古来人間は空を眺め浮かぶ雲に何を思ったであろうか? 現在の空と古代の空は多少汚染度は異なるとは言え似たようなものであったであろう。しかし、同じ空という空間を眺めても地上に刺激が溢れている現在と古代では同じ空間を眺めていても捉え方は異なる。古代の人々も現代の我々が時々空に浮かぶ雲を眺めてやるように、動物や人の顔をそこに当てはめて観ていたののではないだろうか。そしてそれは、想像力を磨くと同時に秘かな楽しみではなかっただろうかと思う。そんな古代の人々の事を想いながらセドナの森を散策すると、この地上には意志が沢山ある事に気が付く。その意志を一番強く感じる対象は人の顔である。
多くの人々が通り過ぎる駐車場の隅にあるこの石が巨人の頭に見えてしまうのは自分だけであろうか?観る対象が刺激となり自身の閉じられた目が開き妄想的な感覚が刺激を受けるのである。
踏みつけられる石にも意志があるのであろう。
宇宙は広し、こんな顔した人類もいるか?も。
タイムマシーンで古代に行った、のびた君の化石らしい。
宇宙に存在する人種とはバラエティに営んでいます。
笑っているのか怒っているのか?或いは寝ているのか、不思議な横顔。
自然の声を聞くとはこんな冗談みたいな視点から始めるのがいいのではないだろうか? 自然の中に出かけるという事は規律がきちんと整った幾何学的な形の世界から脱線して自然界の別次元にも身を置く事である。空に浮かぶ雲や道上の石は観る人の意志によって様々に観える。多くの人は大人になるとこういった単純なものの見方を封印してしまう。その封印を解く様に勤めて行くと人は岩や植物、更に空に浮かぶ雲と話が出来る様になるのである。
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