足の長い女の子を見かけた。その長い足を、冬の日がいっそう長く見せて影を延ばしている。新宿から西へ15キロ、JR三鷹駅前の交差点である。大晦日前日の街はすっかり人通りが減って、新しい年の始まりを待ち構えているようだ。東京の郊外ではよくある駅前商店街に過ぎないが、特徴といえば「下連雀」という町名だろうか。中央線で神田とつながるこの街は、江戸時代、神田連雀町が引っ越してきた街なのだ。
駅前広場を少し外れたところに「江戸神田連雀商人開墾之碑」と彫られた標柱が立っている。明暦の大火(振袖火事=1657年)で被災した神田連雀町の商人たちが、火除け地を設ける幕府の政策で移住させられた武蔵野の寒村がここである。「連雀=連尺」とは荷を担ぐ運搬具のことで、神田連雀町は運送業者の町だったらしい。群馬の高崎など、全国いくつかの城下町に同じ町名があるのは、同様の由来によるものなのだろう。
三鷹に入植した連雀衆は、築地本願寺の僧坊を招いて寺を興し、禅林寺を創建した。三鷹駅そのものも禅林寺が土地を提供して誘致したのであり、駅南側の商業・住宅地は多くが寺の所有地である。昭和になって駅ができるまでは、「5、6戸の農家が散在しているだけの畑地だった」(禅林寺ホームページ)という一帯は、いまではマンションが林立する街へと変貌した。
本家・神田連雀町の名は消えたけれども、三鷹の連雀は人口が増える一方で、駅周辺は三鷹の人の流れを吸い寄せる。しかし本格的な賑わいは隣の吉祥寺が引き受けていて、下連雀のローカル色は程よく保たれている。足の長い女の子が立つ交差点は年に一度、阿波踊り大会が繰り広げられ、つかの間の賑わいを見せるのだが、あとはまあ、評判の鯛焼き屋に行列ができる程度で長閑なものである。
そんな下連雀にあって、駅前だけは再開発が活発だ。その波はエキナカまで押し寄せて、小さな駅はホームの上を増改築して小さなショッピング街を作ってしまった。気がつくと駅周辺は、どんな意味なのか分からない横文字の「複合商業施設」だらけである。なぜこうも皆さんは、この種の表現が好きなのだろうか。お尻がくすぐったくなるような景色である。
三鷹市は、IT普及度など最新の指標を組み合わせた街ランキングでは日本一になったりすることがある。とはいっても街を歩いていて、斬新な刺激を受けることはない。道路は狭く、歩道整備の遅れが気になるほどだ。目に触れにくいソフトは先進的だが、ハードなインフラは遅れているという珍しい街である。
街づくりのネックになっているのは、多分、社寺地の地割りと中央商店街に居座る公団アパートだろう。どちらも街が自由に動いて拡大していくことを阻害しているからだ。少子高齢化社会では「拡大すなわち善」と考えることは短絡的で、適度な停滞が暮らしやすさに繋がる、という場合は確かにあるだろう。しかしこの街の二つの停滞要因は、いささか息苦しい。
足の長い女の子は、信号が青になっても一心にポシェットの中を探し続けている。そんな女の子を誰もが邪魔しないで通り過ぎて行く。街は、こんな具合の方が住み良いのかもしれない。(2007.12.30)
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