今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

635 山口(山口県)防長の真ん中にいて白狐

2015-04-21 15:24:42 | 山口・福岡
山口はいつも快晴である。まだ二度目の訪問に過ぎないのだが、今度は桜の見頃というプレゼントまでついている。国宝・瑠璃光寺の五重塔は、たおやかな立ち姿に桜花を纏い、その優美さはもはや私の表現力を超えている。京に憧れ、京を真似たかつての覇者の夢の跡だというけれど、この列島で、それぞれの土地で精一杯夢を追っていたころの時代は、一極に集中して地方が寂れて行く現代より満ち足りるものがあったかもしれない。



山口市は県都であるが人口は下関市の方が多い。本州島の西のはずれの山口県を米国になぞらえてみると、山口市はワシントンで下関がニューヨークか。萩は佇まいからボストンに比せられ、瀬戸内に面した岩国がサンフランシスコに当たるかもしれない。錦帯橋とゴールデンゲートブリッジ。どちらの街も橋がシンボルだ。内陸部の中心都市となると美祢とシカゴということになるわけだが、いくらなんでも比べるには無理がありそうだ。



愚にもつかない思いに耽って山口入りしたのは、津和野から県境を越える街道の、メリハリの乏しい凡庸な風景が退屈だったからである。穏やかと言えばその通りの結構な眺めなのだが、低く軟らかな稜線が続くだけでダイナミックな変化がない。退屈ついでに本州の両端を比較するとどうだろうかと思いついた。昨秋に青森県を走り回ったので記憶はまだ新しい。山口と青森。同じ「島」の両端を守りながら、ずいぶんと違った印象がある。



まず山容が違う。ごつごつした青森に対し山口の山は角を削り取られたさざれ石のようなものだ。樹相も異なる。ヒバの青黒い青森に比べ、落葉樹と竹がしなやかに風に揺れる山口である。津軽湾の夏泊半島と萩の笠山に、ともに椿の原生林があるのは不思議な共通項だ。ただ岩木山のようなランドマークは山口にはない。強いて挙げれば下関の火の山か萩の指月山となろうが比較は無茶だ。男性的な青森に対し、山口はあくまで女性的である。



八甲田山と秋吉台はいい勝負で、北が太宰治に棟方志功を挙げれば、西は金子みすゞに香月泰男と応えるだろう。両者が明確に対峙するのは政治に向かう姿勢だろうか。南部・津軽は「政治など人をたぶらかすもの」として背を向けている風情がある。これに対し長州は吉田松陰を持ち出すまでもなく、根っからの政治好きだ。しかも粘り腰もしたたかで、昭和には妖怪まで輩出した。などと考えていると、ようやく山口市街に到着した。



東国者にとって山口は遠い。だからその歴史をよくは知らないのだが、山口県は律令時代の長門国と周防国に当たる。中世には守護大名の大内氏が治め、現在の山口市を「西ノ京」と称される街に育てる。関ケ原を経てこの2国に減封された毛利氏は本拠を萩に置いたため、山口市は萩と瀬戸内を結ぶ萩往還の中継地に過ぎなくなるものの、幕末に長州藩が藩庁をこの地に移転、再び防長2国の政治の中心になる、という変転を経た街らしい。



湯田温泉では伝説の白狐にこそ遭わなかったけれど、中原中也の生家跡に立つと、黒く丸い物体が目に入った。中也のトレードマークのフェルト帽かと目を凝らすと、物体はゆっくり伸び上がり、とことこと植え込みに消えた。黒猫だった。翌朝、桜が見頃を迎えた一の坂川河畔を歩く。山口の人は慎み深いのか時刻がまだ早いからか、花に浮かれる雑踏はない。この小さな街は、よくわからないけれど居心地がいいのである。(2015.3.29-30)















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