拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

アーメン・コーラス(BWV196)

2018-05-06 19:59:47 | 音楽
ということで、ようやく本題=バッハのカンタータ第196番の話(歌いまくる会は、年代順にバッハのカンタータを毎回1曲、いきなり3回通す。その合間にソロ・コーナーがある)。バッハの初期のミュールハウゼン時代のカンタータで、はっきり年代が分かっているものの中ではこれが最後の曲(4番と150番は年代がいまいち分かってない。なので、われわれの会では150番を最初に、4番を最後においた)。コンパクトでなかなかの名曲である。だが、連休中だし、一般的にはさほど有名というわけではないからあまり人が集まらないとふんで自慢の携帯椅子を用意しなかった。甘かった。私は世のバッハ愛好家をみくびっていた。このカンタータを歌いたくて集まった人数は、会発足後106番につぐ多さであった(といっても、狭い部屋でやってるから、例えば、こないだのドイツ・レクイエムの通唱会の人の多さとは比べものにならないが)。ずっと立ちっぱなしの方には本当に申し訳ありませんでした。で、歌ってみて。こういう風に年代順にやっていると、同時期の曲との共通性を大いに感じられて楽しい。最後のアーメン・コーラスのフーガの盛り上がりは106番を思わせる(「アーメン・コーラス」というと、合唱人はすぐメサイアの終曲を思い浮かべるだろうが、「アーメン」と歌う合唱であれば「アーメン・コーラス」と言って間違いはない)。全体に漂う祝祭ムードは71番と共通(両曲とも歌詞が宗教的だから教会カンタータに分類されているが実は世俗目的である。71番は市参事官の交代式のためだし、196番は結婚式のための音楽である)。だが、ソプラノのアリアの優美なメロディーには、これまでこの時代のアリアにさんざっぱら出てきた「ティーララティーララ」がない。このあたり、この時代の終焉と次の時代の始まりを感じさせる。さて、次回の4番でミュールハウゼン時代はおしまい、次はヴァイマール時代。この時代は143番から始めたいと思う。ということで、本日のブログ3部作は完結。マタイ受難曲で始まりBWV196で終わった大型連休であった。久しぶりに笑点を見てだらだらした連休の最終日であった。

寝言(歌いまくる会の話の続き)

2018-05-06 16:52:09 | 音楽
かと言って、すぐBWV196の話にいくのではなく、まだイァーゴの歌のこと。イァーゴはいろんなことを言ってオテロをだまくらかす。例えば「夢心地のカッシオが寝言で『いとしいデズデーモナ(注:オテロの奥さん)……』と言ってました」とちくったのも全くのウソ。私の歌の中で、へろへろ声で歌った部分があったでしょ?あれが「いとしいデズデーモナ……」と寝言を言ってるシーン(え?全部へろへろだから分からない?説明するんだったらその場でしろ?すんません)。それにしても「寝言」こそはおそろしきものなりけり。この物語のように、潔白なのに冤罪の道具にされてしまうこともあれば、ホントに浮気をしていてそれがばれるきっかけにもなる。ばれ方にもいろいろあって、寝言で浮気相手の名前を言ってしまう場合もあれば、実際は寝言なんか言ってないのに「あんた、浮気してるでしょっ。寝言で言ってたわよっ」とカマをかけられて、知らないと言えばいいのに思わず白状してしまうこともあるかもしれない(そういう経験がないから想像であるが。Auf jeden Fall(いずれにせよ)、私は現在一人身であるからそういう「恐怖」はもっぱら他人事である)。因みに、前の記事で「私は夢心地だった」と書いたのは、「夢心地のカッシオ」とかけたのであった。このウソ話で既にオテロは半狂乱。追い打ちをかけるように重ねたウソが前回の記事に書いたハンカチの話である。このイァーゴの「オテロをだまくらかす歌」にはオテロのパートがちょびっとあるのだが、私はその部分も歌ったのだが、そのオテロの部分がピアノの鈴木先生の声とかぶった。おおっ。鈴木先生は、伴奏をしながらオテロの部分を歌って下さっていたのだ。なんだ、じゃあ最初からお願いして私はイァーゴに専心すべきであった。ということで、またまたBWV196にいく前にかなりの分量になってしまったので、ここでアップ。なかなか本題に行けませぬ。

花の刺繍の入ったハンカチ(歌いまくる会)

2018-05-06 11:31:28 | 音楽
「まっさん」の再放送で、エリーが嫁入りする誰とかさんのためにハンカチに花の刺繍を入れていた。「花の刺繍がはいったハンカチ」といえばオテロ。オテロ(そういえば、元のシェークスピアではオセロだったよな)は新婚のデズデーモナに花の刺繍の入ったハンカチを贈る。そのハンカチをカッシオが持っていたというウソをイァーゴ(とんぼの幼虫ではない)がオテロに吹き込む。昨日の歌いまくる会のソロ・コーナーで私が1曲目に歌ったのはまさにイァーゴがウソをオテロに吹き込むシーンであった(ヴェルディのオテロより)。この曲は、実はほかの所で4,5年前に歌ったことがある。結果は散々であった。大概は「よかったですよー♥」とほめて下さる褒め上手の某お姉様もこのときばかりは「さっぱり分からなかった」。なにせ、きれいなメロディーなどない。若い頃「♪ズンチャッチャッ」だったヴェルディもオテロを書いた頃にはすっかりヴァーグナーばりの「無限旋律」の作曲家となっていた。しかし私はオテロ(と次作のファルスタッフ)が大好きである。ウケなかったのは私の歌が悪かったから。ちゃんと歌えばウケるはずだ、とあきらめの悪い私は数年越しでリベンジの機会を伺っていた。時が来た!鈴木先生にピアノで伴奏していただけるこの機会を逃していつ歌える?で、決行。おおおっ!まさにそこで鳴っているのはオテロのオケ。夢心地の中で、私は可能な限りイァーゴになった(性格が悪いから結構容易)。今度はウケた!前回の借りを数倍にして返すことができた。いや、前回はマイナスだから倍率は無限大である……と本人は思っているが、ホントにウケたかどうかは分からない。なにせ夢心地だったから。でも、鈴木先生のピアノはジェンティルドンナが間違いなく強かったのと同様間違いなく素晴らしかった。私のソロの2曲目はジークリンデのモノローグ(ヴァルキューレから)。こっちはソプラノの曲をカウンター・テナーで(因みに1曲目は私のへろへろ声のせいでテナーの曲だと思った方がいるかもしれないが、ホントはバリトンの曲です)。このように、当会のソロ・コーナーは、まったく自由である。自由に好きに歌って下さい、というのが主催者の希望であるが、会員の方々はしっかりその趣旨をご理解下さっていて、みなさんが聴かせて下さる歌は千差万別。バッハ、リート、オペラ、日本歌曲、S&G、アニメ・ソング、シャンソン等々その種類に際限はない。そうしたことができるのは、これはもう鈴木先生のおかげである。なんてったって、こうした曲の楽譜をいきなりお願いしますと渡したらその場で最高に美しく弾いて下さるんだから。おっ、この日のメインのBWV196の話を書こうと思っていたのに、枕話で既にかなりのヴォリュームになってしまった。ので、いったんここでアップします。