拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

名前のない家事

2019-11-17 14:42:24 | 日記
洗濯をしてたら……洗濯をするのは私ではなく洗濯機だが……洗濯機に入れ忘れた靴下が片方だけ出てきた。ってことは?そう、干すとき、靴下はペアにして吊すのだが、誰ともペアになれない可愛そうな……こう書くとしんみりする……片割れが残った。さっきのやつとペアになるべきやつだ。ということで、洗ったばっかりのその可愛そうな片割れを洗濯機にいれ損なった片割れとともにもう一度洗濯機にぶち込む。靴下は必ずペアにして干すのが私の流儀であるから。ところで「洗濯物干し」は名前のついた家事だろう。「皿洗い」だってもちろんそうだ。一日三度三度しなければならない皿洗い。なんで一人と二匹なのにこんなに洗い物が出るんだろう。とても不経済だと思う。これは固定費ならぬ固定労働だから、人があと一人二人増えても皿洗いの労力はさほど増えないと思う。こうした名前のついた家事のほか、最近、「名前のない家事」という言葉をよく聞く。あるある、私んとこもたくさん。例えば、一日一度はしなければならないぬか床のかき回し。それから1週間に一度はしなければならないシンクの排水溝のゴミ受けネットの取り替え。私は粉を使うことが多いので(ピザ生地を作ったり、お好み焼きを焼いたり……魚のムニエルも好きでときどき作る(さりげなく「いい夫になるから誰かもらって」という自己アピールである))、ネットがすぐつまる。すると、シンクが洪水になるからネットを取り替えなければならない。そうした面倒くさい、でもやらなければならない、でも名前のついてない家事のなんと多いことか。でも、好きでやってることである。今、家での昼食が至福の時。自家製漬物を土鍋で炊いたご飯とともにいただいてるとき、人生も捨てたもんではないと思う。そしてまた洗い物がたまるのであった。