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職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★2学期初めの教職員の視点――子どもたちの社会的アイデンティティ(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-09-06 16:13:36 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈主任会トピックス編〉
★2学期初めは社会的アイデンティティが壊れかかっている子どもに寄り添おう
2014
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  ◆経験的に、行事というのは、こういう状況ではかなりの威力を発揮する。「ありがとう、体育祭」「ありがとう、文化祭」  

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★経験的にいって、2学期はじめは、いわゆる「急性のアイデンティティの拡散や混乱」も含め、自己の存在の意味を見失ってしまう中・高校生が多い(自殺者も圧倒的にこの時期が多い。)

 僕は自分という人間を、粗く、時間軸と空間軸の2軸でとらえている。
 「時間軸」は、自己の時間的・歴史的連続性、つながり、いってみれば実存的アイデンティティ。
 「空間軸」は、所属する社会との連続性、つながり、社会的アイデンティティ。

★今、長期休業後=2学期のはじめに話題にしたいのは、後者、空間軸(社会的アイデンティティ)のほうだ。

 空間軸の例として、
 (1)学級・学年の友人とのつながり
 (2)教師とのつながり
 (3)家族とのつながり
 (4)地域の人々とのつながり
 (5)インフォーマルな友人とのつながり
 (6)部活動仲間とのつながり
 (7)いわゆる「第4の領域」の仲間とのつながり……等々。

 こういう空間軸の喪失・崩壊が、それに複雑に絡みつつ形成されている時間軸の崩壊につながるのだろう。
 いいかげんなことをいうようだが、僕は、いわゆる日本的美意識としての無常観に少し似ていると思っている。
 僕はキライではない。
 でも、子どもが長期間、この精神状態にあることは危険だ。

★欲をいえばきりがない。
 かなり粗っぽい話だが、僕は(1)~(7)のどれか1つが、つながっていれば、「さしあたって今は大丈夫」と考えている。

 僕ら教職員は、「3日会わざれば刮目してみるべし」という視点(=「この子は、2学期、どんなところがよくなりたいと思って出校してきているのだろうか?」)とともに、子どもたちひとりひとりの(1)~(7)のつながり(=空間軸、社会的アイデンティティ)を視点に観察しなくてはいけない。
 そして、空間軸のアイデンティティが消滅しかかっている子に寄り添おう。

 「観察」については――
(1)子どもといっしょに「存在」する。
 ただ、いっしょに「存在」するだけでいい。
 「いっしょに存在しているんだ」と念仏のようにつぶやくだけで、子どもたちの見え方が違ってくる。

(2)アンケート調査(含ミニ課題作文)

(3)チャンス相談……等々。
 プロとして多様な手法を組み立てて工夫を。

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 「寄り添う」については――
 上図は、いつもの「カウンセリングの三角形」だ。
 これでいうと「A←一体になる・B←味方になる」部分をぶ厚くする(=即助言というのは避ける)ことを基本に。

(1)「ごくごく近い」将来への目標を持たせる。
 体育祭に向けて……市中体にむけて……文化祭にむけて……修学旅行にむけて。
 経験的に、行事というのは、こういう状況ではかなりの威力を発揮する。
 「ありがとう、体育祭」「ありがとう、文化祭」と僕は感謝している。
 僕ら教職員も、自身の2学期の目標・夢を熱っぽく語ろう。
 斜めに構えているような子どもも、あるいは、しらけたふうをしている子どもも、実はそういう話はよく聞いているものだ。

(2)自分のよいところに気づかせる

(3)自分の存在が他のためになっていることに気づかせる……など。

★教師一般の体質もそうだが、社会全体がマイナス評価する、あるいはマイナス的(含悲観論・危機管理という観点からの予防)な評価ができる人間を高く評価する方向に傾いている。
 こういう状況下では自己肯定感が育ちにくい。
 サムライ中の教職員は、この流れに徹底して抗し、徹底して自己肯定感を育てよう。
 悲観論は感情だが、楽観論はすぐれた教育思想だ。

★最後に。
 アイデンティティという語に対する適切な日本語訳がないといわれる。
 実際、日本語のいろんな文脈のなかで、「正体」、「身元」、「本質」、「独自性」、「主体性」、「本性」、「存在証明」「自己像」「本来の自分」……などと使われている。

 僕は迷わず(というか長いあいだ「迷」った結果として、現在は単純、頑迷に)「同一性」と直訳している。

 以前、高村光太郎の小屋を訪れた帰路、花巻駅に向かう岩手県交通のバスに揺られているとき、「アイデンティティ」という美容院の看板(hairmarket I・DEN・TI・TY)が目に飛びこんできた。
 「独自性」という意味かな?
 「本来の自分」という意味かな?


  ◆付録――新潟県公立中学校教諭・堀川真理氏の教職員への「処方箋」(2学期はじめ対策)  

★付録として。
 昨日、届いた明治図書「メルマガ版・教育zein」で、新潟県公立中学校教諭・堀川真理氏が「もうすぐ夏休みが終わる…そう思って憂鬱になっているのは、生徒だけではないはずです。教師とて至福??の夏休みの終わりには、涙が出そうなくらい哀愁が漂うものです」と、教職員への「処方箋」(2学期はじめ対策)を論じている。
 項目的に抜粋する。

①思いっきりの笑顔で――まず、鏡の前で笑顔の練習をします。無理やり笑ってみます。表情につられてドーパミンが放出されて、なんとなく心が前向きになります。「形」から「中身」を作るのです。

②登校してくれてありがとう――「登校してくれてありがとう」という気持ちを作ります。とてもそんな気持ちになれなくても、「作ろう」と思って念じていると、そんな気持ちになってくるものです。このオーラは必ず相手に伝わります。

③服装も大事――お気に入りの、少し改まった服装をします。

④教室に花を――植物は風水的にも運気を呼び込みます(笑)。

⑤2学期スタートのキーワード=「ありがとう」「うれしい」「楽しい」。
 ・ありがとう――生徒が「普通」のことをしたら(当たり前のことをしたら)「係の仕事をしてくれてありがとう」と言います。「提出物を期限までに出してくれてありがとう」と。
 ・うれしい――いつも遅刻してくる生徒が時間に間に合ったら、「あなたが時間を守ってくれてうれしいよ」。
 ・楽しい――夏休みの感想を生活ノートに書いてきたら「あなたの楽しそうな夏休みの感想を読んで、私も楽しい気持ちになりました」。
 「ありがとう」「うれしい」「楽しい」。この言葉は「気持ちの言葉」です。「気持ちの言葉」を使い、生徒と過ごすうれしさ・楽しさを伝え、共同生活者としての同じ地平を共有するのです。

 それでも笑えない時は、迷わず受診しましょう。(中略)安定剤のおかげというより、「精神科の門まで叩いたんだ!あとは何も怖いものはない!!」という開き直りが私の肝をドンと据えてくれました。(堀川真理氏の記事からの抜粋、以上)

★画像=2学期はじめの光景&空気



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★帰りの会の「30秒間スピーチ」で鍛えたら、実験群の圧勝だった(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-09-05 13:46:02 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈主任会トピックス編〉
★「ホンネが好き」「新しモン好き」「いらち」「厚かましい」僕の愚かな実践
2014
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  ◆帰りの会の「30秒間スピーチ」で鍛えたら、実験群の圧勝だった  

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★学校にとって年度はじめは「黄金の3日間」だ。
 1学期はじめの3日間で、きちんと学級のカタチをつくることができれば、それは1年間続く。

 2学期はじめも同じことがいえる。
 もう一度、本校の〈授業力向上の5原則〉も見直そう。
 〈学力向上の5原則〉も見直そう。
 学級・学年・委員会活動など、子どもが動く「しくみ」をすべてチェックしよう。

★まず、朝の会と帰りの会を、教育哲学する。
 毎日の短学活は、飛び飛びにある教科と異なり、毎日、連続的に保証されている「子どもを育て鍛える場」だ。
 「向上的変容の場」だ。

 めざす生徒像を具体的に設定し、仮説を立てて――すなわち、朝と帰りの会で、こういう実践を継続していけば、こういう生徒になる……こういう力を身につけることができる、と――ねばり強く取り組むと、信じられないくらい大きな力になる。

 朝の会と帰りの会をいい加減に取り組んだ学校・学年・学級とは、大きな差になってあらわれる。
 サムライ中伝統の朝と帰りの会の合唱についても、①この取り組みが合唱のレベルの高さにつながっている……ともいえるし、②この取り組みの差が各学年・学級のレベルの差になっている……ともいえる。

 こういう観点から、各学年・各学級で「朝と帰りの会」について「教育哲学」しよう。

★なお、参考として、僕自身の数々の実践のなかで――「ホンネが好き」「厚かましい」「新しモン好き」「いらち」「抜け目がない」大阪人の僕の場合、愚かな実践も多かった。校長から「小高さん、学校はスーパーマーケットではない」とよく叱られたものだ。でも――明らかに効果があったもの、明らかに子どもが変容した実践もある。

 その中から4つ紹介する。

1.帰りの会の〈30秒間スピーチ〉で鍛える
 ①30秒間スピーチ。1日2人。
 ②スピーチの中に必ず3種類――3つではない。3種類――の接続詞を含ませる。
 ③教室の後ろに大書した「接続詞一覧表」を掲示。
 例=〈「逆接」しかし・だが…… 「順接」それで・すると・だから……〉
 〈ねらい〉
 ア)会話の一文を短かくさせる。
 イ)論理的に話せるようにする。
 子どもたちは激変した。
 半年後(←正確な日数は失念)、実験群(僕の学級)と統制群(他の学級)に分け、調査した。
 方法は、グループ(学級36人、6人グループを6つ編成)の話し合い活動を録音し、話し合い中の「接続詞」の数を比較した。
 実験群の圧勝だった。
 歴然と、もう、10と0というくらい、圧倒的な差があった。

2.壁読み(音読)で鍛える(国語科との連携)
 ①国語の時間に、一人一人、教室の前側(黒板)、後側(掲示板&背面黒板)、左側(窓側)、右側(廊下側)、この4面の「壁」に向かって立ち、教科書の指定範囲を各個に音読する。
 ②国語の時間の最初の3分間
 〈ねらい〉
 ア)声を出すことに対する抵抗感を除く
 イ)正しい発声法を習得する
 とにかくガンガン読ませる。
 「壁に当たってはね返って来る自分の声を聞こう」と指導するのがポイントだ。
 声がグングン前に出るようになる。
 教師の位置は教室の真ん中がいい。
 音読指導に慣れないうちは、声の洪水にしか聞こえないが、やがて、○○君の声、☆☆さんの声……と聞き分けることができるようになる。
 これは、生徒の声がグングン前に出るようになるからでもあるが、教師の耳も鍛えられ、聞き分ける力がついてくるからだ。 

3.朝と帰りの会の〈係・委員の発表〉で鍛える
 ①係・当番・委員・役員は原則として前に出て発言させる。
 ②教科係にも口頭でていねいに発表させる。
 大事なところは繰り返させる。
 聞く生徒には、教室じゅう、カッカッカッカッ……とエンピツのシンの音がして肩が波打つくらいにメモを取る。
 〈ねらい〉
 ア)話す際の適切な声量・ペースを覚える
 イ)他の個人差に配慮した語りを身につける 
 ウ)メモのスピードをつける
 「ア」も「イ」も大事だが、「ウ」も大事なポイントだ。
 「肩が波打つくらい」というのが指導の指標・目安になる。
 ノートが速くなると、授業の質が向上する。
 確実に学力にはね返る。

4.帰りの会の〈書く時間〉で鍛える
 ①帰りの会のプログラムの中に、毎週1回、200字程度で書く時間を設定する。
 ②テーマは、内外の諸問題・事件、学校・学級・家・自分に関することなどから設定する。
 ③本人の了解を得た上で(場合によっては匿名で)、次の日の「担任の先生の話」の中で紹介したり、学級通信に掲載したりする。
 〈ねらい〉
 ア)書くことを通して自分の考えを確かめさせる
 イ)自分と異なる他の考えに気づかせる

★例にあげた4つの実践すべてについて、計画的に検証したわけではないので、個人の変容や集団の変容についてのコメントは差し控える。
 しかし、いろいろ試みたなかでは、この4つは――特に「1」は――たしかな手応えがあった。
 子どもが変わっていく、育っていくという実感があった。
 本校の教員もいろいろ実践例を持っている。
 教室巡回のときには必ず朝の会・帰りの会のプログラムをみているので、それは十分にわかっている。
 その上で、毎日の短学活を連続的に保証されている唯一の鍛える・育てる場と位置づけ、仮説(目指す生徒像)を設定し、思い切った実験を試みていきたい。

★画像=体育祭の練習。画像をクリックすると拡大します。



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★2学期の行事を「続きもの」として捉え、生徒を計画的に伸ばす(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-09-04 20:58:51 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈主任会トピックス編〉
★子どもはタイプ別に育てる。粗く、2軸・4分割で分類し、4人の「典型生徒」を設定する
2014
09.04

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  ◆2学期の行事を「続きもの」として捉え、生徒のよいところを計画的に伸ばす  

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★2学期は、体育祭・市中体(1・2年生)・文化祭・修学旅行(2学年)等、大きな行事が山脈のように連なっている。
 これらを、ひとつひとつ、単発の行事として実施するのではなく、「続きもの」として捉え、生徒のよいところを計画的に伸ばす、あるいは弱点を計画的に克服させる場にしたい。
 たとえば、「この行事では生徒の自治力を伸ばす。次のこの行事では上級生としての指導力を伸ばす」……あるいは、「本校は自主性に課題がある。だから、徹頭徹尾、ねらいの中心を自主性の伸長に設定する」という選択もあり得る。

 ただ、これを、学校全体で実のある計画を立てるというのは、経験的に、とんでなくむずかしい作業になる。
 領域部会などが中心になって計画を立て、学校全体で取り組むという発想はまちがいではない。
 しかし、空疎で、形式的なものになりがちだ。

 僕はむしろ、学年分掌が中心になり、学年や学級の実態を踏まえ――もちろん、学校全体の目標を踏まえつつ――実際の今の子どもたちの顔を思い浮かべながら、「続きもの」として「よいところを伸ばす」「弱点を克服する」指導計画を立てるほうがいいと思う。

★僕が近時、「続きもの」を意識した「ねらい」を参考として列挙すると――

○望ましい人間関係をつくり
・3学年担当教師と同じように、いや、それ以上に、他学年教師や職員の話がしっかり聞ける3学年生徒に。(はっきりいうと、レベルの低い目標だが、こういう目標を設定しなくてはいけない時期もあった。)

・下級生に対する上級生としてのリーダーシップ――イヤな仕事、しんどい仕事を、下級生にやらせるのではなく、自ら積極的に引き受ける上級生に。(右に同じ。今のサムライ中の3年生はこれができる。気は優しくて力持ち。よく育っている。)

・地域の人々を心から迎え、「どうぞ見てくださいとプレーする」「どうぞいっしょにやりましょうとプレーする」サムライ中生。(学校・家庭・地域が連携して取り組むサムライ・ネットが始まってから、あいさつひとつとっても、かなりよくなった。生徒ひとりひとりの地域の人々に対する姿勢ができてきた。しかし、まだまだこれからだ。)

○自主的・自発的な活動を実践する態度。
・自分の役割(特に係の仕事)活動を通して、縁の下の力持ちとしての充実感や達成感→自己肯定感を育む。(子どもたちのこれからの人生を考えると、大切な視点だ。育てがいがある。)

○帰属意識・連帯感を高める。
・体育祭を通して、「ああ、サムライ中生でよかった。サムライ中生であることを誇りに思う」と心から思える体験プログラム&指導・評価プログラム。

○なお、体育祭に限定していうと――
・マナー&フェアプレーの精神を養う――勝敗の結果に対する正しい態度。ノーサイド。互いの健闘を讃え合う。(今のサムライ中はOK。)

・全力で走り、力を出し切る3学年に。(仮に1・2年生が手を抜いたっていい。3学年が魂を爆発させるように全力でやる。学校はこうして創っていくもんだ。)

・集団行動の徹底(これは大切。すべての活動につながる。)


  ◆子どもはタイプ別に育てる。粗く、2軸・4分割で子どもたちを分類し、4人の「典型生徒」を決める  

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★2学期の行事を、「続きもの」としてとらえ、計画的に育てる際、次の2点に留意したい。

(1)タイプ別に育てる。

 僕は、いつも、上図のように、粗く、2軸・4分割で子どもたちをとらえ(分類し)、その中から代表として「典型生徒」を設定し(図のAさん・B君……)、タイプ別に指導方法を考えている。
 この「典型生徒」を決めないと、どうしても指導内容が漠然としてしまう。
 この図では一例として軸を「指導力」と「体育祭へのやる気」にした。
 Aさんは、やる気もあり、指導力もある
 B君は、体育祭に対してはやる気がないが、指導力はある。
 当然、AさんとB君では指導の内容が違う。
 Cさん、Dさんについても同じだ。
 AさんとCさんの関係をどう指導するかという問題もある。
 Aさん・B君・Cさん・Dさんの顔を思い浮かべ、行事における活動場面ごとの指導プログラムを組んでいく。
 なお、タイプ別に指導する際、次の①~④のコーチング方法は、自分の指導方法を見直す上で参考になる。

 ①具体的に教える=教師が期待している行動がどういう行動か本人が具体的にわかっていないのではないか?
 知らないからできない。
 だから、具体的に教える。
 「*****することが最上級生としての行動なんだよ」などと具体的にかみくだいて教える。

 ②正しい情報を与える=間違って「学習」しているのではないか?
 だから、本人が思っている行動が必ずしも他人からそうに思われていないということを教える。

 ③自信をもたせる=わかっているのだけれど、行動にうつせないのではないのか?
 だから、よく観察し、他のTの情報も得て、少しでもできていること(場面)を指摘し、ほめる。

 ④細かくコーチする=わかっているし、やれるのだが、状況に応じて適切な行動が取れないのではないか?
 だから、具体的な場面をとらえて、細やかな対応方法を具体的にコーチする。

(2)自主性・自治力・指導力を育てる。

 ①生徒が自分たちだけで考える「部分」を設定する
 ②自分たちだけでやる「部分」を設定する
 ③結果について自分たちで責任を負う「部分」を設定する……
 こういう場面を、つづきもの行事のなかに、綿密に、計画的に設定していく、埋め込んでいく。
 その際、わたしたちは、
 ①教える→やらせる→評価
 ②やらせてみる→教える→やらせる→評価
 ③教える→やってみせる→やらせる→評価(←これらはひとつの例に過ぎないのだが……)等のパターンについて、今、この行事では、どのパターンで指導し、次の行事ではどのパターンに移行しようとしているのかを明確に意識する必要がある。
 いつも①のパターンというのでは、子どもは絶対に育たない。
 むしろ、だんだんダメになっていく。



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★「職員室通信」を「立ち食いステーキ専門店・いきなり!ステーキ」化(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-09-03 16:15:26 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信

番外編
★島尾敏雄創作集『日のちぢまり』――布張りの手触りがなつかしかった
2014
09.12

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  ◆以前、読んだとき、僕の体重は50キロだった。はぐれ狼のようにやせていた  

★2014/08/31(日) ★〈Scroll comment〉★さっき、ブラインドのスキマから西日が差しこむDAKA古書店跡で書物の移動をしているとき、横積みした書物群のあいだから島尾敏雄創作集『日のちぢまり』を見つけた。
 「こんなところにあったんだ!」と驚いた。
 箱から取り出す。
 布張りの手触りがなつかしかった。
 さっそく床に寝っ転がって「市壁の町なかで」を読んだ。
 が、前に読んだときは、主人公が街角に立ち、眺め、感じたように風景が見え、ドキドキしたのに、きょうは何も感じなかった。
 もちろんこれは島尾のせいではない。
 僕が壊れている、僕が太りすぎているからだろう(ノ△・。)。
 以前、読んだとき、僕の体重は50キロだった。
 はぐれ狼のようにやせていた。
 今は65キロ。
 これでもジョギングと「気まぐれ、だいたい糖質制限作戦(←適当な制限という意味)」で6キロ減量した。
 あと15キロ減量とは言わないが、あと5キロ減量すると、きっと、またあのときのように読めるようになる……と信じている。
 減量は本気だ。
 あしたからやろう。

★画像=減量コメントの内容と相反する画像だが、昨夕の夕食。
 左がエビカツ、右がクジラカツ。
 クジラカツは買い物客であふれかえる生野本通り商店街の公設市場の匂いがした。
 あの頃は毎日がクジラ肉だった。


  ◆「立ち食いステーキ専門店・いきなり!ステーキ」の話は刺激的だった  

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★2014/08/29(金) ★〈Scroll comment〉早朝、夢にうなされる。
 試験の夢だった。
 悪戦苦闘……というか、問題用紙の文字がかすむくらいの絶不調。
 どのくらい問題が残っているのか? ペラペラ、めくってみると、ズラッと小課題が並び、それについて短く論述する問題だった。
 僕はこういうチマチマしたのが大好きだ。
 なのにさっきからいっこうに書く気にならない。
 時間だけが崩れるように過ぎていく。
 「おいおい、これで提出となったら僕の将来は悲惨だぞぉ~」と心の中で絶叫している(夢、以上)。
 ここ数日の僕を象徴するような夢だった。
 Blog「職員室通信」を更新したい。
 だが、なかなかkeyboardに向かえない。

★こういう絶不調の中で「立ち食いステーキ専門店・いきなり!ステーキ」の話は刺激的だった。
 肉1g当たり5円。
 立ち食い。
 店は20坪程。
 従業員5~6人。
 1日当たりの平均客数は約500人。
 1人当たりの平均単価は約2000円。
 平均滞在時間30分(回転が速い)。
 1日当たりの売り上げは約100万円。……
 僕も発想の大転換をやらないと……。
 「職員室通信」の「いきなり!ステーキ」化は喫緊の課題だ(^_^)v。
 でも、具体的に何をどうやればいいのか?

★画像=散歩の途中で。
 ふだんはあまり好まない光景だ。
 でも、きょうは心ひかれた。
 僕の魂が光景の中に溶け込んでいく。
 ああ、季節の変わり目。


  ◆彼の「釣り」に相当するものは、僕の生活でいうと何だろうか?  

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★2014/08/26(火) ★〈Scroll comment〉プロ野球各チームの来季の監督候補が話題にのぼりはじめた。
 城島健司の名もあった。
 彼のプレーそのものには興味を持ったことはないが――正確には、彼が所属したチームに関心がなかったのだが、以前、新聞記事で読んだマリナーズ時代のコメントが心に残っている。
 《僕はクヨクヨするタイプなんで、家やホテルに帰って、あの球、打っとけばよかったとか、あのボール投げさせとけばよかったとか、けっこう、ウジウジしてるんです……》
 《夜、部屋で芋焼酎を飲みながら、野球のことを考える。
 コップ2杯までと決めているが、負けた日はそれが2杯半になり、3杯になる。……》
 《テレビを消し、コップを傾けながら、ただ試合のことを反芻する。なんだか気分がめいってしまいそうだが、「自分は野球選手なんだなぁって実感します。野球のことを考えながら、酒を飲んでる時がいちばん楽しいですよ」……》
 僕は、自然に「野球」を「教育」に置き換えて読み、ジーンと来たことを覚えている。
 その彼の現在は、ネット情報によると――
 起床4時30分。
 出発5時00分=愛車の中は釣り具だらけ。
 到着5時30分=周りの顔見知りに挨拶。
 朝食6時00分=自作のおにぎり3個。
 帰宅12時00分=ボウズで帰ることは少ない。
 昼寝13時00分=クラシックを聴きながら。
 起床15時00分=庭でゴルフの練習。
 夕食18時30分=釣った魚をつまみに晩酌。
 就寝21時00分=翌日の釣りの用意をしてから寝る(ネット情報、以上)。
 理想の生活だ。
 ふと、彼の「釣り」に相当するものは、僕の生活でいうと何だろうか?と考えた。
 2つ浮かんだ。
 ①DAKA古書店跡内&外を「整然とした美しさ。モノが緊張して生きている形」にすること。
 ②放浪すること。

★画像①=最近、気に入っているアンプ。
 DAKA古書店跡のミニモデルチェンジの結果、この場所に移動した。
 画像②=「城島健司のJ的な釣りテレビ」に登場する城島健司。提供=http://rkb.jp/jtv/



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★楽器に音色があるように語りにも音色がある(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-09-01 16:55:16 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈教師修業編〉
★語りに「人生」があれば、子どもでも大人でも、人は立ち止まる
2014
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  ◆楽器に音色があるように語りにも音色がある  

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★トップバッターは、八重T(国語)だ。

 〈僕のコメント〉

(1)八重Tは、自分が「おもしろい」と感じている、あるいは「ここが大事だ」と考えている、その感情&思いを、聞く側にきっちりと伝える語りの技術をもっている。
 これには、いつも感心する。
 楽器に音色があるように、語りにも音色がある。
 八重Tは、いい音色をもっている。
 子どもは音色に敏感である。
 授業名人に必須の要素だ。
 そういえば、乱氏Tもいい音色をもっている。
 残念ながら、僕の語りはというと、年々、劣化している。
 「劣化している」という言い方の背後には、もちろん「かつては僕もいい音色をもっていた」という自負が隠れている(*^_^*)。
 いつ頃から劣化したのか?
 自分の profile を思い浮かべると、ぼんやりと「断層」が見えてくる。
 でも、これを語り出すと、本号のテーマから離れすぎてしまうので、やめることにするm(_ _)m。

(2)プリント上部にある「解答欄」の場所を指示するときの、指示の仕方があいまいだった。
 生徒役の僕は、しばらく迷った。

 〈代案〉
 最初の作業時には――
 「ここに書くのではありませんよ」
 「こちらですよ」
 「指で押さえてごらん」というくらいの念押しが必要だ。
 「念押し」は公立中学校の教師がもつべき最重要の教育思想だ。

(3)八重Tは「5つ書けた人?」「4つ書けた人?」で挙手させるのをやめたが、僕だったら「3つ」「2つ」「1つ」「0」まで聞く。
 また、八重Tは、いちばん多かった「4つ書けた」人に挙手させ、「自信がある人はそのまま手をあげて」と指示した。
 手をあげさせつづけるのはよくない。
 それに、「自信がある人」という条件もよくない。
 余計な条件を加えることによって、授業のカタチが崩れる。

 〈代案〉
 僕だったら、①「4つ書けた人は全員立ちなさい」と指示する。 
 ②まず、そのうち1人に自分の答えをぜんぶ発表させる。
 ③他の人には「自分の答えがぜんぶ発表されたら座りなさい」と指示する。

(4)冒頭、八重Tの音色をほめた。
 ただし、きょうは、その音声が聞く側の耳に焦点が結ばれていなかった。
 拡散してしまっていた。
 たぶん、ふだんの子どもを対象とした授業ではなく、教師が生徒役の模擬授業だったために、ひとりひとりへの目線があまくなってしまったからだと思う。
 語りと目線(あるいは想定目線)は密接不離の関係にある。

(5)プリントを掲げて「ここのところは残しておきます」と指示する場面で、掲げたプリントを見ている生徒役は、2、3人だけだった。
 「見なさい」と言うのであれば、全員がきちんと見ているか確認すべきだ。
 見るべきところを、全員が見ているということが、授業の安定につながる。

(6)資料を教師が範読し、生徒が、その範読を聞きながら正解を探すという作業場面があった。
 生徒は、①資料を見る(読む)、②範読を聞く……という2つの行為を同時に行いながら正解を探すことになる。
 生徒役として正解を探していて、これはむずかしい作業だと思った。
 視神経でとらえた対象をイメージで裏打ちし、厚みを与える作業と、(くりかえしになるが)聴神経でとらえた対象をイメージで裏打ちし、厚みを与える作業を同時に行うことは、僕は不可能だと思う。
 どちらか一方に限定して行うべきだ。(コメント以上)

★冒頭、「八重Tは、自分の感情&思いを聞く側にきっちりと伝える語りの技術をもっている」と書いたとき、僕は、その「感情&思い」をその人の「人生」とリンクしかけた。
 リンクして記述しようか?
 やめようか?
 迷って、結局はやめたのだが、その逡巡の過程で、僕は、まったく別のひとりの人物を思い出した。
 中西誠治氏。
 僕の高校時代の恩師だ。
 「漱石の則天去私なんてウソでしょう」
 僕の幼稚な議論を何時間でも聞いてくださった。
 先生は自分のうちにある自分の感じたものをできるだけ正確に表現しようとして苦悶していらっしゃった。
 そこに先生の人生があると思った。
 心を打たれた。
 語りに「人生」があれば、子どもでも大人でも、人は立ち止まる。
 (この記事=「模擬授業大会」、つづく)


★画像=今は既に撤去された旧片岸分校。撮影=2012年8月28日午後3時

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★教師の指導行為を「芸」のレベルにまで高める教師修業(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-31 13:41:12 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈教師修業編〉
★指導主事のレベルが低いのか? あるいは、僕らの修業がまだ「テレビドラマ」級だということか?
2014
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  ◆サムライ中の模擬授業大会  

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★午前中、模擬授業大会を開いた。
 模擬授業というのは、教師たちが、「授業者」と「生徒役」にわかれて行う。
 サムライ中の場合、「生徒役」の教師は20名程度。
 一般の方には、なんだか「授業ごっこ」をやって遊んでいるように思われるかもしれない。
 しかし、実は、結構、プレッシャーがかかる。
 ふつうの授業研究会(含授業参観日)だと、参観者は、教師の指導行為と、子どもたちの学習活動(反応・作業)とを照らし合わせながら参観する。
 だから、これまで冷や汗をかきつつ、「参観者」や「生徒役教師」の視線にさらされつづけてきた僕の経験からいうと、授業者のプレッシャーは半分、あるいは半分以下(30%くらい)なのだ。
 しかし、模擬授業では、参観者の視線は、100%、教師そのものに注がれる。
 教師の発する一言一言に、教師の指導行為の一つ一つに。
 身体がカチンコチンになる(ノ△・。)。

★大切なのは、なんのためにカチンコチンになる模擬授業をやるのか?……ということだ。
 サムライ中では教師修業の中心がこの模擬授業だ。
 粗くいうと、「芸」を磨くためだ。
 あるいは、教師の指導行為を「芸」のレベルにまで高めるためだ。
 小説家の小説も芸だ。
 BLOGの日記とは異なる。
 家具屋のつくる椅子も芸だ。
 「魂をこめてつくりましたから座ってみてください。絶対に損はさせません」と客の前に出すものだ。
 教師の指導行為も同じだ。
 「大切なことを教えているんだから、黙って聞け、黙ってやれ」では通用しない。
 日本の公立中学校の教師たちが、自分たちの指導行為を「芸」のレベルにまで高めると、日本は変わる。
 いじめも不登校も非行も、また最近、話題になっている体罰の「暴力連鎖」問題も、すべて解決できる。
 僕らのサムライ・チームでは、30人を超える不登校生を、指導行為を「芸」にまで高めることによって――正確には「芸」にまで高める努力を継続することによって――「0」にしている。


  ◆授業中、男の体育教師が次々にめんどうごと、ゴタゴタを引き起こす  

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★模擬授業の進め方は、
 授業者1人につき――
 ①模擬授業10分間
 ②2人の指定発言者からのコメント(各1分間)
 ③生徒役Tからのコメント(1分間)
 ④指導助言者からのコメント(2分間)
 合計、15分間だ。
 コメントは――
 ①代案「ここはわたしだったらこうする」
 ②「ここはこういう点でスゴイ、すばらしい」
 この2種類とする。
 しかし、僕たちは修業過程にあるので、③「ここは変だ、なんだか変だ……。しかし、代案は提示できない」というコメントも認めている。
 代案を追究することによって技量が上がる。
 代案を示さない発言は無責任だ。
 これをつづけていると、修業レベルが確実に低下する。
 ただ、この③(「何だか変」)に、授業力向上に関して重大な内容が隠れていることがある。
 発言者が「代案」を示せなくても、他の人が示す場合もある。
 教員全員の追究課題になることもある。
 この②と③の「微妙さ」を、サムライ中教員が共有していれば、いいかげんな修業に堕することはないと思っている。

★サムライ中では、授業者が4人以上の場合、「模擬授業大会」と称している。
 会議のスキマ等で、1人、2人がやる場合は、ドコモ(いつでもどこでも模擬授業の略)という。
 本日の授業者は、八重T(国語)、南原T(数学)、大向T(美術)、安代T(体育)の4人だから、模擬授業大会だ。
 今回は、総合学校教育センターから2人の指導主事を招き、指導助言をしてもらった。
 休憩のとき、指導主事が「テレビドラマを観ているようで、鳥肌が立った」と言っていた。
 その場では、僕も笑ってあいづちを打ったが、「テレビドラマを観ているようで……」には心底、失望した。
 指導主事のレベルが低いのか? あるいは、僕らの修業がまだ「テレビドラマ」級だということか?

 なお、生徒役教師は、次の4タイプのいずれかを分担している。
 ①やる気があり、能力も高い。
 ②やる気があるが、能力はあまり高くない。
 ③やる気はないが、能力が高い。
 ④やる気もないし、能力もあまり高くない。

 サムライ中では男の体育教師がこの「③」あるいは「④」の役を率先して引き受けている。
 模擬授業中、次々に難題、めんどうごと、ゴタゴタ、やっかいごとを引き起こす。
 これをどうクリアーするのか?も「芸」のうちだ。(つづく――次回は、八重Tの模擬授業)



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★僕がやろうとすること:いい授業でいじめも不登校も暴力も解決する(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-22 11:08:05 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信

番外編
★恐るべし小林幸子・CD「さちさちにしてあげる♪」税込1000円
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  ◆整然とした美しさ。モノが緊張して生きている形  
 
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★2014/08/21(木) ★〈Scroll comment〉敗戦記念の日からDAKA古書店跡のミニモデルチェンジを始めた。
 ただ、狭い、手のひらスペースの空間だから、なにかひとつ動かすと、玉突きのように、他のモノも動かさなくてはいけなくなる。
 移動は部屋全体、いや部屋の外にまで及んだ。
 発端が、この画像の右側=PioneerのスピーカーS-HM50だった。
 ときどきアンプをチェックするときに使っている。
 僕が座る椅子のうしろに隠すようにおいてあった。
 ま、そういうモノの置き方が気に入らなかったわけだ。
 モデルチェンジの目標が「整然とした美しさ。モノが緊張して生きている形」。
 あっちからこっちへとモノを動かしているうちに、これは自分の生き方に直結していると感じた。

 モデルチェンジは永遠だ。
 畢竟「0」をめざす……ということだ(^_^)v。

★画像、左側の音響コーラルFLAT―6Sから、今、ピアノ・ソナタ イ短調 K.310の第1楽章が流れている。

★8月15日(金)~17日(日)まで有明・東京国際展示場(東京ビッグサイト/有明臨海副都心)で開催された「コミックマーケット86」に小林幸子が参加したそうだ。
 新作CD「さちさちにしてあげる♪」税込1000円。
 Twitter情報によると――
 Tweet①〈購入しようと並んでいたら、小林幸子さん本人が完売の報告に来た。「ありがとうございました!」と、ひとりひとりに握手。さすが小林幸子さん。〉
 Tweet②〈小林幸子さんに差し入れ渡したんだが、その袋を上に掲げるなり「差し入れいただきましたぁ~」って元気よく言ってた。「ありがとう!」と握手してくれたし、今日はとても満足でした!!〉
 Tweet③〈ひとりひとりに握手しながら「完売しちゃってごめんなさい」と言いつづけていた。小林幸子さんマジ感動!〉
 ツーイート④〈恐るべし小林幸子〉。

 小林幸子のことは不遇の時代からよく知っている。
 「おもいで酒」と「とまり木」は僕もレコードを買った。
 ちょうど僕の人生の激変期だった。
 Tweet②「差し入れいただきましたぁ~って元気よく言ってた」はこみあげるものがあった。
 ホンマ、恐るべし小林幸子やね(^_^)v。

★2014/08/11(月) ★〈Scroll comment〉僕のBLOGとHPのカタチが決まった←(団地ともお的「柱」5本&「職員室通信」と「番外編」)。
 ということは、僕の存在のカタチも決まったということだ。
 中味はまだまだである。
 しかし、ま、カタチさえ決まれば、徐々になんとかなるだろう。
 「ブレないで元気出して歩け!」とつぶやいている。
 この道以外に僕の道はない。
 ついでに、BLOGの名前を変えた。
 「職員室通信:いい授業でいじめも不登校も暴力も解決する」。
 僕のやろうとすることが、もっと的確に、もっと短く言い切れる表現が見つかれば、また変えるつもりだ。

★画像=DAKA古書店跡の床に肘枕して、ヘンデルの「クラヴィーア組曲第1巻〈第6~8番〉他」を聴いている。
 僕のDNAにはハープシコードの「音」が組み込まれている。

★2014/08/13(水) ★〈Scroll comment〉HPトップの画像と〈Scroll comment〉は毎日、更新するつもりでいるのだが、いつも「画像」に困る。
 どこかに出かけていき、撮った画像をアップするのはあまり好まない。
 かといってDAKA古書店跡内には撮るような対象がない。
 撮る対象がないような生活レベルなのか?
 撮る対象があるのに気づかないような精神レベルなのか?
 少し考えてみたい。

★画像=昨夜の夕食。
 どこかに出かけていきパチリとやるのもイヤだし、食べ物をパチリとやるのもイヤだ。
 でも、今夜はこれしかない。
 僕は、キャベツが大好物だ。
 カツよりキャベツに目が行く(^_^)v。

★2014/08/14(木) ★〈Scroll comment〉「山本景」という名前にかすかな記憶があった。
 僕の「過去記」群にむかって検索をかけたら、一発で出てきた。
 僕が以前に借りていた無料レンタルサーバー・AAA!CAFE(トリプルエーコミュニケーションズ)の設立メンバーだった。
 ま、このこととは関係ないが、テリーや百田の「キモイ」発言に対して、僕は不快を通り越し、激昂。
 山本景氏に応援メッセージを送る。
 〈山本景様。僕はあなたを応援する。武運長久を祈る。ただ、「テリー」などは相手にするな。あなたの品格が腐る。小高進〉。メッセージ以上。

★画像=DAKA古書店跡の西側の窓。
 きのう、トンカツ画像をアップしたら、やはりカツのにおいがする(*^_^*)。
 胃が重い(*^_^*)。
 1日で取り替えることにした。

★2014/08/17(日) ★〈Scroll comment〉明日、締め切りの原稿がある。
 「お盆が過ぎた頃に……」と、うっすら記憶があった。
 たしかめたら、締め切りが明日!
 バタバタと資料集め。
 一心不乱(*^_^*)に「検索」をかけまくる。
 「検索」先はすべて自分の過去記群。
 夕刻、なんとか材料が集まり、「あとは編集すればいい」……というところまでこぎつける。
 ただ、今は、ドキドキ、魂が揺れている(=動揺?)。
 明日の早朝(=午前4時頃)僕の魂が澄みきった状態で――僕にそんな状態があると、まだ信じている――編集することに決める。

★敗戦記念の日からDAKA古書店跡のミニモデルチェンジをした。目標=整然とした美しさ。モノが緊張して生きている形。その際、このPCスピーカー(画像)が邪魔になったが、①PCに接続してJAZZRADIO.com classic jazzを聴くとき、あるいは、ケイタイのワンセグを観るとき、あると便利だ。
 現在、保留。



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★中森Tが作成した通信表のコメントを読んで、僕は泣いてしまった(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-14 21:09:22 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈主任会トピックス編〉
★サムライ中の音楽室と体育館の掃除&整理整頓が通常の概念と異なったカタチに
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08.14

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  ◆窓の開閉ルールをとおして、知性を育てる。空き教室時の整理整頓、戸締まりも同じ。「ルール」を、すぐれた「教育思想」に  

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★〈主任会トピックス(6月 その③)編〉

(1)窓の開閉ルール(サムライ中のルール=「開けるときはガラス戸を真ん中にそろえる」)をとおして、知性を育てる。
 空き教室時の整理整頓、戸締まりも同じ。
 「ルール」を、すぐれた「教育思想」に。
 関連して、体育館・音楽室が常に、隅々(たとえば、ジェットヒーターの置く角度まで)きちんと整理整頓されている。
 「常に」というのと、「隅々」というのが、スゴイと思う。
 通常の「掃除をしました」「整頓をしました」のレベルを超えて、緊張感を伴っている。
 こういうことが、学校の安定と品格につながる。

(2)通信表のコメント。
 通信表のコメントは、ホンマ、骨が折れる。
 コメントを読んだ保護者が「ああ、この子を今日まで育ててきてよかった」「ああ、自分は気づかなかったけど、この子はこんなにがんばっているんだ」と喜んでくださるコメントを、あるいは、コメントを読んだ子どもが「よし、明日からまたがんばろう」と思うコメントを……等と思うと、一字も書けなくなる。
 以前、☆☆Tが作成した通信表のコメントを読んで、僕は泣いてしまった。
 僕も、その子どもをよく知っている。
 保護者のこともよく知っている。
 だからだと思うが、読みながらポロポロと涙がこぼれた。
 すごいコメントだなぁ~、すごい人(教師)だなぁ~と思うと同時に、これはだれにでも書けるものではない……少なくとも僕にはムリだと思った。
 そこで本題――
 僕は、次のような「コメントの最低ライン」を考えた。
 僕たちは「教育目標」達成に向けて、公として組織的に教育行為をおこなっている。
 「教育目標」→「努力目標」→「学力向上の5原則」「学年目標」「学級目標」等々を設定している。
 これらを観点、基準にし、「公的な組織」の一員として、その子どもの日常の具体的場面をとらえ、評価する(賞める・認める)。
 ひとまず、これらの観点以外の、いってみれば、学級担任の「思いのオンパレード」から離れてみよう、廃してみよう。
 これでだいぶ楽になる。(「コメントの最低ライン」以上)
 この延長線上で、修業を重ね、☆☆Tレベルのコメントをめざせばいい。

 なお、子どもの成長を願って、子どもに対してより高い目標を提示する際、例えば「公正さ」を提示する場合など、書きようによっては、現在の状況が「不公正」となり、人格を否定してしまうことになるので、表現には十分注意しよう。
 この観点(人格否定)で、自分のコメントを点検したら、予想どおり、いくつも引っかかるものが出てきた。

(3)朝の会・帰りの会・授業開始(または終了)の時間厳守(開始は1分前、終了は秒針ピッタリ)、率先垂範・師弟同行。
 また授業中、教師は学習場所から絶対に離れない。
 離れざるをえないときは、他の教師に代行を依頼する(非常連絡活用)。
 子どもも学習場所から絶対に離さない(事情がある場合は別)。
 このルールを「死守」する。
 僕の経験からいえば、この乱れから学校の「荒れ」がはじまる。

(4)ペナルティ教育、シール教育を廃す。

(5)式(壮行式・終業式等)や集会(全校朝会・生徒朝会・学年集会等)は、設計段階で、1分1秒、1センチ1ミリまで厳密に設定する。
 これで教育の質とカタチが変わる。

 以前の話だが、本校の「卒業生を送る会」は、ずっと不評だった。
 で、教育課程編成会議で、翌年から取りやめと決まった。
 しかし、本校の歴史上、最後となる「送る会」は、意外なことに、皮肉なことに、たいへん好評だった。
 僕も感動した。
 これだとやめることはないのにと思ったくらいだ。
 教師と生徒が、50分以内という時間を強く意識し、内容を吟味し、テンポとリズムに配慮したからだと、僕は思っている。

(6)自分の部活動を監督しながら、他の部活動の監督も(本来の顧問に代わり)引き受けることは、学校全体の体制としてやる場合(例=各校務分掌の会議を前半グループと後半グループとに分け、互いにカバーしあう)以外には、引き受けない、依頼しない。
 2つの授業の監督も同じく不可。

(7)体育祭について。
 ①種目の完成度を(可能な限り)あげる。
 例=1年男子イカダ流し 1年女子ムカデ競争等。
 ②学社連携・融合の観点から(可能な限り)対保護者・地域への「サービス」向上。
 例=開催通知の徹底、観覧場所の確保、当日の案内の徹底等。(なお、「当日の案内」については、PTA役員・サムライネットメンバー等と連携する。)
 ③上記(5)と同じく、1分1秒、1センチ1ミリまで厳密に計画を立てよう。
 サムライ中の体育祭の質とカタチはまだまだ変わる。

(8)集団行動等(含授業)のときの指導者の指示の仕方・指示内容が、不適切な場面がある。
 再確認――
 ①一時に一事
 ②指示は短く限定
 ③指示は全員に
 ④追加指示不可
 ⑤最後の行動を示す
 ――体育科はじめ実技教科の教師から学ぼう。

★画像=8月に開催された市内中学校ソフトボール大会。(画像をクリックすると大きくなります。)



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★教師の人間性は何とでもなるというのが僕の人生観、人間観だ(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-13 13:51:34 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈主任会トピックス編〉
★学校部活動に対する教職員のディスカッション力が脆弱すぎる
2014
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  ◆主任会トピックス――〈人間は変わる〉〈席替えの哲学〉〈部活動に対する教職員のディスカッション力〉  

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★〈主任会トピックス(6月 その②)編〉

(1)「本気で叱る」というけれど……。

★まわりの子どもが、「ああ、先生はこんなに本気でこの人のことを思っているのだ」と感じとる場合と、(ま、叱り方が悪いのだと思うが……)子ども本人になんらかの落ち度があり、責められる点があれば、どんな罰をあたえてもいい(含いじめ)と感じとる場合がある。
 僕の場合、現時点で、僕の過去を振り返ると、残念だが、圧倒的に「後者」が多い、「ああ、取り返しのつかないことをしてしまった」と猛省している。
 「あとからフォローすることが大切だ(=フォローすればOK)」と教えてくれた先輩もいたが、大まちがいだ。
 僕の家の故レオン(=ゴールデンレトリバー。2007/6/13没、12歳1ヵ月)でもフォローはきかなかった。

★僕は「前者」のような教員になれるのか?
 人間性を変えるのがむずかしいように、「後者」から「前者」に変わるのは至難のワザである。
 しかし、絶望はしていない。
 「むずかしいことだけれど、なんとかなる。いや、なんとでもなる」というのが僕の人生観、人間観だ。

 僕は(上の図で)D→Aは確かにむずかしいが、D→C、あるいはD→Bは鍛錬によりなんとかなるし、やがてはB→A、C→Aも可能になるのだと信じている。
 人間は変われる。
 人間は変わる。

 僕らは公立中学校という組織の中で仕事をしている。
 本人の努力は当然だが、組織としての努力も忘れてはいけない。
 (本人に対する)組織としての、外からのサゼストだ。
 「サゼスト」=suggest
 意味は――
 ・提案する
 ・暗示する
 ・示唆する
 ・それとなく言う
 ・思いつかせる
 ・連想させる
 学年主任等には、この「サゼスト」のリーダーシップを取る役目を背負っている。

(2)席替えの哲学

★先輩教師に「わたしは1年間、席は変えない」という人がいた。
 仰ぎみるほどの先輩だったので、そのときは、ああ、そういうものかぁ~と、高僧の話でも聞くように聞いていたが、よくよく考えると(いや、よくよく考えなくても)、これはトンデモナイ話だ。
 1年間も廊下側の最前列に座っていたら、背骨に影響がでる。

★僕の場合は、①人間関係の固定化、グループ化を排除する、②健康に留意するという観点から、
 ①4・5月
 ②6・7月
 ③9・10月
 ④11月・12月
 ⑤1・2・3月と、年間、計5回の席替えをしていた。
 子どもたちから希望(①視力・聴力などに関する自由記述 ②教室を9つのブロックに分け、第1・第2・第3希望を書かせる等々)を取ったうえで、学級担任の責任で決めていた。
 ……という記事を書きながら、そばにいた2学年主任の三笠Tにこの話をしたら「5回では少ない」と言われた(ノ△・。)。
 三笠Tの主張は、2つの観点(①=人間関係 ②=健康)は正しい、しかし、5回というのは、むしろ「高僧の話」に近いということだった。

 席替えに関する片々の技術について情報交換しながら、各学年分掌をはじめ、各校務分掌で教育哲学しよう。

(3)長期休業に際し、「ILO・ユネスコ 教員の地位に関する勧告」を読み直そう。

★〈以下、抜粋〉
 3=指導的諸原則=6
 教育の仕事は専門職とみなされるべきである。
 この職業は厳しい、継続的な研究を経て獲得され、維持される専門的知識および特別な技術を教員に要求する公共的業務の一種である。
 また、責任をもたされた生徒の教育および福祉に対して、個人的および共同の責任感を要求するものである。

 6=教員の継続教育=34
 教員には継続教育の課程や便宜に参加するための機会および刺激が与えられ、また教員はこれらを十分に活用すべきである。

 8=教員の権利と責任=70
 すべての教員は専門職としての地位が教員自身に大きくかかっていることを認識し、そのすべての専門職活動のなかで最高の水準を達成するよう努力しなければならない。

★勧告の理念と、教育現場の実態とに、大きな距離がある。
 はっきり言う。
 サムライ中の経営の重点2=「学社連携・融合=学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくりをめざし、サムライ小・中PTAを核にサムライ・ネット事業を推進する」は、この「距離」を埋めることをめざしている。
 いつもくり返すように、「連携・融合」には粗く、2つの発想がある。
 1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭や地域で支援してやろう、応援してやろう」という発想(支援タイプ)。
 もう1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に、適切に分担しよう」という発想(分担タイプ)。
 2つは似て非なる発想だ。
 「支援」も「分担」も連携だから、一見、似ている。
 しかし、前者(=支援タイプ)は学校が荷を抱えたままであるのに対して、後者=(分担タイプ)をこれを改めようとする。
 われわれは、もちろん、後者をとる。
 この「分担」のいちばんのターゲットが「部活動」だ。
 このことに対する日本の公立中学校の、教職員のディスカッション力が脆弱すぎる。
 これが日本の公立中学校を混乱させている。
 混乱の根があまりにも深い。

 僕が、ある興奮と、あるもどかしさを感じる、特集記事的な話題になりかけたので、この号は、これでいったん閉じる。

★画像=7月のサムライ中(画像をクリックすると大きくなります。)



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★いい授業のための修業と、巡回で、日本の公立学校は変わる(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-12 13:05:35 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈主任会トピックス編〉
★学社連携論が学校教育側でも社会教育側でも崩れている
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  ◆いい授業のための修業と、巡回で、日本の公立学校は変わる  

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★〈主任会トピックス(6月)編〉

(1)さむらいネット・地域情報交換会で、この地域の「カタチ」「チカラ」を一足座にとらえる。
 7/☆ 午後6時半~ 本校図書室。
 学校・家庭・地域がそれぞれの教育責任をきちんと分担できる力をもった、真に「力のある校区」をめざしたい。
 そのために互いに情報を交換し合い、協力・協調関係を確保し、状況によっては連携・融合し、それぞれを活性化させる。

 開催日の7月初旬というのは、公立中学校の教職員にとっては、半分冗談、半分本気でいうところの「睡眠0時間」の時期だ。
 情報交換会に参加するための時間を見いだすのは、乾いた雑巾をしぼるくらい厳しいのだが、地域の「カタチ」「チカラ」が具体的に見ることができる、またとない機会だ。
 出席して、連携・融合の相手を自分の目でしっかりと把握しよう。

 なお、学校・家庭・地域が「連携・融合」して……というとき、その「連携・融合」には粗く、2つの発想がある。
 1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭や地域で支援してやろう、応援してやろう」という発想(支援タイプ)。
 もう1つは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に、適切に分担しよう」という発想(分担タイプ)。
 2つは似て非なる発想だ。
 「支援」も「分担」も連携だから、一見、似ている。
 しかし、前者(=支援タイプ)は学校が荷を抱えたままであるのに対して、後者=(分担タイプ)をこれを改めようとする。
 われわれは、もちろん、後者をとる。

 前者を否定するわけではない。
 ただ、前者のままでとどまっていれば、現在、日本の教育危機の元凶である「学校の教育丸抱え体制」(=学校の教育独占体制)は、100年経っても変わらない。
 前者を後者の準備段階ととらえることが大切だ。
 40年前、「学社連携論」が登場したとき、真のねらいは、後者だった。
 社会教育側が「学校だけではもうアカン。荷を半分、社会教育側に寄こせよ」と警鐘を鳴らしたのだ。
 学校教育ピンチに、社会教育側が立ちあがったのだ。
 職場体験のスタートも「学校だけで子どもを抱え込まないで、子どもを社会教育側にまかせろ」……だった。
 残念ながら、この「学社連携観」が学校教育側にも社会教育側にも普遍化できなかった。
 再点検が必要だ。
 話がやや脱線するが――
 地域によっては、いつの間にか学校側が「なんとか、頼んマス、頼んマス」と頭を下げまわっている。
 近隣の教員から聞いた話だが、ラーメン店に職場体験の依頼に行ったら、店主から「校長が頭を下げに来るんやったら、引き受けたってもええで」と言われたそうだ。

 話を戻す。
 さむらいネット・地域情報交換会で得た貴重な情報を、学校・家庭・地域の分担計画、いわゆるアウトソーシング計画に生かそう。

 ☆註①「睡眠0時間」=1学期末定期試験の採点、評価、通信表作成、日常のノート点検、あすの授業の準備等々をトータルすると、睡眠時間は0になる……という意味。

(2)職務に応じた視点で(校内規定にしたがい)毎日、校舎内外を巡回する。
 校長、教頭、学年主任(副主任・副担任)、教務主任、生徒指導主任、研修主任、保健主任、学級担任、教科主任……それぞれ職務に応じて「視点」が異なる。
 その視点の鋭さの総和が、サムライ中の教育力になる。

 経験的にいうと、この「総和」の差が、学校間で、すごく、もうメチャクチャ、差がある。
 「いい授業(註②)」のための修業と、この「巡回」で、日本の公立学校は変わる。
 いじめも不登校も非行も「暴力の連鎖(註③)」もすべて解決できる。

 本校の「巡回」に関する課題、2点。
 ①登校状況把握(玄関or学年棟)、給食準備状況把握の際、学年主任と副主任・副担任との分担、連携がうまくいっていない。
 ②授業の実態把握について、学級担任による自身の学級の状況把握、学年主任による自身の学年の状況把握がうまくいっていない。
 改善例=授業開始前に教室に行く。
 改善例=授業中、廊下から10分程度、授業を観る(聞く)。
 計画的に、1日2教科。
 これは僕がはじめて学級担任になったとき、先輩教員(←今でいうと「指導教員」)から「必ずやるように」と指導を受けたことだ。
 「巡回」は安全確保のためだけではない。
 「巡回」は、公立学校の命である「狭義の学力、100%保証」のためでもある。

 ☆註②「いい授業」=「いい授業」は、朝、起きた中学生が「○○先生の授業が楽しみだぁ~」と家を飛び出してくる。
 小学生ではない。
 中学生が……だ。
 そういう教師と子ども関係が創られるかどうかが問題なのだ。

 ☆註③「暴力の連鎖」=ネットで次のようなニュースを見た。
 《体操着の着方を注意した20代男性教諭に、中学2年の生徒が教師の胸ぐらをつかんだ。教師が生徒を押さえこもうとしたら、生徒が「これって、体罰やんけ。みんな見とったか? 見たやろ? ほんなら、俺かてええんや」と教師に殴りかかった。》(ネットニュース、以上)。

(3)教師のことばづかい
 ①業界にしか通用しない短縮用語は、(僕も使っているのでいいにくいのだが)できる限り避ける。
 先日、職務で他校の保護者集会に参加したとき、ステージ上で説明する教員の「ガクタン」「ヨウキョウ」という語に違和感を覚えた。
 僕がそのとき保護者に近い立場で話を聞いていたからかもしれない。
 皮膚感覚がザラザラした。

 ガクタン
 ヨウキョウ
 ショクチョウ
 シキョウイ
 シャキョウ
 ナマガク
 ギタン等々……。
 いったい、なに言うてんねん?
 一般の人にはまず通じない。
 聞いている一般の人にも失礼だし、対象になっている人(例=生涯学習課の人)にも失礼だ。
 僕が養護教員だったら「ヨウキョウ」と言われたら不快になる。
 そのうち、子どもたちが「僕のガクタンは……」と言いだすかもしれない。

 なお、子どもの前で自分のことは「わたし」。
 「センセイ」は厳禁。
 子どもの呼び方は、子どもの前でも、子どもがいない場合でも「○○さん」で。2316字

 ★画像=8月の学校風景


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★PTAなら、SAMURAI・ネットを100年間、守りつづけてくれる(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-09 15:03:15 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈サムライネット編〉
★皮肉っぽく聞こえるかもしれないが、僕らはPTAの「前例主義」に目をつけた
2014
08.09

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  ◆SAMURAI・ネットの「中核エネルギー」に僕たちはPTAを選んだ  

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★SAMURAI・ネットの――教育コミュニティづくりのために、多少の困難はあっても「まずわたしが歩く」「わたしは歩きつづける」という――「中核エネルギー」に僕たちはPTAを選んだ。

 その理由を、粗く5点、述べる。

(1)PTAはネットワークの要だ。
 PTA会員は、子どもの保護者である。
 学校に最も近い存在であり、かつ地域の住民である。
 PTAの存在自体が、学校・家庭・地域のネットワーク形成の「芽」を内包しているといっていい。

(2)PTAは自主自立の精神に富み、高い実践力を有する社会教育団体だ。
 社会教育団体にもピンからキリまである。
 中には、別号でも述べたように(過渡期的に行われてきた)行政からの指導・助言・支援におんぶにだっこの団体もないわけではない。
 この点、日本の各小・中学校のPTA(連合PTAに対して単PTAと呼ぶ。「単P」と略すこともある)は、正真正銘、ホンモノの社会教育団体だ。
 こんなふうにいうと、学校の「教頭」におんぶにだっこの単Pもある……と学校教育関係者からツッコミが入りそうだが、ま、それは論外。
 一刻も早く、おんぶにだっこ状況から脱し、力いっぱい独立へと舵をきってもらいたい。

(3)常に新しい人材が確保できる。
 毎年、ほぼ「自動的?」に30代~40代の会員を多数獲得できる(SAMURAI校区=人口11000人、4300世帯、児童600人、生徒400人……の場合)。
 僕らは「中核エネルギー候補」から学校を除いた。
 行政を除いた。
 地域とPTAが残った。
 残った2つから、深慮遠謀の末に「PTA」を選んだ。
 いちばんの理由が、この(3)だった。
 「地域」はスーパーマン(スーパーウーマン)がいるうちはいい。
 だが、不在になったとき、後継者の保証はない。
 後継者に苦しむ地域ネットワークを多く見てきた。
 それが原因で消滅したネットワークもある。
 この点、PTAはシステムとして常に新しい人材が保証されている。
 SAMURAI・ネットの行く末(継続性)を考えるとき、どうしてもこの「保証」が必要だった。

(4)組織の維持・継続のシステムが優れている。
 リーダーから次のリーダーへという人のつながりが形成しやすいシステムだ。
 これにはPTA独特の「規約」が大きな役割を果たしている。
 僕は熟読した。
 書き写した。
 実によくできている。
 (「規約」の中味の詳細は、この号では割愛する。)

(5)前例主義の威力。
 皮肉っぽく聞こえるかもしれないが、「前例主義」はPTAの魅力だ。
 PTA会員の在籍期間は、小学校で6年、中学校で3年と短い。
 Pにとっても、またTにとっても、「前例」どおりこなせるようになるのがせいいっぱいだ。
 変革を……と思ったところで「卒業」だ。
 こんなモン、やめてしまえ……と思ったところで転勤だ。
 よくいわれるようにマンネリ化というマイナス面をもっている。
 しかし、反面、とんでもなくシンドイものでも、途絶えることなく受け継がれ、大きな成果をあげるというプラス面ももっている。
 SAMURAI・ネット=地域教育コミュニティーの「中核エネルギー」でありつづけることなどは、とんでもなくシンドイことである。
 でも、PTAなら、多少の困難はあっても「まずわたしが歩く」「わたしは歩きつづける」と100年、守りつづけてくれることだろう。

 以上、(1)~(5)、粗く、教育コミュニティーの中核にPTAを選択する理由だ。

 ただ、この話は、あくまでも設計段階の話だ。
 SAMURAI小・中のPTAが実際に「中核エネルギー」役を引き受けるかどうかは、また別問題だ。
 第1回の小・中合同のPTA総務委員会の議論紛糾が目に見える。



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★でも「最初に歩く人」がいないと、なにもはじまらない(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-06 17:10:56 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈サムライネット編〉
★いったん抱え込んだ荷を抱え込んだ側が「これは家庭で分担を」「これは地域で分担を」という旗振り役が果たせるか?
2014
08.06

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  ◆地域ネットワークの中核エネルギー候補からまず「学校」を排除した――「教育コミュニティーの中核エネルギー論 1」  

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★もう、耳にタコができるといわれそうなくらい、くりかえし、くりかえし、話してきたことだが、学校・家庭・地域の個人や団体という、サムライ地域の教育を構成する点と点と点……とのあいだに――「点」の存在ではなかなか力が発揮できないので――つながりを創りだし、それぞれの立場で、自由に、気軽に参画できる教育システムをつくろうというのが、SAMURAIネットの理念だ。
 そのためには、学校・家庭・地域の教育を総合的にとらえ、それぞれの活動や気持ちを、つながりのあるものにする、中核となるエネルギーが必要だ。
 歩く人が多くなれば、道ができる。
 でも、まず「最初に歩く人」がいないと、なにもはじまらない。
 多少の困難はあっても、「まず、わたしが歩く」「わたしは歩きつづける」という人物=「中核エネルギー」が必要なのだ。
 すばらしい実践の裏には、必ずこの「中核エネルギー」が存在する。

★「中核エネルギー」の候補として、行政、学校、地域の有志、PTA等々……、いくつか考えられる。
 結論的にいうと、われわれは、これらのなかから「PTA」を選択した。
 理由は、あとで述べることにする。

 消去法で、まず、いちばん先に排除したのは「学校」だ。
 学校は確かに中核エネルギーとしての能力を有している。
 十分すぎるくらい有している。
 しかし、現在の教育危機を招いた元凶は、その学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)なのではないか?
 「なんでも学校」、家庭もそう思い、地域もそう思い、教師自身もそう思いこむ体制。
 これが、家庭や地域の教育力を弱めた。
 学校と家庭と地域の教育のバランスを崩してしまった。
 その学校が「中核エネルギー」としての役割を担い、機能しはじめると、バランスがさらに悪くなるのは、目にみえている。
 周囲を見回すと、こういうたぐいの実践が少なくない。
 たとえば、こういう言い回しに気をつけなくてはいけない。
 「もう一度地域の人が結集するシンボルとしての学校を見直そう」(清水潔・発言当時=文部科学省生涯学習政策局長。のち事務次官。2012年1月退官)。
 あるいは、こういう言い回しにも気をつけなくてはいけない。
 「さまざまなネットワーク活動を意図的に立ち上げて社会のつながりをつけ直すことが必要だと思う。そのためのひとつの有効な方法として、いい学校をみなで作ろうということを目指した、学校を拠点とした地域と学校の連携を深めるネットワーク活動がある」(金子郁容氏)
 発想がメチャクチャだ。
 こういうことでは、100年たっても日本における「学校の教育丸抱え体制」は変わらない。

 いったん抱え込んだ荷を抱え込んだ側が「これは家庭で分担を」「これは地域で分担を」という旗振り役が果たせるか?
 戦術的にきわめてマズイ。
 「どこの学校でもやっていることではないのか?」「この学校の教職員はやる気がないのか?」と、罵倒されるのがオチだ。

 さらに、もう一点。
 僕は「学校は中核エネルギーとしての能力を十分すぎるくらい有している」といった。
 でも、そう思いたいだけなのかもしれない。
 学校は今、抱え込みすぎてパンク状態だ。
 パンクして、学校、家庭と同様に、いや、それ以上に、教育力を低下させている。
 そこに、本気で、この「中核機能」まで抱え込めば、まちがいなく機能不全に陥るだろう。

★次に排除したのが、「行政」だ。
 戦後、行政主導で、星の数ほど、社会教育団体が誕生した。
 しかし、行政にオンブに抱っこの社会教育団体をいくらつくっても日本社会は変わらなかった。(社会教育団体が全部ダメ……といっているのでは決してない。有益な団体も多い。念のために。)
 これには説明はいらないだろう。
 敗戦後、日本の社会教育失敗の最大の原因がここ(「行政にオンブに抱っこ」)にあるといっていい。

★ここで、残ったのが「地域」と「PTA」だ。
 「地域の有志」が、中核となり、学校・家庭・地域のネットワークを形成し、具体的な活動を積み重ね、教育コミュニティーづくりに成功している例が、僕たちの街にもいくつかある。
 僕らは、これらの実践から多くのものを学びつつ、しかし、最終的には、教育コミュニティーの中核にPTAを選択した。

 この号は、ここで閉じる。
 つづきは、「教育コミュニティーの中核エネルギー論 2」で述べる。
1841字

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★「職員室通信」の偽コンセプト露呈事件からの脱却・サムライネット編(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-08-03 12:54:29 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
〈サムライネット編〉
★NHKアニメ「団地ともお」を観ているとき、ハッと気がついた
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  ◆情報交換が形式的に流れる理由は、粗く、2つある  

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★7/☆、午後6時半からSAMURAI中の図書室で、SAMURAIネット・地域情報交換会が開かれた。

 改正教育基本法で、学校・家庭及び地域住民が、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚し、相互の連携協力に努める旨が規定(第13条)された。
 規定されたことは高く評価する。
 しかし、これを学校・家庭・地域の教育現場で具体化していくには膨大なエネルギーを要する。

 このことに挑戦しつづけているのが、本校区のSAMURAIネット(サムライ・ネット)だ。
 SAMURAI小・中のPTAが主体となり、学校・家庭及び地域における諸団体とのあいだにネットワークを形成し、「子どもの成長を親と教師と地域の人で確かめることができるSAMURAI校区」(教育コミュニティ)をめざしている。

 参加団体は、3地区防犯協会、安協(3支部)、交番、少年指導員、3連合町内会、SAMURAI公民館、子ども会育成協議会、地区社会福祉協議会、少年補導協力員、SAMURAI小・中PTA&小・中教職員等……約90人。

★地域情報交換会は、このSAMURAIネット事業の一環として年3回、開かれている。
 人口11000人、4300世帯の地域の諸団体が一堂に会し、子どもたちの健全育成に関して情報を交換する場だ。
 回を重ねるごとに中味が充実している。

 学校・家庭・地域の連携(学社連携)は、①情報交換の段階、②連携の段階、③融合の段階があるといわれる。
 僕はこういう活動をはじめた頃は、あせって、よく「情報交換ばっかりやってないで、具体的な連携・融合活動を展開しよう」と主張したが、これは間違いだ。
 実は、「①情報交換の段階」がいちばんむずかしい。
 これまでたくさんの地域の活動に関わってきたが、多くは情報交換が形式的に流れていた。
 形式的でなく、押しつけでなく、精神ののびやかなつながりのなかで、情報交換がなされないと、なにも生まれない。
 この点、すこやかみなみネットは、適切に情報交換が行われ、そのことから、ごく自然に連携・融合活動が創出されつつある。

★情報交換が形式的に流れる理由は、粗く、2つある。
 ひとつは、校区内にあるいくつかの学校間の連携が、なかなかうまくいかないという問題だ。
 学校間連携ができていないと、学社連携はほとんど進まない。
 ずっと昔の例だが――
 僕の学校では「学校は今、多くの荷を抱え、ピンチだ。だから、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に、適切に分担しよう」という発想で学校を経営していた。
 ところが、隣の学校では「学校は、今、多くの荷を抱え、ピンチだ。だから、家庭や地域に支援、応援してもらおう」という発想で学校を経営していた。
 僕の学校が「分担」を志向し、隣の学校が「支援」を志向していたのだ。
 「支援」も「分担」も連携だから、一見、似ている。
 しかし、この2つは似て非なる思想だ。

 もうひとつは、校区内にある地域諸団体間の連携がうまくいかないという問題だ。
 考えてみれば、諸団体はもともと「他との違い」(=専門分野)をエネルギーにしている。
 本質的には連携しない、あるいは連携を好まない性質を有している。
 (ついでにいっておくが、学校もそうだ。この「学校もそうだ」ということをしっかりと押さえておく必要がある。)


  ◆「団地ともお」の話には、いくつか柱がある。「スポーツ大佐」編 「プロ野球リーグ・藻リーグ」編 「単身赴任の父親」編 「そうめん修業」編……等々  

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★ここで話をガラッと変える。
 6月、この「職員室通信」の偽コンセプト露呈――学校経営の断念の上になお語りつづける600字の教育学といいながら、断念前と断念後とで記述内容が変わらない――その発覚ショックで、方向を完全に見失った。
 「職員室通信」の発行は一頓挫。
 しばらくフラフラしていた。
 何年も何年も「通信」を発行していた僕には、ホンマ、つらい期間だった。

 それが、NHKアニメ「団地ともお」(土曜日・午前9時30分~)を観ているとき、ハッと気がついた。
 「団地ともお」の話には、いくつか柱がある。
 「スポーツ大佐」編
 「プロ野球リーグ・藻リーグ」編
 「単身赴任の父親」編
 「双子のおじさん」編
 「そうめん修業」編
 「子どもたちの遊び」編……等々。
 かつ、柱と柱に強い連続性はない
 同じように、僕の「職員室通信」もいくつか柱を設定してみよう。
 これまでは、週単位の教育課程(主に「週報」等に記載されている内容)に即した現場報告というスタイルだった。
 それをこれからは、団地ともお的「柱」で発行する。
 柱の例――
 1.教育コミュニティ「サムライネット」編
 2.教師の授業修業編
 3.日常行事編
 4.主任会トピックス編
 5.あれこれ特集記事編(「4.主任会トピックス」に加筆した記事)

 「団地ともお」と同じく、柱と柱に強い(時間的)連続性は求めない。
 柱に沿って思考と実践をラセン状に深めていく。
 本日の記事は、「1.サムライネット編」の第1号だ。
 教育コミュニティづくりは、山あり谷あり。
 常に胸突き八丁、青息吐息だ。
 ねばり強く記述をつづけたい。

 なお、僕は、木下君子(ともおの姉・中学2年)と鎌倉景子(ともおの同級生・小学4年・「ケリ子」)が大好きだ。

★今回の情報交換の終わりに、SAMURAI公民館の館長から「ホタルの里」案内があった。
 ホタルが舞う条件として、
 ①夜8時~9時半頃で、
 ②あたたかくて、
 ③小雨模様で、
 ④風の強くない日……で、「実は今夜がその条件にピッタリなんですよ(^_^)v」ということだった。

 絶滅したといわれていたサムライ川のホタルが復活したのは、「ホタルの里づくり」推進委員会の方々の労苦のたまものだ。
 サムライ川のホタルは、水槽で人工飼育した幼虫を春先に放流する方式をとっている。
 幼虫飼育・川の清掃・幼虫放流・草刈り……と活動は年間におよぶ。
 本地域社会教育活動の中核的な存在だ。

 地域情報交換会の帰路、ホタルの里に寄ってみた。
 ホタル小屋の脇を抜け、サムライ川の土手に立つと、小さな光がいくつもいくつも闇夜を滑るように浮遊していた。
 僕のカラダから魂が溶け出し、今、目をつむったら、自分が音もなく消えてしまいそうな安らかさ(=同時に、消えたらアカン、危ないぞという恐怖?)を感じた。

★画像=SAMURAI中の1日(7/☆)



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★僕の転勤。C1000ビタミンレモン、本田翼「待ってろよ、王子様。」(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-07-25 10:11:15 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
番外編
★僕には「軍装」の趣味がある。飲み、歌い、行進しているとき、僕は「幸せ」である
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  ◆大迷走の終わり。C1000ビタミンレモン、本田翼「待ってろよ、王子様。」  

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〈スクロールコメント〉
★2014/07/21(月) ★僕の「職員室通信」が迷走・失速しつづけている。
 根本のコンセプトそのものに変化はない。
 念のために復習すると――
 コンセプト=①実在しないもの(=「過去」)の実在性を強固に主張する。
 ②「過去」における僕の断念(=学校経営方針の挫折)の痛みを、僕の肩で受けとめる。
 また「職員室通信」を、「職員室通信」と「番外編(=僕の日常の光景)」に分けることも変わらない。

 今、ぐらつき、迷走しているのは、時間の流れと僕の関係だ。
 これまでは、週単位の教育活動(主に「週報」等に記載されている内容)に即した現場報告というスタイルだった。
 週単位の時間にきつく縛られていた。
 だから、バタバタと書き急ぐところがあった。
 あるいは、その教育活動があった週の近辺で報告を逃すと、記事は断念してきた。
 それをこれからは、外側の時間にとらわれることなく、僕のうちに存在する時間の流れに即し、教育活動を「生み出す」スタイルに転換できないか?……と、ここ、数日、もがいているのだ。

★僕は、一般の人と比べると、教育については、当然、「膨大なデータ(素材)」を持っている。
 持っているのは僕だ。
 しかし、それは厳然とした外側の時間に支えられている。
 外すと、フィクション化し、データは腐る(恐れがある)。
 データを腐らせないで、僕のうちの時間に即し、生き生きと蘇らせる方法?

 昨日、「野球ニュース」で、次のような記事を読んだ。
 巨人・鈴木の、キャッチャーから見てセカンドベースの一番遠い右端を狙って滑り込むという高度なテクニックに、阪神・上本がうまく対応できなかったこと……、阪神・能見のフォークがワンバウンドとなったとき、梅野がミットから先に動いて体の動きが一歩遅れたこと……。
 紙一重とも言える、2つの技術的なミスである。
 だが、私には、この小さな差が、阪神、巨人の潜在的な力の差に感じてしまう。(要約=小高)
 この「私」とは、掛布雅之氏のことである。
 掛布という人は、バットだけでなく、文章もうまいのか……と感心していたら、末尾に「文責・掛布雅之/構成・本郷陽一」とあった。
 なるほど、ひょっとしたら、ここに大迷走を終了させるヒントがあるかもしれないと思った。
 掛布氏言は、僕の話の流れでいうと「膨大なデータ(素材)」だ。
 「膨大なデータ(素材)」を記事へと生まれ変わらせるのが、構成役の本郷陽一氏。
 C1000ビタミンレモン、本田翼「待ってろよ、王子様。」

★画像=散歩中の僕の前に立ちはだかった猫。
 僕がドンドン猫に近づいても、動こうとしない。
 ま、僕に飛びかかろうとは考えていないようだが、かといって、リラックスもしていない。
 僕を見る。
 僕から視線をそらす。
 そうしながら身構えている。
 通りすぎてから、パッと振り返ると、猫も(この画像の姿勢を崩し)パッと僕を振り返っていた。
 イヤなヤツである。
 僕は猫は好かん(ノ△・。)。


  ◆MINAMI暮らしの終わり。C1000ビタミンレモン、本田翼「待ってろよ、王子様。」  

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〈スクロールコメント〉
★2014/07/23(水) ★「職員室通信」の大迷走中に、僕にとって大事な出来事があった。
 MINAMI中からSamurai中に転勤することになった(^_^)v。
 MINAMI中から放出されることが僕にとっていちばん大事なことだということにやっと気づいたのだ。
 MINAMI暮らしをつづけるうちに、言葉にしようとしてもうまく言葉にならないものの量が……、あるいは、言葉にしなくてはいけないのに口をつぐんでしまうものの量が、少しずつ自分の中に積もっていくのを僕は感じていた。
 いい「転勤」だ。
 「うまく言葉にならないもの」「口をつぐんでいるもの」に僕を直面させることになるだろう。
 当然、教育コミュニティづくりの活動も、MINAMIネットからサムライ・ネットに活動場所が替わる。

★画像=庭のアゲハと群生するヨウシュヤマゴボウ。

 〈スクロールコメント〉
★2014/07/25(金) ★僕のCHATに、あのねさんからカキコミがあった。
 「幸せとは、日々の喜びを抱きしめるってことでしょうか?……難題ですねw」
 「先生は、どのような時に幸せ感じるのでしょうか?」と。
 ホンマ、難題である。
 僕は「幸せ」を粗く3つに分類している。
 ①僕に課せられている社会的な役割が達成できたとき
 ②社会的な役割を壊さない範囲における日々の喜び(例=恋愛、友情、お好み焼きがうまく焼けた……それから僕には「軍装」の趣味がある。飲み、歌い、行進しているとき、僕は「幸せ」である。先日は、夜、20000歩も歩いた。ゴメン。この「軍装隊」あるいは「軍装会」については、いつか別なところでくわしく説明する。)
 ③僕から「①」「②」を引き去ったところの、僕の歴史的同一性を保証する、ま、いってみれば「夢」、その「夢」の実現をぼんやりと夢見ているとき……。

 「どれか1つを」と言われると、断然「③」だ。



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★SAMURAI中の終業式――教育は団体戦だ(教師修業シリーズ・職員室通信)

2014-07-23 14:58:12 | 僕のモンマルトル日記

 

職員室通信
★Samurai中の〈終業式・式辞〉清貧・読書・奉仕・名誉
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  ◆学校の品格をぶち壊す「式辞」  

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★本日の終業式・式辞は、品格のない式辞になってしまった。
 学級担任として語らなければいけないことがある。
 学年主任として語らなければいけないことがある。
 教務主任、教頭、校長についても同じことがいえる。
 もちろん、重なり合う部分はあっていい。
 学級担任が話したかもしれない。
 それを念には念を入れて他の立場の人が話してもいい。
 しかし、重なり合いながらも、それぞれ、肝心要のポイントははずしてはいけない。
 これが学校の品格だ。
 きょうの「式辞」は、この品格をぶち壊すことになってしまった。
 要するに、「肝心要のポイント」がぼやけてしまった。
 おまけに、授業には禁じ手である「張りモノ」まで使ってしまった。
 猛省(ノ△・。)。

 式場入場に手間取り、終業式開始が2分間遅れた。
 SAMURAI中の自慢は、授業はもちろん、式(壮行式・終業式等)や集会(全校朝会・生徒朝会・学年集会等)は設計段階で1分1秒まで厳密に設定し、それを厳守していることだ。
 ただ、中味以外は、たとえば集合・移動等は、なかなか計画どおりにはいかない。
 乱氏Tと相談して、終業式の中味で――すなわち「式辞」で――この2分のうちの1分間を取り戻すことにした。


  ◆「清貧」「読書」「奉仕」「名誉」  

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★ 〈終業式・式辞〉

★4月に転校してきた人。
 いろいろ苦しいことがあったと思うが、よく耐え、よく努力し、きょうの日を迎えることができました。
 逆に、きょうを最後に転校する人。
 SAMURAI中のことを忘れないでほしい。
 SAMURAI中もあなたのことを忘れない。
 ずっとあなたを応援しつづけます。
 そして、身内にご不幸のあった人。
 悲しみに負けず、しっかりと読書しよう。
 勉強しよう。
 
★さて、1学期の終業式。
 よい学校というのは、これまでの、先人たちの歴史的な努力を、しっかりと受けとめ、それを自分たちの力で1ミリでも、0.1ミリでもよくして、それを、次に伝えていく……こういうカタチが、しっかりしている、くっきりしている、それが、いい学校なんだ……という話をしてきました。
 こういう学校は、なかなかありません。
 わたしの理想です。
 このわたしの理想の観点から、1学期を振り返ると、毎日の授業、清掃、生徒会委員会活動、また先日の合唱コンクールと、1ミリでもよくするというカタチが、しっかりと、くっきりと見える、高いレベルの1学期だったと思います。
 1学年の努力、2学年の努力、3学年の努力の成果です。
 とりわけ、3年生の、「自分たちの力で、いいSAMURAI中を創るんだぁ~」という気概ある努力は立派でした。
 その強い表れが、毎日の授業中の姿勢だし、先日の「魂の合唱」だったと思います。

★いよいよ、夏休み。
 毎日の生活を自分で設計して、自分で生き抜いていく力、学んでいく力をつける、よい機会です。
 わたしから4つのポイントを提案します。
 (ここで「張りモノ」登場。演台の前に、「清貧」「読書」「奉仕」「名誉」と大書した紙を張る。)

 ①清貧=お金を使わない。貧乏で暮らそう。貧乏でなければダメだ。そして、志は高くもとう。
 ②読書=本を読まないで高校生になったら、たいへんだ。夏休みは、どんどん読もう。
 ③奉仕=他のためにがんばろう。ゴミを拾おう。道を譲ろう。食器の後かたづけをしよう。そして、1日1回、自分を育ててくれている人に喜んでもらおう。
 ④学校の名誉を汚さない。そういう友がいれば、「ダメだよ」「そんなことはやめよう」と、とめる勇気をもとう。

★3年生にとっては、受験の年の、受験生としての夏休みのスタートです。
 市中体の報告会のときに、わたしは、3年生に受験生として「3つの力」をつけてほしいと言いました。
 これは1年も2年も同じですから、今、いっしょに聞いてほしい。

 1つ目、勉強しようと思っても、いろいろな誘惑がある、その誘惑をバチンと断ち切る「決断力」
 2つ目、気持ちを、キョロキョロ、あっちこっちに散らさない「集中力」
 3つ目、やり続ける「持続力」

 きのうもダメだった、きょうもダメだった……といっているうちに、7月、8月が、あっという間に終わってしまう。
 7月、8月、9月、10月と積み重ねた力と、慌てて、9月、10月というのとでは、全然、違う。
 だから、7月、8月を、失敗しないでほしい。
 失敗すると、志望校のレベルを1つ、あるいは2つ、下げなければいけません。
 7月、8月、がんばっていれば、☆☆高にいけたのに、がんばっていれば、☆○高にいけたのに、それを1つ、2つさげなければいけない。
 あるいは、がんばっていれば、家の人にかけなくてもよかった負担をかけてしまうことになる。
 7月、8月を、失敗しないために、ひとつ提案をします。
 決断力、集中力、持続力をつけるために、勉強時間を決める、それをどんなときでも守っていくというのが、効果がある。
 1日の勉強時間、学習会があるときは学習会もいれてよいですから、1日トータル、最低10時間、1・2年は半分の5時間、毎日やりつづける……、これができたら、決断力・集中力・持続力がついたといえるでしょうし、やり方を間違えなければ、学力もアップします。

 やり方について、3つ、アドバイス。
 1つ目、しっかり暗記できたかどうか? 確かめる工夫をすること。
 確かめて暗記できていなれば、やり直すこと。
 これはシンドイですよ。
 このシンドサに負けない厳しさの差が、あとあと大きな差になります。
 2つ目、音読は大事です。
 何度か読むと頭に入る。
 ただし、ベラベラと読むのはまったく効果がない。
 はっきり、クッキリと音読すること。
 3つ目、重要なこと、重要な単語は、書くことが大切。
 何度か書くとくっきり頭に残る。
 ただし、これもベラベラ書くのはまったく意味がない。
 丁寧に、濃く、しっかりと書く。
 こういう勉強の仕方については、他の先生方からもいろいろ聞いて学んでほしい。
 ああ、決断力がついた……ああ、集中力と持続力がついた……という夏休みにしよう。

★最後に、事故に注意。
 十字路、T字路は危ない。
 必ず止まろう。
 花火で失明することがある。
 水の事故に気をつけよう。
 2学期、大きく成長した、みなさんに会いたい。
 会えることを願って、式辞とします。
 〈終業式・式辞 以上 定刻終了〉


  ◆「教育は目に見える」「教育は団体戦」「教育のブルブル感」  

015

017
★(1)終業式の夜、市内某所で、1学期教職員反省会。
 〈あいさつ――記憶の断片から復元〉
 4月、5月、6月、7月……と1学期が過ぎた。
 1年の半分が過ぎたことになる。
 個人的にも、自分の1年間のチェックポイントが、このあたりにあるので、これまでのいろいろなことを想起している。
 きっと教職員のみなさんも、おひとり、おひとり、同じ思いだと思うし、とりわけ、今年度、転勤して来られた方々は、ひときわ感慨深いものがおありだと思う。
 1学期を終わるに際し、次の3点で総括したい。
 ①「教育の成果は目に見える」=教育というのは成果の見えにくいものだと、よく言われるが、これを目に見えるレベルにまで到達させようと挑戦し、一定の成果をおさめることができた1学期だった。
 ②「教育は団体戦だ」=(内容省略。というか復元するのがシンドイ。)
 ③「教育のブルブル感は最高だ」=(内容省略。同じく、復元するのがシンドイ。)
 ひとつの節目に、子どもたちの成長を喜び、こうしてお酒と料理をいただくのが、学校文化だ。
 きょうは、品格ある学校文化を楽しもう(^_^)v。(反省会あいさつ、以上)

(2)HPの掲示板に子どもたちのカキコミが、いろいろある。
 掲示板の設置に際しては、ずいぶんと迷った。
 全国の例もチェックしてみたが、掲示板の設置例はごくごくマレだった。
 しかし、その「ごくごくマレ」の掲示板は、どれもどれもすばらしかった。
 そういう学校経営にあこがれて、僕も掲示板を設置したのだ。

☆〈ぽんちゃん1号から〉
 お久しぶりです♪
 暑い日が続きますね(+ω+;)
 合唱コンの練習はキツイ(‐_\)
 でも、ほめられたりするとやっぱり嬉しぃ
 『絶対!最優秀賞とるぞ↑↑』・・とぃう勢ぃで頑張りますっ∑(≧∀≦)
 今、家で飼ってるハムスターがどっかに行ってしまいました・・(悲)
☆〈僕からぽんちゃん1号に〉
 合唱練習というのは、みんなで、ああでもない、こうでもないと言いながら、より高いレベルのものを創造していくところにおもしろさがありますね。
 霧の中に突然ゴールが見え、全員でそのゴールに突入したときの気分は最高です。
 最優秀賞をめざして、がんばれ!
 ハムスターが心配です。
 どこへ行ったのでしょうか?
 僕は小学2年か3年のとき、飼っていた蟹がいなくなって、心配で心配で、もうどうしようもなく悲嘆にくれたことを覚えています。
 「きっと水がなくて苦しんでいる。学校を休んで探す」(小学生の僕)
 「母さんが探しといてあげるから、学校に行きなさい」(母)
 「見つかったら教えにきてくれる?」(僕)
 「うん、教えてあげるよ」(母)
 ハムスター情報は継続して教えてください。

☆〈ぽんちゃん1号から〉
 合唱コンはとぅとぅ終ってしまいました・・(涙)
 結果は『優秀賞』だったけど、まぁ最後まで乗り切れてヨカッと思います
 ハムスターなんですが、まだいません。
 こんなに淋しぃお別れはイヤでたまりません↓↓
 今もぅ一匹いるのですが、コイツを大事に育ててあげたいと・・(涙)
☆〈僕からぽんちゃん1号に〉
 カキコミ どうもありがとう。
 合唱コンクールは、すごくハイレベルのものになりましたね。
 僕の耳にはどこが最優秀なのかまったくわかりませんでした。
 みんなで何かに取り組んで、それがバシッと決まったときほどうれしいものはありません。
 ぽんちゃん1号は、それが体験できたから最高にしあわせだと思います。
 ハムスター情報、TNX!
 きっと蛍を見たり、あちこちの野菜を食べたりして、元気にしていることでしょう。
 「脱走」したことをちょっと後悔しているかもしれません……。
 僕は時間ができたら、鉄道と折りたたみ自転車(はなむけ号)を組み合わせた小旅行をやる予定です。
 あとでブログにアップします。



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