黒潮町の入野海岸である。いい波が来るのだろう、サーファーが日の傾きを惜しんで繰り返し海に向かっていく。7年前にこの海岸で1泊し、とても気持ちがよかった。だから今度の二人旅も、この砂浜に立ち寄ろうと思った。砂浜は静かに広がり、松原は緑の城壁を延ばしている。風景は7年前と何も変わらないけれど、その後に発表された南海地震の被害想定で、ここには最大34.4mの津波が襲って来るとされた。そのことが変わった。
海辺のおばあさん二人に、持っているバケツを見せてもらう。小さなアサリのような貝が獲れている。貝の名前は聞いたが忘れた。波打ち際の砂に埋もれているのだそうで、みそ汁や吸い物にすると美味しいと、おばあさんは顔をほころばせる。「津波が心配ですねえ」と余計なことを言うと、「なぁにさぁ、すぐ逃げるさ」と大きな声が返って来た。「34mだよ、日本一だよ、一つくらい日本一があっていいよ」。虚勢であることは顔に出ている。
松原の内側にもう一つ、深い防風林があって、その雑木林の中に「大方あかつき館」が建っている。この地は合併前は大方町といって、作家・上林暁の故郷なのだ。緑に囲まれた広い空間に、建築家が好き放題にレイアウトしたように建つ白亜の3階建ては、いささか落ち着きに欠けるけれども悪くない。正面は壁面全体が幅広の階段になっていて、そのまま屋上へと繋がっている。津波の際の避難所として意識された設計なのだろうか。
町民図書館と暁文学館が併設されている。7年前とどこか違っているなと眼を凝らすと、建物の裏側に無骨な鉄柱を組み合わせたタワーが建っている。登ってみると10mほどの高さがあり、あかつき館の屋上と連結していて、ここだけでかなりの人数が避難できそうなスペースだ。国の被害想定が発表されて、急遽作られた施設かもしれない。最大潮位には届かないけれど、頑丈そうな構造は心強い。この平穏な風景が乱されないことを祈る。
7年前にこの砂浜で日の出を眺めていたら、お遍路さんに出会った。今回は大方町に入る前の、崖の上の展望台で行き会った。定年退職したばかりのような男性が「私は区切りです」と言った。前回、四万十町の岩本寺まで巡ったので、今度はその先を目指しているのだと言う。そうしたお遍路を「区切り」と言うらしい。次の38番札所・金剛福寺は足摺岬の突端にあって、94キロも先だ。この難所を3日かけて歩くのだと彼は言った。
四国を巡っていると、当たり前のようにお遍路さんを見かける。笠や白装束など、何らかの遍路衣装でそれと分かる。皆さんそれぞれに、想いを抱いてやって来ているのだろう。その数の何と多いことか。四国の遍路道をトボトボと歩くそれぞれの人生を思うと、私も「歩くか!」と衝き動かされるような気持ちになる。しかし札所の寺の、余りに俗っぽい佇まいを見ると、その想いはたちまち萎える。私が遍路することはないだろう。
大方漁港に近い公園で、大勢のお年寄りがパークゴルフに興じている。たとえ日本一の津波想定が発表されても、はいそれならばと故郷を立ち退くわけにはいかない。万一に備えた上で、生き生きと楽しい暮らしを維持することが肝要だ。パークゴルフの歓声を聞きながら、皆さん元気に生きている、と確認する。上林暁少年が橋を渡り、トンネルを潜って通学した中村街道は、広々と拡幅され、全国画一の看板で埋まっている。(2016.10.7-8)
海辺のおばあさん二人に、持っているバケツを見せてもらう。小さなアサリのような貝が獲れている。貝の名前は聞いたが忘れた。波打ち際の砂に埋もれているのだそうで、みそ汁や吸い物にすると美味しいと、おばあさんは顔をほころばせる。「津波が心配ですねえ」と余計なことを言うと、「なぁにさぁ、すぐ逃げるさ」と大きな声が返って来た。「34mだよ、日本一だよ、一つくらい日本一があっていいよ」。虚勢であることは顔に出ている。
松原の内側にもう一つ、深い防風林があって、その雑木林の中に「大方あかつき館」が建っている。この地は合併前は大方町といって、作家・上林暁の故郷なのだ。緑に囲まれた広い空間に、建築家が好き放題にレイアウトしたように建つ白亜の3階建ては、いささか落ち着きに欠けるけれども悪くない。正面は壁面全体が幅広の階段になっていて、そのまま屋上へと繋がっている。津波の際の避難所として意識された設計なのだろうか。
町民図書館と暁文学館が併設されている。7年前とどこか違っているなと眼を凝らすと、建物の裏側に無骨な鉄柱を組み合わせたタワーが建っている。登ってみると10mほどの高さがあり、あかつき館の屋上と連結していて、ここだけでかなりの人数が避難できそうなスペースだ。国の被害想定が発表されて、急遽作られた施設かもしれない。最大潮位には届かないけれど、頑丈そうな構造は心強い。この平穏な風景が乱されないことを祈る。
7年前にこの砂浜で日の出を眺めていたら、お遍路さんに出会った。今回は大方町に入る前の、崖の上の展望台で行き会った。定年退職したばかりのような男性が「私は区切りです」と言った。前回、四万十町の岩本寺まで巡ったので、今度はその先を目指しているのだと言う。そうしたお遍路を「区切り」と言うらしい。次の38番札所・金剛福寺は足摺岬の突端にあって、94キロも先だ。この難所を3日かけて歩くのだと彼は言った。
四国を巡っていると、当たり前のようにお遍路さんを見かける。笠や白装束など、何らかの遍路衣装でそれと分かる。皆さんそれぞれに、想いを抱いてやって来ているのだろう。その数の何と多いことか。四国の遍路道をトボトボと歩くそれぞれの人生を思うと、私も「歩くか!」と衝き動かされるような気持ちになる。しかし札所の寺の、余りに俗っぽい佇まいを見ると、その想いはたちまち萎える。私が遍路することはないだろう。
大方漁港に近い公園で、大勢のお年寄りがパークゴルフに興じている。たとえ日本一の津波想定が発表されても、はいそれならばと故郷を立ち退くわけにはいかない。万一に備えた上で、生き生きと楽しい暮らしを維持することが肝要だ。パークゴルフの歓声を聞きながら、皆さん元気に生きている、と確認する。上林暁少年が橋を渡り、トンネルを潜って通学した中村街道は、広々と拡幅され、全国画一の看板で埋まっている。(2016.10.7-8)
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