職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

種市ステラマリン廃業、ふるさと物産館はなます亭戸締り。アグリパーク大沢で温泉、つるや別館煉瓦亭で食事

2009-10-18 09:03:34 | Weblog


◆種市のステラマリンが、結構、気に入っていた(*^_^*)。

 海岸線ぎりぎりにたっているので、大浴場から、太平洋が180度見渡せる。
 それから(やや失礼な言い方になるかもしれないが)ここでこんなにしっかりした料理が……と感じるくらい、コック長の腕がいい。
 ま、それから、わたしの趣味だが、館内に柳田国男記念スペースがあり、庭にはJR八戸線で使われていた腕木式信号機が展示されている。

 ところが、だいぶ前から、経営者が代わったようだとか、廃業したようだとかという情報が入っていた。
 たしかにインターネットでは、最新の情報が、まったく入らない。
 電話も通じない。

 廃業だとしても、それを自分の目で確かめたい。
 もし、やっていればラッキーだし、やっていなかったら、近くの種市ふるさと物産館の2階にある、はなます亭で、海の幸がいっぱいの定食でも食べてよう……ということで出かけた。

◆結果として、画像のようにステラマリンは廃業。
 また、種市ふるさと物産館は、廃業か、時期があるのかわからないが、シャッターが降りていた。
 2つともダメだったのだ。
 不思議に、こういうハメに陥るのが、わたしの人生だ(>_<)。


 アグリパーク大沢でヘルストン温泉に入り、帰路、つるや別館・煉瓦亭で、すごいボリュームのランチを食べて帰宅する。

 なお、取り残されている腕木式信号機が気にかかる。
 なんとか新しい保存方法を検討してほしい。



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「銭形平次」はあきらめて、「囲碁・将棋の観戦記」に徹すればいいのではないか

2009-10-16 12:15:47 | Weblog

◆みなみ退場後、6ヶ月が過ぎて、やっと、みなみでの「悔い」と向かい合おうという心境になってきた。
 まだ、正対できていない。
 整理もできていない。
 しかし、正対し、整理してから記述するというのではなく、記述しながら、正対・整理に近づけていこうと思っている。

 大きな悔いが3つある。

 その1つが、「通信」発行に関する悔いだ。
 教職員対象の「職員室通信」と地域・保護者対象の「すこやかみなみネット通信」とを合わせて、年間、50号くらいしか発行できなかった。
 特に2008年度は、38号しか発行できていない。
 ま、これは、最後の年ということで、これまで不十分だったものを、一気に挽回しようとして、エンジンを噴かせ過ぎ、空中分解してしまったからだが……。

 「通信」発行不振のいちばんの原因は、「山田京教諭の道徳 ~目線を生徒ひとりに0.1秒ずつ止めている~ ~「エート」が1回は驚異的!~ ~青い山脈型授業からの脱却を~」のような、具体的な授業、あるいは、模擬授業を扱った「通信」が思うように発行できなかったことだ。

◆授業を扱った「通信」について、わたしは2つのイメージを持っている。
 1つは、「囲碁・将棋の観戦記」だ。

 たとえば、

 〈第22期女流名人戦】リーグ戦第3局 2009.10.11 09:53〉


 黒 三段 向井千瑛
 白 六段 加藤啓子
 【1~100】持ち時間各3時間
 先番(黒)6目半コミ出し
 ≪加藤のあせり…さらに形勢が悪化≫
 対局開始を告げるブザーが鳴り、加藤啓子六段が白石を一瞬握りそうになったが、すぐ気が付いて苦笑する。
 実はリーグ戦の申し合わせ事項に「抽選により黒白を決める。
 対局時の座席は、段位その他に関係なく白番上座とする」とあり、あらかじめ向井千瑛三段の黒番と決まっていたのだ。

 加藤は前期、序列1位のポールポジションでスタート。
 第4ラウンドまで3勝1敗とし、ゴールが見えた。
 しかし、残り2局で1勝すれば挑戦者という絶好のチャンスをついにものにできなかった。

 一方の向井は、前期いきなり3連敗を喫し、後半奮起して3連勝で五分の星に戻したものの、リーグ陥落の憂き目にあった。しかし、今期の最終予選では桑原陽子五段、万波奈穂二段を連破し、見事に復帰を果たした。(後略)

 だから、「囲碁・将棋の観戦記」をイメージにした「通信」の対象は、同僚ないしは同業者(教師)ということになる。

 もう1つのイメージは、野村胡堂原作の「銭形平次」だ。
 大川橋蔵演じる、いわゆる「橋蔵平次」は、一話完結で888回の番組が作られ、放映されている。

 すなわち、このイメージの背後には、教育関係の同僚や同業者にとって価値があるだけでなく、一般の人々にとっても価値がある「通信」にしたいという気持ちがあった。

 銭形平次が、「親分、てって、てぇへんだァ!」からスタートし、ラストに「銭が飛ぶ」の型(パターン)に嵌めて、パンパンと押し出すように、「始まりのチャイム」からスタートし、「終わりのあいさつで終わる」の型に嵌めて、バンバンと発行する。
 毎週毎週、場末の小劇場の座付作者がせっせと書き続けるように、一般の人々を対象に、教室の片隅でせっせと書きつづける。
 この感じに、ずっとあこがれていたのだ。

◆しかし、銭形平次のイメージは、わたしにはむずかしかった。
 「囲碁・将棋の観戦記」を「銭形平次」に高める能力と時間がなかった。

 「そうであるならば……」と、ある日、ふと思った。
 「銭形平次」はあきらめて、「囲碁・将棋の観戦記」に徹すればいいのではないか。
 「囲碁・将棋の観戦記」をバンバン書きつづけ、力をつけて、やがて「銭形平次」が書けるようになればいいのではないか。

 このように決意したのが、みなみ退場の1ヵ月前だった。

 これが、09/03/06発行の『折原Tの授業 ~教室に満ちる「品」~』だ。

◆なお、作成したが発行していない「通信」、あるいは、発行したがWEBにアップしていない「通信」がある。
 次の通りだ。

・09/02/26職員室通信№24 ~練習曲線を信じ、遅々たる歩みに耐えて~
・08/12/26職員室通信№23 ~案・平成21年度の経営の重点~
・08/11/26職員室通信№22 ~かまう「量」だと みなみ中の教職員は日本一~
・08/11/06職員室通信№21 ~調査書作成委員会指示事項~
・08/10/27職員室通信№20 ~図書室サポータークラブ結成~
・08/09/24職員室通信№19 ~新学習指導要領と指導力5原則~
・08/08/21職員室通信№18 ~生徒をタイプ別にとらえて的確な指導を~
・08/07/11職員室通信№17 ~震度5 非常配備~
・08/07/11職員室通信№16 ~3者面談のポイントはここだ~
・08/06/25職員室通信№15 ~わたしの夢を3つ~
・08/06/25職員室通信№14 ~教職員の学社コーディネーター機能~
・08/06/12職員室通信№13 ~武井実習生は黒板に向かって語らない~
・08/05/29職員室通信№12 ~すこやかみなみネット・メモ~
・08/05/29職員室通信№11 ~宮重Tの授業~
・08/05/28職員室通信№10 ~須藤Tの模擬授業~
・08/05/27職員室通信№9 ~佐藤公一Tの模擬授業~
・08/05/26職員室通信№8 ~人材育成・評価制度~

 順次、Remakeしてアップする予定だ。

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けさは、FMのボリュームをしぼり、モルター「序曲ハ短調」などを聴きながら、産経サイトを閲覧

2009-10-16 08:46:42 | Weblog


◆9月末日で、新聞の定期購読をやめて、10月からは、いろいろな方法を試みている。

 まず、初旬は、早朝、近くにあるコンビニまで、男桐下駄、鞍馬天狗歩きで、新聞を買いにいった。
 立ち読みというわけにはいかないので、トップ見出しを、す~ッと見みくらべ、気に入ったものを1、2紙、購入。
 「産経」を購入することが多かった。
 コンビニは、根城城址・桜木町線沿いの2軒、ゆりの木通りの1軒から、その日の気分で選んでいた。
 途中で、犬の散歩中の河村大輔Tに会ったことがある。

 中旬は、インターネットで各新聞社のサイトを閲覧している。
 これまでも速報のチェックや、記事のコピーにサイトを活用していたが、ま、今回、サイトオンリーに切り換えたわけだ。

 東奥日報やデーリー東北のサイトは、新聞のダイジェスト版という感じで、ほとんど役に立たないが、読売や産経は、かなり充実している。
 産経については、ホンモノより充実しているかもしれない。

◆けさは、FMのボリュームをしぼり、モルター「序曲 ハ短調」やグラウプナー「序曲 変ロ長調」などを聴きながら、産経サイトの「事件」「政治」「経済・IT」「国際」「スポーツ」「エンタメ」「生活」「文化」「化学」「新商品」「地方」「人事」「訃報」「コラム・オピニオン」……と、項目ごとに閲覧。

 男桐下駄、カランコロン、鞍馬天狗歩きで、コンビニに新聞を買いにいくのもいいが、こちらもスゴク快適だ。
 しかも、無料だ。

 読売のサイトには「教育」という項目があるが、産経のサイトには見あたらない。
 さがしてみると、「生活」の項目のなかに「教育」「福祉」「からだ」「環境」「トレンド・話題」「暮らし・余暇」「写真」とある。
 この点は、慣れが必要だ。


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20数年前の闇が割れ、ロボットが忽然と現れ出てきたという感じ

2009-10-15 12:23:24 | Weblog


◆古書店・DAKAの第3期「残がい・屑モノ大処分」(9月下旬実施)のとき、このロボットが出てきた。
 光太郎のおもちゃだ。
 汚れがこびりついているが、電池を取り替え、スイッチを入れると、頭部のランプが点滅し、ガーガー、カチカチと音を鳴らしながら、動きはじめた。
 音がなつかしい。
 動きが力強い。
 20数年前の闇が割れ、忽然と現れ出てきたという感じだ。
 ま、一般的には「20数年前の闇……」だが、わたしにとっては、例の「地図」の中からやってきたロボットだ。

 ・〈地図の中〉・


 昼前、子供たちと、また水源地公園に行く。
 昨晩、「あす、雪だるまがどうなったか、見にいこう」と約束してあったからだ。
 あたたかい日が、きのう、きょうとつづき、雪は溶け、道がぬかるんでいる。
 僕が胴体をつくり、千早が頭部をつくった雪だるま……、これは頭がなくなっていた。
 そばに小さな雪玉が転がっていた。
 僕「これが頭かな……?」
 千早「そうかなぁ……?」
 光太郎「頭だぁ!」
 両のてのひらに載るくらいに小さくなっている。
 千早が頭を胴の上に置いた。
 これは、しかし、「ベンチのそば」という目印があったからわかったが、崖を転がり落ちた、光太郎の雪だるまはどうだろう。
 走り出した光太郎のあとを、僕と千早が追いかける。
 崖も雪が溶けている。
 位置関係がはっきりしない。
 崖がなだらかになったところに、小さな雪の塊があった。
 僕「これかな?」
 光太郎「……」
 キョロキョロしていた光太郎が、もっと下のほうの木の陰に、ひと抱えほどの雪の塊をみつけた。
 光太郎「あったぁ!」
 僕が「これかな?」といったのは、崖を転がるときに割れた一部だった。
 公園から帰るとき、鬼ごっこをした。
 僕が鬼になる。

 夕方、七福食堂へ行く。
 休業日かどうか心配だったが、店の灯りをみて、安心する。
 コンクリート池の魚の動きが素早い。
 千早が「ちびっこ膳B」(焼肉・焚き合わせ……)、光太郎が「ちびっこ膳A」(チキンライス ・ ソーセージ……)、僕らは、鯛めし。

 少し焦り、少し落胆している。
 「教師」としては、「出会い」にはめぐまれていたのに……。
 一中の○○氏、根岸の○○氏、根城の○○氏、大館の○○氏等々……。(「地図の中」引用 以上)


◆「地図の中」と断りつつ、地図の外の苦しみを吐露してしまっている^^;^^;。


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ホンネ。わたし以外に、もう1人、このページをクリックしてくれる人があれば、もう、それで、十分なのだ

2009-10-15 08:55:38 | Weblog


◆HPから、このカウンターを撤去した。
 3ヵ月ほどの使用だった。

 みなみ在職中の5年間に使用したカウンターが、運営元のサービス停止にともない、ある日、消えた。
 みなみ退場とほぼ同時に消えるところが、なかなかスマートだなと思った。

 それで、新しく採用したのが、このカウンターだった。
 ネットサーフィンして、見つけ出した。
 1週間の日別カウント数が、(マウスをあてると)HP上に表示できるところが、みなみ在職中のカウンターとそっくりだった。
 解析機能はない。
 これも同じだ。
 1つ難点があったのだが、目をつむって採用した。

◆カウントの仕方は、みなみ在職中のカウンターより、正確だった。
 日別表示機能もすばらしい。
 でも、徐々に当初の難点が、気になりはじめた。
 とにかく重い(表示に時間がかかる)のだ。
 HPというのは、いろいろなデータで構成されている。
 場合によっては、データがアップされているサーバーが違うということもある。
 だから、全部のデータが出そろい、完全な画面になるのに、時間がかかる。
 いちばん時間がかかるのが、このカウンターだ。
 カウンターの重さにひっかかって、画面が表示できない。
 もう、どうにもガマンできなくなった。

 カウンターがいちばん重くてどうする。
 カウンターがHPの錘(アンカー)になってどうする。

 さらば、FC2カウンター。

◆以後、もうカウンターは設置しない。
 代わるものとして、コンテンツの1つである「600字の教育学ブログ(goo)」にあるカウンターを、このHP全体のカウンターとすることにした。

 昨日、過去のカウンター値を集計して、トータルアクセス数(トータル閲覧数=PV)を設定した。

 ・ふたりっ子はん深夜特急=237768(2000年~2003年)
 ・HP600字の教育学=400000(2004年~2009年5月)
 ・みなみ退場後の600字の教育学gooブログ=64520(2009/5~)

 合計=702288

◆こういう数値をみると、ありきたりだが、ついつい、いろいろ考えてしまう。
 「いろいろ」から、主なものを3点。

(1)足かけ10年で700000というと、まあまあ……と思うが、1日10000ヒットのブログだと、たった2ヵ月分だ(>_<)。

(2)しかし、10年間のあいだに、クリックしてくださった、おひとりおひとり(未知の人・知人・保護者・同僚・地域の人々……)のことを想うと、宝物のような数値だ(*^_^*)。

(3)1000000到達は、今のペースでいけば、2011年の年の暮れか、2012年の年の初めだ。
 そこまで生きているか?
 もし、生きているとすれば、どんな「仕事」ができているか?

◆ホンネ。
 わたしの「通信」あるいはHPの原点は、生徒ひとりひとりの「家庭学習記録ノート」へのコメント、あるいは、大切な人に宛てた手紙&はがきだ。

 だから、わたし以外に、もう1人、このページをクリックしてくれる人があれば、もう、それで、十分なのだ。


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おお!!! 平野日出夫先生

2009-10-14 09:39:02 | Weblog

◆国語が、大の、大の、苦手という、わたしのために、夏休み・国語特訓教室を開設してくれた恩師・平野日出夫先生のことを記述していたら、今、先生は、どうしていらっしゃるのだろうか?と、気になりはじめた。
 先生には、ずっとお会いしていない。
 会えば「小高君、君は、いったい、なにをやってんねん」と叱られそうな気がしたからだ。

 以前(もう、かなり以前)、ネット検索をかけたら、あちこちの予備校で講師をしていらっしゃった。
 ある予備校のHPには、あふれる笑顔の先生がアップされていた。
 府立高校を定年退職されて予備校の講師になられたのか、あるいは、途中で退職されのかはわからない。
 たぶん後者ではないかという気がする。

 HPを見つけたとき、大阪に行き、こっそり教室をのぞいてみようか……と思ったが、チャンスを逸してしまった。

 けさ方、ひさしぶりにネット検索。
 もう、ご高齢だから……と、検索にひっかかることは、あまり期待していなかったのだが、あった。

〈医歯大専門予備校インテル〉
 全国の予備校・有名塾から講師が集結しました!
 ○現代文・小論文
 平野日出夫
 「国語は勉強しても仕方ないなんて言うやつはかかってきなさい。びっくりするくらいの国語力と得点力を身につけてあげますよ。」

 おお!(*^_^*)

 予備校の場所は、滋賀県大津市だ。
 本校へのアクセスという欄に「大阪からJRで40分・京都からJRでわずか9分足らずの距離にありながら、閑静なたたずまいと澄んだ空気につつまれている大津」とある。

 大阪から新快速に乗って通っていらっしゃるのだろう。


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 待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! →
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わたしの高3の国語・教科書。運命的な出会いとなる『青光館哀史』(柳田国男)が掲載されている。

2009-10-13 08:55:26 | Weblog


◆わたしの高3の国語・教科書だ。
 運命的な出会いとなる『青光館哀史』(柳田国男)が掲載されている。
 高1、高2の分も、ある。
 高2には『富岳百景』(太宰治)が掲載されている。
 この3冊は、古書店・DAKAの宝物だ。

 わたしは、理系進学クラスに在籍していたが、高2の途中から、文系・国立大志望にチェンジ。(高2→高3でのコース変更は認められなかったので、「受験勉強」的には、かなりの負荷に。)

 チェンジのきっかけは、今となっては、もうはっきりとは思い出せない。
 国語で苦戦するわたしをみかねた恩師・平野日出夫Tが、夏休みに開いてくれた国語大特訓教室が、近因のひとつといえるかもしれない。

〈長門峡に、水は流れてありにけり。
 寒い寒い日なりき。

 われは料亭にありぬ。
 酒汲みてありぬ。

 われのほかに別に、
 客とてもなかりけり。

 水は恰も魂あるものの如く、
 流れ流れてありにけり。

 やがても密柑の如き夕陽、
 欄干にこぼれたり。

 あゝ!――そのやうな時もありき、
 寒い寒い 日なりき。〉

 特訓スタート時には、中原中也の詩句が、スルスルと自分の外部を滑っていった。
 しかし、終盤には突き刺さるようになった。

 そのわたしが、国語教師になるのだから、教育というのは、ダイナミックなものである。
 と同時に、ちょっと恐いものだなとも思う。

 なお、『富岳百景』も遠因のひとつ(かもしれない^^;)。

◆9月の終わりに、古書店・DAKAの第3期「残がい・屑モノ大処分」をした。
 そのときに、高3の「DIARY」が見つかった。
 日付11/30に、国語の授業が登場している。

〈きょうの国語の授業は、「文学における人間性について」がテーマだった。
 途中から、古文読解のほうは、どこかへ吹っ飛んでいってしまう。
 ずっと西鶴の話。
 熱っぽく、「西鶴の文学に登場する人物は決して死によって事を解決しない」云々……。
 芭蕉も登場した。
 しかし、「芭蕉の文学は後ろ向きの文学である。」
 芭蕉に関しては、これだけだった。
 それゆえに、妙に強調されて頭に残った。
 去年の冬、自分が書いた「芭蕉~人間疎外~」という文章を思い出す。
 カトリック教会へ行く途中、バスの中から、デモ行進を見る。
 デモのすぐ隣でやっている署名活動のスピーカーとまじりあって、よくわからなかったが、切れ切れに「インターン……!」の声が聞こえた。
 両脇を固める警官。
 バスを待つ大阪の人々……。
 見ているうちに、ああ、何としても大阪を去りたくない……と思ったしまった。
 いや、大阪だけではない。
 京都・奈良を含めた「関西」という場所から去りたくない。
 こんな気持ちにさせたのは、阪神敏之(註・友人)かもしれない。
 あるいは、きょうの西鶴の話かもしれない。
 弟かもしれない。
 いや、弟も阪神も西鶴も、単なる触媒であって、やはり、この「僕」そのものが先に「関西」を離れたくないと思っているのかもしれない。
 何のせいか?
 内なる僕の声か?
 その両方か?
 とにかく「大阪」にいたい。
 早く眠ろう。……〉

 西鶴の話は、はっきりと覚えている。
 授業のあと、しばらくしてから、近くにある墓(大阪・中央区)を訪れた。
 デモのことも記憶にある。
 「大阪」への気持ちは、元々、日本の南端か、北端の地方都市へという気持ちが根底にあり、一時期、その否定として、こういうカタチになったのだろう?
 大阪か?
 地方都市か?
 あるいは、文学か?
 哲学か?
 神学か?
 教育学か?
 毎日、逆立ちしているように、激しく揺れ動いた時期だ。 


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未だ出会っていない、本来の自己を求めて、現在というラッキョウの皮をむいてもむいても、もう「何もない」

2009-10-12 11:10:09 | Weblog

★早朝(午前6時前)、はなむけ号で、根城城址・桜木町線沿いのコンビニまで産経新聞を買いにいく。空気が冷たくて、手がかじかむ。


◆散歩に関して(犬の散歩ではなくて、人間の散歩……)、見解のまったく異なる、2つの「散歩論」に、連続して接する機会があった。

 1つは、コースは、どんどん、新しく変えるべき。
 もう1つは、コースは、一定の、同じコースを、継続すべき。
 それぞれ、これまでの、ご自身の、体験の、積み重ねから導き出された、哲理であろうと思う。

 自分自身のこれまでの散歩(はなむけ号爆走を含む)をふりかえると、わたしは、2つの「哲理」を、適宜、切り換えている。

 朝日に向かって、(あるいは、夕陽に向かってでもいい……)、突き進んでいって、その果てに「本来の自分」があると思っているとき、あるいは、そう思いたいと思っているとき、わたしは、ジャンジャン、未知のコースを開拓している。

 その反対。
 もう、それ(=未だ出会っていない本来の自己)はないよ。
 未だ出会っていない、本来の自己を求めて……というような、むなしいものを追い求め、現在というラッキョウの皮(=今、わたしを取りかこんでいる、あるいは、支えている諸事象&人々)をむいてもむいても、先には、もう「何ひとつないんだよ」ということが画然としている……というような心境のときは、毎日、毎日、一定の、同じコースを歩きつづける。(←クドイ文^^;)

 2004/11に、諦念、諦観とは異なる「前進しない宣言」をして以来、わたしは、ずっと後者である。

 補足。
 正確には、一定の同じコースが、わたしには、いくつかある。
(1)ネットメロン編み目コース
(2)根城城址・桜木町線コース
(3)十三日町・三日町・朔日町等、中心街グルグルコース

 「散歩」については、なにかいろいろ言いたりないという気持ちが残っているが、また、今度、つづきを書きたい。 


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落合「日本シリーズで会いましょう」野村「ムリだよ^^;」落合「だいじょうぶですよ(*^_^*)」

2009-10-12 11:04:33 | Weblog


★交流戦で、負けつづけ、6連敗中の楽天・野村監督に、中日・落合監督が声をかける。

 落合「日本シリーズで会いましょう」
 野村「ムリだよ^^;)^^;」
 落合「だいじょうぶですよ(*^_^*)」

 今年のプロ野球で、わたしの心に、もっとも強く刻まれているシーンだ。
 落合は「だいじょうぶですよ」と言い切っている。
 まず、自分は絶対に日本シリーズに出るという自信。
 くわえて、野村監督も必ず出るという確信。
 こういう2人の関係が、ステキだし、また海千山千の落合らしいところだ。

 ここから生まれたわたしの妄想(8月の時点)。
 「なんとかライオンズの上をいき、3位にくいこんでほしい。そして、クライマックスシリーズで、2位ダイエーに勝ち、1位東映にも勝って、日本シリーズで、落合・中日に4勝3敗で勝って、優勝したらええやろなぁぁ~」

 この時点では、わたしのような野村びいきの人間でも、楽天・2位というのは、想定外だったのだ。
 ホンマ、終盤、怒濤の驀進だった。

 「楽天・野村監督退任へ 『名誉監督』就任の返答は保留」
 「<楽天>『大物監督』扱いにくく…野村監督に退任通告」
 「野村監督 非情通告に怒り露わ」「野村監督 やっぱり“解任”!ケンカ別れへ」……

 新聞には、こういう見出しが飛び交っている。
 日頃、間近で野村監督を見ているスポーツ記者たちが書くのだから、監督の胸中と大ハズレということはないだろうが、ほんとうの心のうちは、どうなのだろうか??
 希望をいえば、それはそれとして、南海・野村監督には、対落合・中日戦に向け、完璧無為の精神で臨み、21世紀の名人戦7番勝負を期待したい。
 頼んまっせぇ~。

 ところで、わたしには、もうひとつの妄想がある。
 念のために、またまたコピーする。
 〈妄想〉
 第1段階 衆院選 自民VS.民主。自民大敗。
 第2段階 自公連立解消。
 第3段階 安倍晋三復活。
 第4段階 安倍自民と民主右派(民主右派に期待するのはアンポンタンという声もあるが……)連立政権。もちろん、自動的に民主が分裂し、いわゆる政界再編。

 これは第3段階でつっかかってしまった。
 安倍晋三氏には、〈今回の自民党総裁選、私は西村康稔議員を支持します。私が重視するのは外交、安保、教育政策ですが、彼は私が進めた主張する外交路線の支持者であります。私が幹事長代理のとき、インドを訪問した際、同行し、日印グローバルパートナーシップ関係の基礎作りを手伝ってくれました。この訪問は総理時代の日、印、豪、米関係の関係の緊密化、価値観外交の展開につながってゆきました。教育についても教育再生推進派であり、また外国人地方参政権、危険な人権擁護法案、夫婦別姓等には反対を表明しており、しっかりとした保守派の候補です。河野氏には党改革へむけた突破力も期待できますが、保守の理念のはっきりした西村氏に投票する事にいたしました。〉と、スルッとかわされてしまった^^;^^;。
 もう少し推移を見守ることにする^^;^^;。 


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午前中、2年前に死んだレオンの小屋を撤去する

2009-10-10 15:38:10 | Weblog


◆午前中、2年前に死んだレオンの小屋を撤去する。

 ゴールデンレトリーバー。
 1995/5/9生、2007/6/13没(老衰)。

 画像は、2004/9。
 死ぬ直前まで、おしっこもウンコも自分のトイレにしていた。
 ホンマ、立派なヤツやった(T_T)。
 レオンの両親は、あちこちのコンテストで優勝していたらしい。

◆この画像の頃は、元気だった。
 しかし、次の年、すなわち2005年になると、だんだん弱りはじめる。
 2005年08月27日(土)のDIARYに次のような記述がある。
 「レオンと暮らすようになって10年になる。すっかり老犬になった。散歩も、前半は元気で立派な盲導犬のようにわたしのやや前を歩いているが、後半になるとペースダウンしてあとからトボトボとついてくる。1日1回、レオンが喜ぶようなことをしてやりたいと思うが、なかなかできない。」
 これを転記しているうちにも、涙がでてくる。

◆「レオンが住んでいた家を壊すなんて、とてもできない……」と、ずっとそのままにしてあったのだが、昨晩、中川昭一元財務相葬儀のニュースをみていて、突然、小屋の撤去を決断。

 跡地およびレオンが占有していたエリアは、畑にするつもりだ。
 レオン畑。
 何を栽培するかは、熟慮の上、決定したい。


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失われた時を求めて、あるいは、静かに進行しつつ、ある時、ドドーンと新しい原理に至るストーリーを求めて

2009-10-09 12:23:57 | Weblog


★この陸中八木駅のこと初めて知ったのは、高校3年の時だ。国語の教材「青光館哀史」(柳田国男)の冒頭に登場する。「鮫の港に軍艦が入ってきて混雑しているので泊まるのがいやになったという、ほとんど偶然に近い事情から、なんということなしに陸中八木の終点駅まで来てしまった。駅を出てすぐ前のわずかな丘を1つ越えてみると、その南の坂の下がまさにその小子内の村であった。」
 わたしが直接、ここを訪れるのは、「青光館哀史」を読んでから45年後、柳田が記述してから80年後だ。


◆「DAKA古書店」怒濤のぶち抜き生放送が1つの作品として成り立たつための「リクエスト」、かつ、作品のストーリーになるべく「リクエスト」は、もちろん、自分でやるしかない。

 自分で、どのように「リクエスト」するのか?

 1つヒントが、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』だ。
 第1篇「スワン家のほうへ」で、中心人物の「わたし」がマドレーヌを紅茶に浸して口にした途端、まるでページを繰るように過去の自分が一気によみがえるという有名な場面がある。

 いわゆる「プルースト現象」(プルースト効果)だ。

 「DAKA古書店・怒濤のぶち抜き生放送」と「プルースト現象」については、まだ「ヒントになる……」という程度で、多くを語ることはできない。

 「怒濤のぶち抜き生放送」をやりながら、あるいは、先日書いた「繊細な筋肉の動きを積み重ねて」いきながら、21世紀型「プルースト現象」を、わたしが開拓していくしかないのだと考えている。

 失われた時を求めて、あるいは、静かに、静かに進行しつつ、ある時、ドドーンと、新しい原理に至るストーリーを求めて。


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「DAKA古書店」怒濤のぶち抜き生放送にとっての「リクエスト」とは、いったい、何か?

2009-10-09 11:35:44 | Weblog

◆ここで、記述を、きょうの冒頭の「わたしのホームページないしはブログの欠点」に、もどる。
(1)現実の存在の仕方に即した、時空間が入り乱れた、重層的な記述ができていない。
(2)ストーリーがない。

 この2つの欠点のうち、(1)のヒントになるのが……。
 先日の、NHK・FM「今日は一日“浜松アーカイブス”三昧 ~軽音楽編~」だ。
 NHK浜松支局から中継・生放送で、途中、ニュース・天気予報・交通情報を挟みながら、昼の00:15~夜の10:45まで、怒濤の10時間、ぶち抜き放送だった。

◆「今日は一日“浜松アーカイブス”三昧」のコンセプトは、次の通り。

 SP,EP,LPなど、アナログレコードを聴きまくる2日間!
 NHK浜松支局には、戦前に発売された各種SPからLP、EPまで、実に約34万枚のレコードが保管されている。
 今では一般には聞くことのできないものも相当数ある。
 若い方たちには「見たこともない」と言われることもしばしばの、あの黒い円盤に針を乗せて……という行為から紡ぎ出される音楽の何とも言えない温かさ。
 34万枚の中から皆さんが聴きたい曲を探し出すのは、至難の業。
 スタッフが総力をあげて探検隊となり、リクエストにもどんどんお応えしていく……というもの。

 この「浜松音楽ライブラリー」を「DAKA古書店」に置き換えれば、(1)時空間が入り乱れた、重層的な記述……が、可能になるのではないかと考えている。

◆ただ、NHK・FM「今日は一日“浜松アーカイブス”三昧 ~軽音楽編~」怒濤の10時間ぶち抜き放送と同じように、「DAKA古書店」怒濤のぶち抜き生放送をやればいいのかというと、もちろん、そうではない。

 2つには、大きな違いがある。

 「今日は一日“浜松アーカイブス”三昧」が、番組(ひとつの作品)として成り立っているのは、「リクエストにどんどんお応えしていく」という枠組みがあるからだ。
 決して、浜松支局が、好き勝手にレコードをかけているわけではない。

 だから、問題は、「DAKA古書店」怒濤のぶち抜き生放送にとっての「リクエスト」、あるいは、「DAKA古書店」怒濤のぶち抜き生放送が1つの作品として成り立たつための「リクエスト」とは、いったい、何か?ということだ。

 さらにいえば、この「リクエスト」が、「今日は一日“浜松アーカイブス”三昧」の「ストーリー」になっている。
 すなわち、この問題を解くことによって、「わたしのホームページないしはブログの欠点」である(2)「ストーリーがない」という課題も解決することになるのだ。


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夜来の台風が残した霧雨の中をコンビニまで、男桐下駄、鞍馬天狗歩きで、新聞を買いにいく

2009-10-09 10:23:49 | Weblog

◆午前6時前、夜来の台風が残した霧雨の中を、根城城址・桜木町線沿いにあるコンビニまで、男桐下駄、鞍馬天狗歩きで、新聞を買いにいく。
 前にも書いたとおり、9月いっぱいで新聞の定期購読をやめた。
 毎朝、コンビニで(立ち読みというわけにはいかないので)す~ッとトップ見出しをみくらべ、気に入ったものを1、2紙、購入している。

 けさは、「産経」を購入。

 石橋文登記者の「追悼・中川昭一氏 ~見果てぬ『青嵐会』の夢」
〈(前略)中川氏に政治家の執念を見たことがある。
 4年前のことだ。
 国会近くの事務所で一緒にビールを飲んでいると「これを見てくれよ」と古びた茶封筒を取り出してきた。
 中を開けると「青嵐会」の血判状だった。
 昭和48年、父の故中川一郎氏が政界に風穴を開けようと血気盛んな若手・中堅を集めて結成した政策集団。
 徹底した対中強硬路線が災いしたのか、ジワジワと他派閥の切り崩しを受け、6年後に解散してしまった。
 驚いたことに大量の脱会届も同封されていた。
 血判まで付いた仲間の裏切り。
 一郎氏の無念の思いをかいま見たような気がした。
 中川氏は何も言わなかったが、胸中にあったのは保守勢力の結集であり、青嵐会の再興だったに違いない。
 実は中川氏が青嵐会の旗揚げを思い立ったことがある。
 平成19年秋、福田康夫政権発足後まもなくだった。
 「保守の信条を共有する若手を集めて勉強会を作ろうと思っているんだ」と言うので「次の首相を目指す気がないならば時期尚早ではないか。たった一枚のカードなんだから機が熟すまで大事にとっておくべきだ」と答えた。
 中川氏は不満そうな顔をしていたが、結局、その勉強会は「真・保守政策研究会」という平凡な名称に落ち着いた。

 こんなに早く逝ってしまうならば、あの時に「青嵐会にすべきだ。今こそ父の遺志を継ぐべきだ」と言えばよかった。
 悔やまれて悔やまれてならない。(後略)〉

 10月いっぱいで、今後の新聞購読の方法を決めるつもりだ。
 冬期、毎朝、雪の中を歩いてコンビニまで……というのは、ちょっと辛い。

 ま、まずは、きょうの新聞を購入し、ひと安心。
 朝食(ごはん一杯・豆腐・ふりかけ・牛乳一杯)。
 ほんとうはみそ汁にしたいが、みなみ退場後「給食の時間」消滅し、牛乳を飲む機会がなくなったので、1週間のうち、牛乳4日、みそ汁3日。


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2つ目の夢と3つ目の夢 さめてみると、実にバカげた内容だ

2009-10-09 09:42:17 | Weblog

◆2つ目の夢は、わたしが何かに応募する夢だった。
 提出書類が、A、B、C、3種類あり、各3部となっている。
 それを、A・A・A、B・B・B、C・C・C……ととじるのか、A・B・C、A・B・C、A・B・Cととじるのか、すごく悩んでいる夢だった。

 結構、ぶ厚い、提出書類だった。
 いったい、何に応募しようとしていたのだろうか?

 3つ目の夢は、たぶん、NHK・FM「今日は一日“浜松アーカイブス”三昧 ~軽音楽編~」をヒントに、今、やろうとしている、「DAKA古書店、怒濤のぶち抜き、生放送」に関する夢だうと思う。
 このことは、このあとで述べるが、夢の中では、一心不乱に、「生放送」のために「DAKA古書店」の古い資料を、パワーポイントのスライドに変換する作業に挑戦していた。
 夢の中では、これで自分の人生が変わるぅぅ~くらいの熱の入れようだったが、夢から覚めると、実にバカげた内容だ。

◆午前6時前、夜来の台風が残した霧雨の中を、根城城址・桜木町線沿いにあるコンビニまで、男桐下駄、鞍馬天狗歩きで、新聞を買いにいく。
 前にも書いたとおり、9月いっぱいで新聞の定期購読をやめた。
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1つ目の夢は、だれに語っていたのだろう??

2009-10-09 05:43:50 | Weblog

◆夢の1つ目は、プロ野球の楽天球団のことについて、だれかにいっしょうけんめい告白していた。
 その「だれか」の正体はわからないが、内容はおおよそ、次のようなものだった。

 わたしは、楽天のファンになりかけている……と思っていた。
 ファンになれないのは、岩隈問題、すなわち、分配ドラフトでオリックスにプロテクトされていた岩隈が、希望通り、楽天に金銭トレードされることになった経緯に、どうしてもひっかかるものがあるからだ。
 この1点だけだ。
 だから、この1点を、自分の思い過ごしだと考えれば、楽天ファンになれる……と。

 でも、そうではないということがわかった。

 今回の4つの関門。
 すなわち、第1関門=クライマックスシリーズ出場権ゲット(3位以内)
 第2関門=クライマックスシリーズ本拠地開催権ゲット(2位)
 第3関門=日本シリーズ出場権ゲット
 第4関門=日本シリーズ優勝。

 楽天が第1関門突破した直後、急に熱が冷めてしまった。
 もちろん、きょうの楽天投手が藤原で……しかし、オリはきょう投げる強力な投手がいないなぁ~……(結果として高木)というようなことはチェックしている……。
 しかし、もう、どうでもいい。
 3戦全敗で3位にとどまっても落胆はしないし、日本シリーズで優勝しても喜びもしない……という感じ。

 要するに、頭でムリムリ、楽天は大阪近鉄バファローズの子孫だから……と、そう思おうとしていたのだ。
 ホンネは、南海の野村に最低でも3位の監督になってほしかっただけ。
 楽天に恋をしたのではない。
 楽天を創出した野村監督に恋をしていたのだ。
 楽天球団そのものへの愛着がないわけではない。
 でも、その程度だと、ライオンズにもある。
 ライオンズへの思いのほうが、強いかもしれない。

 ハムにだってそうだ。
 監督は元大阪近鉄バファローズの梨田だ。
 ダルも、悪いヤツではなさそうだし……。
 浪花節的で、おもろいヤツや……。

 宿敵阪急(オリ)へのアレルギーも、大石監督(元近鉄)就任以来、急速に薄まっている。
 ロッテも、キライではない。
 ロッテファンが、いい。
 日本で2番目に、すばらしいファンだ。
 日本1は、もちろん大阪近鉄バファローズファン。

 ダイエー(←わざとこういう言い方をする)も、前監督のときはキライでキライで(選手たちが口をそろえて、○監督のために、○監督のために←アホか!)だったが、秋山監督(元ライオンズ)就任以来、徐々に親しみを覚えるようになった。

 論理がメチャクチャだが、残るのは、結局、大阪近鉄バファローズ消滅の悲しみだけだ。
 論理がメチャクチャだが、もし東尾が楽天新監督に就任すれば、楽天のファンになる。
 それ以外なら、さらばプロ野球だ。

 これが、1つ目の夢だった。
 ホンマに、いったい、だれに語っていたのだろう?


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