今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

735 砥部(愛媛県)ミカン咲く陶街道は綱も引き

2016-11-03 20:26:12 | 愛媛・高知
今回の四国行は当初、松山から始める計画だった。しかし日程の終わりの週末に、砥部で「窯出し市」が開催されると知り、予約を全てキャンセルし、砥部の市に行けるよう組み直した。私の陶芸好きは産地巡りへと広がって、なかなか止まらない。陶芸の里は窯出しで賑わっていたけれど、ひときわ大きな歓声は、丘の上の町営グランドで響いている。体育の日の恒例行事か、街の様々なグループが綱引き対抗戦に全力を挙げているのだ。



肉厚の白磁に、切れのいい唐草文用を藍色で鮮やかに染め付ける砥部焼きは、一目でそれと分かる産地色豊かな磁器だ。細々と土を捏ねて雑器を焼いていた大洲藩領の山里・砥部に、特産の砥石屑を活用して磁器を製造するよう、藩主から命が下る。陶工・杉野丈助が九州で学び、釉薬の試行を重ねて白磁を完成させたのが1776年だという。以後、砥部は四国を代表する磁器産地に発展し、丈助は陶祖として街を見晴らす丘に祀られている。



砥部の歴史を反芻しながら陶祖ヶ丘に登る。一望する砥部の街は、緩やかな傾斜地に幾筋かの細流が流れ落ち、見るからに水車を回し窯を築くに相応しい土地であることが分かる。ここに90余の窯が築かれ、工房が営まれている。陶磁器産地としては全国主要11産地には含まれないものの、その次あたりにランクされる生産額を上げている。ただ多くの産地が悩んでいるように、陶磁器の急激な需要減退は、ここでも深刻なようだ。



砥部焼の、一目でそれと分かる意匠は、伝統色が強い分だけ飽きられているのではないか。少なくとも私自身はそんな思いでいる。だからだろうか、伝統をベースにしながら、新しい砥部焼への挑戦が始まっているといったことを、時折り耳にする。それも女性作家らにそうした動きが顕著だという。磁器だから、色釉薬が美しく発色する。その特性を、女性らしい軟らかな彩色感覚で絵付けし、新しい砥部焼を生み出しているという。



そんな新作が見たかった。砥部陶芸館で開催中の窯出し市でも、伝統色を凌駕するほどカラフルな作品が並んでいる。どれもなかなか魅力的だ。砥部の陶工と結婚し、夫が亡くなった後に窯を引き継いでいるフィリピン女性の工房を訪ねた。青や赤の花模様が白地に映えて、厚く頑丈が取り柄の砥部焼が、軽やかに見える。成型された土に釉薬に浸した和紙を置き、ぼかしの効果を狙っているという。砥部の染付とは印象がずいぶん異なる。



窯元をいくつか訪ね、気がついたことがある。成型と絵付けの分業が進んでいることだ。磁土を型に流し込んで成型する磁器だからできるのだろうが、成型は専門の業者に任せ、それを購入して絵付けをしサインを入れる。だから違う工房で同じ型が出荷される。合理的と言えばその通りだが、伝統的「陶工」のイメージとはいささか異なる。もちろん初めから轆轤などで成型する作家物もあるのだろうが、分業は増えているのかもしれない。



丘の上の綱引きは、ますます盛り上がっている。窯元のおかみさんチームの対抗戦だろうか、応援している男たちがひ弱に見える熱戦ぶりだ。このウーマンパワーが、「陶街道五十三次」を整備して観光客を誘う、陶芸の里を盛り上げていくことだろう。陶祖の丘に続く陶板の道を楽しみながら眺めて行くと、白い五弁のミカンの花が咲き残っている。子供のころその童謡はよく歌ったものだが、実際に見るのは初めてかもしれない。(2016.10.9)













コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 734 大洲(愛媛県)川風を葉... | トップ | 736 松山(愛媛県)俳諧を俳... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

愛媛・高知」カテゴリの最新記事