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" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

TLC Jonathan Ward その2

2021年08月19日 | 北米ランクルビジネス

 2006年にアメリカ市場で販売が始まったFJクルーザーの開発にTLCが協力参加したという事は事実である。FJクルーザーにはワード氏の意向が込められていると多くの人々が思っているのではないだろうか? 当時、TLCを率いるワード氏はトヨタの新しい四輪駆動車の開発の為にブラジルやカリフォルニアにあるトヨタ工場とかかわり、ブラジルで生産されていたBANDEIRANTEの外観をベースにした試作車を自身のコンセプトを盛り込んで製作した。 しかし、FJクルーザーが市場に出た時、結果としてTLCのコンセプトはFJクルーザーには反映されてはいなかったのである。即ち、TLCが手掛けた試作車は採用されず結果的にボツとなったのである。

 トヨタには3003年頃にはFJクルーザーの構想があり、それを暖めて製品にしたのが2006年に北米市場に現れたFJクルーザーであった。この時ワード氏は何を感じていたのであろうか? トヨタはなぜワード氏に試作車を依頼したのか?は想像の課題を与えてくれる。

 ワード氏はジープラングラーについてこんな事を語っている。ラングラーを例えるならば大型家具店のIKEAの商品の様な感じだ。しかし、ラングラーは唯一自身のブランドを強く守っている。確かに現行のラングラーJL、そして以前の、JK、TJ、を見てもそこにはジープというブランドのアイデンティティが存在し定着している。TLCのワード氏は自身のブランドICONに対して It something we believe in. (我々が信じているもの)という表現をしている。TLCが手掛ける車両はこのワード氏のブランドが反映されている。

 FJクルーザー開発の為にTLCワード氏が製作した試作車にもこのワード氏のブランドが反映していたはずである。トヨタが試作車を受け取った時に彼らは何を感じたのであろうか?機械的なデザイン的な点で評価した事は察しが付くが、その奥にあったブランドというメッセージこそが試作車の価値ではなかったと思っている。ワード氏は採用されようがされまいが、我々が信じているもの、を試作車という形にして残したのだ。

 


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