拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

恋をするとバカになる/56億7000万年

2024-10-04 06:21:19 | 小説

アベ・プレヴォーの「マノン・レスコー」を読了。なるほど、マノンはオペラよりずっと質(たち)が悪い。お金が必要になるとすぐに浮気をする。出てくる情人の数も、オペラより多い。それでも、マスネのオペラの方は、プッチーニのオペラよりも原作に(比較的)忠実。だが、アメリカに流刑になるマノンにデグリューが付いていくくだりはマスネの作品にはなく、プッチーに方にはある。プッチーニの「マノン・レスコー」は、マノンが荒野で息絶え、そこにデグリューが倒れ込んで幕となるが、原作にはなんと続きがあった。古い映画にあったデグリューがマノンを土に埋めるシーン?それもだが、いやもっとすごい。なんとデグリューはフランスに帰国するのである。

オーストラリアがイギリスの流刑地だったことは知っていたが、アメリカがフランスの流刑地(日本で言えば、八丈島)だったとは知らなかった。

印象的だったのは、作中で、マノンのことが忘れられずにどんどん堕落していくデグリューのことを誰かが「恋をするとこんなに頭が悪くなるものだね」と言うシーン。まっことそうなのだろう(なんとなく、話が谷崎潤一郎の「痴人の愛」に似てると思った)。だから、私はこれ以上バカになる心配がなくて幸いである。だが、人が皆私のように理性的(?)だと人類が絶えてしまうから、神様はあえて恋をするとバカになる回路を人間に埋め込んだのだろう

その神様が遠い将来、世界を救済するために行うのが最後の審判。バッハのカンタータの歌詞は、その日が来るまで辛抱しろー、辛抱しろー(Geduld!Geduld!)と言ってるそうだ。同様の教えが仏教にもあって、56億7000万年後に弥勒菩薩がご来臨あそばされて世界を救済するそうである(光瀬龍原作の萩尾望都のマンガ「百億の昼と千億の夜」に弥勒の幻影が現れたときヒロインの阿修羅が「56億7000万年」とつぶやくシーンがあり、それを読んで私はこのことを知った。5,6,7で覚えやすい数字である)。だが、違うのは、キリスト教の方は、最後の審判まで死者が眠っているのに対して(「水車屋の娘」の歌詞にも水死した粉屋見習いに対して「全員が目覚めるまでお休みなさい」とある)、仏教の方は輪廻転生するから、弥勒菩薩ご来臨の際に人間以外に転生してたら人間としては救済されないことになる。それよりも、もっと問題なのは、地球の寿命である。地球は現在50億歳。ちょうど生涯の折り返しポイントである。つまり残り50億年。56億7000万年にはちょっと足りない。間に合わないではないか。それとも、その頃には人類は他の星に移住していて移住先に来臨あそばすのだろうか。そもそも、「6億7000万」など地球の寿命の100億に比べれば誤差の範囲と考えれば、まさに地球が消滅するかしないかの瀬戸際に弥勒菩薩が現れて地球を救済するのかもしれない。宇宙戦艦ヤマトが、ぎりぎりのタイミングでイスカンダルから放射能除去装置を持ち帰って人類を救済したように。