今日も無鄰菴(むりんあん)。
山縣有朋の京都の別荘なんです。
疎水の水を引き込んだ小川治兵衛が作庭のお庭がいいですね。
小川さんは、ここのお庭の他、平安神宮や円山公園、対龍山荘庭園した人です。
この座敷に座っていると心が安らぎますね。
お寺のは座敷と違う点ですね。
新緑のシーズンに来たいな。
山縣有朋(やまがた ありとも、1838~1922)は、日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、政治家。階級は元帥陸軍大将。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功一級。爵位は公爵。内務大臣(初・第2・第3代)、内閣総理大臣(第3・9代)、元老、司法大臣(第7代)、枢密院議長(第5・9・11代)、陸軍第一軍司令官、貴族院議員、陸軍参謀総長(第5代)などを歴任した。
長州藩領内の蔵元仲間三郎有稔(ありとし)の子として生まれた。幼名は辰之助、通称は小助、のち小輔、さらに狂介と改名。明治維新後は有朋の諱を称した。
高杉晋作が創設した奇兵隊に入って頭角を現し、後に奇兵隊の軍監となる。明治新政府では軍政家として手腕をふるい日本陸軍の基礎を築いて「国軍の父」とも称されるようになった。国政に深く関与するようになってからも「わしは一介の武弁」と称するのが常であった。官僚制度の確立にも精力を傾け、門閥や情実だけで官僚文官官吏が登用されることの無いように文官試験制度を創設し、後進を育成。山縣が軍部・政官界に築いた幅広い人脈は「山県系」「山県閥」などと称される。晩年も陸軍のみならず政官界の大御所、「元老中の元老」として隠然たる影響力を保ち、「日本軍閥の祖」の異名をとった。伊藤博文とならび明治維新期に低い出自から栄達を遂げた代表的人物である。
自身が得た最高位の階級は陸軍大将だが、元帥府に列せられ元帥の称号を得ており、元帥陸軍大将と呼称された。また、大英帝国のメリット勲章等沢山の勲章を受章している。
↑角のところにも柱がないのが凄い。耐震は大丈夫なんだろうか。
すごい略歴ですね。
伊藤博文、井上馨、山縣有朋といえば明治維新のフリーメーソン系という人もいる。
ほとんどの人は聞いたこともないだろうけど。
本当はどうだったんだろう・・・。
この別荘は好きになれるけど、山縣さんは好きになれないな。
↑3月31日ベランダ桜、週末に開花かな。東大路の大谷本廟の桜はポチポチ開花してました。
Twitter→@kyo_otoko