今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

753 ウィーン⑤【オーストリア】

2017-01-20 14:13:56 | 海外
ご先祖様は世界一の大富豪だったけれど、今や権勢も領地も失って市井の一旧家に過ぎない。しかしそれでも相続した資産や美術品は莫大で、子孫は恵まれた星の下に代を重ねて来た。 戦禍を被ったものの勤勉な気質によって復興し、遺産は大切に継承されているーー。というのは神聖ローマ帝国の末裔物語で、現在のウィーンという街であろうか。わずか5日間と短い滞在ではあったものの、あちらこちらトラムで移動しながら考えた。

(クンストハウス・ウィーン)

人々は優しく親切で、上品でもあった。トラム1番線の終点まで、街を見物しながら揺られて行くと、最後まで残っていた若い女性が声をかけてきた。この東洋人の夫婦は迷っているのでは、と心配してくれたのだ。このまま街に帰りたいと言うと、それなら向こうのホームで待っていれば、この電車がUターンして戻るから大丈夫だ、という。クリスマス休暇で帰宅した女子大生だろうか、大きなスーツケースで森の中へ消えていった。

(カールプラッツ駅舎)

暮れなずむ街角で、コンサート会場がわからなくて道を尋ねると、犬を散歩させていたおばあさんが雪を踏みしめ近づいてきて、チャーミングな笑顔で方向を指し示してくれた。そこまで行ってまた迷っていると、帰宅途中なのだろうか、ヘルメット姿の男性が自転車を降りて私たちの質問に耳を傾け、「ああ、それならここです」と教えてくれる。「楽しんで!」と言ったのだろうか、笑顔で手を振って、寒風を突いて自転車を走らせて行った。

(郵便貯金局)

欧米の街を訪れると、ごく稀にではあるが、東洋人を見下すような、露骨な態度を見せる白人に出会うことがある。そうした人物は、教養の乏しい粗野な臭いがするものだが、うわべは上品に取り繕っている場合もある。自分と異なった社会に属する人間に、優しく接することのできない人々だ。これだけ親切な市民が多いウィーンにおいても、そうした種類の人物に出会うことは避けられない。心の狭い人間は、どこにでもいるものだ。

(ゼツェスィオーン)

その排他の思想は、戦乱を逃れ、国を去らざるを得ない難民にも向けられる。難民の数が社会の均衡を揺るがす水準になったとき、排他の思想は攻撃的になる。かつて自分たちの先祖が、その地を占領植民地化して、どれほどの富を強奪したか、現在の自分たちがその恩恵にどれだけ預かっているか、そんなことには思いを馳せない。難民を受け入れようとするグループからの離脱を選び、あるいは排他を叫ぶ粗野な人物を大統領に選ぶ。



ウィーンのリング(環状道路)に沿った石造りの街区を歩いていると、この街生まれのシューベルトに出会うような思いになる。「野ばら」は日本でも親しまれているよ、と教えたい。聴力の悪化に悩み、髪かきむしるベートーベンがやって来たら、なんとか励ましてやりたいとも思う。しかし出会いたくない人物が一人いる。エゴン・シーレが学ぶウィーン美術アカデミーの入学試験に2年連続で落ち、怒りに青ざめるアドルフ・ヒトラーだ。

(映画「第3の男」の大観覧車)

ウィーンは建築も面白い。クンストハウスやカールスプラッツ駅舎、郵便貯金局、ゼツェスィオーンなどを見て回っていると、遠くの大観覧車に照明が灯った。第三の男・ハリーが暗闇から現れ、「ほらな、人間の本性なんて、いつの時代もこんなものさ」とニヤリと笑ったのは幻影か。大戦の惨禍を乗り越え、冷戦も克服して、一つのヨーロッパを目指そうとする理想はどこへ行くのか。世界は排他と憎悪に覆われつつある。(2016.12.21-25)



(シュテファン大聖堂)

(ベルヴェデーレ宮殿)





(ウィーン市庁舎)











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