
年明けまで1週間を切って、都内屈指の初詣どころ西新井大師はすでに準備が整ったようである。大きなガラスで仕切られた本堂を覗くと、清々しい畳の広間でおじさんが一人、静かに手を合わせている。大晦日に始まる初詣では、さほど広いとも言えないこの境内に60万人を超す善男善女がやって来るそうだから、静寂は今だけのものだろう。今日はクリスマス。異宗教の聖なる日は関係ないと、露天を造作する音だけが忙しなく響いている。

私は「詣でる」という習慣を持たないものだから、こうした雑踏とは無縁に生きている。ただ新たな年を迎え、家族の健康を祈り、世の平穏を願って自らの決意を固めるという参詣客の心持ちは、尊いと思う。大袈裟に言えば、日本人の深いところに根を下ろす族譜に従って、突き動かされている行動なのかも知れない。だがそれが、なぜ同じ神社同じお寺に集中するのか、そのことに興味があって、未体験ゾーンである西新井までやってきたのである。

首都圏の初詣先は明治神宮、川崎大師、成田山新勝寺が三大拝み所で、いずれも300万人を超す人の波になる。それに比べれば西新井大師は5分の1程度に過ぎないわけだが、郊外の住宅地を思わせる周辺の平凡な街並みや、団子屋が並ぶ狭い参道を見るにつけ、雑踏を吸収できるのかと恐ろしくなる。東武鉄道はそうした参詣客を運ぶため、伊勢崎線の西新井駅から1駅区間だけの太子線を運行している。それだけ乗客がいると言うことだろう。

西新井大師は遍照院總持寺という真言宗豊山派の寺院だ。豊山派は12世紀、高野山と対立した覚鑁が根来寺で打ち立てた新義真言宗の一派で、同宗派からは智山派も生まれている。ちなみに川崎大師平間寺も成田山新勝寺も智山派大本山である。これで解ることは、初詣のキーワードは弘法大師空海だということだ。21世紀になっても人々は、日本宗教史のスーパースターの縁に足を運び、手を合わせることで大師様に接し、安堵するのである。

總持寺の山門をくぐると、きれいに剪定された牡丹園が春を待っている。そうか豊山派の総本山は奈良の長谷寺だ。長谷寺は牡丹の寺である。長谷寺を訪ねたのは30年以上も昔になるけれど、ここに至って私は大師様とわずかに繋がったような気分になった。結局は私も「詣で」ているのかも知れない。今日は舎人ライナーの西新井大師西駅から、總持寺を目指して東へ歩いてきた。それは謀らずも、かつての「大師道」を辿っていたのであった。

「奇妙な道だな」と、私は訝しみながら歩いていたのだ。右にカーブし左に折れ、決して直線で延びて行かない。農地の畦道跡だろうかとも考えたが、そこそこ幅があってしっかりした道路だ。「西新井大師周辺地区街づくり協議会」の「まちづくりのネタ帳」で、古の大師道だと知った。近在の村々からの大師詣での人々が、踏み固めてきた道なのだろう。魚屋さん・八百屋さん・豆腐屋さん・美容室と、懐かしい店が生きながらえ、チリ一つ落ちていない。
そうした通りの入り口に、ランドセルで有名な鞄メーカーの本店がある。鞄に目のない私はショールームでは飽き足らず、奥の製造所を見学させてもらう。大勢の女性職人が様々な機械を使ってランドセルを作っている。すでに来春分はオーダーストップになっていて、今予約を受けられるのは再来年の入学児分だという。「皮の価格がずいぶん上がりまして、年明けからは価格をかなりアップせざるを得ません」と、苦しい説明を聞く。(2024.12.25)














私は「詣でる」という習慣を持たないものだから、こうした雑踏とは無縁に生きている。ただ新たな年を迎え、家族の健康を祈り、世の平穏を願って自らの決意を固めるという参詣客の心持ちは、尊いと思う。大袈裟に言えば、日本人の深いところに根を下ろす族譜に従って、突き動かされている行動なのかも知れない。だがそれが、なぜ同じ神社同じお寺に集中するのか、そのことに興味があって、未体験ゾーンである西新井までやってきたのである。

首都圏の初詣先は明治神宮、川崎大師、成田山新勝寺が三大拝み所で、いずれも300万人を超す人の波になる。それに比べれば西新井大師は5分の1程度に過ぎないわけだが、郊外の住宅地を思わせる周辺の平凡な街並みや、団子屋が並ぶ狭い参道を見るにつけ、雑踏を吸収できるのかと恐ろしくなる。東武鉄道はそうした参詣客を運ぶため、伊勢崎線の西新井駅から1駅区間だけの太子線を運行している。それだけ乗客がいると言うことだろう。

西新井大師は遍照院總持寺という真言宗豊山派の寺院だ。豊山派は12世紀、高野山と対立した覚鑁が根来寺で打ち立てた新義真言宗の一派で、同宗派からは智山派も生まれている。ちなみに川崎大師平間寺も成田山新勝寺も智山派大本山である。これで解ることは、初詣のキーワードは弘法大師空海だということだ。21世紀になっても人々は、日本宗教史のスーパースターの縁に足を運び、手を合わせることで大師様に接し、安堵するのである。

總持寺の山門をくぐると、きれいに剪定された牡丹園が春を待っている。そうか豊山派の総本山は奈良の長谷寺だ。長谷寺は牡丹の寺である。長谷寺を訪ねたのは30年以上も昔になるけれど、ここに至って私は大師様とわずかに繋がったような気分になった。結局は私も「詣で」ているのかも知れない。今日は舎人ライナーの西新井大師西駅から、總持寺を目指して東へ歩いてきた。それは謀らずも、かつての「大師道」を辿っていたのであった。

「奇妙な道だな」と、私は訝しみながら歩いていたのだ。右にカーブし左に折れ、決して直線で延びて行かない。農地の畦道跡だろうかとも考えたが、そこそこ幅があってしっかりした道路だ。「西新井大師周辺地区街づくり協議会」の「まちづくりのネタ帳」で、古の大師道だと知った。近在の村々からの大師詣での人々が、踏み固めてきた道なのだろう。魚屋さん・八百屋さん・豆腐屋さん・美容室と、懐かしい店が生きながらえ、チリ一つ落ちていない。

そうした通りの入り口に、ランドセルで有名な鞄メーカーの本店がある。鞄に目のない私はショールームでは飽き足らず、奥の製造所を見学させてもらう。大勢の女性職人が様々な機械を使ってランドセルを作っている。すでに来春分はオーダーストップになっていて、今予約を受けられるのは再来年の入学児分だという。「皮の価格がずいぶん上がりまして、年明けからは価格をかなりアップせざるを得ません」と、苦しい説明を聞く。(2024.12.25)













※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます