拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

プロコ(蜜蜂と遠雷)

2019-11-15 09:15:47 | 音楽
映画「蜜蜂と遠雷」を前から見たいと思っていたが公開後だいぶ経っていて、チャリで行ける距離の映画館では21:40開始の回しかない。終わるのは24:00。遅いなぁ……って、いつも飲み会んときは朝までさまよっているではないか。行こう。だが、夕食はどうする?食べて飲んで見たら絶対寝そう。そうかと言って終わってからでは体に悪い。寝たらそれまでと思い、腹ごしらえをして、赤ワインを500ml飲んで出撃。10人くらいはいたかな。いや、まったく眠くならない。と言って「面白かった」わけではない。コンクールでしのぎを削る若手ピアニストたちの青春群像なのだが……見てていろいろな思いがよぎって苦しくなった。大笑いするわけでもなし、大泣きするわけでもなし、もんもんとした気分が残って体の免疫機能はさぞや劣化したことだろう(決して映画が悪いわけではない。私の個人的要因のせいである)。松岡茉優(私にとっては永遠に深谷ネギのコスプレをする入間しおり)をはじめとするピアニストを演じた役者たちは、手のアップは吹き替えだが、それ以外の演奏シーンは大健闘という噂だった。だが、きっとプロから見れば見てられなかったろう。プロの視線は及びもつかない。例えば、メリル・ストリープのサッチャー夫人のイギリス英語も、一般には絶賛されていたが、翻訳家の某姐さん(プロ)に言わせると「わざとらしい」のだと。私だってその道のプロではないが気になることがある。「いだてん」(大河ドラマ)は近代史の勉強になって面白いとは思うが、いかんせん、いだてん役の歌舞伎役者の走り方がよくない。前傾姿勢で手をほとんど振らず、悪い走りの見本である。スタッフはなぜああいう走りを見過ごしたのか。もしかすると、本物の金栗四三がああいう走りをしていたのだろうか。映画の話に戻る。登場人物たちが「業界用語」らしきものをさかんに口にする。例えば「アイネク」。「Eine kleine Nachtmusik」(モーツァルト)のことだ。だが、「アイネク」とか言うと「アイネ」にきわめて重要な意味がありそうだがこれは英語の「a」である。だから、もしこの省略形を英語で言えば「アリ」になる(A little serenade)。それから「プロコ」。本選でプロコフィエフのコンチェルトの2番と3番が演奏される。思い出した。大昔、やはりピアノコンクールを描いた「コンペティション」という映画があって、そこでヒロインが本選で弾くのがやはりプロコフィエフだった(2番だったっけ)。当時、ある情報ヴァラエティでこの映画のことを紹介していたのだが、レポーターがどうしても「プロコフィエフ」と言えない。「プロコ……プロコ……」と彷徨ったあげく、開き直って「プロコフィール」と言い切った。長くなった。あと二つ。今回の映画にはかつて「蘇るがよい、アイアンシェーフ!」と叫んでいたあの俳優さんが指揮者役で出ていたが、こわい大家という設定なのに、本選で、振りながら弾き手に「うんうん」という優しい視線を送る様はどうにもわざとらしかった。それから、プロコと言えば、オペラ好きの私としては「炎の天使」。東京文化会館の舞台がアンダーヘアのオンパレードになった一夜は衝撃的であった。