MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

私の3.11顛末記 その1

2011年03月25日 | あらかると

震災が起きた3月11日14時46分、
私は友人と「あけぼの山農業公園」にある梅林近くの「ひょうたん池」前の広場付近にいた。
芝生近くの園路を歩いていたら、外灯が揺れているのに気づき「地震かも?」と友人に・・・

歩いているときは多少の揺れではほとんど気づかない。
(帰宅困難者となって約3時間近く国道6号線を歩いたが、余震にはまったく気づかなかった。
調べてみるとこの間に震度3以上の余震が10回も記録されている)

最初は友人も地震とは気づいてないようだったが、
そのうちに大きく揺れ始め地鳴りもしていた。
本震が来たときには歩くのが困難になるほどの揺れとなった。
しかも周期の長い揺れで小さなひょうたん池には大きな波が立った。

最初の揺れが小さかったことと(直下型の場合は最初からズシーンと大きな揺れが来る)、
障害物の無い大きな広場にいたために「災難」は無いだろうと安心したが、
その後の地元の「防災放送」で公園周辺は「震度6弱」ということが判り、
震源地や大津波情報が出ていることも判った。
しかしそれ以外に情報は無く(私は携帯電話を所持していない)
取り急ぎ我孫子駅まで帰るためにバス停に向かった。
公園からバス停までの間には(約1.5km)、ブロック塀の一部が壊れていた家が数件あった。

友人は携帯で家族3人への連絡を試みていたが通じなかった。
私もバス停近くの公衆電話から親族に連絡を試みたが通じなかった。

バスはバス停に表記された時刻には来なかったが、
バス停に着いてから約10分後に反対車線をバスが通過して行った。
バスを待っている間にも結構大きな余震が続いていた。
まもなくして折り返しのバスがやってきて我孫子駅前に出ることができた。

本来ならここで友人と別れて電車に乗る予定だったが電車はストップしていた。
情報を得るべく改札口へ通じる連絡通路の下に移動した。
しかし、そこには天井の一部が落ちていて、
天井を見るとまさに落ちそうな状態の板状のものがぶら下がっていた。
駅舎も相当被害があるようだった。
そんな状況を見ながらなんとなく「電車は動かない」予感がした。

友人宅も気になるので友人宅へ同行し、
そこで初めて「大津波」の状況を知ることになった。
「大異常状態の大震災」だった。
目を覆いたい程の大惨事がTV画面から流れていた。
大ショックだった。
私の人生においては絶対に出会いたくなかった一大大悲劇だった。

写真は、すべて「あけぼの山農業公園」にて3月11日撮影。



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