上越市の山中に、桑取(くわどり)という谷筋がある。かつて奈良の十津川郷のことを調べている折に手にした『秘境』(宮本常一編、昭和36年、有紀書房)という1冊に、全国24カ所の秘境の一つとして取り上げられていた。すっかり忘れていたのだが、出かけることになって「もしや」と古いメモを取り出し確認したら、やはりこの谷のことであった。しかしいまや秘境の面影は薄れ、むしろ桃源郷の佇まいである。
信越国境の妙高山系から日本海へ流れ落ちる越後七谷の一つで、一番奥の横畑集落にしても海岸から15キロしか奥まっていない。そこには近年流行りの温泉施設があって、「ゆったり村」などという看板を掲げているものだから、どう頑張ってももはや「秘境」とは言えない。ただ古い習俗がよく残されている土地で、鳥追いの行事で追い出す鳥は、朱鷺のことなのだという。
蛙の合唱が賑やか過ぎて眠りが浅かったのか、午前4時には目が覚めてしまった。季節は夏至。東の空は早くも白んで来ているようだ。もう少々、布団にしがみついて居たかったのだが、今度は鳥たちの競演である。音程が高い分だけ、蛙よりも目覚まし効果は強い。諦めて山里散歩に出た。驚くばかりの深い霧である。
村人は「霧が出ることはめったにないんだが」と、首をかしげる。前日出会ったおじいさんは、田の草取りをしながら「おかしい、おかしい」と呟いていた。今年の北陸は梅雨入りが遅く、田畑がすっかり干上がっているというのだ。
古老は「たたりじゃ!」とは言わなかったけれど、「温暖化だ!」とノタモウた。そして「予報は雨だといっとったに」と、私をじろりと睨む。ヘンな余所者が来たばかりに、雨雲がどこかに行ってしまったと言わんばかりだ。桑取川の水位が、今年は異様に低いようなのだ。
桑取の米は、水がいいから美味いというのが定評で、それに海も近いから、ここは自給自足ができる豊かな谷であった。それでも嫁(候補)を連れて来るのは5、6月ごろにするよう気を遣った土地である。誤って11月ごろに案内すると、ミゾレ交じりの悲惨な空と、来るべき冬の恐ろしげな雪の気配に、女たちはあわてて里に逃げ帰ったものだという。
「減反が始まりだった」と語る村人がいた。「もう米は作るなと言われて、町へ出て行く農家が増えた。村は荒れ、農家がお得意様だった町の商店も寂れていった」というのだ。確かに「あの家はあの店で」と、大きな買い物の際は、高田の繁華街「本町」に馴染みの店があったものだった。そうした地域の経済連環が崩れ、高田本町の賑わいは色あせた。村と街とはそうしたつながりにあるのだということを、ここまで来て知った。
谷筋の中ほどに、大砲か巨大な望遠鏡のような丸い筒が、山を突き破って黒い穴をのぞかせていた。北陸新幹線のトンネル工事だという。秘境と呼ばれた谷の空中を、新幹線が疾走していく。時代の変化とはそういうことなのだろうが、コトコト長閑に生きる里を、寸秒を競う世界に巻き込んでいくことが「進歩」だとも思えない。露天風呂で昼寝をしていたら、蟻に尻を噛まれて飛び起きた。(2008.6.21-22)
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