以下は京のわらべ唄です。通りの名前を覚えるための唄。有名なのは「丸(丸太町)竹(竹屋町)夷(夷川)に(二条)おし(押小路)おいけ(御池)あね(姉小路)さん(三条)ろっかく(六角)たこ(蛸薬師)にしき(錦小路)八つ橋買うなら聖護院(これは違うけど。昔そんな唄がラジオから流れてきたな)」なんです。
違うバージョンがこの「ぼんさん あたまは……」なんです。
「ぼんさん頭は まるたまち(丸太町)つるっとすべって たけやまち(竹屋町)水の流れは えびすがわ(夷川)にじょう(二条)で買(こ)うた生薬(きぐすり)を ただでやるのはおしこうじ(押小路)おいけ(御池)で会(お)うたあね(姉小路)さん(三条)に六(六角)銭もろうてたこ(蛸薬師)買(こ)うて にしき(錦小路)で落として し(四条)かられて あや(綾小路)まったけど ぶつ(仏光寺)ぶつと たか(高辻)がしれてる ま(松原)どしたろ」
このような覚え方はものすごく理にかなっていると思う。こういうのをつくって京都の地理を教えた方がいいな。最近の子供は外で遊ばへんから、案外通りの名前を知らへん。
亥の子のお祝いとは、旧10月の亥の日(2005年は11月11日)に、亥の子餅を食べて祝うこと。宮中では御玄猪(ごげんちょ)の式があり、陛下は亥方に向かって、つくつく(搗臼)の作法をされる、「神無月しぐれの雨のふるごとに我をもうかなえつくつく」と三度唱えられたそうです。
亥の子餅は、もともと碁石ほどの小餅だったが、猪の多産にあやかって安産の祝餅「猪の子餅」として形も大きくなり、配りものとして江戸時代流行したようです。
そして次第に形がいまのもののに近くなり、名前も「亥の子餅」となった。
それを茶道の正月といわれる風炉から炉にかわる時がその時期に重なって、その時にでるお茶菓子が宮中に因んで「亥の子餅」として使うようになったのだそうです。
京都のデパ地下でもこの頃、ハロウィンにちなんだカボチャのお菓子や飾り付けをみます。
ロフトやソニープラザに行ってもハロウィンにちなんだグッズが多い。ハロウィンって何かようわからへん。
ちょっと調べました。万聖節の前夜祭らしい。
2000年以上前のケルト人の宗教的行事で、秋の収穫を祝い、亡くなった家族や友人たちを尊び偲ぶものが後にキリスト教に取り入れられたもの。毎年10月31日にするそうです。映画の「ET」でハロウィンのシーンがありますね。仮装をして家々を子供たちが回るシーン。
これを日本に持ってきたのはいいけど、きっと意味がわからんでやっているよね。
コマーシャリズムの節操なさにはあきれる。
こんなことをするぐらいなら、お盆やお彼岸の行事をしっかりした方がいいかも知れませんね。
お盆やお彼岸だって意味をしらない子供たちが増えてきたんと違うかな。
いっそ11月1日は裏千家で炉開きが行われる。その時のお菓子が亥の子餅。ハロウィンよりこっちの方が京都らしいな。
写真は、双鳩堂の亥の子餅。
昨日の続き。
梨木神社から出町方面まで歩く。
出町の「ふたば」はお彼岸の中日(23日)ということでいっぱい。
アリさんが甘いものに群れるみたい。こうなると並んで買おうという気持ちがなくなります。
「ふたば」の豆餅の餡なしを食べたいな。
また今度空いている時に買いに行こうっと。
このあたりで大文字の送り火をみるといいですよ。
京阪の出町柳駅を出て少し南に行くと「常林寺」があります。
ここは「萩の寺」と呼ばれ、境内はそれほど広くないのですが萩の密度が高く、とてもいい雰囲気です。
ちょっと蚊が多いのが難点で、ボコボコに血を吸われてしもた。
でも梨木神社よりも風情がいいので、こちらに一票いれます。
しかも無料です。ただ観光的な寺院ではないので静かに観賞しましょう。
常林寺の山門は、1573年につくられたそうです。浄土宗の寺院。正式には光明山摂取常林寺。本尊は、阿弥陀三尊像。地蔵堂には、若狭街道を往来する人々の信仰を集めたといわれる世継子育地蔵尊が祀られています。勝海舟が京における宿坊にしていたともいわれています。
梨木神社から出町方面まで歩く。
出町の「ふたば」はお彼岸の中日(23日)ということでいっぱい。
アリさんが甘いものに群れるみたい。こうなると並んで買おうという気持ちがなくなります。
「ふたば」の豆餅の餡なしを食べたいな。
また今度空いている時に買いに行こうっと。
このあたりで大文字の送り火をみるといいですよ。
京阪の出町柳駅を出て少し南に行くと「常林寺」があります。
ここは「萩の寺」と呼ばれ、境内はそれほど広くないのですが萩の密度が高く、とてもいい雰囲気です。
ちょっと蚊が多いのが難点で、ボコボコに血を吸われてしもた。
でも梨木神社よりも風情がいいので、こちらに一票いれます。
しかも無料です。ただ観光的な寺院ではないので静かに観賞しましょう。
常林寺の山門は、1573年につくられたそうです。浄土宗の寺院。正式には光明山摂取常林寺。本尊は、阿弥陀三尊像。地蔵堂には、若狭街道を往来する人々の信仰を集めたといわれる世継子育地蔵尊が祀られています。勝海舟が京における宿坊にしていたともいわれています。
いま萩が見頃ですね。京都では、御所の東側にある梨木(なしのき)神社が萩の宮として有名です。小さい頃から、前はよく通っているのですが、入るのは始めてなんです。特に萩という花もなじみがないのです。「ああ、これが萩か」と思いました。結構昔から見ている花でした。どうしても花札のイメージとおはぎの由来という感じが先行していました。
そやけど「おはぎ」とあんまり似てへんように思うな……。昔のおはぎってちがったんかな。
確かに花の雰囲気はそうといえばそうやけど。
神社は奥行きが結構あり、落ち着く感じです。いいお水が湧いていて、それを近所の人が汲みにくるので、お水のところだけは結構いつも人が多いようですね。飲もうと思たけどじゃまくさいしショートカット。
御所の東側ということがあって、とても静かでした。
人もあまり多くなく。平安の風情を楽しめます。
そろそろ「のっぺうどん」が恋しくなってきました。ちょっと涼しくなるととろっとしたもんが食べたなる。
たんとショウガをのせて、フーフーとうどんを食べていると心も身体もあったまる。カレーうどんでは、こうならへん。
この「のっぺうどん」は、四条寺町下がった「永正亭」のものです。
しっかりショウガがのっているでしょ。板麩、かしわ(鶏肉のこと)三つ葉の茎、甘う炊いた椎茸が入っています。
これを食べたら、夏で弱った胃がシャキッとしてくる気がする。
今度、京都に来はったら、ややこしい京料理なんか食べんとこんな京都らしいもん食べた方がええと思うな。
値段も安いし。ただあんまりグループで行って長居したらあかんエ。あそこはお勤めの人の食堂的なところですから。
23日(金)は、秋のお彼岸の中日。この日の前後3日間がいわゆる秋のお彼岸。 「彼岸会(ひがんえ)」といいます。梵語の「波羅蜜多」の訳で、彼岸に到るという意味です。迷いに満ちあふれたこの世、此岸(しがん)から、悟りをえた世界彼岸(ひがん)へ到ることを願って、行いを慎む期間とされていました。彼岸へ到達するために、常日ごろ、忙しさに追われ、自分自身の仏心を見つめることのできない人々が、春と秋の七日間、善事を行い、先祖への報恩感謝を表わします。この七日間の法会のことを、彼岸会といい、お彼岸と略していいます。
お彼岸は、自分を見つめ直し、先祖への報恩感謝をすることにより、より豊かな心を持つための、人格形成期間のようなものです。
単純におはぎを食べて、お墓参りをしただけではアカンようです。どないしやはります?
まあ、とりあえず「おはぎ」を食べて考えましょう。
ちなみに「おはぎ」も「ぼたもち」も同じもんです。
ぼたもちは、牡丹の季節、春のお彼岸に食べるものの事で、あずきの粒をその季節に咲く牡丹に見立てたものなのです。一方、おはぎは、萩の季節、秋のお彼岸に食べるものの事で、あずきの粒をその季節に咲く萩にに見立てたものなのです。
では、何故牡丹の方にだけ餅が付いたのでしょうか?その由来は、「倭漢三才図会」に「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」とあり、牡丹餅がぼたもちになり、萩を丁寧に言っておはぎになったというのが、最も一般的な説です。
よって、春はぼたもち、秋はおはぎと春秋使い分けないといけないのですが、今は年中おはぎで通すお店が圧倒的に多いようです。
なぜお彼岸におはぎをいただくようになったのでしょうか?これは江戸時代にさかのぼります。この時代に、お彼岸や四十九日の忌明けに食べる風習が定着したようです。
あずきの赤色には、災難が身に降りかからないようにするおまじないの効果があると信じられていて、古くから邪気を払う食べ物としての信仰が、先祖の供養と結びついたと言われています。
京都市内のおはぎの有名店をいろいろ食べて見ましたが、やはり今西軒のおはぎが一番やと思う。
ここのは、よう買いにいきます。
今日は、午前中には売り切れてしまうんやろな。
ゆであずきの「あんてーく」も私の父親の好物なのでよう買って届けています。
これも最近本に載ってしもて、手に入りにくくなった。
本に載るのも考えもんやね。
日暮れがずいぶん早くなり、夜明けが遅くなってきた。
フト、書店で村上春樹の本を手に取りました。昔よく読んだな。
作業の合間に読みました。
中に「不可思議な現象に出会った時の対処」というのがあった。
こういうスタンスの方が風通しのよい感じがしたのです。妙に感心してしまいました。
逆のスタンスの人をたくさん見かけるから。
以下その箇所を引用させてもらいます。
実のところ僕はオカルト的な事象に関心をほとんど持たない人間である。占いに心を惹かれたこともない。わざわざ占い師に手相を見てもらいに行くくらいなら、自分の頭をしぼってなんとか問題を解決しようと思う。決して立派な頭ではないのだが、それでもその方が話が早いような気がする。超能力についても無関心だ。輪廻にも、霊魂にも、虫の知らせにも、テレパシーにも、世界の終末にも正直言って興味はない。まったく信じないというのではない。その手のことがあったってべつにかまわないとさえ思っている。ただ単に個人的な興味が持てないというだけだ。しかしそれにもかかわらず、少なからざる数の不可思議な現象が、僕のささやかな人生のところどころに彩りを添えることになる。
それについて僕は何か積極的な分析をするか?しない。ただそれらの出来事をとりあえずあるがままに受け入れて、あとはごく普通に生きているだけだ。ただぼんやり、「そういうこともあるんだ」とか「ジャズの神様みたいなのがいるかもしれないな」みたいなことを思って。
(村上春樹著『東京奇譚集』新潮社刊より)
最後の方の「そういうこともあるんだ」の後に
「ありがとう!」と付け加えるのが私のスタンスかも。
考え過ぎて悩んでいる人が多い。一度そう考えるとドンドン深みにはまる。
そんな人、ご近所さんにいませんか?
秋の夜長、軽いジャズを聴きながら読むといいですよ。
短編集なので辛どくない。お勧めです。
ところで、あなたは、本を読む時、カバーや帯をしたまま読む派、それとも裸にして読む派?
今日は、雨音で目が覚めた。雨のせいもあるかも知れへんけどずいぶん夜明けが遅くなった。
虫の声を聴いていると秋の感じ。昼間は、もうお彼岸やというのにセミが元気に鳴いている。
朝早く起きると夜明けのプロセスを楽しむことができる。
匂いも秋に近づいている。緑の匂いが秋の匂いになっていく。
夏の盛んな感じの匂いから少しずつ実りに移行していくよう。
昨日は、敬老の日で私の里と女房の里にバイクでささやかなお菓子とおばんざいを運ぶ。
敬老の日は15日と身体が覚えているのでどうも調子が狂うな。
私の両親も女房の母親もきっと自分が「敬老なんて、失礼な!」と思もているやろな。
でも日ごろの感謝のささやかな気持ちを示すのはいいことかも。
本当は、365日全部敬老だと思っている。(照れ臭いし言えませんが)
私もやがて敬老とお祝いしてもらうようなことがあるんやろな……。
敬老とは「敬う(うやまう)」と書きますね。敬うに値する生き方をしないといけないね。
まだ猶予があるのでしっかり、敬ってもらえるようにしようっと。
先週は、カレーを食べる機会が多かった。きっと身体が欲しているのか、もともと好きなだけかようわからんけど。
火曜日は、「ビィヤント」のカレーでした。「ビィヤント」は、最近有名みたいですね。でもおばさんグループの行きにくい状態(カウンターだけ)なので、サラリーマンや学生が多いな。それでいいと思う。おばさんがペチャクチャおしゃべりしながら長居されると皆が困る。
カレーはひとりモクモクと食べるもんやと思う。
ここのカレーは、サラッとしたタイプのルーです。いまの私の好みからするとこのタイプがいい。カツにしたかったので、カツカレー(中辛チョイス)を注文。満足満足。ここは、私の里と同じ町内なので永い付き合いやね。マスターのおばさんは知らんと思うけど。顔見知りやけど名乗っていないから。このぐらいの付き合いがお店との距離感の理想やと思うな。
ここのカレーはようタッパを持って買いにいきます。女房に食べさせてあげるためです。テイクアウトするといいですよ。ここのカレー。持って帰るなら野菜カレーがお勧め。カレーマニアはタッパを持っていきましょう。二度美味しいかも。
昔、まだビアントが極端に辛いカレーを作っていた頃があります。それは、いまと比べ物にならないぐらいのレベルです。一番最初行ってそれを頼んだら「お兄ちゃん、食べられるか?これなめてみて」とそれより一段階辛さが弱いカレールーをスプーンで出してくれ、私の表情をチェックしてから大辛を出してくれたことを覚えています。
その頃の私は、ピザの食べ放題でタバスコを数本使っていたようなアホな時代やったので、水も飲まずに大盛りを食べた。それが「ビィヤント」との出会いやった。当時は、ご飯は白かったな。いまは、ターメリックライスになっているけど。
場所は、東大路通の熊野神社前と近衛の間で東側にあります。後は鼻を効かせればわかります。
ここは、定休日が金曜日という変な休み方をするのでご注意。カレーを食べたくなって行ったら休みやったらショックやもんね。
なんか長ごなってしもたね。水曜日のカレーは、明日に書きます。
オヤカマッサンでした。
火曜日は、「ビィヤント」のカレーでした。「ビィヤント」は、最近有名みたいですね。でもおばさんグループの行きにくい状態(カウンターだけ)なので、サラリーマンや学生が多いな。それでいいと思う。おばさんがペチャクチャおしゃべりしながら長居されると皆が困る。
カレーはひとりモクモクと食べるもんやと思う。
ここのカレーは、サラッとしたタイプのルーです。いまの私の好みからするとこのタイプがいい。カツにしたかったので、カツカレー(中辛チョイス)を注文。満足満足。ここは、私の里と同じ町内なので永い付き合いやね。マスターのおばさんは知らんと思うけど。顔見知りやけど名乗っていないから。このぐらいの付き合いがお店との距離感の理想やと思うな。
ここのカレーはようタッパを持って買いにいきます。女房に食べさせてあげるためです。テイクアウトするといいですよ。ここのカレー。持って帰るなら野菜カレーがお勧め。カレーマニアはタッパを持っていきましょう。二度美味しいかも。
昔、まだビアントが極端に辛いカレーを作っていた頃があります。それは、いまと比べ物にならないぐらいのレベルです。一番最初行ってそれを頼んだら「お兄ちゃん、食べられるか?これなめてみて」とそれより一段階辛さが弱いカレールーをスプーンで出してくれ、私の表情をチェックしてから大辛を出してくれたことを覚えています。
その頃の私は、ピザの食べ放題でタバスコを数本使っていたようなアホな時代やったので、水も飲まずに大盛りを食べた。それが「ビィヤント」との出会いやった。当時は、ご飯は白かったな。いまは、ターメリックライスになっているけど。
場所は、東大路通の熊野神社前と近衛の間で東側にあります。後は鼻を効かせればわかります。
ここは、定休日が金曜日という変な休み方をするのでご注意。カレーを食べたくなって行ったら休みやったらショックやもんね。
なんか長ごなってしもたね。水曜日のカレーは、明日に書きます。
オヤカマッサンでした。
写真を見ると宇宙に浮かぶ惑星みたい。そう感じません。でもこれは、祇園鍵善の阿波和三盆を用いた干菓子「菊寿糖」。和三盆というのは砂糖きびからつくる砂糖です。黒糖と対照的ですね。同じ砂糖きびやのに。
鍵善に行き、くずきりを頼むとまずこの「菊寿糖」が出ます。一口でいただける大きさ、口に入れるとフワーと融ける。とても品のよい甘さです。ひょっとして葛切りよりもこれの方がいいかも。なんて思うぐらいです。これは、店舗の方で売っているので、京都のお土産にいいと思います。角砂糖を食べる(小さい時ようやったな)はもう大人になってセエヘンけど、こんな形でやっているんかも。
これは、お薄(お抹茶)ととっても相性が合う。しかも保存性がいい。
お勧めです。
お月さん いくつ 十三 七つ まだ としゃ 若い あの子を 生んで この子を 生んで だーれに まかしょ おまんに まかしょ おまんは どこにいた 油屋へ お使いに 油屋の かどで すーべって こけて 油一升 こーぼした
お月さん幾つ 十三七つ ななより着せて 油買いに 酢買いに 油やのかどで 油一升こぼした その油どうした 鳩がねぶって候 その鳩どうした あっちの山へ ばたばた こっちの山へ ばたばた
お月さんいくつ 十三七つ なな織り着せて おまんはどこいた 油買いに 酢買いに 油屋のかどで すーべって ころんで 油一升こぼした その油どうした 犬がねぶって候 その犬どうした 太鼓に張って候 その太鼓どうした あんまりたたいて破れて候 その破れどうした 紙屑屋に売って候 その銭どうした おまん(饅頭)こ(買)うて食べた おまん食いの親父
これは、京のわらべ唄です。京ことばの雰囲気がよく出ています。内容がとてもシュールな感じやね。頭に描いてみてください。
昨晩のお月さんをご覧になりましたか?所要があり、家にバイクで帰ったのが夜の11時ごろでした。南の空にほぼ満月のお月さんがでていました。すばらしいお月さん。今夜は、もっと満月に近いと思います。感激でした。有名なところで観るのもいいでしょうが。案外近くの庭で駐車場で観るのもOKかも知れへんね。
昨日15日は、一日さわやかな気温やったけど、まだ残暑がもどるかも。「春日の豆」を買いに「すはまの植村義次」さんに行きました。いつものおじいさんと結構長い時間話していました。
印象的やったのは、「私のところはずっと旧暦でやっていますねん」という話。そうですよね。よく考えたら、新暦でやると9月18日が仲秋になる。まだ残暑が残るかも知れへん。蚊だってまだまだ出てくる。こんな時に蚊取り線香をたきながらお月見も風情がない。
やっぱり旧暦の10月17日(月)にやる方がしっくりくると思う。
みなさんどう思わはりますか?
一昨日のブログで書いた場所に旧暦に行って観るのが理想的やね。入れるところと入れないところがあるけど。
観月祭の行事なんかは所詮かざりにすぎない。主役はお月さんやとしたら、それがベストかも。
〈おまけ〉
何だか固くなりましたね。お口直しを。
写真は、先日神戸に行った時に手に入れた蕎麦ちょこ。
絵は下手やけど、かわいい。
ありがとう!