写真はカリフォル二アのTLCによりレストアされ特別なペイントが施されたランドクルーザーFJ55。少年期をアフリカで過ごしたオーナーが当時を回想して、当時アフリカで使っていたFJ55をTLCの手を借りてに再現、製作した。
実際に野生のシマウマの模様を丁寧に観察してFJ55のボディに再現した作品である。
...
日本では販売台数の少なかったFJ55であるが、生産が終って30年以上の時間を経過した今日、アメリカの市場を静かに賑せているのである。
ランクルFJ55とはどの様なクルマなのであろうか?
ご存知であるとは思うが、おさらいを...。
以下、Wiki より、
55、56型(1967年4月-1980年7月)
乗用車ムードあふれるユニークなボディースタイル、4輪駆動車という特異な車であるにもかかわらず、乗用車を上回る安全性。 高出力エンジンと理想的な車両重量配分と抜群の高速性能、と当時の解説書にはある。
北米市場を強く意識したモデルでランドクルーザーシリーズとしては初めて、工業デザイナー(社内)によるスタイリングを採用している。
北米でムース(へら鹿)とあだ名されることとなったフロントまわりや大きくへこんだスライド式(電動、または手動の下降式)のリアウインドウなどそれまでの常識にとらわれない独特のスタイルとなった。
しかし現場経験の無い若手が担当したことから、パネル割りに不慣れな部分が多く、生産開始後もライン上でハンマーによる修正が必要となり、品質が安定するまでには多くの月日を要する結果となった。
北米の保安基準に適合させるため、インストゥルメントパネルは発泡ウレタンのパッドで覆われ、ステアリングホイール中央にも大型パッドが設けられた(その後40系と共通の小ぶりのものに変更)。
パワートレインは40系と全く同じで、125馬力のF型ガソリンエンジンと、オフセット式の2速トランスファーに、コラムシフトの3速M / Tが標準の組み合わせで、オプションでフロアシフトの3速と4速M / Tが選べた。ファイナルレシオ(デフの減速比)は3.700が標準とされた。3速M / Tは1速とリバースがノンシンクロであった。
その後、1969年にエンジン出力が130馬力に向上した。
- 1967年7月-FJ45V(初代・4ドア)の後継車として登場。バックドアはスライディングウインドウ(パワーまたはマニュアルの下降式)を持つテールゲート(下開き)とスイングアウトドア(観音開き)の二種類が設定された。
45(初代)で好評だった消防車用シャーシ(国内向け)も55ベースに代わった。 - 1972年4月-ステアリングギアをウオーム&ローラーからリサーキュレーテッドボール(ボールナット)に変更。
- 1973年2月-バックアップランプを大型化し、輝度も上げられた(安全対策)。
- 1973年9月-エンジンを無鉛仕様に変更(環境対策)。
- 1975年1月-排ガス対策に適合させるため、全モデルが4200cc、135psの2F型ガソリンエンジンに変更となり、3速M/Tが廃止された。エンジンの変更で、型式認定の都合上、国内のみ形式がFJ56Vとなった。又、フロントウインカーの形状が変更され、スモールランプも採用された。
- 1977年5月-フロントドアガラスとサッシの前側の角の形状をR付きに変更(安全対策)。
- 1977年9月-アウターリアビューミラー(バックミラー)が可倒式に、リアコンビネーションランプ(テールランプ)が縦長の大きなものになり、位置も低くされた(安全対策)。すでに60系の設計が始まっていたため、それに似た形状となった。
- 1979年4月-ロッカーアーム、プッシュロッドを軽量化、ロッカーアームカバーを鋼板プレスからアルミダイキャストに、フロントワイパーをシルバーからブラックに変更。
この改良は次期モデルの60系に2F型を引き続き搭載するにあたり、騒音対策の一つとして行われたもの。エンジン音が乗用車風になったため、旧来からのファンを嘆かせることになった。
北米以外の仕向け地についても、トヨタは55型にディーゼルエンジンを最後まで与えなかった。その点にこのモデルのポジショニングが良く表れている。
より実用的なモデルが必要な仕向け地には、H型ディーゼルエンジン搭載のHJ45(1967年~1980年 二代目FJ45と同じ、ホイールベース2950mmで2ドアのモデル)の各タイプが用意され、それを補っていた。
当初の予定どおり、
生産台数のほとんどが北米をはじめとする日本国外へ輸出された。
国内では業務用として多くの納入実績を誇ったが、高価であったこと、小型車枠を超えていたこと、ディーゼルエンジンが無かったことがネックであったと言われ、個人向けの販売は振るわなかった。
- まぼろしの50「系」
50「系」の開発計画は当初、ショートホイールベースの2ドアハードトップとロングホイールベースの4ドアステーション・ワゴンの二本立てであり、その時点では名実ともに50「系」であった。
2ドアモデルは1/10クレイモデルによるスタイリング検討まで行われており、このモデルが生産されていれば、FJ50型を名乗るはずであった。しかし、北米での販売が好調であったFJ40とのバッティングの可能性、販売価格、荒川車体の生産能力などを考慮した結果、2ドアモデルの計画は中止されることになった。
現在50番台の55、56型が50「系」ではなく、「型」と呼ばれる理由はここにある。
では、今日のランクルFJ55の 市場(アメリカ)を少し覗いてみると、
1972
1972
1976
1976
1977
1978
ここまではe-bay より、
1976
1969
1974
1973
1973
?
1971
1974
1973
1974
1973
この様に沢山のFJ55がプロジェクトを待っている。
美しくレストレーションされたFJ55は、今日のLC200とほぼ同額の値段で販売されている。部品の在庫状況や作業に掛かる手間と時間を考えたら、結果、誰も儲からないのかも知れない。と思ってしまう。
1977年ランドクルーザーFJ55
TLCによってオリジナルになるべく忠実に美しくレストレーションされたFJ55、
レストレーションの為の見本になるかな?
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