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668 ホーチミン③【ベトナム】

2016-01-14 14:08:55 | 海外
ベトナムの現代美術に触れてみたかった。だからハノイでは国立美術博物館に、ホーチミン市では市美術博物館に行く。案内書には「現代美術の歴史は浅く‥」などと書いてあるが、なかなかどうしてそのアバンギャルドぶりは尋常でない。強烈な色彩が、雄叫びをあげてぶつかりあっているのは、太陽が身近な熱帯が育てた感性だろうか、実に興味深い。ただ「歴史が浅い」のは事実なのだろう、作家たちは模索の渦中にいるようである。



中国文化の影響を強く受けたことでは、日本・朝鮮・ベトナムは似ている。作品を見つめていると、その通底した世界が浮かび上がってくるような思いになる。ただ地理・政治的に最も離れている日本が、中世以来「日本的」といえる独自文化に目覚めて行ったのに対し、中国と陸続きの朝鮮・ベトナムの作品は、より強く長くその影響を受けたと感じる。ベトナムはそこにフランス植民地時代が加わり、どこか西洋の香りも漂ってくる。



題材として多い白壁に赤い屋根の民家群を描いた作品は、パリの街角を意識したタッチであり、田園の農作業風景を描くもう一つの題材とは明らかに別ジャンルだ。なぜか油絵は少なく、板にラッカーで直接描いた作品が多い。アクリル絵の具も用いられているのは、熱帯の光に対抗するには、剥き出しの強い色が必要だからかもしれない。板に黒漆を塗り、それを彫って細密な画面を創出する工芸品のような作品も「絵画」であるらしい。



ハノイの美術博物館には、薄暗い半地下のような陶磁器展示室に、中国の古陶に似た古い時代のツボなどに混じって、現代作家の作品が並んでいる。その造形がいかにも自由だ。街のギャラリーでは、アオザイの女性像などの絵がたくさん売られている。それらは売らんがための薄っぺらな作品だが、しばらく見惚れた作品が1枚だけあった。派手さも暗さもない、淡々と農婦を描いたラッカー絵だ。80歳になる老画家の作品らしい。



ベトナムには家族的職能集団が村落を形成し、その技量を糧に生計を立てていると聞く。バッチャン焼やドンホー版画もそうした村単位で伝統が守られている。職人仕事と芸術的創造は、目指すところがそもそも異なるものだが、ベトナムの職能集団が、芸術への基礎を蓄積していることは疑いない。私のわずかな知見で断定するのはおこがましいけれど、マレーシアに滞在して歯がゆさを感じた「文化の希薄さ」は、ベトナムにはない。



ただ「美術館・博物館は街の民度に比例する」という法則?に従えば、ベトナムのそれはまだまだである。古い華人の邸宅を転用したホーチミン市美術博物館は、建物は興味深いものの展示室など内装は乱暴で、ロビーの陳列棚は埃で埋まっている。またハノイの館の職員たちは怠惰で、いくら入館者がほとんどいないとはいえ、声高に私語を交わしていいはずがない。彼女たちは国家公務員ということになるのだろうか。



新しい出会いに影響されやすい私は、これらベトナム美術に刺激されて、旅から帰るやコラージュまがいの額制作に取り組んだ。材料はベトナムで買った版画、切手、人形。空白部を残してあるのは、自分で「Việt Nam」のプレートを焼いて嵌め込むためだ。版画はホーチミンで買った安物だが、ドンホー版画とはタッチが異なり、牛のたくましさが小気味いい。総じてベトナム美術は、農村に題材をとったものが好もしい。(2015.12.25-28)











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