京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

庭にながれる小川の音が心地よかった・・・無鄰菴

2011年03月31日 04時55分19秒 | 風景


今日も無鄰菴(むりんあん)。
山縣有朋の京都の別荘なんです。
疎水の水を引き込んだ小川治兵衛が作庭のお庭がいいですね。
小川さんは、ここのお庭の他、平安神宮や円山公園、対龍山荘庭園した人です。
この座敷に座っていると心が安らぎますね。
お寺のは座敷と違う点ですね。
新緑のシーズンに来たいな。





山縣有朋(やまがた ありとも、1838~1922)は、日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、政治家。階級は元帥陸軍大将。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功一級。爵位は公爵。内務大臣(初・第2・第3代)、内閣総理大臣(第3・9代)、元老、司法大臣(第7代)、枢密院議長(第5・9・11代)、陸軍第一軍司令官、貴族院議員、陸軍参謀総長(第5代)などを歴任した。





長州藩領内の蔵元仲間三郎有稔(ありとし)の子として生まれた。幼名は辰之助、通称は小助、のち小輔、さらに狂介と改名。明治維新後は有朋の諱を称した。





高杉晋作が創設した奇兵隊に入って頭角を現し、後に奇兵隊の軍監となる。明治新政府では軍政家として手腕をふるい日本陸軍の基礎を築いて「国軍の父」とも称されるようになった。国政に深く関与するようになってからも「わしは一介の武弁」と称するのが常であった。官僚制度の確立にも精力を傾け、門閥や情実だけで官僚文官官吏が登用されることの無いように文官試験制度を創設し、後進を育成。山縣が軍部・政官界に築いた幅広い人脈は「山県系」「山県閥」などと称される。晩年も陸軍のみならず政官界の大御所、「元老中の元老」として隠然たる影響力を保ち、「日本軍閥の祖」の異名をとった。伊藤博文とならび明治維新期に低い出自から栄達を遂げた代表的人物である。





自身が得た最高位の階級は陸軍大将だが、元帥府に列せられ元帥の称号を得ており、元帥陸軍大将と呼称された。また、大英帝国のメリット勲章等沢山の勲章を受章している。




↑角のところにも柱がないのが凄い。耐震は大丈夫なんだろうか。

すごい略歴ですね。
伊藤博文、井上馨、山縣有朋といえば明治維新のフリーメーソン系という人もいる。
ほとんどの人は聞いたこともないだろうけど。
本当はどうだったんだろう・・・。
この別荘は好きになれるけど、山縣さんは好きになれないな。




↑3月31日ベランダ桜、週末に開花かな。東大路の大谷本廟の桜はポチポチ開花してました。

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私の家ではありません

2011年03月30日 05時02分42秒 | 風景・和菓子


ここは、南禅寺近くにある無鄰菴(むりんあん)。
今日の記事は、洋館部分の写真です。



明治27年(1894)から明治29年(1896)にかけて明治・大正の元老である山県有朋(やまがた ありとも)が京都に造営した別荘です。
その名は,有朋が長州(山口県)に建てた草庵が隣家のない閑静な場所であったことから名付けられたといいます。





その後、有朋は京都の木屋町二条に別荘を構え、無鄰菴と号しましたが、さらに新しい地に好みの別荘を作りたいと考え、明治27年(1894)、現在の地で無鄰菴の造営にとりかかりました。工事は日清戦争の勃発により一時中断しましたが、翌年2月から本格的な工事を再開し、明治29 年(1896)に完成しました。





有朋はこの別荘の庭園をこよなく愛し、多忙な公的生活の合間にも夫人を伴ってしばしば訪れましたが、その後大正11年(1922)に83歳でこの世を去っています。



山県有朋さんって私はよく知らないのです。
だから次の記事で書きます。

無鄰菴地図


↑長久堂「花の都」




↑きんとん(山芋入)黒こしあん


↑3月30日ベランダ桜、今日夜明け直後、ウグイスが鳴いていた。下手やったけどね。

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法住寺合戦って知っています?

2011年03月29日 05時13分56秒 | 社寺


ここは、三十三間堂の東南側にある法住寺(ほうじゅうじ)。
先日紹介した血天井の養源院のお隣さんです。




↑嚴島辨財天と豊川叱枳尼天、両方とも女神さんでお祀りしてある。なんでやろ・・・。

歴史を調べてびっくり!
平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれたそうです。





3
↑境内に同じ枝に二色の紅梅が咲いていた。

法住寺合戦(ほうじゅうじかっせん)は、寿永2年(1183年)11月19日、木曾義仲(きそよしなか、名前を聞いたことがあるでしょ)が院御所・法住寺殿を襲撃して、後白河法皇と後鳥羽天皇を幽閉、政権を掌握した軍事クーデター。
平安時代末期の内乱、治承・寿永の乱の戦いの一つ。
平家一門が都落ちしたあとの後日談ということになります。




↑本堂の前の砂のスペースはなんだろう・・・

この後、木曾義仲は、源頼朝が送った源義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。
日本史の教科書に登場の人たちばかりですね。
その人たちのゆかりのお寺なんです。


↑お百度用の石があります。何かの願に効果があるお寺なのかな。本堂は不動明王だからよく願い事をきいていただけるのかな。砂のスペースは護摩用かな・・・。

その内乱の後、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたる。


↑竜宮城のような門ですね。

この分離された御陵は宮内庁月輪陵墓になった。
そうなんだ。
ご近所の話だった。

法住寺地図(地図では三十三間堂になっています。向かい側です)


↑3月29日ベランダ桜

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久しぶり~

2011年03月28日 05時03分12秒 | カレー

↑スープ

久しぶりに京女とインド料理でした。
ランチを食べるのも芸がないのでア・ラ・カルトで注文。
インド料理とかタイ料理は私の好みかな。
でも京女も食べます。
彼女の好みからいうとうどんだろうな。
でもお互い好みが似てくるから問題ないと思っています。


↑タンドーリーサラダ、このサラダはお気に入りなんです。

注文するとスープが運ばれてきます。
標準で着いてくるのかな・・・。


↑チキンシークカバブ、鶏肉のミンチの炭火焼
これは家でつくるといいかも。



挽肉にクミンやガラムマサラ、塩、胡椒、レモン汁で作れると思います。
一度家で作ってみます。
おからか豆腐をいれてもいいかな。


↑ラムマサラ インドのラム肉を使った家庭料理のスパイシーカリー
骨付きなので肉が外れにくく手に持って思いっきり囓ったら骨が飛んで行ってしまった・・・。



これは結構、コクがあり美味しかった。
骨が飛んでいったけどね。(笑)


↑豆カリー、やっぱり豆のカレーがいいな。こちらの方が辛口に仕上がった。だから日本語の通じない店員は困る。

インド料理は野菜系が美味しいと思います。
ダールのカレーが美味しいお店がいいお店でしょうね。

ランチにこれだけ食べると夕食が抜きになる・・・。
二人でスーパーにいってもお腹がいっぱいだとメニューが浮かばないから買い物が困ります。


↑3月28日朝、ベランダからの桜、東山地区の桜はこんな感じかな・・・。

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木の花、咲くを待つ

2011年03月27日 05時53分01秒 | 風景・和菓子


まだ少し肌寒い日が続きます。
でも桜の蕾たちは、確実に春の準備をしています。





よく見るとどの蕾も可愛い。
花もいいけど、蕾もいいですね。
後一週間ぐらい経つと咲き出すかな。


↑千本玉寿軒「わらび餅」
美味しそうでしょ!美味しかったですよ。
京女が食べたいと言ったので購入。


↑切るのが難しかった・・・。


↑総本家駿河屋「すみれ」
すみれの花が近くになかったのが残念。




↑煉切、白あん


↑ベランダ桜。今年もよろしくね。

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なんか見たくないなぁ・・・

2011年03月26日 05時43分58秒 | 社寺
ここは、三十三間堂の東側にある養源院。
養源院は浄土真宗遣迎院派の寺院。



お寺の歴史を引用してしておきます。
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の供養のために秀吉に願って成伯法印(長政の従弟で比叡山の僧)を開山として創建。
その後、元和5年(1619年)、火災により焼失する。
元和7年(1621年)、徳川秀忠の正室・崇源院(江)の願により再興された。以後、徳川家の菩提所となった。



血天井の説明は、以下の通りです。
関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城攻防戦で鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。
同じ血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもあるが、生々しさでは養源院が一番といわれる。
崇源院の秀吉への憎しみを表しているといわれる。



2
↑お寺に狛犬?前足はミサンガなの?包帯なの?

生々しさで一番といわれてもね・・・。

2


↑なんで弁天さんや毘沙門さんが居て張ります。

三十三間堂は観光客が多いけど、養源院あたりは少ないんです。
だから余計入りにくい。
しかも拝観料がしるし、撮影もできないしね。

1



だからいつもこの玄関ぐらいまでで引き返します。





大きな木があります。
歴史をみてきたんだろうな。

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ちょっと一服

2011年03月25日 06時04分27秒 | 


これは、三条大橋の西にある弥次喜多像。
弥次喜多は、十返舎一九が江戸時代後期に書いた滑稽本『東海道中膝栗毛』に登場する栃面屋弥次郎兵衛(弥次さん)と食客喜多八(喜多さん)からきた言葉である。
江戸から大阪までの二人旅を面白く滑稽な二人の話。
実は読んだことがない。
『続膝栗毛』というのもあるそうです。



この像を見て、昔の人は小柄だったと思ってしまった。(笑)
「だれや~!」タバコをくわえさせたのは・・・。
オモロイけど。



さてこの像の斜向かいにミンミン(漢字がたぶんでないだろうな)がある。
この日は23日だった。
看板をよくみると3のつく日。
餃子が安い!
看板に誘われて入る。
ミンミンは、中学ぐらいから食べ続けております。


↑酸辣湯、この時期はなぜか辛酸っぱいものが食べたくなる。


↑焼餃子


↑ジンギスカン


↑ニラレバー、お酢をいっぱいかけていただくと美味しい。

あまり食欲がなかったのでこれだけ・・・。
これで十分という人もいるだろうな。
これを食べると食欲がでてきました。
この後、二万歩あるきました。(笑)

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智積院は梅が見頃

2011年03月24日 05時34分32秒 | 社寺


もう智積院の前を通り過ぎた時、境内を覗くと花が咲いていた。
もう桜かな・・・と思い近づくと梅だった。





花の形ではわからなかった、でも香りでわかりました。



智積院の梅はまだ若々しい感じの木が多い。
だから咲く時期をまだよくわかっていないのかな・・・。



境内は人の姿は少なかった。
いまは、今はひょっとしてオフなのかな。





春は静かに進行しているみたい。
ここは桜は咲くのかな・・・。


↑仏足石



この日は、人と会う約束だったのでゆっくり見られなかった。
明日でもゆっくりみてみようかな。

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やっぱりカレー

2011年03月23日 04時53分34秒 | カレー
先週、セミナー出席で大阪へ。
とりあえずランチ。
時間がないので、カレー。



今回は、ピッコロのカレー。
ここも古くから来ているお店。
ここは濃厚なタイプのルーがたっぷりかかっているのが特徴。
結構な辛さなんです。
インデアンと違って持続する辛さが特徴。

長時間のセミナーが終わり。
夕食なんですが、ランチのカレーがずっしりお腹に溜まっていた。
しかたなくお茶ということで、いつものティーハウス ムジカ堂島へいく。



この日のお茶は、ラプサンスーチョン(Lapsang Souchong)。
産地が中国福建省。水色が濃いめのオレンジ色。
松の香りのスモーキーフレーバーを持つ。オリエンタルな香り。
個性的なお茶なんです。


↑胡桃入りスコーン


↑チーズスコーン
このスコーンは濃厚な感じがしました。
ケーキでもないパンでもない不思議な食感。

ムジカから歩いて京阪淀屋橋まで歩いて帰りました。
それでもお腹が減らなかった。
ピッコロのカレー恐るべし。

「テーハウス ムジカ堂島」地図

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桃花、咲く

2011年03月22日 04時19分51秒 | 風景・和菓子


桃の花は、よくわからない。
八重の梅、桜と区別しにくい。
咲く時期で判断するしかない。







比べてみると
・モモ(桃、学名 Amygdalus persica)はバラ科モモ属の落葉小高木。

・サクラ(桜、櫻)は、バラ科サクラ属サクラ亜属 Prunus subg. Cerasus またはサクラ属 Cerasus の総称である。

・ウメ(梅、学名:Prunus mume)は、バラ科サクラ属の落葉高木、またはその果実のこと。
遅咲きの八重の梅と早咲きの桜と一緒に咲いていたら、お手上げだろうな。







京都で桃の花というと私は京都御所の桃林だろうな。
枝振りも立派だし。
観光客も少ないし、地元としては快適。
果実として育てる桃の花ならもっといい香りがするんだろうな。
私はまだ未経験なのでようわかりません。





もうすぐ桜のシーズン。
そうなると春本番。
私は春の埃っぽさ、生暖かさが嫌いだけど、今年は早く春になるのを望みますね。


↑亀屋良長「桃の花」
こういう桃の花は、なかったな・・・。


↑煉切、白あん

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東大路七条に桜咲く

2011年03月21日 04時03分55秒 | 風景・和菓子


昨日は暖かかった。
京都市内は車が多かったな。
気がつくと連休だ。
でも今日は雨かな・・・。







東山地区でも早咲きの桜が咲き始めた。
私の部屋の窓から見えるお寺の桜も咲いています。





ソメイヨシノ(染井吉野)は、月末ぐらいに咲くだろうな。





この博物館の桜は、彼岸桜。
なるほど今日は、春のお彼岸。
彼岸桜が咲いていても不思議ではない。


↑亀屋良長「花筐(はながたみ)」
花筐(はながたみ)は、世阿弥作の能演目
こんな話です。

春の越前(福井県)味真野。男大迹皇子からの使者が到着します。武烈天皇の後を継ぐべく都へ向かった皇子は、故郷・味真野に最愛の女性照日ノ前を残したままでした。使者は照日ノ前に、男大迹皇子からの手紙と愛用の花筐(花籠)を渡します。その手紙に涙した照日ノ前は花籠を抱いて、一人寂しく郷里へと帰ってゆきます。
〈中入〉
時はやがて秋。大和(奈良県)では継体天皇(かつての男大迹皇子)が、玉穂の地に新たに都を造営中。そして臣下を引き連れ紅葉狩へ向かいます。一方照日ノ前は男大迹皇子を思うあまり、越前から侍女を連れて都へ向かいます。ときには南下する雁を頼りに、琵琶湖を越え、大和に至った照日ノ前たちは、継体天皇の行列に鉢合わせます。行列先をけがす狂女と見なされ、天皇の臣下によって侍女の持つ大切な花籠を打ち落とされた照日ノ前は「そなたこそ物狂いよ」と、さらに昂ぶります。すると天皇の近くで舞うよう仰せが下り、漢の武帝の后・李夫人の曲舞を自らの思いを込めて舞います。そしてその花籠を見せるよう命じた天皇は、ようやくそれが正に照日ノ前に与えた花籠だと気付き元の様に側近く置こうと誓い、照日ノ前たちを伴い一行は都へ帰って行くのでした。


↑上用、こしあん

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時の流れ

2011年03月20日 04時23分21秒 | 甘味・喫茶・その他

↑クリームあんみつ(栗入)

時の流れが早くなったように思う。
それだけ充実していると思うようにしてはいるのですが・・・
時の流れをゆっくりするにはどうしたらいいんだろう。


↑ここでコーヒーを飲むとゆっくり時間がながれるように感じる


↑春のケーキ、写真だけで食べていない

最近実行しているのは、テレビを消すこと。
早く寝ること。
自然に親しむこと。
視点を宇宙におくこと・・・これは結構有効ですよ。


↑レモンスカッシュ


↑クリームソーダ


↑レモンアイスクリーム、これは京男好みのアイスクリーム

さて、こうの記事は久しぶりにイノダコーヒー本店。
昔は、よく本店のいまでいう喫煙ブースで本を読んでいました。
書斎のような感じが好きだった。
最近、観光の昔のお嬢さんが多くなって少々、賑やかになっています。
それもまたいいのかもしれない。
ゆったりとした時間の流れはいいものです。
心が癒される感じがする。



時間の流れは、心の状態によって変化するのかも。
知らず知らずの内に、気が頭に上がってきているのかも。
気を臍下丹田(せいかたんでん)に下げ、呼吸をゆったりしていると時間がゆったり流れはじめるのかも。
※臍下丹田/ヘソより指三本分下の当たり



3月は、人と会うことが多い。
今日の記事は実は三回行った写真でした。


イノダコーヒー本店地図

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三寒四温

2011年03月19日 05時37分57秒 | 風景・和菓子


もうすぐお彼岸。
その前に寒くなったり、また暖かくなったりする。
今年の寒さはちょっと身体に厳しい。
例年なみなのかもしれないけど、連日の震災の風景を見ると寒くなる。



いつもなら春の暖かさを嫌う私だけど、今年は早く暖かくなってほしいと願う。
一昨日の朝、雪が降っていた。
ベランダからの桜に雪がつもっていた。


↑あと半月すると満開の桜になるのだろうな・・・。
写真は去年の4月1日



御所から見る左大文字も春の用意をし始めているように見える。



でも花粉と黄砂が・・・・


↑御所の枝垂れ桜も春の用意をしていましたよ


↑二條若狭屋「ほころび」


↑煉切、こしあん

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早咲き桜・・・下鴨神社

2011年03月18日 05時28分57秒 | 社寺・和菓子


寒の戻りで冬のような日が続きます。
私は、いまぐらいの時期から春にかけて苦手なんです。
毎年違う形でアレルギー的な反応がでる。
今年はキツイ・・・。
でも今年ほど「早く暖かくなって欲しい」と思ったことはないな。



先日、下鴨神社に行ったとき。
早咲きの桜を見てみると小さいけど花が咲いていた。



すこしホッとしました。



次回ここへ来るのは、みたらし祭かな。


↑塩芳軒「都桜」


↑羽二重、白あん

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蔦のバスケット

2011年03月17日 05時21分55秒 | 社寺


これまた城南宮。
神苑を歩いていて見つけ、面白いとお見ました。



大きな石を包み込むように蔦が絡んでいます。



蔦が包み込んでいるだけで、石が有機的なものに見えてしまう。
不思議な気持ちになりました。



神苑は見る角度によっていろんな表情を見せてくれます。
ゆっくり見ていたかったけど、雲行きが怪しくなってきたので
早々に撤収してしまいました。
桜のシーズンにはまた違う表情を見せてくれるかな。



このつくばい(蹲踞、蹲)は、妙にツヤツヤして不思議な感じだった。
水を吸収する石なんだろうか。



椿はたくさんの種類がありました。
この赤い椿は面白い形ですね。



紅白の梅の木が綺麗だったな。





白い梅や椿が今年のお気に入りです。
何でだろう・・・。

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