拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

おぼんこぼん/桂小すみ

2024-01-06 11:03:33 | 音楽

タモリと鶴瓶が昔の正月番組について語る番組が放送された。折々の年代の新聞のラテ欄を見て、あーだこーだ言う番組。あたしもいろいろ懐かしかった。例えば、

1954年はさすがにあたしも横野君も生まれてないけど、横野君が当時のラジオ欄(テレビ欄は隅っこにちっちゃく載ってるだけ)で「安川加壽子「版画」」を見つけておおっと唸ってた。安川加壽子って横野君が中学んときに県立音楽堂で聴いたピアニストさんで、そのコンサート、横野君が最初に生で聴いたクラシックのコンサートだったんですって。

1961年には、あたしは生まれてた。この年のお正月に「日本の鶴」って番組が放送されたって言うんだけど、あたしんちまだテレビがなかった。仮にあったら、中に鶴がいると思って中を覗き込んでたでしょう。どっちみち覚えてないだろうけど。その「日本の鶴」は当然白黒放送。それを見て思い出したことがある。あたしんちにテレビが来たのはご多分にもれず1964年の東京オリンピックのとき(その閉会式が、あたしのテレビの最古の記憶)。もちろん、白黒テレビだったんだけど、後にカラーテレビが増え始めた頃、母とカラーテレビの話をしてて、で、あたしが「うちのテレビはカラーだよね」って言ったら母が目を丸くして「そんなわけないじゃないっ」と怒ったの。多分、あたしは、白黒の濃淡から色を想像したんだと思う。母からすれば、ウチの子の目は異常なんじゃないかしらっ、って逆上したのね。でも、怒ることはないと思うんだけどね。他にもね、あたしが母に「リンゴは奥歯で噛む」と言ったら、このときも「そんなわけないじゃないっ」と怒ったの。多分、あたしは、リンゴは硬い→硬いモノは奥歯で噛むって連想でそう言ったんだろうけど、逆上した母は急いであたしを家に連れ帰って、リンゴを出してきてかじれって。あたしはあたしで、絶対奥歯で噛んでやる、と思って口をいっぱに開けて奮闘したんだけど無理だった。たしかに噛むのは前歯だった。でも、怒ることはないと思うんだけどね。

うちのテレビがカラーになったのはあたしが中学んときだから、1979年にはもうカラーで見てた。その年のラテ欄を見て、またまた横野君がおおっと言ってる。「フィガロの結婚」ってオペラを元旦に放送してたのね。ヘルマンなんとかって人が出てて、横野君はこれを見てこのオペラが大好きになったんだって。もちろん、あたしの目に付いたのはそんなんじゃなくて、なんかの番組の出演者欄に二人の「アグネス」が並んでたこと。一人が「アグネス・チャン」でもう一人が「アグネス・ラム」(あたし、生のアグネス・ラムを皇居前広場で見たことがある。割と小柄だった)。あと目に付いたのは「東西寄席」。へー、このときからやってるんだ。今年も3日に放送してた。で、漫才のベテランのおぼんこぼんがそれぞれサックスとトロンボーンを持って出てきて、で、吹いたら上手なのよ、びっくりしちゃった。さすが「芸人」。芸達者ね。あと、桂小すみさん。この方は正面切っての「音曲師」だから楽器は当然。今回は三味線だけだったけど、去年だっけ、尺八も吹いて歌も歌ってどれもあまりに達者なんであたし目を見張った。そしたら横野君の高校の吹奏楽部の後輩で、横野君とは年代が違って接点はなかったんだけど、接点のあった後輩さんの話では、小すみさん、当時はフルートを吹いていて、音楽室のスターで、大学時代は音楽でウィーン留学も経験したって話だった。上手なわけよね。



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