嫌な言葉を見つけてしまった。
「オメガブロガー」という言葉。
検索してでてくる「はてなキーワード」によると、
こんな意味だそうな。
>誰にも読まれない、何の影響力も無い、存在すら無意味なブロガー。
>何を書こうがサーバーの記憶領域のゴミ以上のものには決してなりはしない、
>泡沫日記製作者。
>しかし「アルファブロガーがなんだっつーんだよッ!
>つまんねぇーんだよオメーラッ!こちとらオメガで十分だッ!ケッ!!」
>という意味も含んでいる。
僕が毎日巡回したりして、よく読ませてもらっているブログは
オメガだとかまるで思いませんが、これを自分に向けてみると弱ってしまいます。
「ゴミ以上のものには決してなりはしない」‥‥ハハ、ハハ。
こういう言葉がうまれる背景には、ほんとにどうでもいいようなブログが
多すぎるほど存在している、ということがあるんでしょうね。
文体に趣があったり、内容がしっかりしていたり、
書き手の個性が読み手に興味深く伝わったり、情報として価値があったり、
思惟に満ちていて読み手の脳をくすぐるものだったり、
生活感が心地よかったり、写真にハッと魅せられたり、
同じ興味を持っていることに嬉しく思わせられたり、
ただただ面白かったり、ただただ辛かったり、
そういった読む気にさせられるブログって、
まま、あるような気がするんですけどねぇ。
伝えようとか、表現しようとか、わかりやすくしたためておこうとか、
そういった気配りとほんのちょっとの回り道で、ブログひとつにしても、
中身が変わってくるものなのかもしれない。
そういうもの以前に、ある程度丁寧で、
自分の気持ちに忠実であろうとする文章だったら、
読んでみて「クズだ」なんて感想は浮かんでこないようにも思います。
そんな能書きをたれている僕はどうなのでしょう。
わかりやすくて内容のあるブログを目指していますが、
なかなかね、小手先だけで書いていることがあります。
前にも書きましたが、今日は珍しく面白い記事だったよ、っていう日も
あると思うのです。そのへん、読んでくれる人の趣味みたいなものが
大きく影響するとは思うのです。
ただ、そんな、たまに面白いことがあるかもしれないブログとして、
見守っていただけると嬉しいかな、なんて、これは逃げですか、
そういうのも一つの方法としてですね、認めてもらえたらと思います。
「オメガブロガー」という言葉。
検索してでてくる「はてなキーワード」によると、
こんな意味だそうな。
>誰にも読まれない、何の影響力も無い、存在すら無意味なブロガー。
>何を書こうがサーバーの記憶領域のゴミ以上のものには決してなりはしない、
>泡沫日記製作者。
>しかし「アルファブロガーがなんだっつーんだよッ!
>つまんねぇーんだよオメーラッ!こちとらオメガで十分だッ!ケッ!!」
>という意味も含んでいる。
僕が毎日巡回したりして、よく読ませてもらっているブログは
オメガだとかまるで思いませんが、これを自分に向けてみると弱ってしまいます。
「ゴミ以上のものには決してなりはしない」‥‥ハハ、ハハ。
こういう言葉がうまれる背景には、ほんとにどうでもいいようなブログが
多すぎるほど存在している、ということがあるんでしょうね。
文体に趣があったり、内容がしっかりしていたり、
書き手の個性が読み手に興味深く伝わったり、情報として価値があったり、
思惟に満ちていて読み手の脳をくすぐるものだったり、
生活感が心地よかったり、写真にハッと魅せられたり、
同じ興味を持っていることに嬉しく思わせられたり、
ただただ面白かったり、ただただ辛かったり、
そういった読む気にさせられるブログって、
まま、あるような気がするんですけどねぇ。
伝えようとか、表現しようとか、わかりやすくしたためておこうとか、
そういった気配りとほんのちょっとの回り道で、ブログひとつにしても、
中身が変わってくるものなのかもしれない。
そういうもの以前に、ある程度丁寧で、
自分の気持ちに忠実であろうとする文章だったら、
読んでみて「クズだ」なんて感想は浮かんでこないようにも思います。
そんな能書きをたれている僕はどうなのでしょう。
わかりやすくて内容のあるブログを目指していますが、
なかなかね、小手先だけで書いていることがあります。
前にも書きましたが、今日は珍しく面白い記事だったよ、っていう日も
あると思うのです。そのへん、読んでくれる人の趣味みたいなものが
大きく影響するとは思うのです。
ただ、そんな、たまに面白いことがあるかもしれないブログとして、
見守っていただけると嬉しいかな、なんて、これは逃げですか、
そういうのも一つの方法としてですね、認めてもらえたらと思います。