8年ぶりの北京は全国人民代表者会議が開催中で、人民大会堂には五星紅旗が勢いよくはためいていた。天安門広場は立ち入りが禁じられ、屈強の制服警官が威圧的に歩き回るなど、8年前の自由な雰囲気とは対照的な警戒ぶりだった。それでも地方からやってきた様子の民族衣装の一団は、うれしさに顔がはち切れんばかりで天安門前の行列に並んでいる。念願の北京見物が実現できたという笑顔は、中国の経済発展をよく物語っていた。
しかし「豊かになれるところから豊かになればいい」と進められた開放策は、経済成長を加速させるとともに格差も拡大させた。生きているうちに都に登ることができたと、激しい労働のシワが刻まれた日焼け顔を見せるお上りさんと、高級外車を駆って金融街の高層ビルに吸い込まれて行くエリートサラリーマンらの所得にどれほどの開きがあるものか、想像がつかない。おそらく日本では考えられないほどの、大きな格差があるのだろう。
市街地の道路は人民大会堂に向かう代表者らの専用レーンが確保され、通勤ラッシュの渋滞を尻目に黒塗りの車が疾走して行く。この国には、共産党の党員資格という「科挙制度」が今も生きているのだ。大会堂の雛壇に並ぶわずかな幹部は、現代の皇帝たちである。一党独裁のシステムだからこそ、この広大な国土と人口をコントロールできているのか、あるいは社会の不満を強権で押え付けているだけのものなのか、私には分からない。
『中国の赤い星』を夢中で読んだ世代にとってみれば、毛沢東による共産中国の建国は紛れもなく人民の解放であったと思う。ただ解放されたはずの人民が幸福になったかどうかは、時代状況によって変化する相対的なものだ。ネット社会になって、党も民衆の口を塞ぎ切れなくなった。それでもなお反体制派は幽閉され、チベットなどでは抗議の自殺が続発するということは、経済成長とは裏腹に、革命の理念は未達成ということになろう。
天安門に掲げられた毛沢東の肖像画は、文化大革命の不気味な記憶につながる。20世紀の希有なカリスマであったこの指導者の肖像が、将来もし門から下ろされる日を迎えるとしたら、彼が指導した革命のすべてが達成されたということかもしれない。彼の学び舎である湖南省・長沙の師範学校を訪ねたことがある。裏山の渓流に添って心地よい庭園があった。後の革命家は勉学に励み、その道を散策しながら思索に耽ったという。
湖南省は中国全土の学力試験で、傑出した高得点を挙げる省だと聞いた。蒋介石を追いつめた「新たな皇帝」は、そうした湿潤な緑に満ちた地方に出現し、北京に降臨した。そして革命世代が去った昨今、中国は集団指導体制でうまくコントロールされているように見える。市民の会話を聞いていても、8年前よりさらに平然と政治談義が交わされている。ただ「何でも言えるけれど、何を言っても変わらない社会」だからだともいう。
通学時の街を眺めていると、小学生と見受けられる子供たちは、必ず親に連れられて登校していた。一人っ子政策の中国家庭において、子供は何にも増して保護されている。しかしその中国で、急速な高齢化社会の到来が懸念され始めていると聞いた。13億人という類例のない人間の塊が、爆発するかの如く金を稼ぎ出してきた社会にあって、労働人口が急速に減少した場合、どのような矛盾と不満が噴出するのだろうか。(2012.3.7-11)
しかし「豊かになれるところから豊かになればいい」と進められた開放策は、経済成長を加速させるとともに格差も拡大させた。生きているうちに都に登ることができたと、激しい労働のシワが刻まれた日焼け顔を見せるお上りさんと、高級外車を駆って金融街の高層ビルに吸い込まれて行くエリートサラリーマンらの所得にどれほどの開きがあるものか、想像がつかない。おそらく日本では考えられないほどの、大きな格差があるのだろう。
市街地の道路は人民大会堂に向かう代表者らの専用レーンが確保され、通勤ラッシュの渋滞を尻目に黒塗りの車が疾走して行く。この国には、共産党の党員資格という「科挙制度」が今も生きているのだ。大会堂の雛壇に並ぶわずかな幹部は、現代の皇帝たちである。一党独裁のシステムだからこそ、この広大な国土と人口をコントロールできているのか、あるいは社会の不満を強権で押え付けているだけのものなのか、私には分からない。
『中国の赤い星』を夢中で読んだ世代にとってみれば、毛沢東による共産中国の建国は紛れもなく人民の解放であったと思う。ただ解放されたはずの人民が幸福になったかどうかは、時代状況によって変化する相対的なものだ。ネット社会になって、党も民衆の口を塞ぎ切れなくなった。それでもなお反体制派は幽閉され、チベットなどでは抗議の自殺が続発するということは、経済成長とは裏腹に、革命の理念は未達成ということになろう。
天安門に掲げられた毛沢東の肖像画は、文化大革命の不気味な記憶につながる。20世紀の希有なカリスマであったこの指導者の肖像が、将来もし門から下ろされる日を迎えるとしたら、彼が指導した革命のすべてが達成されたということかもしれない。彼の学び舎である湖南省・長沙の師範学校を訪ねたことがある。裏山の渓流に添って心地よい庭園があった。後の革命家は勉学に励み、その道を散策しながら思索に耽ったという。
湖南省は中国全土の学力試験で、傑出した高得点を挙げる省だと聞いた。蒋介石を追いつめた「新たな皇帝」は、そうした湿潤な緑に満ちた地方に出現し、北京に降臨した。そして革命世代が去った昨今、中国は集団指導体制でうまくコントロールされているように見える。市民の会話を聞いていても、8年前よりさらに平然と政治談義が交わされている。ただ「何でも言えるけれど、何を言っても変わらない社会」だからだともいう。
通学時の街を眺めていると、小学生と見受けられる子供たちは、必ず親に連れられて登校していた。一人っ子政策の中国家庭において、子供は何にも増して保護されている。しかしその中国で、急速な高齢化社会の到来が懸念され始めていると聞いた。13億人という類例のない人間の塊が、爆発するかの如く金を稼ぎ出してきた社会にあって、労働人口が急速に減少した場合、どのような矛盾と不満が噴出するのだろうか。(2012.3.7-11)
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