アウトドアな日常

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哲学しよう

2008年10月16日 | 読書日記 その4
『暮らしの哲学』  池田晶子著  毎日新聞社

エッセイ集です。
「魅惑の「ダークマター」」という項目では、ダークマターとはという説明から。
宇宙にはこれが存在するのだけど、それが何なのかは分からない宇宙を構成しているなぞの物質をいうそうです。
宇宙の物質の90パーセントはこれで、われわれが知っている物質は6パーセントにすぎない。
科学者は宇宙空間が暗いのは、そこに光があるのではなく、そこに暗いものがあるから暗いのだと考える、著者はこれを一種の僻(へき)だと断定する。
そんなふうに考える彼らにとっては光に質量がないのは、奇妙に感じるらしく、それがダークマタ-探しへとなるわけなのだ、と著者は記す。
著者は問う、存在するのに質量がないものども、これらを総称して「意識」と呼ぶこともできましょう。意識の重さ量れますか?

「変人道まっしぐら」という項目では、著者は小さい頃から親から「変わっている」と言われ続けたそうです。
著者は、世間のほとんどの人は、当たり前のこと、当たり前すぎることについて、考えるということを滅多にしないと記します。
以後は僕なりの解釈を・・

たとえば、小さな子どもを見て、あの愛くるしい仕種を見て多くの人は「可愛いい」という印象を持つだろう。
僕は20年後30年後、この子どもはどんな大人へと変貌していくのだろうと考える。
ふと親に目をやり、直ぐさま目を伏せたりします。
確かに犬、猫は可愛いい、しかし、それは人間の子どもにも通用する言葉なのだろうか・・・と。

科学エッセイストの寺田寅彦は、こんなことを言っています。
「人間の死は感情が複雑すぎて甘い涙が流しづらいが、物言わぬ小動物の死には楽に涙が出てくる、おかしなものです。」

唯一、万人が一様に考える時、それは人の死に直面した時だろう。
人の死は、いつしか星に生まれ変わり、愛情という光を降り注ぐ、そう思いたい。


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坂田安吾氏

2008年10月16日 | 絵 その6
091016
『資本主義社会の病理といえば、優位性症候群をあげるだろうな。
 どれだけ相手より優位にたてるか、それが無意識の中で人を追い詰めてしまう、まさに無意識バカ化して刃物を使わなくてもおどすことができる。

 人を追い詰め、それが際限なく続くから受ける方はたまったものではない。 
 昔、村八分というものがあったが、それでも最後の最後は手を貸したそうだ。どこかで意識の中で、ここまでしたらいけないというブレーキ機能があったのだろうな。

 そのブレーキ機能を麻痺させてしまうのが、この優位性であり、受け手も卑屈になってしまうが、なんとも人生をバカにした話ではないか。』

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