか『三四郎』は、
読んでもまるで何も残りませんでしたが、
今回読んだ『草枕』と以前読んだ『門』は面白く読めたんですよねぇ。
その前に『坊っちゃん』を読んだんですけど、
それもなかなか面白かった。
これは自分が30歳を超えて、
読み方が変わってきたっていうことなんでしょうか。
『それから』とか昔読んだものを読み返したら
全く違う印象を持つ事になるかもしれない。

それにしても今作はすごいボキャブラリーでした。
言葉の閃きがスパーンと出てくるんだろうなぁ。
ヒロインの那美も良かったですね。
時代とか世間とかの窮屈さに押し込められるか押し込められないかの
境界のところで生きている女性のように読めました。
またちょっと危険を感じさせるところなんかも読んでてわくわくしちゃった。
現実にこういう女生と出会ったら、
破滅させられてしまうそうな怖さもありましたね。
夢に出てくるなら大歓迎です。
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イクラ醤油漬

2009-09-13 20:23:54 | days
今日は隣町のスーパーで生筋子を買ってきて、
イクラの醤油漬けを作りました。
これ、去年も作っているんですけれど、
毎年9月の恒例の行事になりそうな予感がします。

おふくろなんかは、「どうやってつくるか見にいこう」と
ちょこちょこ料理の様子を見にきて、昆布を洗って鍋にかけたり楽しんでいた様子。
明日の朝には食べられるので、その時にもっと楽しんでもらいましょう。

しかしですね、作りすぎた感があります。
750gも作ってしまった。
食べきれるだろうか、捨てることになったらもったいない。
ネットで調べたレシピだと、300g分だったんだよなぁ。二倍、二倍。
まぁ、でも、僕が作ったのだから美味しいのは当たり前で、
ぺろっとなくなっちゃうんじゃないかな、ふふふ。

けっこうね、筋から卵をとるのは骨が折れました。
5房あったからねぇ。それで、卵にほぐしても、
白い物体が混じりあっていて、結局それを取りきれずに
漬け汁に浸したわけなんですが、
大丈夫だよね、問題ないよね。
よく洗ったから生臭いってことにはならんだろうけど、
どんなもんかなぁなんて思いますね。
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席順ノ記憶

2009-09-12 16:09:42 | days
高校時代のクラスの席順を決めるのがくじ引きだったんです。
それで3年間の間に3回くらい一番前の席になった。
教卓のすぐ前なんてこともあって、そのときには、
くじを引いてぐたーっと身体の力が抜けたのを覚えています。
というか、高校時の座っていた場所の記憶って、
その、教卓の目の前の一番前の席と一番後ろの席になった
2つしか覚えていないんですよねー。
一番前は一番前でそれほどいやじゃなかったなぁ。
たしかに無駄話とかはできなかったけど、休み時間に
本を読んだりして過ごしていた。

うわー、思い出すなぁ。部活が終わった3年生の放課後なんて、
友だちとカード麻雀をやってたよ。
いまだに役の数え方はわからないんだけれど。

中学の終わりからその頃って、友だちがいなかったわけじゃないんだけど、
学校が嫌いでしたね。高校に通うのも大学へ行くために
やりすごす期間という気持ちでいた。
僕の中学・高校時代というのは、登校拒否や学級崩壊が
話題になりだした時期だし、実際にそういうこともありました。
全国的に、感受性の強い世代の子達が同じように感じていた時期なんだろうなぁ。
今の子はどうなんだろう。以前よりもすごしやくなっていっていたら、
僕らの世代が苦しんだ甲斐があったというものです。
重松清さんの小説を読んでいたら、まだまだなんかこんがらかってる
子ども社会というのが見えてきたりします。
そういうのも、大人社会が間接的に影響しているんじゃないかとも思います。
大人のふりをみて、子どもが子どもの生活を形作る。
かっこいいところは見習って、かっこわるいところは反面教師にして、
また、悪いことでも、「大人もやっているんだ」と鋭く見抜いて
まねしたり、いろいろな形で反映するものだと思います。
良かれ悪しかれ、ねじけたりしながら。

そんな大人の代表格の親の次に多く接する教師という人たち。
僕は高校の三年間、同じ担任教師でした。評判はかんばしくなく、
どことなくバカっぽさのある30代前半くらいの人でした。
教卓の一番前の席になったときなんかは、「mask555、よろしく頼むな」
と笑顔で言われましたね。競馬が好きな人だったので、
僕もそのころ競馬が好きで、たまにそういった話をしたりしました。

そんな高校時代だったので、同窓会なんかはまるっきり出たくないのですが、
担任の先生にはお会いしたいかなという気持ちもします。
相変わらず元気だったらいいなぁ。
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ニュースノ無イ日

2009-09-11 20:05:12 | 考えの切れ端
ニュースが無い日が不意に訪れることはあるのだろうか。
夕方のニュースで、「今日はお伝えするニュースが何もありません」
とキャスターが柔らかな表情で告げる。
そこから、出演者たちはニュースが無いということをあれこれ論じたてて、
良いことはなかったけど、悪いことがなかったのは実に喜ばしいことだ、
なんてちょっと呆けた雰囲気をお茶の間にお届けするかもしれない。

いやいや、ニュースが無い日なんていうのは未来永劫訪れないのでしょう。
株価や為替の動き、そして天気予報に、政治などの事件や事象の経過について。
ネタが尽きませんね。

でも、個人のレベルでは、ニュースの無い日を設けることは不可能じゃありません。
外界からの情報を意図的に遮断すればいいのです。
新聞を読まない、テレビを見ない、インターネットをしない、会話をしない。
そうやって、何もニュースが無い日が人為的に生まれます。

そういう日があってもいいなとは思いますが、
人間の脳というものはそうできていないのでしょう。
脳は外界からの未知の刺激を渇望しているものなのではないでしょうか。
今みたいにメディアが発達していない時代の山村でも、
村人の誰がなにをやった、こう言っただのという速報が
口伝えで他の人々の耳に入ったりしたことでしょう。
そして、乏しいニュースの代わりに、噂話なんてものができあがって、
村人の脳を刺激したことでしょう。
噂話なんてものは、昔に限らず、現代にもありますけどね。
それって、脳の習性の一つなんだと思います。
脳に情報を入力して刺激してやることが、家電製品なんかのスタンバイに
近い状態を作り出しているのではないかなぁ。
それとは別に、「脳は快楽主義者」なんて言葉を見たことがありますが、
情報という刺激に対して「気持ちいい」っていう反応をするシステムが
先天的に出来上がっていて、麻薬的にそれにはまっちゃうように、
人間を設計した者が仕組んでいたんでしょうね。

ただ、丁度いいっていう度合いもあるし、
なんでもかんでも情報を摂取してしまうっていうのは考え物。
芸能人のゴシップにばかり詳しいとか、
そういうのは脳の習性だけじゃなくて、性格っていうこれまた
脳の他の面の活動のあらわれなんだろうけれど、
そういうのって修正が効かないんですかねぇ。
芸能人のゴシップよりも刺激的な、知的興奮を得られるものに
出会う機会はあると思うのです。
そういった知的興奮に出会うためには、やっぱり勉強して頭の基礎を
養っておくことが大事なのかもしれない。

そんなことを論じたてる僕はどうなのか。
ゴシップにばかり目がいくことはないですが、勉強が足りません…。
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