「野崎」という、どこにでもありそうな鄙びた地名が東京にもある。三鷹市が調布市と接するあたりの、「東八道路」と「武蔵境通り」が交わる一帯である。「東八」とは東京―八王子のことらしく、武蔵野台地を東西に貫こうとして建設が途中でストップしている幹線道路である。「武蔵境通り」は調布から西東京市へ、台地を南北に通じる都道で、大拡幅工事が進行中である。野崎には、間もなく大きな交差点が出現する。
今では「武蔵境通り」などと素っ気無い名称になってしまったけれど、この道の「素」は中世から武蔵野を縦貫して踏み固められた「大師道」なのだ。関東の古刹・深大寺の大師堂に詣でる東国の農民たちが、数百年にわたって歩き続けた道である。その由緒正しき道が、いっきに36メートル幅に拡幅される。
車線は2倍の片側2車線とし、中央分離帯をたっぷり取るとともに両側に幅10メートルの「環境施設帯」を設置する。この「帯」は歩道、植樹帯、副道で構成される。長い間、買収用地が虫食い状態でのろのろと増えていく、殺風景な風景が広がっていたのだが、だいぶ繋がったなと思ったら一気呵成に工事が始まった。
晩秋の一日、一部新しい歩道が出現し始めたこの道を、調布から三鷹まで歩いた。3倍以上に拡幅された幅員のおかげで、何よりも空が広くなったことが気持良い。歩道は自転車ゾーンと色分けされ、歩くことが楽しい。これまでは狭い歩道があるかないか程度で、渋滞する車から排気ガスを浴びせられる、散歩どころではない道だったのだ。
感心したのは旧道沿いに点在していた巨木、古木の多くが、街路樹としてかなり生き残っていることだ。神社の鎮守の森は、歩道を占拠する形で欅の大木など数本が残されたし、グラウンドが削られることになった高校の、校庭に緑陰を与えていた銀杏並木は、そのまま歩道の並木として保存された。古樹に出会うとなぜかほっとして疲れが癒されるものだ。新たに植樹された若々しい木々には、まだその力はない。
もちろん道路であるから、できるだけ直線を維持することが前提とされ、犠牲になった樹木の方が数は多いのだろうが、歴史のある街道筋であるから樹齢を重ねた巨木が多い。拡幅計画は、それらの巨木・古木を残すために線引きされたのではないかと思えるほど、うまい具合に残された木もあるのだ。工事が完成した暁には「大師新道」とでも名称変更すべきであろう。
この公共事業にも談合や役人の天下りが絡んでいるのかもしれない。そして東京でも傑出した高規格道路として、巨額の道路特定財源が投入されたことだろう。「街を分断する36メートルもの道路は要らない」と書かれた某政党の色褪せたビラを見かけた。しかし私は「このくらいの道を作れないで、何が首都だ」と思う。少なくとも樹木保存の思想だけは行政を誉めてあげたい。「お役所も、やればできるではないか」と。
陶芸教室を覗いたり、家具作りが趣味だという材木屋さんで話し込んだり。そして校庭が削られた都立調布北高校で、蝶をあしらった校章を見つけた。TyofuのTyoを「蝶」に掛けたのだろうが、なかなかおしゃれでユーモアがある。北陸の、私の母校も校章だけはユニークなデザインだと自慢してきたのだが、楽しさでは調布の勝ちだ。調布―三鷹の駅から駅まで、ほぼ1万歩であった。(2007.11.10)
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