アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

嫉妬

2009年04月15日 | 読書日記 その5
『「哀しみ」という感情』 岸田秀著 

著者は、自我は本能が壊れた人間が生きてゆくために必要不可欠であるが、本能と違って現実的根拠はなく人為的に作り上げた幻想であり、基本的に不安定であり欠陥がある。
その自我を支えるためには色々と面倒な作業が必要となり、自分は優れているとか、価値があるとか、人々に尊敬されている、ある人に愛されている、社会に必要とされている、などと信じることができなければならない、と記す。

「ようするに、人間は、自分は優れた価値ある存在であるという自我を信じて生きてゆけないわけだが、この自我像を脅かすのは、自分より優れ、自分より価値がある他者である。
この他者を自分より下に引きずりおろしたい衝動が嫉妬である。」(本文より)

「嫉妬の地獄から脱出する道はあるのだろうか。・・
ごくありふれた方法しかない。
嫉妬している時には嫉妬していることを素直に認めることである。自分が相手より劣っていると感じていることを素直に認めることである。」(本文より)

「階級制度に規定された身分に基づいて「身の程を知る」のは嫉妬されないために有効であったかもしれないが、それがあまりにも不合理であったことは今や明らかである。
しかし現代においても、自分の能力の限界や努力の不足による「身の程を知る」ことは必要ではなかろうか。」(本文より)

嫉妬の処方箋としては、著者が記すように嫉妬する自分を認識し、嫉妬される相手も認識するしかないのだろうけど、そもそも人間というものは、それほど優れた生き物ではないことも認識すれば、嫉妬するという感情もだいぶ薄れていくような気もします。

人間は、嫉妬されないように振るまい、それでいて優越感に浸りたいという矛盾を抱えた生き物であるわけで、生涯においてこの悪癖を抱えながら生きる人間も多い。
自分はそうにはなりたくないと思っても、陰湿な嫉妬を認めたくないがために、そんな自分に目をそむけ他者を見くびる。

人間はどうしようもない存在なのだから、せめて人を喜ばそうという思いがあってもいいのだと思う。
それが人としての、誇りなのかもしれない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 土方歳三 | トップ | 坂本竜鹿 »

コメントを投稿