雨が上がる日を、もう何日も待っている。9月は実に雨が多い。今年はそのうえ台風も多い。晴れたら上田に行こうと待ち構えているのだが、雨はなかなか上がってくれない。そう、信州の上田である。私は目下、鳥居峠を挟んだ群馬の山中に滞在しているので、上田までは車でわずか90分で行ける。それでもどうせなら秋晴れの峠道をドライブしたいから、気長に雨雲の移動を待っているのだ。「日程自由」という老人特権を駆使して。
大正から昭和にかけて、全国で盛り上がった社会運動に農民美術運動がある。その発祥の地が上田だ。版画家で洋画家の山本鼎(1882-1946)が仏留学から帰国後、父親が医院を開業している上田で児童画教育や農民美術運動を始めたのが1919年(大正8年)。農閑期の農民に手工芸の資質を磨かせ、副業として農家に新たな収入をもたらす目標があった。大正浪漫的な「娯しみ多い創造的労働」は、時代の風潮として全国に広がって行く。
昭和の戦時下で活動は衰退してしまうのだが、上田にはその遺産が今も生きているという。「木片(こっぱ)人形」作りを「娯しむ」市民がおり、制作を続ける木彫り工房がある。私がしきりと上田に行きたがっているのは、JRのPR誌でそのことを知り、観たくなったのだ。上田市立美術館には山本鼎の常設展示室もあるようで、まずはそこを訪ねてみたい。そうすることで農民美術運動の残影に触れようと雨上がりを待ち、ついに晴れた。
市立美術館は「サントミューゼ」の愛称を持つ、広々とした心地よい施設だ。音楽や演劇に対応する舞台ホールと美術館を柱に、市民の文化活動のためにスタジオやギャラリーを提供している。上演されたミュージカルや演劇の写真展示を眺めると、意欲的な企画が展開されているようだ。人口15万8000人の中規模地方都市で、これほどの文化施設が活動していることに感心させられる。千曲川のほとりの広々とした空間も素晴らしい。
私は4年前の同じ季節に、上田の街を訪ねている。城跡公園の山本鼎記念館は覚えているが、サントミューゼの記憶はない。なぜ行きそびれたのだろうと調べると、開館は私の訪問の1ヶ月後だった。美術館ではウィリアム・モリス展が開かれている。鼎の農民美術運動は、モリスの「アーツ&クラフト運動」に通じるものがあるだけに、この街にふさわしい企画展だ。ただ常設の山本鼎コーナーはいささか寂しく、物足りない展示である。
市中のギャラリーや郊外の工房を訪ね、今も作られ続けている木片人形や木彫品を観て歩く。勝手な感想を述べれば、期待していたほどには気持ちを打たれる出会いは少なかった。農民美術の響きが「素朴」に繋がるのだろうが、素朴はイコール稚拙ではない。農民美術運動の100年は、地場産業の創造や伝統工芸の定着には至っていない。娯しみな創造が「素朴な洗練」の域へと昇華できたら、上田は真に魅力的な創造の街になるだろう。
PR誌が紹介している柳町のパン工房でお昼にする。観光客がぞろぞろと店の前を歩いて行く。店舗が国の文化財だという駅前の菓子店で、上田の名物らしい「みすゞ飴」を買う。街なかの小さな美術館で新進作家の個展を覗き、繁華街が終わったあたりに隠れるように看板を出す古書店で一休みする。上田は街歩きも楽しい。コーヒーをいただきながら古書を漁っていると、いつの間にか買い込んで、すっかり荷物が重くなった。(2018.9.28)
大正から昭和にかけて、全国で盛り上がった社会運動に農民美術運動がある。その発祥の地が上田だ。版画家で洋画家の山本鼎(1882-1946)が仏留学から帰国後、父親が医院を開業している上田で児童画教育や農民美術運動を始めたのが1919年(大正8年)。農閑期の農民に手工芸の資質を磨かせ、副業として農家に新たな収入をもたらす目標があった。大正浪漫的な「娯しみ多い創造的労働」は、時代の風潮として全国に広がって行く。
昭和の戦時下で活動は衰退してしまうのだが、上田にはその遺産が今も生きているという。「木片(こっぱ)人形」作りを「娯しむ」市民がおり、制作を続ける木彫り工房がある。私がしきりと上田に行きたがっているのは、JRのPR誌でそのことを知り、観たくなったのだ。上田市立美術館には山本鼎の常設展示室もあるようで、まずはそこを訪ねてみたい。そうすることで農民美術運動の残影に触れようと雨上がりを待ち、ついに晴れた。
市立美術館は「サントミューゼ」の愛称を持つ、広々とした心地よい施設だ。音楽や演劇に対応する舞台ホールと美術館を柱に、市民の文化活動のためにスタジオやギャラリーを提供している。上演されたミュージカルや演劇の写真展示を眺めると、意欲的な企画が展開されているようだ。人口15万8000人の中規模地方都市で、これほどの文化施設が活動していることに感心させられる。千曲川のほとりの広々とした空間も素晴らしい。
私は4年前の同じ季節に、上田の街を訪ねている。城跡公園の山本鼎記念館は覚えているが、サントミューゼの記憶はない。なぜ行きそびれたのだろうと調べると、開館は私の訪問の1ヶ月後だった。美術館ではウィリアム・モリス展が開かれている。鼎の農民美術運動は、モリスの「アーツ&クラフト運動」に通じるものがあるだけに、この街にふさわしい企画展だ。ただ常設の山本鼎コーナーはいささか寂しく、物足りない展示である。
市中のギャラリーや郊外の工房を訪ね、今も作られ続けている木片人形や木彫品を観て歩く。勝手な感想を述べれば、期待していたほどには気持ちを打たれる出会いは少なかった。農民美術の響きが「素朴」に繋がるのだろうが、素朴はイコール稚拙ではない。農民美術運動の100年は、地場産業の創造や伝統工芸の定着には至っていない。娯しみな創造が「素朴な洗練」の域へと昇華できたら、上田は真に魅力的な創造の街になるだろう。
PR誌が紹介している柳町のパン工房でお昼にする。観光客がぞろぞろと店の前を歩いて行く。店舗が国の文化財だという駅前の菓子店で、上田の名物らしい「みすゞ飴」を買う。街なかの小さな美術館で新進作家の個展を覗き、繁華街が終わったあたりに隠れるように看板を出す古書店で一休みする。上田は街歩きも楽しい。コーヒーをいただきながら古書を漁っていると、いつの間にか買い込んで、すっかり荷物が重くなった。(2018.9.28)
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