京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

なぜか「そばがき」

2018年06月30日 06時54分15秒 | 

↑本家田毎「そばがき」なぜかこういう食べ物が食べたくなった。

これは、先日の父親外食デーのメニュー。
父親は、「青冥」だとか「もりもり寿し」「輝庭」・・・「鳳泉」や「龍鳳」の名前も出た。あの日「鳳泉」は改装中で休み、「龍鳳」は、きっとクーラーがないだろう。きっとクーラー無しで中華はちと辛い。


↑ワサビをちょっとつけて。昔、手打ちそばを作ろうとして失敗。こんな感じで食べたことを思い出す。(悲)

あの日は、私が疲れていたのかな?食欲があまりなかった。
だから、食べ物にあまり興味がもてなかった。
父親は、天ぷらが食べたかったみたい。


↑すば巻き

私の頭の中に「そばがき」と閃いていたので田毎に決定。
通りかかった仏具屋さんに入りたかったけど、父親が早く食べたそうにしているので急ぐ。でも私が急ぎでも父親は早く歩けない。
私の五分の一ぐらいかな?
私が最近スピードが速くなったのかも。
街中を歩いていて、人が邪魔に感じているのです。
なんだろう・・・


↑天丼定食

お店に到着。
父親は、蕎麦と丼がいいみてい。
私は、「そばがき」。
そういえば父親は、「そばがき」をしらなかった。
蕎麦寿司も知らない。
蕎麦屋でお酒を飲んだことがないのでしょうね。
私もないけど。


↑しらすと蕎麦の実のかきあげ



私が注文した「そば巻き(蕎麦寿司)」や「そばがき」「しらすと蕎麦の実のかきあげ」を分けました。
ほんとは、これで日本酒があるといいのでしょうね。
親子酒なんてことは、我々はできましぇ〜ん。
その点、いまいちかっこよくないなぁ。
昭和のドラマ風になりましぇ〜ん。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パクチー

2018年06月29日 04時58分19秒 | 洛外・食
最近、女性の間でパクチーが流行っているそうですね。
女性って御利益があるものが好きですね。
古い世代なら手を出さない、ホルモンなんかも「コラーゲンでお肌がプリプリ!」なんていわれると美味しそうに食べる。
昔は「放るもん(捨てるもの)→ホルモン」といい人前で食べるのをためらった。
おっさんたちは、「ホルモン」→「精力増強・食べたら俯いて寝られなくなる!?」なんていい、ニンニク(これまた効く・・・なににかは想像にお任せします)をたっぷりいれて食べたもんです。


↑ポンガラカレー「スリランカプレート」パスアティライス+パクチー×2

ところが最近は、女性が生ビールを片手に美味しそうに召し上がる。
世の中変わりました。
逆に若い男性で、生ビールも飲まず、サラダを食べていたりする。
そりゃ人口が減るわな。
そうなると若い世代からの税金がとれないから日本は困るでしょう。
頭のいい人たちは、いい頭を使って対応を考えたらいいだけです。
公務員の数をいまの三分の一ぐらいにしたらいい。政治屋も同じ。AIとブロックチェーン技術で管理すればいいだけの話だと思う。
人口なんて多くある必要はない。
民間の会社だってそうです。無駄が多い。
もうそろそろ新しい元号にかわろうとしている。
いまだに明治・大正・昭和の価値観を引きずっている。つまり近代の価値観。
もう21世紀なのにね。


↑右上にある煎餅のようなものがパパド

大都市から人を移動させ、地方を活性化すればいい。
記憶力ベースの行う仕事はAIが担当するようになる。
人間は、感性と閃きベースで仕事をすることになる。
感性と閃きは、大都市のような環境では発動しないだろう。



話しがどんどん脇道に逸れてきた。
元に戻します。
先週、大阪に行った時、ランチを食べることになった。
土日の大阪梅田はすごかった。
こんなしょもない店でなぜ並ぶのか?と思う状態。
一人の場合、三番街の新しくできたフードコートで食事はできない。
荷物をもっているのに、席に置いて、セルフは無理。そこまで人を信用していません。


↑パパドを手で砕いて乗せた。すると見事に残飯のような雰囲気になった。

いつものインデアンカレーも行列だった。
しかたなくポンガラカレーに行く。場所的に目立たない場所だから行列は少ないように思ったからである。
行くと正解。
テーブルに座れた。


↑一度残飯と思うとずっとそう見えた

この日、葉っぱが食べたくなった。
でもサラダのオプションはない。
しかたなくカレーにパクチーを足した。
それが本日の写真。
食べる時、パパド(豆で作ったお煎餅)を砕き、カレーに散らした。
そこまでした時「なんか残飯みたい・・・」と思った。


↑やはり、このスタイルの方がいいかも。インデアンカレー。

食べたら美味しいのですが、見栄えが悪い。
そういえば「インスタ映え」の料理やデザートを見ていると色彩は綺麗やけど、全体的になんか残飯っぱい。
そう思うと食欲が落ちてしまった。
まあ、食べましたけど。
パクチーもなんや癖がない、今風の男子みたいに頼りない風味。ここだけじゃなく他店でも同じ。日本人向きに品種改良しているのかな?

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

氷室

2018年06月28日 04時41分18秒 | 和菓子


昨日からとうとうクーラーのスイッチを入れた。
気温は、32度ぐらいだったのでしょう。
でも湿度が70%ぐらいになってきた。
しかも、PCの熱も加わり、室内でも30度ぐらいになった。
寝るときも、クーラーオン状態になるだろう。
やっぱり冬がいいな。
早く冬にならないかなぁ・・・。



着替えるのが早くて、外出する時は便利だけど、なにかする度にシャワーやお風呂がちょっと煩わしい。
私の快適気温は、10度ぐらい。
20度も気温が高いのは辛すぎる。


↑亀屋良長「氷室」

父親のように94歳ぐらいになると暑さもあまり感じなくなるのかな?
彼は、最近、汗もかかないなんていいます。
そう言った時「ひょうっとして死んでいるのかも」と言ってあげます。
まあ、暑さ、寒さも死んだら関係なくなります。
生きている間にしっかり味わいなさいということか。


↑見栄えは錦玉だけど、食べるならくずがいい。

平安時代、「氷の朔日」といって旧暦6月1日、冬の間に氷を保管してある所から氷を出し、宮中で食べるという儀式があったそうです。
セレブたちの行事。
今なら冷蔵庫の製氷室から取り出すだけですむ・・・ひょうっとして現代の我々はすごくセレブなのかも。
しかも、空調の整った部屋で楽しめます。


↑くず、白こしあん

冬の間の氷を貯蔵する「氷室」という施設が都周辺に十箇所ぐらいあったそうです。
その氷室は、明治時代になって消滅したそうです。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年06月27日 05時37分53秒 | 社寺

↑なんかマンガのような・・・

臨済宗の開祖臨済義玄(?〜867年)が禅の神髄を端的にしました「喝」。
喝は物事の意味を示さないが、四つの働きがある。

一、 煩悩、妄想の迷いを断ち切る喝。

一、 目覚めよ。と、ふるいたたす喝。

一、 かかってこい。と、本気になさせる喝。

一、 平常心是れ喝。と、大きな喝。



最近、街を歩く人がなんかボーッとしている人が多い。
自分の進む方向が見えてない。
なんとなく流れに乗っている。
地震の時、橋を並んで歩く人、ひと、ヒト・・・。
なんか無感動、無表情にただ歩く。



人気店でもないお店でも、なんとなく並ぶ。
電車の中でたくさんの人が無表情に小さな窓を見詰めている。
あの表情のなさがとても不気味。
映画に出てくるゾンビのような人々。



ハーメルンの笛吹き男についていく子供たちの行列。
レミング現象・・・レミングというネズミが増えすぎると海に向かっていっせいに暴走し最後は、集団自殺するという話・・・を見るような気持ちになります。



連日、テレビでは、気持ちの悪い殺人が頻発している。
人間が沢山集まりすぎるとストレスで変になるのかな。
スマホは便利な道具だけど、依存するほどやり出すと脳が麻痺してくるのかな?
心が空虚になっている時、憑依霊がすっとその心の空虚さに入りこんでくる。
憑依霊は、交差点、駅、橋、曲がり角、病院・・・その他、人の多いところにたくさん存在する。
三条河原でアベックが座っています。
その側にたくさん、霊が集まってくる。
波長のあった人にスッと入る。


↑昨日は、暑かった!

「喝」と常に自分の心を目覚めさせていないと困ったことが起こるかも。
京都のような古い街には、たくさんの霊が蠢いている。
スマホもいいけど、あまり熱心にしすぎなようにご注意ください。
信じなくても心の空白に忍び込みます。
だからあまり日が暮れて、社寺に近づかないように。
夜の観光に水を差すようなことを書いてしまいました。



どうか「喝」といつも自分の心をしっかりしてください。
ただし、「婚喝」とか「就喝」、「トン喝」「ビフ喝」では、いけません。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先週の寝不足

2018年06月26日 05時16分24秒 | 風景・和菓子

↑こういう写真を見ると涼しげに感じる

昨日、京都市内の気温は、34度ぐらいありました。
きっと道路上では36度ぐらいだったかも。
しかも、そろそろ湿度が増えてきたので、本格的な暑さ。
きっと観光の人は、びっくりしたでしょう。


↑雨直後のくちなしの花が嬉しそう

市内を移動していると事故が多かったり、救急車が走っています。
熱中症や身体の不具合を起こした人が多かったのかも。
化繊の着物のようなものを着て、坂道をなれない下駄や草履で歩くのは、かなり体力を消耗するでしょう。





先週、3回大阪に行きました。
震災の次の日に、恐る恐る阪急電車で梅田にいきました。
先週前半は、すごく寝不足状態でした。
寝ていて、余震が起こる10分から15分前に目が覚める。
それも100%覚醒するのです。
最初、なんのことがわからなかった。
何回か経験する内にわかってきました。
お陰で余震でビックリすることはなかった。
でも・・・回数が多すぎる!
スマホとかに送ってくる緊急速報というかアラートなんかよりよほど正確なんです。
あのスマホの機能、ならないようにしている。
その替わりにこんな機能が身体に備わった?


↑千本玉寿軒「雨宿り」

でもね。寝不足になりました。
そこで考えた。
「震度3以下は無視する」と脳にインプットしてみた。
あら不思議。
目が覚めなくなった。
まあ、余震が少なくなっただけの話しなのかもしれませんけど。



阪急電車に乗っているとブルーシートが屋根にかかっている景色が見えます。
ニュースで観るのと本当に見るのと違いますね。
昔の阪神淡路大震災の景色を思い出します。
あの時、前日、元町で会議をしていたのです。
京都に帰る時の何とも身体が重だるい感じ、風景がブロックガラス越しのように感じられたこと。京都に着いたらその感じがなくなったこと。
震災の朝、5時に目が覚めた時、またあの重苦しさ、だるさが・・・そこで気が付いた。そう言えば日曜日の夜そんな感じがしていた。
そんなことってあるのかな?
でも忘れないでおこう!
将来なんかの役に立つ。
まあ、すべて気のせいなのかもしれませんけど。


↑きんとん、粒あん

先週は、そんな週でした。
今週は、熱帯夜で睡眠不足になるのかな?

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シィィ〜ッ!

2018年06月25日 05時40分38秒 | 風景・和菓子

↑このお地蔵さん、シャッターがしまっている

本来なら京都市内の観光はオフシーズンなんですが、最近観光客が多いですね。
しかも外人客が。
地元の人間としては、なにがそんなに魅力的なのかよくわからない。
京都の人間は、京都の観光地に近づきませんからね。



京都に生まれ育った人間にとっては、有名観光地に行くのがなんとなく恥ずかしい。
テレビで京都特集なんかをやっている。
グルメ情報なんてのもありますよね。
観ていて自分が行く店が出なかったらホッとする。


↑これぐらい離れたら浴衣外人観光客も気にならない。

お店もああいうのに出ると大変なんです。
電話は鳴る、客がたくさん来る・・・それはいいことなのですが、結果、地元の常連客が来なくなる。地元の常連情報で「あそこテレビにでやはってから、おかしゅうならはった。おかみさんがえろうえらそうにならはって・・・」なんて言われたら、噂が京都中に拡がります。古くて狭い街は怖い。どこでどう繋がっているかわからない。
他府県から京都市内に進出したお店は、そのあたりがわからない。
でも結局一過性の人気で、撤退を強いられる。
いまの「映え」系のお店は、よほど実力がないと必ずそうなるのです。
「一過性の流行」「一発芸的」なお店は続かない。
古い街は想像以上に難しい。
これが東京なら人口が多いから3年は持ちます。
効くところによると飲食業の場合、3年で設備投資を回収、5年でお店を閉じ、新しいお店にリニューアル。スタッフを全員解雇し、新しく流行りそうな料理にする。
そのやり方で京都に進出するとうまくいかない。人口が少ないからです。
進出する方も京都市内について入念な調査をあまりしないのかも。「京都ブランド」に目がくらんでいる。


↑こういう所では、大声おしゃべり観光客が問題になるのでしょうね。

例えば、御池通の地下街「ゼスト御池」ができた時、京都の人間はどう言っていたかご存知ないでしょ。
大体、あんなところに地下鉄を開通されるというセンスが悪い!市役所の所に駅を作って・・・と考えたのね。
「どんぐりころころ」という童謡があるでしょ。
「♪どんぐりころころ どんぐりこ おいけにはまってさあたいへん・・・♪」と言っていた。「おいけにはまってさあさいへん」ですよ。
怖い話でしょ。


↑このあたりもそうです。

あの地下鉄、洛西から五条通の地下を通り、六地蔵まで開通していたら、状況が変わっていたのにね。東大路五条駅を大きくし、大きなエレベーターで清水寺の門前まであがれたら、いまのような交通停滞が緩和されていたのに。もっとも大きな反対に遭うでしょうけど。


↑紫野源水「なでしこ」

京阪電車は、昔、川端通がある地上を走っていた。
五条通の混雑は、京阪電車の影響だといわれていた。
地下を走るようになり、川端通ができた。
でも混雑は解消されていない。
道路は同じで車が増えているのですから。
四条通を幅を狭めて歩道を広げました。
あれも混雑に拍車をかけている。
あのままで地下街を整備したらよかったのに・・・。
バカなことをしましたね。


↑ここの半錦玉羹冷やさなくても上品な甘さだった。さすが源水。

リーダーは、目先だけで判断してはいけないのです。
特に京都市のような街は、50〜100年単位で考えないといけません。
失われた多くの無形の文化は、回復できないでしょう。
社寺も遊山に重点を置きすぎると衰退するように思う。
まあ、こうやって言うのは簡単ですけど。


↑半錦玉羹

なんかいらんこといい状態でした。
すんまへんなぁ・・・。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心静

2018年06月24日 05時19分06秒 | 社寺
1
ここは、建仁寺の方丈。
観光客が少ない時を見計らって、ゆっくり過ごしにいきます。
なにも考えない場所としては最高。





歩きながら景色を楽しみます。
時には座って庭を観ていたり、以前はごろりとできたのに最近はだめになったようです。きっとお行儀の悪い東洋人観光客の影響だろう。
ああいう公害のような人たちは受付でストップした方がいいですね。
ここは、静かに過ごす場所。



廊下を歩いていると禅的雰囲気が感じられる。
歩いているだけで、歩く禅ができる。
私は、座るよりそういう無心で歩く方が好きかも。
何も考えない。





頭に「心静長年楽」と軸を掛けます。
本来なら「心静長年楽」なんだそうけど、まだ「長年」とは感じられない。
この建仁寺や智積院は、いつでも入れるので幸せです。
こういう場所は、うまく行ったら「観光」ができるかも。
「観光」って「光を観る」と書くでしょ。
自分の心の中に光りを観るのです。
そしてその光が自分の身体を包み込むように観想するのです。
とても良い気持ち。



こういうのができるから京都はいいですよ。
ここにいると時間の流れ方が違います。
ゆったりした時間の中に身を置くことは、至福の境地。
そういう時、宇宙のエネルギーが身体に流れ込む。
充填をして、また俗の世界に帰っていく。
こういう所にきたらスマホを弄るなんて勿体ない。
そんなことをしたら、エネルギーが充填できない。
ぎゃくに減っていくかも。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

○△□乃庭

2018年06月23日 04時33分37秒 | 社寺


ここは、建仁寺の○△□乃庭。
怪しげな名前だと思うでしょ。
「○凹凸」や「×○×」や「■■○」や「○×○」のように・・・。



説明を書き写してみます。
「○△□乃庭/単純な三つの図形は宇宙の根源的形態を示し、密教の6大思想(地水火風空識)を、地(□)水(○)火(△)で象徴したものとも言われる。」

なるほどと思うでしょ。


↑真ん中の部分が「水(○)」

同じようなものに「五輪塔」というのがありますね。
墓石や供養塔、塔婆のギザの形です。

宝珠形(空)
半月形(風)
三角形(火)
円形(水)
方形(地)


↑真ん中部分が「火(△)」

ご覧になったことがあるでしょ。
こらは、古代インドの宇宙の構成要因を表している。
昔の人は素晴しい考え方をしています。


↑写真左にある井戸が「地(□)」

この五大要素(空・風・火・水・地)に、密教では「識」大いなる意識のような意味なのかな?を加えている。
私なら、それに「力」を加えるでしょう。
つまり宇宙の根源には、「識」があり「空・風・火・水・地」の要素があり、「力(エネルギー)」で満たされている。それが宇宙の姿。
このエネルギーは、電気とかではなく、宇宙に充満しているダークエネルギーのことをいいます。もちろん我々の身体を構成する原子・原子核・素粒子の有り様も相似構造になっている。
超弦理論というのがあります。宇宙は10次元だと考える。残りの6次元は超ミクロサイズにちぢんで「コンパクト化」し、まるめられ「素粒子の内部空間」に閉じこめられていると考えるそうです。
なら我々自身や回りのすべての素粒子内部に10次元が存在する?



人間の構造も宇宙と相似象になっている。
形状というのは、面白い。

いまの人間より古代の人間の方が進んでいたのかも。
後は、自分の奥深くにある「識」を自在に使えるようになることですね。
できるかな?

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シイタケ&ポテト

2018年06月22日 05時08分10秒 | 
最近、広東料理を食べることが多い。
なぜなんだろう?
それも甘酸っぱいものを好むようです。
気温の乱高下に対抗しようとしているのか?


↑鳳泉「焼売(シュウマイ)」ここの焼売は、くわいが入った独特の歯触りが特徴。

なんて錦の御旗をたてている。
実は、メニューの制覇するということだけかも。
私の食べものの記事でそう思いませんか。
色々なメニューを試している。
すべてを食べないとそのお店の特徴を理解できない。
味覚は三回ぐらい同じものを食べないと憶えられないのです。


↑「醋撩蝦(アマズエビ)」スブタと同じ甘酢です。小さならっきょと胡瓜が良い仕事をしています。

すべて憶えたら、次は美味しい組み合わせを試して行く。
昔からそういうことをしていますね。
今回は、「アマズエビ」と「カシワシイタケ」が良かった。
アマズエビの甘酢に小さなラッキョウがなんともいいアクセントだった。


↑「撈麺(エビカシワソバ)」柔らかい麺にからしをからませ上から野菜のあんかけです。練り辛子を溶いた酢を好みでつけくわえます。

カシワシイタケも良かった。
蒸し物なんです。
とてもあっさりしているけど、美味しい。
これなら次女夫婦でも食べられるかも。
次女夫妻は、二人共椎茸が食べられない。
キクラゲはどうだったかな・・・。


↑「苳菇蒸鶏(カシワシイタケ)」蒸し物なのでとてもあっさりしています。椎茸が美味しい。

最後のポテト。
食べられるかな?と思ったけど、すんなり完食したのは自分でもビックリ。
表面のパリッとした感じがたまりません。
こんなもの冷めたら台無しになる。
死んでも完食しないとね。


↑「ポテト」ここのは、あらかじめ水をくずらせてあるので食べやすい。パリッとした感じがなんともいい。思わず全部食べてしまった。

こんな広東料理を憶えてしまうと普通の中華料理が食べられなくなる・・・。
「知ることの不幸」ってありますね。
インスタ映えはしないけど、私はこれで十分満足。人に見せて楽しむ趣味はないものね。この写真を見ていると頭の中で味がする幸せ。
上生菓子の写真なんかもそうなんですよ。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっとは、くくっておもらいやす

2018年06月21日 04時33分59秒 | 社寺


この当たりは、たくさんの善男善女でいっぱいだった。この景色を観ながら「やっぱり東寺はいいな〜」と独り言を聞こえるように言ってしまった。
何人かは、聞いてくれたかな?






↑融通尊なんて書いてあるけど、あなたは賓頭盧(びんずる)さんですよね。普通本堂の横が定位置なのに、真ん中に移動させられたはる。あんまり目立ったら、またお釈迦さんに怒られるんと違うかなぁ。

久しぶりに八坂庚申堂の近くに来ました。
最近、このあたりは来なかった。
来ると状況がちょっと変わっていたのにびっくり。


↑本堂

くくり猿が異様に増殖していた。
くくり猿は、写真でいうとカラフルにぶらさがっているもの。
何か?庚申堂のホームページの説明を引用させてもらいます。



以下引用
くくり猿はまさに、お猿さんが手足をくくられて動けない姿をあらわしています。 お猿さんは人間に近い動物といわれていますが、所詮は動物、欲のままに行動します。動物園に行けば、お猿さんは欲のまま走り回っていますね。 
この姿を人間の中にある、欲望に喩えてあり、人間の中にある「欲望」が動かないように、庚申さんによってくくりつけられているのです。


↑昨日の記事にも登場した三猿「見ざる・聞かざる・言わざる」言わざる君、耳がちぎられている!放し飼いの猿にやられたのね。

そういうものです。
ということは、京都の観光地に猿が好きなように歩きまわっているのでしょう。
もう庚申さんの力では、くくりきれないのかな?
手足を縛るだけでは、防げない?
もっと研究しないといけないかも・・・亀甲縛りとか、それは別の危ない世界になるかも。(汗)

とりあえず、いま京都市内は、猿の放し飼い状態。
猪も鹿も走り放題。
庚申さん、もうすこしバージョンアップしてください。


↑本堂の左右にこんなくくり猿の塊ができていた!

神仏で思うことがある。
「神仏って人間が信じてあげないと力がでない」と。
核家族化の影響もあるだろう。
家庭に仏壇や神棚がない家が殆ど。
家庭でも学校でも、特別な家庭は別にして、宗教を理解させようとしていない。
受験に関係ないものは教えていない。
仏教でもお釈迦さんが言っている思想的なことを教えてもらってない。
公立の幼稚園、小中高校では、出てこない。
生きて行く上での知恵のようなこともあるのに。


↑この文字が読めなかった・・・

でもパワースポットや仏像ガール?巡礼ブーム、ヨーガなんかは受け入れている。
相変わらず占いなんかも盛んだ。
何かにすがりたい気持ちはあるのでしょう。
だから庚申堂で願いをくくり猿に託し、結果こういう景色になっている。



でも信じてないものは叶わない。
「信」が「神(仏)」まで昇華していない。
まあ、各人の目先の欲望が叶ったら、世の中悲惨な状況になるでしょう。
だから、叶わないようにセフティが効いているのでしょうね。

社寺にとっては、とても嬉しいことでしょうね。
このくくり猿、@500円也ですからね。おそらく領収書をくださいなんて京男のように言わないだろう。
その売上でお寺の修復をしたりしているのでしょう。
相身互いですね。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (7)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いと・わろし

2018年06月20日 04時27分38秒 | 風景


「地べたにへたりこむ女性」を多く見かける。
東山地区は、坂が多いので慣れない服装や履き物(下駄・草履)で歩くと疲れるのでしょう。我慢ができずにへたりこむ。
これは、京都市としては対応した方がいい。
ベンチが少ないのです。まあ、景観がどうのという問題はあります。でも地べたにすわりこむという景観はいただけませんね。
なんぼ借り物のおべべでも、地べたはいけません。



地べたにへらりこんだ状態でカフェやタクシー、ホテルで座るのでしょう。
タクシーの運転種さんがスイカの種(修学旅行生)がタクシーに乗り込む時、「おいどをはたきながれ」と注意するそうです。白いシートカバーが汚れたら困りますからね。

こういう景色に行き当たった時「お女中どうされました?」と声を掛けたくなりましたね。「持病の癪(しゃく)が・・・」なんてことはないか。(笑)





東山地区の観光スポットには、中高年の方はすくないようです。
でも、これかから暑くなった時、休む場所が必要だと思う。
下駄や草履もちょっと工夫した方がよさそうですね。
底をゴムでクッション性を持たせるとか、鼻緒を太くするとか。
なんとか地べたにへたりこむのだけは、防ぎたいものですね。





この金色のソフトクリームが目に入った。
お店のところでお兄さんが食べていた。
「お兄さん、その金箔を歯に貼るとイケメンになるよ」とか「明日は、金箔につつまれたウンコがでるよ」とか言いたくなった。
日本語が通じなさそうだから、言ってもよかったけど、微笑むだけにしました。
お兄さんも微笑み返してくれた。


↑お盆の時期なら塔婆や墓石バージョンもあるのかな・・・。

これなんかも気になった。
日本人のお姉さんが持っていた。
思わず「かわいい!撮らせて!」とお願いしたら快諾してくれた。





撮りながら、上のような光景が頭に浮かんでいた。
不思議な感じでした。



お店の前におじさん達が群れていた。
タクシーの運転種さん達がスイカの種の食事に連れてきていたのね。
最近のスイカの種は、ランチのお店も指定するらしい。
ネットで調べてくるのでしょうね。
せっかく京都に来たんじぇけん(どこの言葉や!)、衣笠丼を食べておくれやす。
アドバイスしたい。
一番いいランチは、京大(病院でない方)の学食なんかがいいと思うな。
「京大(病院でない方)を目指しなさい!」という意味を込めて。

商売とはいえタクシーの運転種さんも大変ですね。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨寒

2018年06月19日 05時00分04秒 | 和菓子
今年の梅雨は、気温の差が激しい。
一日の気温差が10度以上あったりする。
朝、肌寒かっても、昼間は暑い。
気温差で交感神経と副交感神経がアンバランスになり、体調がおかしくなる人も多いようです。



体調だけでなく、精神の状態もおかしくなる人も多いようで、世間で変な事件が次から次へと報道される。
事件も怖いけど、われわれがテレビのニュースで人が亡くなった、それも酷い状態で亡くなった事件の報道を事件が解決してから報道すればいいものを、記者がかってに捜査のまねごとをして報道するのは、気持ち悪いですね。
それを観た、ちょっと精神状態が変になった人が同じような事件を引き起こす。
あれは、なんだろう?憑依現象なのかも。



駅や人ゴミ、橋、曲がり角、もともど地場が悪い場所なんかで、精神が不安定な人は、憑依されるそうです。
人間は元々憑依されやすいそうなのです。


↑亀屋良長「水ぼたん」

テレビでそういう惨い事件を観ていると心の奥に、そういう変な波動が染みこむ。
そういうのがツキを悪くする原因になって行く場合があるそうです。
だからあまり暗いニュースは観ないのがいいと思います。
そういう情報が自分の身心を蝕むのです。
現代社会は、ネット上でもそういう情報が渦巻いている。
最近の若い世代は、古着や古物に抵抗がない。もし悲しい情報が染みこんだ服やモノを身に付けたり、置いていたり、乗物なら乗ったりするのは危険なんです。
悪い情報が染みこんだモノをクリーニングする方法がわからないからです。



テレビで特殊清掃のドキュメンタリーを放送していた。
ドロドロになった死体の後とか清掃する作業。
その部屋のモノも処分する。でも使えるモノは、ネットで販売しているらしい。
怖いと思いませんか。悲しい情報が染み混んだモノを安いからといって手に入れる危険性があるのを。


↑薯蕷羹、白こしあん

故人の宝飾品だって、販売している場合があると思う。
実際に宝飾品は、金やプラチナの重量ぐらいでしか売れませんからね。
ネットで個人売買の方がまだいい値段で売れる。
カーシェアリングなんかも、おかしな人とシェアリングしていたら影響受けるかもしれません。
京都市内でもよくあるのですが、何をやってもうまく行かない土地がある。安いからとその土地で商売をはじめたら、やっぱりうまくいかないだろう。
土地でもモノでも、ツキの無い情報は染みこむようです。



自分を守るために、慎重にしてください。
なんか寒くなる話でした。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨炎

2018年06月18日 05時24分25秒 | 社寺


「梅雨」という漢字をつけると雰囲気が変わるのが面白い。
さて智積院「青葉まつり」の炎編です。
雨の時はしっかりカバーしてあったようで綺麗に炎が上がりました。
智積院の場合は、広いスペースなので安心して見られます。


↑結界の外に並んでいる俗世の人のケガレを祓い、各々の家内安全所願成就を祈願してくださる。


↑こちらの番だ

炎と太鼓や読経は、聴いていて心地良い。
「炎」を見る、煙い匂いを嗅ぐ、太鼓の音と読経のリズム・・・
そして神仏のイメージ。
「身口意(しんくい)」というのがある。
人間が一番集中し易い状態の前提条件。
「身」は、身体を使う。印を組んだりする。
「口」は、真言を唱える。
「意」は、仏をイメージする。
これを同時する時、雑念が浮かびようがない。
これを続けると集中力が高まっていく。
集中力が高まると急にフワッと思考が拡がる。





2サイクルエンジンのバイクで回転数が・・・どれぐらいだったかな6、7000回転になった時、バイクが急に軽くなった感じがする。
あんな感じが生身の身体で起きる。
すると本来人間が潜在的にもっている能力が出てくる。
まあ、万人すべてではないでしょうけど。
時間が無くなるような感じ・・・。



こういう行事は、人間と神仏の一体感を味わえるのかも。
考えようによっては危ないことかもしれません。





でもこういう行事はストレスに強い精神が鍛えられると思う。
最近のわれわれは、そういう強さがなくなっている。
強靱で柔軟、自由な精神、あの世とこの世の両方理解する能力。
それが必要かも。
東大的な能力・・・記憶力とそれを自由に引き出す力・・・は、AIが代行してくれるようになる。人間の本来の能力を覚醒させることが、これからの時代必要なことなのかも。
それには「身口意」をふるに使い、三次元に住みながら高次元的を理解し、その力を自在に使う。それが新しい人類に必要な能力。
ただ、その能力は、簡単に顕現するものではない。
それを扱うためには、エゴの対処ができないといけないのかも。
エゴは、無くすと三次元で生きていけない。
エゴは、あってもいい。
さて、そのあたりが難しい。
難しいから面白い。


↑山伏さんが結界外の人の持ち物を預かり炎でケガレをとってくれます。根性の悪い老人を炎の中で燃やしてくれたりはしません。根性だけ燃やすのは難しいものね。

炎を見ていると色んな考えが浮かぶ。
たまには、こういう行事もいいものです。
遠い過去世では、山伏なんかもやっていたんだろうな。
滝行や火渡りだってやっていた。
山の中を駆け回るのも。
断食だって思い切りやっていた。
そしてなんの悟りも開かないまま野垂れ死んだ人生。
それも一回や二回でない。



頭に色んなイメージが浮かぶのが楽しい。
小説を読むより、自分の頭の中のイメージを見るというか感じる方が面白い。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

護摩焚き

2018年06月17日 04時19分10秒 | 社寺


さて、昨日の続き。
いつものような場所に立って待っておりました。
ほどなく、開始。
結界内(注連縄で囲った矩形の領域)に修験者の入場。
この時点では、結界が有効になっていない。


↑法螺を吹く

行事の流れは、
「修験者入場」→「智積院の僧入場」→「修験者による結界内浄化」→「智積院僧の法要」→「護摩点火」→「参加者への加持」→「護符販売」→「解散」
用語等間違っているかもしれません。ご容赦ください。


↑大きな鉞を使う

修験者の中で知った顔(何回も参加すると見知った人がいます)を見かけ、修験者として成長したなぁ・・・なんて偉そうなことを考えておりました。
考えながら耳では、役小角の物語を聴いているという不思議な状態。


↑弓で五色の矢を5方向に放つ

結界を浄化するのが護摩焚きの大切な作業。
こんな流れかな?
法螺を吹く→大きな鉞を使う→弓で五色の矢を5方向に放つ→両刃の山刀?で清める→座って大根のような2本の木を使って→水で清める→点火


↑両刃の山刀?で清める

話しは、「護摩焚き」の「護摩」ってなんだろう?
私は、コンピュータにテキストを選択し、読ませています。
「ゴマ」と読んでくれる。
私の頭の中では「胡麻」のイメージと味、香りがでてきます。(笑)


↑座って大根のような2本の木を使って

この際、調べてみました。
「護摩」というのは、サンスクリット語の「ホーマ」を音写したもので、「物を焼く」という意味です。
物を焼くと、炎があがりますが、実はその炎が重要。
燃え上がる炎は「天の口」であって仏の智慧の象徴でもあり、その口から供物を食します。
納めた護摩木は、供物として焼かれるのです。
そして、煙が天に届くことで、天は食を頂くことができ、代わりに人に福を与えるとされています。
このような考え方、由来はバラモン教にあります。
バラモン教が儀式で行っていたやり方を、大乗仏教も取り入れたんです。


↑大僧正の祈祷

天から供物を食べにくる。
だから結界内を清浄にして、作業をするのです。
いくら美味しい供物でも、汚い人間が供してしたり、机がベトベトに汚れていたり、お皿に食べかすがついていたりしたらいやですからね。



「天でも綺麗や汚いの区別をするのか?」という疑問は残ります。
本当の天なら、陰陽・善悪・美醜なんていう概念はない筈。
あるならそれは狐狸の存在(幽界的存在)なんと違うのか?


↑閼伽(あか)によるお清め。アカとは水のこと。

ある説法して回る坊さんがいた。
「大いなる仏は、陰陽・善悪・美醜を問わない」と話した。
悪童がそれを聴いていた。
その坊さんが説法を終え、竹の皮で包んだおむすびを食べ、川で竹の皮を洗っていた。悪童が「お坊さん、綺麗・汚いがないというたはったのに、なんで竹の皮を洗っているのか?」と質問した。
坊さんは、とっさに答えられなかった。
この話と構造的に似ている。


↑点火の前のセレモニー

高次元の存在がみな清浄なんやろか?
そう考えるのも拘りなんかも。
難しい問題やね。
こんなん書いていたら訳がわからなくなる。
本日は、この当たりで止めております。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっとだけ貢献したかな?

2018年06月16日 07時11分54秒 | 社寺・和菓子

↑降っているでしょ

昨日の早朝は、音が聞こえるほどの雨で始まった。
しかも肌寒い。いわゆる梅雨寒というやつなんだろうな。
それにしても極端な気温の乱高下。
6月15日は、智積院で「青葉まつり」が開催される。
真言宗の宗祖・弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)と
中興の祖・興教大師(こうぎょうだいし)覚鑁(かくばん)のご誕生を祝う行事なんだそうです。
お誕生日を祝うまつりって面白いでしょ。




↑金堂で法要したはりました

それなのに早朝の雨。
これは、中止になる?
最初に行列で金堂まで行列しやはる。この時、雨が降っていたら嫌だろうな。
それから第二部は、大峰山入峰の修験者による柴灯大護摩供がある。


↑柴灯大護摩供は、ここで行われます。

私は第二部の柴灯大護摩供が好き。
凄みのある修験者の声、太鼓、読経、そして煙と炎。
好きなんです。
昔々やっていたんだろうな。
ちょうどこの時、聴いていたのが役小角の話でした。
ピッタリ!!


↑祭壇がテントで覆われている。これは珍しい写真。

ということで、行くことにした。
もちろん、雨傘を持たずに。
私は雨にあわない晴れ男なんです。
行くことで雨が止むような予感がする。
智積院は、近くでいつもウロウロさせてもらっているので、恩返しもしておかないとね。
写真を見ると地面が濡れているでしょ。



柴灯大護摩供の祭壇も屋根が付いていた。
こんな屋根、柴灯大護摩供の時は、取り外した方がいいのに・・・。
これだけのメンバーがそろって、雨ぐらい止まさないと情けないと思わないのかな。
加持祈祷をしてナンボのモンなのに。
天候を変えるぐらいそれほど難しくないのにね。

結果的に雨は降らなかった。京男の勝利!
柴灯大護摩供の風景は、後日記事にします。



それだけでは、愛想ないし、上生菓子をどうそ。


↑本家玉壽軒「露草」




↑きんとん、粒あん

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする