ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

THE FJ COMPANY 可視化した中南米のランドクルーザービジネス

2019年12月15日 | 北米ランクルビジネス

 FJカンパニーを出て頭の中を整理する為にキューバ人がやっているカフェに入った。

 ニューヨークに住むアメリカ人の友達は20年前の四駆に乗っている。彼は自身の車を修理整備する為に自宅の近くで腕のいい整備士を探し続けていた、彼は現在のアメリカでは古い車をきちんと修理整備出来るメカニックがいないとぼやいていたが最近いいメカニックを見つけたという。彼は中米のコスタリカから来た男で古い車を扱い慣れているという、彼が冬休みで国に帰郷する前に車を一度観てもらおうとしている。今度、そのメカニックを紹介してくれる予定。

 南米のエクアドルから来た青年は僕のランクルを見て喜び、直ぐに親しくなった。彼の父親は赤いディーゼルの40系ランドクルーザーを現在も生活の足として使用しており、周りにも古いランドクルーザーは現役で活躍している。

 南米のコロンビアではギネスブックで承認されている世界最大のトヨタパレードが行われた。

 フロリダのマイアミという場所は中南米のハブであるのでそこにFJカンパニーが拠点を持つ事は自然な事である。そしてFJカンパニーの存在を一つのランドクルーザーレストアーカンパニーとして捕らえるのではなくて、中南米全体のクラッシックランドクルーザービジネスとして捕らえて置く方が府に落ちる。FJカンパニーは丁度、砂時計の中心の場所を占める存在。FJカンパニーがアメリカにその基盤を築いた時、それは即ち砂時計を持ち上げてひっくり返した時。即ち流れは既に変わっているのである。FJカンパニーの存在によって今後コロンビアを初めとする中南米にランドクルーザーの関心が動くであろう。市場から消えた古い40や60のパーツ等も中南米に存在する可能性は高い。この様にFJカンパニーはランドクルーザーの関心を中南米に誘う功績をたてたのである。

 

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THE FJ COMPANY 南米 ボゴタ コロンビア

2019年12月15日 | 北米ランクルビジネス

 FJ カンパニーのショールムにランドクルーザーが置かれていないのは在庫が存在しないからです。僕はトヨタのプロダクションシステム(TPS) の Just-in-Time を思った。在庫が存在しない理由はFJ カンパニーでは細部に至っての完全オーダーメードの体制を貫いているからである。このショールームにはイメージを伝える為のアルバム写真があり顧客との詳細な打ち合わせが出来る体制を整えている。

 

 ラファエル君がショールームの奥のにあるドアを開けてそこにつながる車庫を見せてくれた。 そこには出来上がったばかりの1960年代中頃の40と1980年代の2台の40系ランドクルーザーがコロンビアから持ち込まれ顧客への納車を待っていた。

 

 ところでラファエル君、工場は何処にあるの? 南米コロンビアのボゴタだ。...正直驚いた! コロンビアと繋がりがある事は噂には聞いていたがそれは車両の調達だと思っていた。マイアミの郊外に工場を持っているものだと思っていたからである。アメリカにはテキサス州のダラス、コロラド州のアスペンにサービスセンターを持っており、カリフォルニア州のスコットバレィには販売とサービスの提携会社が存在する。FJカンパニーでは車両の検索、そしてレストレーションは全てボゴタの工場で行い、アメリカの25年ルールに従って正式に輸入され登録される。彼らの市場は世界であり、その為にまずアメリカで基盤を構築している。

 

 この写真は彼らのホームページから、ボゴタにあるFJカンパニーの工場の一部。 僕はマイアミにおいてこの光景を見る事を期待していた。FJカンパニーの存在はランドクルーザーの歴史(メーカーから観る歴史ではない)における一つの大きな動きを示唆している。その動きと理解を僕自身の見解から述べてみたいと思う。(続)

 

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