12月に入った。
今年最後の月。毎日天気予報を見て、晴れだ雨だ、暑いだの寒いだのと、そして時間を気にしながら、こよみ(暦)をめくり、いつもの言葉...人生@いう間だね。
...我が夫婦の会話である。
寒くなると、火が恋しいと感じる。
いつの日か、森の中の静かな小屋で薪を燃やしたいという憧れがある。
静かな炎の声を聞きたい...直火を見つめながら。
ある詩人がこんな事を言った。昔は陽が沈むと火を炊いた、その火の回りに家族や人々が集まり時間を過ごしたものだ。その火は意識するしないに関係なくちらちらと燃え熱と不規則な光を放した。そこで人々はその火が有る事に安心し眠りに就く...。
そして現在その火の役目を果たしているのはテレビであるかもしれないと。
観る観ないよりも不規則な光を部屋の片隅で放つ事でちょっとした刺激、安心感があるのかも知れない。家庭から火が消えて今は電気が生活を支配する。
夜(日が落ちると)、人々は火を眺めたい。
今は家に帰ってくるとテレビのスイッチを入れる、或いはパソコンか?
電球の玉も白熱ではなくなった。我々の周りから火が消えつつあるのかな?
だからだろうか、よけいに火が恋しいと思うのは。
寒い夜には特に明かり(火)を恋しく思う。
ニューヨークのロックフェラーセンター、恒例のクリスマスツリー
これは寒乾の街の中に燃える炎であると感じた。
やはり炎の下に人々は集まるようだ。