京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

ひさしぶりの食事

2009年10月31日 05時09分04秒 | 
ここ一ヶ月断食状態でした。
たぶん、自分の身体や心をリセットしたかったんだろうな。
PCをほとんど、初期化、もしくは新型に換え、配線も新品にしました。
劣化するんですよ。配線。
本や資料も思い切って処分して部屋もすっきりしました。



さて一昨日は、四日市方面に出張。
打ち合わせをいっぱいしました。
その後、地元の方に「大とんてき」の店に連れていってもらいました。
いつかテレビで観たからいつか行こうと思っていたんです。
こればかりは食べてみないとわからない。
開店が午後の部は5時でちょっと早めに駐車場で待機。
行列ができるというのです。
平日は大丈夫だとは思いましたが、ならぶのが苦手症候群なので早めに行くことにした。



さて、絶食後すぐに食べるにはちょっと不安もありました。
お店の中からすごいニンニクの匂い。
ニンニクが苦手の人はひるむだろうな。
開店直後でもお客さんがいたのにビックリ。
注文は、「大とんてき定食+ニンニク追加」ね。



大とんてきというには、ちょっと小さいと思う。
普通の時、私なら3倍ぐらい必要。ニンニクも少ない。
我が家の料理の方が絶対ニンニクが多い。
味はウスターソースベースと秘伝の特製ソース。
家で再現できると思います。



ちょっと焦点の定まらない味かな。
唐辛子か。私なら最初、油で唐辛子を3本ほどゆっくり煮てからニンニクを入れるだろう。
そうすれば、パンチがでてもっとご飯が食べられる。
ちょっと小さくて拍子抜けでしたが、一ヶ月の断食後、初日ならこれでいいでしょう。
胃けいれんもなにも起こりませんでした。
ついでにいうと次の日、口臭も大丈夫でした。
胃腸は高回転してくれたようです。


「まつもと来来憲」地図
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今宵は「十三夜」

2009年10月30日 05時27分03秒 | 和菓子

↑長久堂「后の月(あとのつき)」、何を表現しているのか不明。

今日(30日)は、旧暦9月13日で「十三夜」ですね。
京都でもご存じ方は少ないかも。



最近では、ハロウィンの方がいいみたい。
和菓子でもひとつあったけど、表現がどうもうまくいかないようでした。
今年は買いませんでした。


↑うるじ製、煉切あん

旧暦なんてあまり気にとめなくなった。
でも季節的にこの時期は、安定していて十五夜の時より空がクリアーになる。
それにようやくお芋さんも美味しゅうなってきた。
昨晩も十三夜前夜ということで当然満月じゃないけど、きれいだった。


↑これは路渡カッパさんからもらった写真です。


↑昨晩の月

十五夜に月見をしたら必ず十三夜にも月見をするものとされてきたんです。
十五夜だけでは、「片月見」といって嫌われていた。
そこでこの間の十五夜の時の月を掲載しておきます。
この写真を観たら「片月見」にならないから、今夜、十三夜の月を楽しんでください。


↑本家玉寿軒「月恋し」

十五夜は「芋名月といわれるぐらいなので、お供えが里芋なんかを供える。
それに対して、十三夜は「栗名月」と呼ばれるぐらいだから、栗や豆を供えるんです。
栗や豆のモチーフを探したけどなかった。
やっぱり京都でも認識されてないのかな・・・。
ハロウィンをするより十三夜をした方がずっといいのに。




↑外郎製、白あん、黒あん

十三夜は、日本独特の風習。
「小麦の名月」と呼ぶ地方もあったそうです。
旧暦の9月13日の夜のお天気で、翌年の小麦の豊作、凶作を占う習慣からきている。
「十三夜に曇りなし」という言葉があるぐらい。すっきり見えることが多い。
食べ物を美味しくなってきたし、やっぱりしっくりくるな。
鍋物も美味しくなってきましたね。


↑二條若狭屋「芋名月」
形は、面白くできていますが、今頃売るにはちょっとおかしいかな。
タイトル的にいっても、十三夜と違う。
勘違いしたのかな・・・。


↑こなし製、黒こしあん

たまにはゆっくり空を眺めるのもいいですよ。
お月さんも「有料やで」とは言わはらへんしね。
無料で思う存分眺めてみてはいかがでしょう。
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鞍馬寺の本殿金堂

2009年10月29日 05時00分08秒 | 社寺


やっと本殿についた。
記事にしても長いな。
鞍馬寺って敷地が広いから一日たっぷり時間をかけないといけないだろうな。
これは、お堂のてっぺんにある飾り。
太陽を表しているのかな・・・。
ウニじゃないよね。



ここの立て砂(盛砂)は上が平らだ。





ここは、狛犬が寅だ。
来年の干支か。



ここは、京都市内にくらべ、もう秋の雰囲気でした。
朱と秋らしい山とよく合う。



本殿金堂の前にある広場の南端にちょっと飛び出した場所がある。
これは「翔雲台」といいます。
ここからの景色は雄大。
ここに、本尊が降臨した場所だとされている。



中央にある板石は本殿金堂の後方より出土した経塚の蓋石である。



だから、この石はそれほど、ありがたいものじゃないようです。



この石と本殿金堂の真ん中あたりに、こんな模様がつくってある。
テレビでパワースポットだと言っていた。



それを真に受けて、わざわざ靴を脱いでお詣りをしている人でいっぱいだった。
バカなテレビですが、その効果おそるべし。
願いが叶うといいですね。
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冬柏亭

2009年10月28日 04時39分02秒 | 社寺


この建物は、鞍馬寺本殿金堂の前にあります。
与謝野晶子の書斎だった建物。
与謝野家は、昭和2年に、当時の東京市(当時は市だった!)外荻窪村(現杉並区荻窪)へその居を移した。広い屋敷の中には、「采花荘」と呼ぶ日本屋と、「遙青書屋」という洋館があったそうです。
この二つの建物の間に、「冬柏亭(とうはくてい)」と呼ばれる書斎があったそうです。



与謝野晶子が50歳のお誕生日のプレゼントでお弟子さんから、もらわはったそうです。
与謝野晶子さんが、亡くなってから、門下生の大磯にある家に移されたそうです。
この建物を!
その門下生の人と鞍馬寺の先代管長と親しくて、その関係でここにあるんだそうです。
弁慶みたいな人が6人ぐらいで運ばはったんやろな・・・。



与謝野寛さんと晶子さんの歌碑があります。


↑「なんとなく君にまたるるここちして
  いでし花野の夕月夜かな」晶子


↑「遮那王が背くらべ石を山に見て
  わが心なほ 明日を待つかな」寛

不思議に思ったこと。
与謝野晶子は、ペンネームなのに、夫は、本名。
なんで与謝野鉄幹とならないんだろう。
そう思いませんか。
与謝野晶子の方が実績があったのかな。
それとも遊び人だったからかな・・・。
ちなみに前財務および金融担当大臣の与謝野馨氏は、
お孫さんになります。
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鞍馬から牛若丸が出でまして名も九郎判官・・・ああ、義経義経

2009年10月27日 05時02分13秒 | 社寺


さて義経堂から移動。
また結構な階段があります。



ほどなく「背比べ石」とその祠が見えてきた。
これは、牛若丸(当時は、遮那王)が奥州・・・いまでいうたら岩手県奥州市へ下る時、
鞍馬の名残りを惜しんで背丈を比べたのがこの石。
なんで背丈を比べたのかはようわかりません。





案外、小柄な子やったんかな・・・。
ホビット族みたいや。



屏風坂(びょうぶざか)の地蔵堂。



別名「革堂(こうどう)の地蔵堂」
行円がこのあたりで牝鹿を射止めたあたりなんやろか。
行円(ぎょうえん/平安時代中期の僧)は、猟師だった。
射止めた牝鹿の腹の中にいた子鹿が生きているのを見て改心し、仏門に入らはった。
比叡山の横川で修行したとされており、皮聖と呼ばれていた。
これは自分が射止めた牝鹿の皮に経文を書き、
それを寒暑に関係なく身につけていたことに由来する。
丸太町寺町下がった行願寺(別名、革堂)の方がはるかに有名やね。



これは、「息つぎの水」。
牛若丸が東光院から奥の院へ兵法の修行に通う途中、
この清水を汲んでのどの乾きをうるおしたという場所。
ちょっと、水を飲もうという雰囲気ではなかったな。

「鞍馬から牛若丸が出でまして、名も九郎判官義経・・・ええっ!!弁慶にしておけ」
タイトルと対の文章。
落語の「青菜」とわかる人は通やね。(笑)
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今日は「旧暦の重陽」・・・数字の不思議

2009年10月26日 04時16分49秒 | 風景・和菓子

↑この人形本来の置き方と違うかも。男性と女性の位置が逆かも。まあ、雛人形じゃないからいいのか。
でもちょっと気持ち悪い。男性の人形の前にあるのが「被綿(きせわた)」

今日は、旧暦の9月9日。
平安時代から、宮中ではこの日を「陽が重なるめでたき佳き日」としてきた。
民間でも、収穫の時期と重なり、氏神祭などが多く行われる日となっていた。



またこの月を「菊月」とも呼ばれていた。
いまでは、新暦になってしまったので、普通は残暑が続き菊は咲かないですよね。
菊は、もともと観賞用というより漢方の薬として栽培されていた。
いまでも漢方で薬効が認められている。
菊の香りは、邪気を祓い長命を願うということに使われており、それが日本の宮中にも行事として伝わってきた。
お葬式で菊を供えるのも邪気を寄せ付けないということに由来するのです。



九星(きゅうせい)の考え方からすると、数字がこのように配置される。
       南
     巳 午 未
   辰 4 9 2 申
 東 卯 3 5 7 酉 西
   寅 8 1 6 戌
     丑 子 亥
       北
この数字の並びは、不思議なんです。
縦、横、斜め(対角線)のどの列も合計すると、すべて「15」になる。
この並びに不思議を感じませんか?


↑京都鶴屋鶴寿庵「延年」


↑月餅、黒こしあん

十二支でいうと南が「午」になるので太陽が一番高くなる位置を境に午前、午後となる。
この数字の並びが「魔方陣」ということになるそうです。
面白いでしょ。


↑亀屋良長「里の菊」


↑山芋煉切、白こしあん

御所も「君子南面す」ということで、帝は内裏に南面して座された。
その考え方を元に作られているんです。
だから左右も帝から見て右左なんです。
左京区と右京区の謎もこのあたりからわかりますよね。
なんで一番大きな「大文字」が「左大文字」といわれるかもわかる。
帝の方に行くのが上ル、逆を下ルという。
京都の街は、たくみに数字とか方角に従ってつくられていた。
最近は、この法則がちょっと崩れてきているかも。
ちなみに国会で右側に与党、左側に野党となるのもこのため。
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木のパワー充満

2009年10月25日 06時20分15秒 | 社寺


さて鞍馬山の続き。
奥の院魔王殿から出発。
大きな杉の木があります。
杉花粉症の人以外は、すごいと思うでしょ。



道沿いのお堂が次々と現れます。
このお堂は、僧正ガ谷不動堂。
この辺は、杉の大樹がそびえ立ち、独特の気が満ちています。
謡曲の鞍馬天狗が牛若丸と出会った所なんだそうです。
牛若丸の剣術を教えたことで知られる。
大佛次郎の『鞍馬天狗』という時代小説の主人公じゃないですよ。
この鞍馬天狗、鬼一法眼(きいちほうげん)と同一視されている。
鬼一法眼とは、室町時代初期に書かれた『義経記』に登場する伝説上の人物。
京の一条堀川に住んだ陰陽師で、六韜(りくとう)兵法という呪術兵法の大家。
文武の達人され、源義経がその娘と通じて伝家の兵書『六韜』を盗み学んだということで有名。
また剣術においても、京八流の祖として、また剣術の神として崇められている。



これは、不動堂の前にある模様。
蓮かな・・・。



このお堂は、義経堂。
源義経を魔王尊の脇侍「遮那王尊(しゃなおうそん)」として祀ってある。





その横にも杉の大木。
実に堂々としている。
まわしもつけてもらってなんだかエラそう。



これがよくでてくる木の根道。
このあたりの岩盤が固く地下に根を張れない杉の根が剥き出し状態。
これを利用して牛若丸が兵法の稽古をしていたらしい。
こういうところはあまり人が通らない方がいいかも。
だんだん荒れてきているように見えるのがちょっと気になる。
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男のたしなみとしての「和菓子」

2009年10月24日 04時33分07秒 | 和菓子


鞍馬寺の続きをしようかと思ったけど。
気分として和菓子の写真が見たくなったでしょ。
少なくとも私はそうなんです。


↑長久堂「秋の風」

江戸時代の頃。
男のたしなみとして「和菓子」というのがあったそうです。
・名前の由来の蘊蓄(うんちく)を語れる
 →良寛さんの戒語的にいうと「講釈のながき」にならないように注意やけど
・姿を愛でられる
・味を味わえる
・季節感を味わう


↑こなし、赤ごしあん
 赤ごしあん、普通なら赤こしあんとなるのですが、このお店の言い方なんだそうです。

時々「京男さんの和菓子の写真がきれい」といわれることがあります。
和菓子を撮る時は、結構エネルギーがいるかも。
色が出えへん。薄い紫や緑が特に難しい。目では見えているのに、腕なんでしょうね。
自然光で撮っているからだろうな。午前中と午後、晴れと曇りでは光の波長が変わる。
本来は、スタジオ的に一定のライディングがいいのはわかります。
でも、できたら自然の光で撮りたい。それがこだわりかな。
プロでコマーシャルの写真を撮っている訳じゃないからそれでいいと思てます。


↑長久堂「芭蕉堂」

秋になり早く日が暮れる。
お菓子を買ったら急いで家に帰ります。
でも乱暴に扱えない。そ~ろと帰ります。扱いは洋菓子の比ではない。
生菓子は、明日撮ろうというのは許されない。
乾燥してどんどん色が褪せる。
当然、味も落ちます。
「生菓子」とはよくいったものね。


↑この和菓子面白い形ですね。ウミウシみたい。

なんかとりとめのない記事でした。
やっと仕事場がリフレッシュできた!


↑外郎製、備中こしあん
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菩薩さんがゾロソロ

2009年10月23日 04時24分18秒 | 社寺

↑エントリーNo1は、地蔵菩薩さん。



昨日の続き。
即成院は、皇室の御寺である真言宗泉涌寺派総本山・泉涌寺の塔頭の一つ。
与一さんが源義経の命により出陣の途中、病にかかり当院の霊験あらたかという噂を聞いて祈念の結果、
忽ち平癒したといいます。
即成院とは即成就院の略で、阿弥陀如来の御利益で速やかに願い事が成就することを意味しています。





この「二十五菩薩お練供養」は、本尊の阿弥陀如来が極楽浄土の世界から現世に来迎し、衆生を浄土に導く姿を現した法会です。
本堂を極楽浄土に、地蔵堂を現世になぞらえ、その間に高さ2 メートル、長さ50メートルの仮設橋が架けられ、本堂から修験修を先頭に稚児が地蔵堂に供物を運んでお練りは始まります。





やがて一山の僧侶が総出仕の読経の中、菩薩面を被り、金襴の衣装をつけた稚児二十五人が本堂を出発、修験衆の法螺、来迎和讃にあわせて橋の上を練って、本堂から地蔵堂まで二十五菩薩が還ります。



平安時代の中頃から浄土信仰が盛んになり、二十五菩薩は、臨終の際に極楽浄土から阿弥陀如来とともに迎えにくる菩薩の一団。
各々が特殊な能力があるプロ集団ね。
菩薩は、「覚りを求める人」と「悟りを具えた人」の二つの意味。
つまり、仏になりきってない中間系の存在。



二十五菩薩とは、
1.観世音菩薩 2.薬王菩薩  3.大勢至菩薩  4.薬上菩薩 5.普賢菩薩
6.陀羅尼菩薩 7.法自在王菩薩 8.白象王菩薩 9.虚空蔵菩薩 10.徳蔵菩薩
11.宝蔵菩薩 12.金蔵菩薩 13.光明王菩薩 14.山海恵菩薩 15.金剛蔵菩薩 
16.華厳菩薩 17.日照王菩薩 18.衆宝王菩薩 19.月光王菩薩 20.三昧菩薩
21.獅子吼菩薩 22.大威徳菩薩 23.定自在王菩薩 24.大自在王菩薩 25.無辺身菩薩



付き添いのお母さんやお祖母さんの衣装の立派なこと。
晴れ姿は、孫や子供より目立っています。
黒子のカッコをした方がいいのになぁ・・・。
その辺が京都という感じがせんでもない。



菩薩さんたちの顔をどこかで見たような・・・。
そうか七色仮面だ!!
カバヤ食品の宣伝カーに、七色仮面が乗っていたのを幼稚園児の京男は必死に追いかけていったけ・・・。ココナッツミルクキャラメルをもらえたかどうかは、覚えてない。
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与一さんのターゲット

2009年10月22日 06時06分55秒 | 行事


鞍馬寺の記事の途中ですが、あまり続くと飽きるので、十月の第三日曜日、
18日に泉湧寺の塔頭即成院(そくじょういん)の「二十五菩薩お練供養」の
行事に行って来た記事を挟みます。
この行事は、はじめてでした。



この即成院に那須与一(なすのよいち)の墓がある。
与一さんは、十あまる一、つまり十一男をしめす通称らしい。
いまは、そんな兄弟の多い人は少ないだろうな。



平家物語で扇の的を射抜く話で有名。
だから行事の時に吹き流しの先に扇がついているんです。



極楽にかかる雲を想定した60メートルの橋をつくってあります。
行事は、本堂を現世になぞらえ、地蔵堂を極楽にみたててこの橋を
極楽の雲に見立てて進行します。
クライマックスは、二十五菩薩さんが練り歩きます。







その前に山伏さんや稚児さん、お坊さんたちが練り歩きます。



稚児さんやお坊さんがみんなに散華を散らしてはった。
近くに飛んできたけど、両手にカメラ状態で無理でした。
明日に続く。
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石灯籠の干支

2009年10月21日 05時17分29秒 | 社寺・和菓子


魔王殿の石灯籠は面白い。
干支のレリーフが見えるでしょ。
これが方角を表している。



「辰(たつ)」で東南東微東(120度)。
「巳(み)」で南南東微東(150度)。
二つあわせて「辰巳(たつみ)」南東(135度)となります。
お堂の正面に一つというのは、不思議ですね。
石灯籠は、本尊に灯明を奉納するための仏具なんだそうです。
奈良東大寺の法華堂(三月堂)も正面に立っている。



これが家で撮影した清浄歓喜団。
亀屋清水の説明を引用させていただきます。



略してお団と言い、遠くなら時代遣唐使により我国に伝えられた唐菓子の一種で、数多い京菓子の中で、千年の歴史を昔の姿そのまま、今なお保存されているものの一つであります。
唐菓子とは「からくだもの」と呼ばれ、仏教と共に我国へ伝わり、天台宗、真言宗などの、密教のお供えもので、当時は、とても一般庶民は口にすることは出来ず、貴族のみに与えられたものであります。
七種の香を入れて包み、そのほのかな神秘な香は仏教で言う「清め」の意であり、八つの結びは八葉の蓮華をあらわし、形は金袋になぞらえ、たぎった上質の胡麻油で揚げてあります。
伝来の当時は中身は粟、柿、あんず等の木の実を、かんぞう、あまづら等の薬草で、味つけしたらしく、小豆餡を用いるようになったのは徳川中期の後であります。
弊店はその秘法を比叡山の阿闍梨(あじゃり)より習ったと伝えられ、月の一日、十五日を中心に調製します。もちろん精進潔斎の上調進することは昔も今も変りはございません。
お召し上りの際、もう一度軽く焼かれますと一段と香味がございます。

撮影後、次女がいたので食べさせました。
「お香みたい」と言った。
私のもっている塗香と同じ香りがするんです。
これは、京都駅の伊勢丹や高島屋でも売っていますよ。
大黒天、恵比須天、毘沙門天・・・○○天さんへのおもたせに最適。
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奥の院魔王殿

2009年10月20日 05時56分42秒 | 社寺


さて、今回の目的、鞍馬寺の奥の院魔王殿に到着。
おそらく京都で一番のエネルギースポットといえる場所。



650万年前、金星より地球の霊王として天降り(天下りではなくて)
地上の創造と破壊を司る護法魔王尊が祀られる場所。
インドのヒンドゥーのシヴァ神的な性格の神さんかも。
魔王といっても悪い神様ということではない。





上をみあげるとここだけ紅葉していた。
ちょうどその部分だけ、光があたって輝いていた。
歓迎してくれたかな・・・。
もちろん、ちょっとした手土産を魔王神さんに持参。



ここの場所は、瞑想するにはとてもいい場なんです。
自分のリセットの総仕上げをしていたような気がする。
ちょっといろんなインスピレーションを得た。
「そうなんだ!」
どのぐらい居たか、あまり覚えていないけど、違う時間帯にはいっていた感じ。
気持ちがとてもすっきりしました。



あれが御堂です。
この下の石が大事。



建物の中の向かって左隅にあるこの石が御堂とつながっているそうです。



この石を撫でながら願いをすると叶うんだそうです。
位の高い神さんなんですが、結構三次元的な下世話な願いもよくきいてくれるそうです。
最後に過去完了形で願い、お礼をいいました。
「ありがとう!叶いました!」(現実には、叶ってなくてもそう断定するのがコツ)
もちろん、頭の中で具体的なイメージをしっかりするのが大切。



外でお供えをした「清浄歓喜団」をK画伯さんと分けていただきました。
「清浄歓喜団」は、自宅でチャンと撮影したのがあるので、
次回、ご紹介します。



御堂の前に灯籠があり、実に面白いと思ってしまった。



レリーフが十二支があったりして見飽きない。
ここに行かれたら、ゆっくりいるといいですよ。
私は、本殿金堂よりこちらの方が好き。
ただちょっと歩かないといけませんが。
エネルギーが充填されました。
先ほどまでの疲れがなくなったもの。
来てよかった。



上の紅葉とこの葉っぱをみていると秋を感じました。
なんかうれしくなる。
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奥ノ院橋から魔王殿へ

2009年10月19日 00時19分48秒 | 風景




さて、ここが奥ノ院橋。



鞍馬寺の西門になります。
ここに関所があり、入山料200円をお納める。



これから魔王殿へはかなり急な山道。
実は、この日が断食三週間目ぐらいかな、登っていけるか一瞬不安になった瞬間。



不動の石仏がありました。





いい味だしていますね。
「しっかり登れ!」といわんばかり。



この岩は、緑色岩(ハイアロクラスタイト)というんだそうです。
鞍馬山は、この緑色岩が多いらしい。



面白いオブジェのような木。



崖のしたは北山杉。



これは、石灰岩。
セメントの原料になる岩なんだそうです。
日本は、地下資源が乏しいけど、この石灰岩が多く産出する。
あともう少し。
奥ノ院橋から魔王殿まで約573メートル。
でも登りはすごい急なんです。
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貴船口から奥ノ院橋へ

2009年10月18日 06時36分09秒 | 風景


先週の金曜日、いいお天気だった。
K画伯さんと鞍馬の魔王殿に行こうとなりました。
画伯さんもずっとアトリエに籠もっていたらしい。
引きこもりの二人の社会復帰だ。(笑)
行き方は、出町柳駅で集合。
叡山電鉄で貴船口駅まで乗る。
久しぶりの貴船。
しかも今日は徒歩だし。
奥ノ院橋を目指して歩く。



これは、途中にある蛍石。
このあたりは昔から蛍の名所なんだそうです。
平安時代に和泉式部が貴船神社に参詣し、蛍の歌を詠まはったそうです。
「もの思へば 沢の蛍も わが身より
  あくがれ出づる 魂かとそ光る」
「木船川 山もと影の夕ぐれに
  玉ちる波は 蛍なりけり」



平安時代なら当然、徒歩が牛車だろうし大変だったろうな。
日帰りだったのだろうか。





こういうのが立っているということは、恋愛成就祈願だったのかな。
この岩はしったはるんやろな・・・。



北山杉がすごいな。



こんなところに木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)さんのお社「梅宮社」がある。
貴船神社の末社(まっしゃ)なんだそうです。
本社に付属し、その支配を受ける小神社。摂社に次ぐ格式を有し、本社の祭神や由緒に関係の深いもの。



最近、なにかと関係している木花開耶姫命さんがこんなところにいてはった。





空気が美味しくて、とてもいい気持ちでした。
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この菊上用は清楚な美しさ

2009年10月17日 06時50分21秒 | 和菓子


昨日は、朝から貴船から鞍馬に行ってきました。
いま、写真を整理中です。
追々記事にしていきます。
ちょっと写真を撮りすぎました。
外に出るのは久しぶりの感じがします。


京都鶴屋鶴寿庵「菊上用」
この上用がタイトルになりました。
なんとも清楚な感じがして印象的でしょ。


黒こしあん


長久堂「栗拾い」
これも栗のきんとんが濃厚な感じ。
和風のモンブランとでもいえる一品。
そろそろ焼き芋も美味しい季節になりました。


栗きんとん、赤ごしあん
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