拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

想像の翼(信者でない人が宗教曲を歌うこと)

2018-05-11 10:45:36 | 言葉
今朝、秋風先生(トヨエツ)はいいことを言った。スズメはハンディを告白するつもりで左耳が聞こえないと言ったのだが、秋風先生はそれを「特別だから特別なものを書ける」という自慢ととったうえで、「経験があれば書ける、なければ書けないということはない。想像の翼を広げればなんでも書ける」みたいなことを言った。「おおっ」と思った。私はキリスト教の宗教曲ばかり歌っている。訳も書いている。毎日のように「主よ」と言っている。だが私はキリスト教徒ではではない。この自己矛盾に悩む今日この頃だったが(ウソ。話の流れでこう書いたが、そんなことでいちいち悩むようなまじめな人間ではない)、そこに秋風先生が明確な解答を授けてくれた。考えてみれば、経験しなければ表現できないのであれば、オペラ歌手は全員不倫をしなければならなくなる。役によっては人殺しをしなければならなくなる。でも、想像でよければなんでも歌える。カエルが鳴いてないところでも「♪カエルの歌が聞こえてくるよ」と歌える。そう言えば「想像の翼」って「花子とアン」でも言ってなかったっけ。因みに母はよく妄想する。現実でないことを分かってするのが想像、分からないでするのが妄想である、だから私がするのは想像であって母の妄想とは別物と思っているのだが、体内に母の血が流れていることを考えるとその線引きが実に怪しく、実は母と同じ妄想患者ではないかとひそかに心配している(この心配は本当である。い、いかん、こんなことを書いたらますますお婿のもらい手がなくなる)。ところで、秋風先生はかつて四匹の犬(とウサギ)を飼っていたが、4匹目(ブルドッグ)の名前が「Lutia」だったのが気になった。「Lucia」(ルチア、ルシア)でなくて「Lutia」なんだ。これ、ルチアと同じなのだろうか?と思ったら、こっちは「リディア」と同じで、グリーンランドでの呼び方なのだという。