今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

559 ミラノ①【Milano=イタリア】

2014-01-21 17:41:48 | 海外
石畳は濡れていなければならないし、そこにはレールが埋め込まれ、電車が行き来していることが望ましい。そして人々は寒そうに背を丸め、足早に通り過ぎて行く。私は「いつかミラノに行く」と決めていたのだが、そのときの街の佇まいはこのようでなければならないとも確認していた。思いはいつか通じるものらしい。半世紀を経て私はミラノにやって来た。そして気がつけば、眼前の街は思い描いていた光景そのものではないか。



難を言えば、ここがスカラ座の前という、ミラノで最も華やかな中心部であることだ。もっと生活臭の漂う、労働者らが暮らす街の濡れた石畳であれば申し分ない。私が先ほどから、なぜこんな具合に拘っているのかというと、高校生の時に観た映画「鉄道員」の感化なのだ。映画は、機関士の労働者仲間とその家族を描いた社会派的ホームドラマなのだが、私には物語の展開以上に、ストーリーを支える街の様相が強い印象となって残った。



美しいとは言い難い街並みながら、舞台は労働者の体温と体臭に満ちている猥雑な街だ。それが日本の高校生には珍しく、魅力的に思えたのだろう、その街がミラノだった。哀愁に満ちたテーマ曲とともに、その街の虜になった私は、いつか「ミラノに行って石畳を歩く」ことを決意した。その後のミラノは、ファッションの発信地へ華やかに変身したなどと噂を耳にしたけれど、私にはやはり、猥雑な労働者の街でいて欲しかった。



ミラノで暮らした作家の須賀敦子さんは、この映画を観ていないと書いている。ただ彼女が結婚したイタリア男性の父親が鉄道員だったことの偶然に触れ、不思議なほど映画に似ている彼の実家を描写している。その父親は機関士ではなく信号所勤務だったというが、私にはその風貌が、ピエトロ・ジェルミに重なってしまう。



私たちはミラノならではの服地を買いたいと、下調べをしておいた店を目指したのだが、店は閉まっていた。そこは中心部からだいぶ離れた下町らしい風情の街で、高架を走る鉄道のランブレート駅が近かった。駅前のバスターミナルを囲むように林立するアパート群は、鉄道員たちの宿舎を連想できなくもなかった。



(高松・丸亀町商店街)

街の歴史は紀元前に遡るミラノだが、その中心は14世紀に建てられたドゥオーモである。大聖堂の屋根に登って、石造りの巨大建築がどのように組み上がっているか理解が深まった。そこから眺めるイタリア屈指の経済都市は、さほど高層ビルが目立つわけでもなく、ひたすら家並が広がっていた。隣接するアーケード街に入って、高松市の丸亀町商店街を思い出した。町おこしの成功例として名高いその通りは、このガレリアを模したのだろうかと考えた。高松の角地は三越、こちらはプラダだ。



クリスマス直前のファッション街は、歩くことが困難なほど混雑していた。ただ日本と違って目障りな看板や旗がなく、騒音を垂れ流す店も少なくて心地よい。



ミラノを去る私たちと入れ替わりに、ACミラン入りしたサッカーの本田選手がミラノに到着した。年が明けても日本はそのニュースでもちきりで、彼が小学校時代に「僕は世界一のサッカー選手になってACミランに入り、背番号10をつける」と作文に書いていたことを知った。彼は着々と実績を重ね、作文通りの人生を驀進している。「ミラノの濡れた石畳を歩く」というかつての少年の決意が、すっかり卑小に思えてしまう。(2013.12.23-26)







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