今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

212 青森(青森県)・・・縄文もねぶたも今は雪の下

2009-05-08 00:51:13 | 青森・秋田

八戸で新幹線を降り、在来線の特急に乗り継ぐと間もなく、車窓が吹雪で乱れてきた。春の雪ではあるけれど、陸奥の大地はまだ冬眠中のようだ。そうやって1時間、落日前の青森に着いた。鉄路は行き止まって大きく折られ、終わる。くたびれた旅人が吐き出される終着駅は、これからにときめく人々が集まって来る始発駅でもある。終日落ち着かないターミナルを、私はそそくさと後にする。街にも雪が残っていた。

「青森ねぶた」を私はまだ見ていない。ねぶたそのものは、作家の工房にお邪魔して制作途上を見学したことがあるのだけれど、8月の祭当日、この街にいたためしがないのだ。この長い冬の間も、「ねぶた馬鹿」を自称する青森の人々は、想を練ったり囃子を練習したりしているに違いない。冷たい雪と重苦しい雲に覆われながら、何とも不思議なエネルギーを感じさせる街である。

しかし三内丸山遺跡の発掘で立ち上った縄文のエネルギーは、いまや再び大地に還り、鎮まってしまった。私だけの感想かもしれないが、久しぶりに遺跡地を歩き、整備・復元された建造物を眺めながら、かつて味わった驚きやときめきが全く押し寄せてこないのである。

歴史的環境の保全は実に厄介な作業で、カネをかけて整備すればするほど、その土地以外では得ることの叶わない貴重なニオイをかえって消してしまうことがある。保存法まで制定して国が総力を挙げた「飛鳥」が、今や単なる歴史公園に成り果て、無味無臭無色の惨憺たる状態になってしまったことがその残念な例だ。

埋蔵集落遺構としては双璧であろう佐賀の吉野ケ里遺跡が、辛うじて古代のニオイを立ち籠めているかに思えるのは、国と県が分割している整備面積の宏大さが救いになっているからだ。県の単独管理である三内丸山は、そうした視点から見れば余りに狭く、縄文のエネルギーも暴れようがない。いっそのこと遺跡中央に、岡本太郎の太陽の塔か巨大な遮光式土偶のモニュメントを建てたら、地下の縄文人は喜んで踊り出すかもしれない。

ねぶたと縄文で思考を混乱させながら、青森県立美術館に行ってみる。なかなかの評判を耳にしていたのだが、設計者の独善ぶりが鼻についた。展示場のレイアウトに凝り過ぎたのだろう、やたらと監視スタッフの数が必要で、鑑賞する側にとってはうるさい。企画展などでは、そうしたスタッフの人件費が経費を大きく圧迫するものだが、青森の人件費はよほど低いのだろうか。

とはいえ寺山修司のための1室を設けている運営は素晴らしい。狭いスペースではあったが、美術館に奇妙なエネルギーを与えている。文学館より、確かに美術館の方が、この暗い情念の詩人には落ち着きがいいかもしれない。そして「あおもり犬」などどうでもいい、やはり棟方志功である。この得体の知れない芸術に引き寄せられて青森を訪れる人は、結構な数に上るに違いない。

青森にはもうすぐ新幹線がやって来る。駅は現在地から3キロも離れた郊外に新設されるのだという。新幹線はやがて青函トンネルを潜り、北海道へと延びることになろう。そのとき終着駅・青森は、通過地の一つになる。連絡船が消え、駅が移転し、街は大きく変わって行くことだろう。(2009.3.11-12)
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