拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

(狂歌)ナクソスに、島ラーメンは、なきにしも、問うてみるらむ、ついてくるかと

2020-11-15 14:59:36 | グルメ


そう言えば、逗子のスーパーで買ったラーメンをまだ食べていなかった。おおっ、いずれも伊豆諸島がらみではないか!八丈島産の明日葉を使った「あしたばラーメン」、同じく八丈島産の島唐辛子を使った「島とうがらし味噌ラーメン」、そして青ヶ島特産の海水塩を使った「ひんぎゃの塩ラーメン」。購入したのは式根島に行って島ファンになる前であったが、よい買い物をしていたものだ。

さらに、「海のあおさ」なんてのも出てきた。これはいつ買ったんだろ?式根島の帰りかな?封を開けると磯の香りがする。早速ラーメンに入れてみる。



島のりははっきりしている。式根島のお土産で買ったものである(でも買った場所は竹芝)。ずっとラーメンに入れていたが今回使い切った。もともと、キリギリスとアリのどっちかと言われればアリで、とことん物資をしまい込んで将来に備えるワタクシであったが、最近人間が変わった。とことん使い切って家の中を空にしよう。ということで、袋の中をどばっと全部空ける。



他に残ってるものはないかしらん。おっ、そうめんがある。何年か前に協同組合が送ってきたものだが、夏にこれを食べる習慣がないのでそのままだった。え?そうめんは年を越すとコシがしっかりする?お湯で食べるといい?じゃあ、ラーメンにうってつけではないか。ということで、ラーメンにして食す。言葉としては何か変。そうめんはそうめんであってラーメンではないはず。正確に言うと、ラーメンスープを使って、ラーメンのように食べるそうめんということだ。うん。なかなかいける。



こうやって、家の中をがらんどうにしつつあるのは終活ではない。島に行くために荷物を減らしているのである。と言っても、島行きの具体的なプランがあるわけではない。だが、希望を捨てずに準備を怠らなければいつかは夢が実現するはずである。アリアドネだって、待って待って待ちくたびれた頃、バッカスが迎えに来た……まてよ、これは島から脱出する話であった。逆の例えを出してしまった。なお、アリアドネだ、バッカスだ、というのは、Rシュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」を念頭に置いた話である。私は、このオペラでツェルビネッタを歌うグルベローヴァこそが空前絶後だと思っている。因みに、ナクソス島ってぇのはエーゲ海に実在する島で、面積は428平方キロ。八丈島が69平方キロ、伊豆大島が91平方キロだから、かなり大きい。人口も現在1万人以上いる。だったら、アリアドネの時代でもさほど絶海の孤島という感じではなかったろう。だけど、アリアドネは寂しい、悲しい、と嘆いていた。そうか、単に人恋しいということではなく、好きな男と別れたのが寂しかったのだな。このオペラの見方が変わりそう。さあ、これからいつもの儀式である。ナクソス島だったら私と一緒に行く人いる~?で、今回のタイトルと相成った。これは、一応57577の短歌であるが、季語が入っていないので狂歌であろうか。短歌と言えば、与謝野晶子の「やわはだの」にメロディーを付けたCMがあった。名曲だと思う。そのメロディーに今回の狂歌を乗せてみよう。♪ナクソスに(ミシラシド)、島ラーメンは(ラシドシラミド)、なきにしも(レレファソファ)、問うてみるらむ(レミファミレドラ)、ついてくるーかとー(シドレファミー♯ソラー)。五文字の店で聞こし召したワタクシの帰途はこの歌とともにあった。おろ、私って、テナーもいい声だわさ(朝言ってることと違う)。








女であることの自覚

2020-11-15 09:01:13 | 音楽
A合唱団では、私はいないパート(テナー又はバス)を歌っている。だから、ここでは私は男である。非常に不本意。しかし、男声に移ったのは自身の意思である。パートが揃わないのを見かねたからであるが、自分で移ったのには違いないから文句は言えない。誰も頼んだわけじゃないのに勝手に男声に移ったんでしょ、と言われたらその通りである。いやだったらやめろってことだ。しかし、やめたら、二人のピアニストの先生と練習後に飲めなくなる。だからやめられない。そこらへんを見透かされて、あいつは絶対やめないだろう、と思われているのである。なんと、欺瞞に満ちた団体だろう。ところで、この団体は、2,3か月に一度、練習してきた曲の仕上げに通し会を開く。この通し会(レパートリー会、略してレパ会)には外部の人も来て歌ってよい。以前、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスをレパ会でやったことがあって、で、私が「ミサソレの通唱会もどきをやる」とこのブログに書いたらお友達がわんさか来て、そこでY先生と私はクラリネットを吹くはずだったのだが、指揮者からいきなりダメと言われて(指揮者は会場から管楽器はダメと言われたとのこと)、ものすごく落胆して、恨んで、で、じゃあミサソレの通唱会をやりましょうってことで通唱会のうち私主催の一連のものがスタートしたのである。だから、レパ会でクラを吹けなかったのが結果として良かったのであるが、そのミサソレの会は年明け早々にやる(レパ会の話からずーっと脱線中であるがもう少し続く)。いよいよ3回目である。多分、ミサソレを私が主宰するのは今回限り。某さんがミサソレの主宰に加わりたいと言ってきたが、今回は私ががんばります。再来年以降、私は成人式のミサソレから手を引きますからそのときはお好きなようにおやり下さいませ。ということで、レパ会の話に戻る。今回のレパ会の題目は、そう、変に話がリンクして薄気味が悪いのだが、ミサソレと同じベートーヴェンのミサ曲ハ長調。事前にブログには書かなかった。コロナ禍で人数に限りがあるところ、書いてどっと来られたら困るからだ。だが、外部から二人来られた。SNSに指揮者が書いたのを読まれたのだろうか。なんともありがたいことにお一人がバス!しかもお上手!いつもはこないテナーの団員も来た。これは何を意味するか。そう、私がアルトを歌えるということである。ルンルン気分で歌いましたとも。すると、終わった後「やっぱりイージマさんは女ね」「すごく楽しそうな声が聞こえた」等、評判は上々。女であったことをあらためて自覚したワタクシでありました。あっ、恋愛対象は女性だからね、そこ、勘違いしないでね……と必至に訴えることも忘れない、往生際の悪いワタクシでもありました。

穴の開いた体操服~ヴィジュアル化宣言

2020-11-14 10:29:35 | 日記
よくお会いするピアニストのお三方はそろってテレビを見ないという。真似をしたわけでは決してないが、あんなにテレビ好きだった私が最近テレビの音がうるさく感じられて消すことがある。ほっとしてさわやかな風が流れるよう。うつ病の症状にそういうのがあると聞いて、私はうつ病だ、と飲み屋で元気に言ったら上記のピアニストのお一人に「ありえない」と即時却下された(このブログの筆を折ったとすれば、そのときこそうつ病であろう)。さわやかな空気と言えば、運転するとススのようなカビをまき散らすエアコンのクリーニングが急務であったがこのたび完了。クリーニングの作業中に出るわ出るわ真っ黒な水が。なんだかうれしい。



業者さんに「ひどかったですか?」と聞いた。「ひどかった」との回答を期待してのことである。マッサージを受けたとき「凝ってますね」と言われたいのと同じ心理である。だが「いや、普通です」と返ってきたのは期待はずれであった。クリーニングを終えたエアコンはピカピカ。写っているのは内部のフィルターである。



蘇ったエアコンが最初に送ってきた風のさわやかだったこと。この風にあたればどんな心の病でも治るにちがいない。

さて。エアコンの話から穴の話にどうつなげようか思案をした。エアコンの管を通す壁の穴(というパスタ屋さんがある)の話から持って行くのもいかにもわざとらしい。開き直って、バイ・ザ・ウェイと言おう(theを「ザ」と表記するのは忸怩たる思い)。調布の方で、道路に穴が開いたという。うちのタオルも穴だらけ。



私のパンツも穴だらけ。施設にいる母のパンツを穴だらけで女性用のパンツを買うはめになったのはついこないだのことである。どうして穴は開くのだろう(♪ソードドードドードドー、ドーソドードド)。それは、もしパンツに穴が開かなかったらパンツの新品が売れなくなるからである(かどうかは知らない)。そう言えば中学2年になったばかりのとき。体育の授業で校庭に出たら、新入生の教室から「いーじまさーん」という黄色い声が飛んだ。私のファンができたらしい(蓼食う虫も好き好き)。だが、当時私が着ていた体操服は、上に掲示した写真のタオルと同じくらい穴が開いていた。世間体を気にする母がなぜあのような無様ななりを息子にさせていたのか不明である。ボケる前からピントがずれた人であった。ボケたことの発見が遅れたのはそのせいもある。などと書くと、そうか、お前のピントがずれているのは母親譲りだなと合点がいった人がいそうだ(私自身がそうである)。声援を浴びた時の話に戻る。心中、このなりはかなりみっともないと思いながらも、自分はヴィジュアルで売っているのではない、中身で売っているのだと考え、穴あき体操服で元気に走り回った。そして、同じ声援を二度聴くことはなかった。「ヴィジュアルで売ってない……」と半世紀経った最近も当ブログに書いた私だが、今、思い出話を書いていて考えが変わりそうである。ヴィジュアルって、大事なのかもしれない……読み返してちょっと思った。穴あき体操服で地肌が透け透けだったから、セクシーってことはなかったろうか。

「運命・田園の会」は「アーモンドアイ記念杯」

2020-11-13 08:48:00 | 音楽
NHKのニュースの見出しは変だ。「アーモンドアイ引退へ」と出たから、え?アーモンドアイ故障?引退?と思った。こないだGⅠ8勝の新記録を樹立したアーモンドアイ(5歳=古馬)があと走ったとしても1回ぐらいで引退することはみんな知っている。焦点は、引退前にどのレースに出るか。それぞれ3歳(若駒)で無敗の3冠を達成した牡馬のコントレイルと牝馬のデアリングタクトはジャパンカップに出ることが決まっている。もし、ここにアーモンドアイが出てきたら大変なことになる。だが、最近の競馬関係者は、強い馬同士のレースを避ける傾向にある。案外、どこか故障してこのまま引退ってぇのもありうるな(大事な馬だから無理はさせられない)、と思っていた矢先のニュースだったからだ。と、ところが、ニュースの中身を見てみると、な、なんと、アーモンドアイがジャパンカップを最後に引退だと!え?ジャパンカップ出るのか。これはまっことすごいことになった。近年まれに見る頂上決戦である。巴戦である。巴戦と言えば、若貴兄弟と曙の優勝決定戦を思い出すが、この三人の元横綱は、結局その全員が相撲界を去った。とにかく、今度のジャパンカップは、私にとっては、今年最大のイベントになろう。そこまでは何が何でも生き延びるぞ。ひどい失恋をしても、楡の木の下にぶら下がったりしないでがんばるぞ(順番が違う。失恋の前に彼女を作るのが先であった)。まてよ、その日は、運命田園の会の日だ(私が主催する、みんなでベートーヴェンの運命と田園を演奏し、歌の人も口三味線で歌うという会。これまで別の名称を使っていたが、私が区に登録している団体名が「歌いまくる会」なので、歌いまくる会以外のイベントにもこの名称を使うことにした。自分で主宰しといて、楽器の人はともかく、口三味線で歌うなんて酔狂に乗る人がいるかと思ったらたくさんいて、今、キャンセル待ちである。いや、楽しいに違いない。もし私が楽器をやらなかったとしても、率先して口三味線をしたことだろう。因みに1月のミサソレの会は、大きな会場を確保したので参加者大募集です)。じゃあ、ジャパンカップは録画か……いや、運命田園は夜だった!!! リアルタイムで頂上決戦を見た後、運命田園を演奏することになる。事情があって夜にしたのだが、そのときはジャパンカップのことなど頭になかった。なにかとうまくいかない世の中だが、このようについてることもあるのだな。当夜、私は、アーモンドアイのラストランの感傷に浸りながらクラリネットを吹くのだろう。そうだ、この会はまさに「アーモンドアイ記念杯」である……「杯」と言ってもレースではない。一番早く走った人に景品?ダメです、音楽で走っては。

♪あまっこだーの、ふなっこだーの、けっこんしたいと思うべな~

2020-11-12 10:05:23 | 音楽
なぜトム・ソーヤーのドイツ語訳が難しいかというと、原書(英語)が子供同士が使うスラングにあふれていて、その雰囲気を訳でも出そうとしてるからだ。例えば、トムとハックが朝「Morr'n!」と挨拶している。状況からしてこれは「Guten Morgen!(おはよう)」が「Morgen!」に縮まり(ここまでは普通)、それがさらに「Morr'n!」に縮まったのだろう(これは推測である。辞書では確認できてない。ネットにも手がかりがない。つまり証拠がない)。だが、原書では、単に「Hello!」である。つまり、原書に忠実に訳しているのではなく、全体として雰囲気を出すための訳であった。因みに、邦訳では「よう!」である。もしドイツ人がトム・ソーヤーを日本語訳で読んでて、「よう!」にぶちあたったら悩むかもしれない。その日本語訳が可笑しかったのが「gal」の訳。トムにベッキーという彼女ができて、ハックに「ベッキーはgalじゃない、girlだ」と言うくだり、日本語訳では「アマッ子じゃない、女の子だ」としつつ、それぞれ「アマッ子」には「ギャル」、「女の子」には「ガール」とルビがふってある。翻訳者というのは実にご苦労様である。因みに、ドイツ語訳では「Mädelじゃない、Mädchenだ」。もし、パパゲーノのアリア「Ein Mädchen oder Weibchen」の「Mädchen」が「Mädel」だったら、日本語の歌詞は「アマッ子か恋人がいたらいい」になる。いや、「アマッ子」で歌とくれば、むしろこれであった。♪あまっこだーの、ふなっこだーの、よーるがあけたとおもうべな……私の友人には智にたけた秀才が多いから、私のこの連想に対しては「イージマさん、間違ってるよ、「どじょっこ」だよ。「あまっこ」と「どじょっこ」には重なるところは何もないよ」と言うだろう。しかし、私にはとって大事なのはリズム(語呂)である。この童謡は元は東北の民謡で、「思うべな」にその名残がある。さて、トムののろけ話を聞いたハックが「結婚なんていいものじゃないよ。ボクの両親なんか喧嘩ばかりだもの」と言うと、トムが「いや、僕の彼女は違う」。それに対してハックが返した言葉が「いや、女はみんな同じようなもの」。驚き!トムとハックはまだ小学生くらいの年代である。それでいてハックは「コシ・ファン・トゥッテ」と言っている。小学生で既にダ・ポンテとモーツァルトの精神を理解している。偉い先生方に「5歳なのにすごいね」と言われているチコちゃんを思わせる早熟ぶり。ますます続編の「ハックルベリーフィンの冒険」を読みたくなった。因みに、ワタクシは、幸せな結婚生活を夢見るカンレキのトム・ソーヤーである。え?過去いろいろあったくせにそんなことが言えるかって?私の脳内の記憶は小学生時代に戻っている。ゴジラ映画も、過去いろいろあったが、復活したときは第1作の直後に戻っていた。

音楽は聴きたいときに聴きたい

2020-11-11 09:07:28 | 音楽
人はカフェやバーでちびちびやりながら思索をするという。すると、私にとってのバーはサイゼリヤだ。安い(わりには旨い)ワインをちびちびやりながら支離滅裂に思考を巡らす。今、考えたいのは島への移住のこと。ところが、ここのところトム・ソーヤーを読むのが大変で(ドイツ語で読んで、分からないところ(=大半)をあんちょこ(邦訳)で確認しているから、普通に邦訳を読むより5倍時間がかかる)、思考を巡らす暇がない。だから、島への移住も形にならない。因みに、マーク・トゥエインの作品では、「ハックルベリー・フィン」こそが代表作だと言う人がいるが、こっちは読んだことはない。トム・ソーヤーをやっつけたら、今度は無理をせず日本語訳で読むつもりである(「ハックルベリー」でググったらそういう名の実がたくさんヒットした。そっか、「ベリー」だもんな)。サイゼリヤで島への移住が形にならないのはトム・ソーヤーのせいだけではない。店内にはいつも音楽がかかっている。これに気をとられる。大体、日本では音楽がかかりすぎである。店内のほか、電車の駅も着くたびに音楽が鳴る。山手線なんかあっと言う間に次の駅に着くから音楽が鳴りっぱなしである(上野駅はマイスタージンガーである)。施設の中だけではない。夕方になると、区がでっかいスピーカーから音楽を鳴らして「よい子は、おうちに、帰りましょう」と言っている。うちなどは、100メートル歩いたら埼玉県で、そっちからも「よい子は、おうちに、帰りましょう」と聞こえてくる(どちらの放送も二箇所に句読点が入る)。しかも、足立区と八潮市では「よい子が家に帰る時刻」がずれたりする。真に真面目な子はどっちの言うことを聞くべきか悩むだろう。罪作りな行政である。だいたい、私が子供の頃はこのような「お節介」はなかった。子供は、暗くなったら帰るものであった。だいたいがして、今の社会はお節介がすぎる気がする。だがまあ、憲法史からいうと、国によるお節介は増えていくのが潮流である。すなわち、市民が民主主義を勝ち取った当初は「ほっといてもらう自由」が尊ばれたのだが、ほっとかれたら貧富の差が生じ、持たざる者はどんどんぼんびーになったので「実質的平等を達成するため国(行政)はもっとがんばれ」ってことになってきている。まあ、そのことを否定するわけではないが、私的にはもうちっとほっといてもらいたい。音楽は、聴きたいときに聴きたい。私らしい話で締めよう。スペインでは、コロナ禍で状況は変わったが、その前は、男女の出会いはバーの片隅というのが定番だったという。しかし、私にとってのサイゼリヤは、出会いの場所にはなりにくい。席がひろびろとしていて、他の席の人とほとんどコンタクトをとるチャンスがない。それがよくて「思索」に行くのだが、サイゼリヤで恋に落ちるのは無理のようである(私にとってのメリル・ストリープは現れないようである)。

K子さんがいっぱい

2020-11-10 08:55:56 | 音楽
最近、体調がすぐれない日が多い。すわっ、一大事、いよいよコロナか!?と焦って熱を測るとない。ないどころではない。35度台は当たり前。こないだは34度台が出た。あり得ない、5000円で買ったばかりのピッで測れる体温計がもう壊れたか、と思ったが、お隣の人(飲み会の)のを測ったらちゃんと36度台が出る。不調は低体温から来ているようだ。外出が減って自転車に乗ってないことが影響したか。あと、性愛小説のような出来事がなく、「氷のようなイージマさんの心」が原因かも知れぬ(これは「トゥーランドット」の「氷のような姫君の心」のもじりである)。性愛小説と言えば、「ホテルローヤル」を一気に完読。分かるなー、って話ばかり。私も大人になった。映画の公開が近いようだ。因みに私はヴィジュアルでは売ってない。トークで売っている。早口のトークである。なぜ早口かと言えば、中身がないからである。相手に考える時間を与えてしまうと中身がないことがばれる(あと、早口は、私の脳の活性度のバロメーターでもある)。ところが、こないだ某美女に「イージマさんと話していると女子会みたいー」と言われた。若干ショックである。だが、自覚もある。ピアニストの某子さんに常々「イージマさんの頭ん中は女子」と言われている。今ウソをついた。「女子」ではなく「おばさん」であった。だから、アルトの中に一人男として混ざっていても、飲み会で小学生がはやしたてるところの「おーんなのなーかのー、おーとこーがひーとりー」状態であったとしても、自分的には全く違和感がない(同時に、異性に囲まれているというわくわく感もない)。だが、念のために言っておくが、私の恋愛対象は女子である(このことを強くいっとかないと)。さきほど、外出する機会がない、と書いたが、いや、ちょっとおかしい。最近、自分が主宰するところも含めた、かかわっている音楽団体はむしろ増えている。そっちでいっぱいいっぱいになって脳が悲鳴をあげて、それが不調感につながっているのかもしれない(疲労を感じるのは脳だという)。たまに、爆発して、もうやめてやるー、と叫びたくなって、だが、やめるつもりは毛頭ないから、間をとって、一晩だけドイツ語でぶちまけて、すっきりして朝削除したら、こういうときに限ってたくさんの人に読まれている。私のお友達はイリオモテヤマネコか?(夜行性ってこと)その中で、えらく心配してくれた人がいる、と聞いた。優しい!ボクと結婚して下さい!いやその人は人妻だった(だから「結婚して下さい」ではなく「付き合って下さい」というべきだった。え?どっちもダメ?)。因みに、その人妻はK子さん。K子さんが心配してると教えてくれたのもK子さん(私を「おばさん」と言ってるピアニスト)。「女子会みたいー」と言った美女もK子さん。なんだかK子さんが多いなぁ。あと、高校の同期のK本Y子さんも縮めればK子さん。M上さんもKっぽいと思ったが、Kが二つ入っているが「子」がどこにもないからK子さんにはならない。さて。忙しいとか言いながら、楽器だけのアンサンブル・グループを作りたいなー、とも考えてる性懲りもない私。そしたら、K子さんとK子さんとK子さんにきてもらおう!

バロン・オックスの敗北宣言/海鳥の詩(合唱曲)

2020-11-09 09:59:40 | 音楽
敗北宣言をしないトランプさんの首に誰が鈴をつけるのか、って話が取り沙汰されているが、バロン・オックスに引導を渡したのはマルシャリン(元帥夫人)である(バロン・オックスと言っても私のことではない。本家本元の「バラの騎士」のオックス男爵である)。あくまでも若いゾフィーとの結婚を目論む男爵に対し、第3幕の大詰めで、「Versteht Er nicht,wenn eine Sach' ein End hat?」(物事には終わりがあるということが分からないの?)と言い放つ。その言葉に優美なワルツがかぶる。ついに諦めた男爵は、「wir geh'n」(行くぞ)と言って退散。おっ、こうやってみると、バロン・オックスも敗北宣言したわけではない。

さて、昨日は、味噌煮込み合唱団(仮名)の練習に行ったのだが、乗換駅の新鎌ケ谷で北総線が来そうもないから西白井まで歩くことにした。20分くらいで着くと思ったら40分かかった。だが、野山を歩くのは気持ちがいい。プチハイキングの気分である。



接した自然の中には、お亡くなりになったカマキリも。生前、他の虫たちに対して暴虐の限りをつくしたであろうカマキリもいずれは死ぬ。盛者必衰の理。世の哀れを感じたワタクシである。因みに、ここ千葉は昔、千葉氏という豪族が勢力を誇っていた。三浦半島には三浦氏。私、これらの地は千葉さんや三浦さんが治めたから千葉、三浦になったと思ってたが、逆らしい。千葉氏も三浦氏ももとは平氏の流れで(平らのなんとかさん)、千葉や三浦に来たのでそれが名字になったという。

さて。味噌煮込み合唱団で「海鳥の詩」という歌を初めて歌ったらいい曲だった。私は古楽で合唱を始めて今に至る、だから普通の合唱人が歌う「がっしょうきょく」をほとんど知らない。こういういい合唱曲があるんだなー。もともとこの合唱団には「マドリガル(ルネンサンス期の世俗曲)をやるからおいで」と声をかけられて行く気になったものである。主宰者の方も、最初から「海鳥の詩」と言ったら来なかったでしょう、とおっしゃって笑っている。つまりワタクシは食いついたエサとは別のエサを与えられているわけだが、それを旨い旨いと言って食べている。因みに、もう1年以上は通ってるだろうか、某男声合唱団では中島みゆきやダークダックスを歌っている。ここも、当初のエサは別物で、フォーレクの男声合唱版にカウンターテナーが必要なので来てくれ、と言われて行った所である。中島みゆきなんてNHKの番組の主題歌しか知らなかったが、すっかりはまって今に至っている。そうしたワタクシの原点であったはずの「シュッツを歌う会」はコロナ禍でまだ再開していない……

おまけの話その1。上記のマルシャリンの台詞の「er」は本来は「彼」だが、ここでは「あなたの」意味である。そう言えば、若いころ務めた会社の課長さんが私を「かれしー」と読んでいた。それと同じ用法である。
その2。「味噌煮込み」と言えば、東京でもこの店に行けば味噌煮込みうどんが食べられるらしい。



でも、できるなら、本場の名古屋に行って食べたい(味噌カツも)。
その3。その(という指示形容詞がここで適切かどうかはよく分からない)味噌煮込み合唱団でアフター会。この合唱団でアフター会を開くのは珍しいそうだ。例によってたっぷり聞こし召したワタクシは、第九の第四楽章の冒頭から歓喜のテーマが出てくる直前まで、つまりオケだけの部分だが、そこを歌った記憶がある。だが、単なる酔っ払いのでたらめと侮るなかれ。音程とリズムはスコアを完璧に再現したはずである。

時間ぴったりに終わった歌いまくる会(良識と思いやり)

2020-11-08 12:09:23 | 音楽

思えば1か月前、私は絶望の淵にいた。歌いまくる会が時間通りに終わらず、大幅に延長になってしまったからだ。え?そんなことで絶望の淵に立つの?そう言われたのなら告白しよう。実は、前回、絶望の淵に立った最大の原因は、アフター会で残った料理をつめたトレイを某駅のホームでぶちまけてしまったことである(もちろん拾って元に詰めた。でも、さすがに食べられなかった。これを食べて異常がなければ私に相当な免疫が備わっている証拠であるが、実証する勇気はなかった)。だが、歌いまくる会の時間のやりくりをどうにかしなければいけないと強く思ったことも事実である。で、アンケートを実施。多くの方々が回答をくださって、その結果、カンタータ3回とソロ・コーナーの2巡は死守する、時間の配分は「参加者の良識と思いやり」に委ねる、というところで落ち着いた。そして昨夜。お題は前回のBWV75に勝るとも劣らず長大なBWV76。さて、「良識と思いやり」は実を結ぶか?見事に実を結んだ!カンタータの最後の音が鳴り終わったのはぴったり9時。テレ東の大晦日のジルヴェスター・コンサートも真っ青である。さすが、みんな大人!社会人!そして日本人!大統領が決まってもまだ喧嘩をしているかの国とは大違い。この点は誇ってよいと思う。3回目にK子先生がした後奏のカットがまた絶妙であった。とにかく、みなさんのご協力の賜物です。ありがとうございました。演奏もとっても楽しめた。後で録音を聴いたが、楽器がにぎにぎしく鳴る上に歌が乗っかって、まさに「ばっは」だった。一つ、私の選択が当たったことがある。この曲はトランペットが活躍する。もともとC管クラリネットはこの会でトランペットのパートを吹くために買ったものだが、閃いた。Iさんにオーボエでトランペットのパートを吹いてもらって私はヴァイオリンに回ったらどうだろう。Iさんにも賛同してもらってやってみた。大成功!今後もこのパターンでいきたい。Iさん、お願いしますね!ところで、時間通りに終わっても、楽器は片付けに時間がかかる。しかも、私は複数の楽器をかかえている(昨日はクラリネット2本とヴァイオリン)。そのことに対処すべく、クラリネットを分解しないでそのまま収納するケースを買って、昨日はそのお披露目。時間短縮に役だった。だが、クラリネットの中には水滴がついている。カメの中の焼酎は蒸発して空になったが、クラリネットの中の水滴はそう簡単には蒸発してくれない。帰宅した後でちゃんと分解して水分をとらなければいけない。なお、写真は、このブログのために特に撮ったものである。昨日、このケースに入れたのはC子だが、写真は見栄をはってA子にした。A子だと長さがぎりぎりである。それから、ついでに写っている島のりはこないだの式根島土産である(と言っても、買ったのは竹芝である)。美味が気に入って、毎朝ラーメンに入れて食べている。なくなったらまた竹芝に行こっと。それにしても、バッハはくせになる。毎回、歌いまくる会の後は、その回で歌ったカンタータが耳に残る。それを口ずさみながら島のり入りラーメンをすするワタクシである。

いつまでも凍ってろって

2020-11-07 11:22:03 | 日記
岡村隆史さんのことを書いたその夜、チコちゃんで岡村さんの結婚報告。手料理の入った袋が岡村さんちのドアノブにかけられたりしたんだと。あたしゃ、かける方だ。変なことを思い出した。もう何十年も前だ。今は助兵衛大学教授になっている友人の某と情報交換をした際、某女史の話題になった。その女子は私には「今度、お料理を作ってね」と言って気を持たす一方で某には「今度、お料理を作ってあげる」と言っていた。センテンスはほぼ一緒だが最後だけが違う。私には「ね」で某に「あげる」。この微妙な言葉の使い分けに某女史の心のうちが透けて見えた(同時に、そうした悪事(使い分け)は露見するもの、ということが立証された)。その悪事が予見したとおり、某女史は当該助兵衛大学教授夫人になった。さて。当ブログは本来の性愛文学に戻ると言ったが、人の話ばかりで私についてのネタがない。私の心は氷のようにとざされている。トゥーランドット・マサシである。しかし、氷のような姫君(トゥーランドット)の心はカラフの熱い口づけによって溶かされた。私にも女カラフが来るだろうか?なに?知ったこっちゃない、いつまでも凍ってろ?こういう台詞は言われる前に自分で言うのが最大の防御である。それにコロナ禍の口づけはタブー。スペインのニュースを見てたら、情熱の国スペインでもキスはマスク越し。この国の男女の出会いは「バーの片隅」と相場が決まっていたそうだが、いまでは出会い系サイトなんだそうだ。

新妻はミラージュ

2020-11-06 14:47:25 | 日記

競馬に例えれば、序盤、バイデン号が大きくリードしたが、第3コーナーを回るあたりでトランプ号が猛烈にまくってって第4コーナーで並ぶ。普通なら最初にリードした方が失速してずるずる後退というところだが、ここでバイデン号が驚異の二の足を使って最後の直線、猛烈なたたき合い。それが現在の状況である。と言っても地球の反対側の話。身近で喫緊の課題は我が家のエアコン。ちょっと前から黒いものが降ってくるようになった。なに?すす?と思ったらカビだそう。これはいかん。猫どもの健康にも、そして、近々ウチに来るはずの新妻の健康にも大問題である。アメリカの開票はトランプさんの命令にかかわらず続行されているが、我が家ではエアコンの使用を断固としてストップ。クリーニングは使用再開のため必須である。エアコンの下にあるオーディオラック(猫タワーの代わりになっている)を移動して、紹介サイトを通じて契約した業者を待つ。きっと、洗浄後の水は真っ黒だよ。わくわくするなー。そこに電話が入る。え?車を止めるところがないから作業は中止?冗談じゃない。猫と新妻の健康がかかっている。でも、この業者はどうしても無理というので紹介された別のところと契約。駐車スペースの件を言って念をおすと大丈夫だという。さらに作業日が延びることにことになったが、暖房を使わなければいけなくなるまでには間に合いそうだ。因みに、「新妻」は「しんつま」と入力して無理矢理変換したのだがホントはなんて読むんだっけ。「にいづま」かあ。それが浮かんでこなくて。だからと言って「よめ」とか書きたくないし(家制度を連想させる言葉であまり好きではない。関西の芸人さんはよく使うが)。まてよ。私に新妻さんいたっけ。いなかった。「関西の芸人さん」であり、チコちゃんに毎回怒られている岡村隆史さんに成りきっていた。岡村さんは、半年前にラジオで失言して大バッシング。「チコちゃん」からの降板を求めて署名活動もなされた。ご本人はくそ真面目な人だというから、身から出た錆とは言え相当こたえたろう。ところが、そのときに、岡村さんを、「怒りながら」「支えた」女性こそが岡村さんの新妻になったのだ。まっこと、「人間塞翁が馬」はたまた「捨てる神あれば拾う神あり」。いいなぁ、いいなぁと思っているうちに岡村さんに成りきっていた。ふと我に返ると近くにいるのはワサビとケメ子だけ。新妻はミラージュであった(上手い!座布団!(自分で言うな))。しかし、新妻は来ないがエアコンクリーニングが来るのはたしかである(今度こそは)。その日を心待ちにしているワタクシである。

コリン・パウェルが誇った「最古の民主主義の国」

2020-11-05 20:43:40 | 日記
アメリカの大統領選挙の開票速報を見てたら「ミズーリ州は『トム・ソーヤーの冒険』の舞台だ」と言っている。え?ミシシッピ川のかなり上流の州だけど、そのあたりでも川中島(トムたちが家出をして隠れた島)があるくらい川幅が広いの?広いのだ。さすが広大なアメリカ、日本の川と一緒にしてはいけなかった。だが、トムたちが探検をしたジャクソン島って実在の島らしいがどれだろう?それらしい場所にシャック島、パール島、タワー島の三島があるがジャクソン島ってぇのはない……と思ったら、その三島こそが元ジャクソン島なのだそうだ。洪水や浸食によって三島に別れたのだそうだ。それにしても、今回の大統領選挙……そりゃぁね、他所の国のことだと言ってしまえばそれまでだが、でも、同じ地球人の国の中の最強の国のトップである。私はインテリジェンスを求めたい。で、思い出すのはコリン・パウェル。最初にテレビで見たのは湾岸戦争のときで、当時、パウェルさんは軍の制服組だった。大本営発表みたいなことを毎日テレビカメラの前でやっていた(当時の大統領はパパ・ブッシュ)。その後、息子ブッシュのとき背広に着替えて国務大臣(日本で言う外務大臣)になった。当時勃発したのがイラク危機。さあ、ここからである。国連でアメリカと中国がやり合った。中国の代表は「私は4000年の歴史のある国から来た」と言って、新興国であるアメリカに先制パンチ。それに対してパウェルさんが何と言ったか。「私は最古の民主主義国家から来た」!そう、日本の政党がお名前として大好きな「自由」「民主」「立憲」と言ったような思想はヨーロッパで育まれた。が、それが最初に国家レベルで花開いたのはアメリカである(最初に憲法に立憲主義を取り入れたのは独立したてのアメリカである)。「4000年の歴史」に対する見事なカウンターが「最古の民主主義国家」であった。それにしても、なんとインテリジェンスにあふれたやりとりだろう。パウェルさんもそうだし、中国代表もである。現在の「バカ」「ボケ」「カス」といった罵り合いとは天地の差である。こういう人が大統領候補になればいいのに、と思ったが、実際、大統領候補になることを請われたそうだ。全世代から絶大な人気があったという。だが、奥さんから「アフリカ系が大統領になると暗殺されるからやめてくれ」と懇願されやめたという。ほんの2,30年前の話である。だから、敵方の民主党でありながらオバマが大統領になったときは涙したという。因みに、パウェルさんでもう一つ印象的だったのは、日本の「まぁ、このぉー」で有名な総理大臣の娘さんが外務大臣だったとき(ってことは当時の総理大臣は小泉さんである)、各国の外務大臣が集まって演劇をしたことがあって、そのとき、まぁーこのーの娘さんとパウェルさんが絡んだシーンがあった。お二方とも迫真の演技であった。それもそのはず、まぁこのーの娘さんは学生時代演劇サークルに入っていて、そこで一緒だったのが久米宏氏。なんとこのお二人はお友達同士であった!

事務局は大わらわ

2020-11-04 22:09:20 | 音楽
多くのイベントが中止になるなか、この7月から半年の間に4つの通唱会を主催するワタクシ。その合間に、毎月の歌いまくる会もやっている。密を避けマスクを付けるというコロナ対策は万全(非接触式体温計も買った。今度持ってくからね)。これで危険だったら家から一歩も外に出られない。正しく恐れたうえで文化の火を絶やさぬためできることはやる、という信念の元でのアクションである(お!大きく出た)。もちろん、私のイベントで常にピアノを弾いてくださるK子先生を始め、毎回必ず参加してくださる演奏家、歌い手の皆様のご協力あればこそである。だが、われながらよくやるよー、とも思う。「よくやる」とは感心しているのではなく、あきれているのである。一体、何が私をつき動かしているのだろう。上記の「信念」は多分後付けであり、もっぱらおっちょこちょいな私のキャラクターによるものであろう。おかげで事務局は大わらわ。現在も二つの通唱会と毎月の歌いまくる会の事務処理でほとんど頭はパンク状態。訂正メールの連続である(まだぼけてはいないと思う。因みに、米大統領選挙の行方は今の時点でどうなるか分からないが、私などの部外者は、人種間の諍いを終わらせるためバイデンさんが当選すればいいとか思っちゃうが、だが、当事者のアメリカ国民からすると、ドナルドさん相手にジョージ、ジョージと言う人を自分たちの頭にかつぐのは不安かもしれない)。因みに、「事務局」と書いたが、事務長も事務員も小間使いも同じ人である。よく、社長は私、因みに社員は一人だけと言って笑いをとろうとする人がいるが、笑いをとるもなにも、私んとこはまさにそれである。因みに、本業(こうなってくると何が本業だか分かったもんじゃない)も同じ、すなわち、所長も事務員も小間使いも同じ人である。それは誰あろう、私である(言わなくても分かる)。

自民党も民主党だった件/小学生に選挙権を与えてはいけない

2020-11-03 09:15:50 | 音楽
いよいよアメリカ大統領選挙。民主党と共和党の一騎打ち。民主党と言えば、日本における民主党はWikiで「過去に存在した政党」と書かれているとおり既に過去のもの。その後継政党である立憲民主党の枝野さんは合流新党の名前を民主党とすることを頑として拒んだ。昔の名前を思い出されたくないのか?まるでジャン・バルジャンである。その立憲民主党が、昨日から本格的に始まった国会で政府を責め立てている。いまや自民党と互いに天敵同士なのは立憲民主党である。カマキリとオオスズメバチである……が、ここで、えらい事実を思い出してしまった。普段「ジミントー」と言っているから忘れていたが、自民党は「自由民主党」であった。え~っ?じゃあ自民党も民主党?そう、「ほにゃらら民主党」である点は、自由民主党、立憲民主党、国民民主党、それから社会民主党もみんな同じである。なーんだ、あなたたち兄弟姉妹じゃん……なんて言ったら一緒にするな、と言われそう(どっちからも)。自由主義と民主主義と立憲主義は、別概念ではあるが、それぞれ結びつきやすい概念である。だから、政党のお名前においても組み合わさりやすいのだろう。なお、自由主義と社会主義は、これはニュアンスはちょっと異なる。因みに社民党の党首がいつの間にか福島さんに戻っていてあらびっくり。この方は、30年くらい前、TBSの朝のワイドショーの人生相談で、「美人弁護士」という触れ込みで、浅香光代さんとともに回答者をやっていた。浅香さんに「きれいごとばかり言ってるんじゃないわよ」とつっこまれる役どころ(?)だった。霞ヶ関あたりで実物を拝見したことがある。政党名の話に戻る。別に上記の言葉に限ったわけではない。維新の会なんてのもある。明治維新によって立憲主義が取り入れられたがそれは不完全だった。不完全を強調するか、それともわが国で最初に立憲主義が取り入れられたことを強調するかで党名のイメージも変わってくる。コロナ感染者の数が百人台だったときに、「百人台は何日連続」と言うのと「200人を切ったのは何日ぶり」と言うのではイメージが違うのと同じである。維新よりもう少し前に活躍した某組を党名にしているところもあるが、私はここの党首がかつて当時の天皇に書簡を渡そうとしたことが今でもひっかかっている。不敬だ?いや、不敬なんてことを言う方がもっと違和感満載。私がひっかかっているのは、天皇は国政に関する権能を有しない(憲法4条)。つまり天皇を政治利用してはいけない。これは憲法の一丁目一番地である。そのことを某組の党首さんは知らなかったのだろうか?だが、この方は、思いのほか人気があるようで、選挙でも某組は結構票を取る。隠れトランプファンがいるように、隠れファンがいるのかもしれない。さて、以上、私がどこの政党を応援しているとかが勘ぐられないように注意して書いたつもりである(内心を探られない自由も、憲法が保障した自由の一つである(19条))。だが、告白しよう。人生で一度だけ、「ボク、ジミントー支持」と公言したことがある。小学3年生のときである。休み時間にK君がジミントー支持を高らかにぶちあげた。加えて、某野党に対する誹謗を始めた。何も分からない私を含めたクラスメイトも右にならえで、口々にジミントー支持を言う。もちろん、ジミントーのなんたるかを知る由もなかった。だから、小学生に選挙権を与えてはいけない。K君の話は親がいつも言ってることの請け売りだろう。K君のうちは農家だった。後年、自民党が農村地域に強固な地盤を持っていると聞いた時、とっさにK君のことを思い出したものだ。因みに、この件で私はなんら実害を受けていない(今、恥ずかしい思い出として残っているくらい。いや、ブログネタになってるんだから感謝である)。多いに実害を被ったのは、私が大好きな官能小説家の宇野鴻一郎と名前のよく似た某音楽評論家。この人のアンチ・カラヤン論に私は子供時代洗脳され、それが解けるまで10年以上の歳月がかかった。それが解けたのは、カラヤン&ベルリン・フィルを生で聴いたときである。最後のこのくだりで今日のネタのジャンルを音楽にするのもどうかと思うがまあいいだろう。ためてた政治ネタを昨日、今日で吐き出した。これからは再び「性愛ブログ」に戻ります。

ヒラリー/アーモンドアイ/ナリタブライ(リ)アン

2020-11-02 09:56:58 | 日記
前回の米大統領選で、女性大統領が誕生すればいいなぁ、多分誕生するんだろうなぁと思ってたらヒラリーさんまさかの敗北。なぜ?と思ったが、後から聞くと、アメリカ国内におけるヒラリーさんの人気には微妙なものがあったそうだ。考えてみれば、日本でも女性総理が生まれればいいなと思いながら、あの人はどんなに優秀でもいやだな、もしあの人がなったら、性愛ブログ(?)として知られる当ブログがたちどころにして政治ブログと化し、毎日政権批判にあけくれるだろうな、と思う人がいる。やはり外の野次馬が勝手なことを言ってはいかん。そんな政治の世界とは違って、競馬の世界ではとうに牝馬の時代が到来してて、ここのところGⅠレースを勝つ馬のほとんどが牝馬である。アーモンドアイだけではない。リスグラシュー、グランアレグリア、クロノジェネシス、デアリングタクト等々次から次へと強い牝馬が現れる。そのアーモンドアイが昨日の天皇賞で勝ってGⅠ8勝の新記録達成。追い切りも当日の馬場も良かった。だからアーモンドアイが来るとは思ったが、あえて、1着クロノジェネシス、2着アーモンドアイ、3着全通りの三連単で勝負して玉砕。だって、アーモンドアイ1着だと馬券的に面白くないし、なにより、アーモンドアイがGⅠ8勝を達成することにより記録を抜かれるGⅠ7勝馬の中にわがアイする……じゃなく愛するジェンティルドンナがいる。抜かれたくない、という気持ちがあっての馬券選択であったが、やはりアーモンドアイに逆らってはいけなかった。これからは、アーモンドアイが、後に続く馬たちの越えるべき壁となる。上記の牝馬たちだけではない。今年デビューした牝馬のソダシは白毛。まっしろけっけでそりゃきれいである。しかし、これまで白毛馬が重賞(GⅠ~GⅢ)で勝つことはなかった。だがソダシは既に2勝している。元調教師のオークボ先生は、現時点で2歳牝馬の中で図抜けているとおっしゃってる。なんてったって、お父さんがクロフネ、そしてお母さんがあのブチコである(ブチコの初仔)。応援しますよー、ソダシちゃん!さて、昨日の天皇賞では牡馬のフィエールマンが二着にくいこんだ。男もいたんだ!ってことで牡馬の思い出。先週3冠を達成したコントレイルは、菊花賞はクビ差だった。3冠の中でも菊花賞は距離が長いので(3000m)、他の2冠と同じというわけにはいかないことが多い。そんななかで、距離2000mの皐月賞で3馬身1/2、距離2400mのダービーで5馬身、そして距離3000mの菊花賞でなんと7馬身の大差をつけて他馬を圧倒した馬がいる。ナリタブライアンである。因みに、当時のテレビのヴァラエティ(明石家さんまの番組だったと思う)で、ポニーを調教して、他の動物と走らせるという企画があった。他の動物を圧倒したポニーはこのとき競走馬の表情であった。可愛い顔をしたポニーも調教するとこんなになるんだ!とびっくりしたのだが、そのポニーの名前がナリタブラ「リ」アンであった。

おまけ。今回のタイトルだと「ヒラリー」という馬の話のようでもある。実際、「ヒラリー」という馬はいた。なんとかヒラリーもである。それから、天皇賞で玉砕した私の財布の中を心配してくれる人がもしいたならご安心めされ。私、一回の馬券購入額の合計は千円である(だから一回に買える枚数は最多で10枚である)。だから、玉砕してもあまり痛くない反面、当たってもせいぜいサイゼリヤに2,3回行ける程度の儲けである。だが、大概はずれる。千円はわくわく料である。千円でわくわくできるんだから、なかなかコスパのいい娯楽である。