京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

草木萌動

2011年02月28日 05時46分38秒 | 風景・和菓子


先週ぐらいから草木が芽を出しはじめました。
あちらこちらで命が起き始めている。
草木や生物はなんの打合せもしていないのにね。





まだ肌寒い時はあるけど
大いに命を感じたいものですね。
人間は、自分が自然の一部であるということを忘れてしまっている。
人間は、自然を征服できると錯覚している。
そんなことはないよ。
人間も自然の一部なんだな。
それを忘れた時におかしくなる。
いまの世界をみるとそう思える。
全人類が自然に活かされていると認識したら地球も喜んでくれると思うんだけどな・・・。



2


↑塩漬けの桜の花をつかったおにぎり、アイデアでしょ


↑千本玉寿軒「おひなさん」
本来ならひちぎり(引千切)なんだけど、こんなタイプのものもでてきた。
白あんでつくった方がよかったかもね。


↑こなし、こしあん

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親子牛

2011年02月27日 04時45分37秒 | 社寺・和菓子


北野天満宮の境内は牛の像がいっぱい奉納されています。
よくみると親子の牛があります。



きっと子供の成長を祈ったのかもしれませんね。
昔は、今のように子供が無事に育たなかったのだろうな。
だから親は必死で成長を願った。



こういう親子の牛もそういう風な話しがあるのでしょう。





でも牛ってこういう風に子供に接しているのかな。
ちょっと違うような気もする。



いつもの牛さんです。
梅に囲まれて嬉しそうだ。


↑長久堂「貝合せ」


↑こなし、赤おしあん

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体内にギリシアの兵隊が潜んでいるかも

2011年02月26日 05時15分16秒 | 社寺・和菓子


こういう木馬を見て、ギリシア軍が隠れている・・・。
こんな話をしっていますか?
最近、知らない人が結構いるのですよ。
トロイの木馬というとウイルスだと思う人の方が多いかな。
あたり前田のクラッカー(これも知らないか・・・)的に知っていると思ってしらなかった時、がっかりしますよね。
昨日リハビリで担当の先生に「熊襲(くまそ)って知っている?」と聞いたら「知らない」とのこと。
念のため「日本武尊って知っている?」と聞いたら、やっぱり知らなかった。
また、酒呑童子や土蜘蛛についていも話したけど、全然話しが通じなかった。
ジェネレーションがギャップなんだろうか・・・。



今日の記事も北野天満宮です。
梅苑を外からのぞいた状態です。
奥はあまり咲いていなかった。



この建物が神馬さんの家です。
きっと昔は本当の白馬がいたんだろうな。



剥製とちがって木馬です。
上賀茂神社には本当の白馬がいるらしい。
でも見かけたことはないんですよ。



吉田神社にも昔は、本当の鹿がいたはりました。
いまは、ブロンズ像ですが。
昔、人参をやるのが楽しみだったな。

なんか今日は内容があまりなかったかも。
まあ、そんな日もあります。


↑長久堂「すみれ野」


↑蓬の風味がよかったな


↑外郎、粒あん、よもぎ入

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土蜘蛛灯籠

2011年02月25日 05時27分00秒 | 社寺

↑「土蜘蛛」灯籠

ここは、北野天満宮の隣にある観音寺(通称東向観音寺)。
いまの時期は、観光客は北野天満宮の梅苑に行ってこのお寺を訪れる人はすくない。
このお寺の社寺によると、延暦25年(806)に桓武天皇の勅を奉じて藤原小黒麿らが皇城(平安京)鎮護のために建立した朝日寺が前身とされている。その後、天暦元年(947)に朝日寺の僧、最鎮らが北野天満宮を建立した後、応和元年(961)、太宰府(現福岡県)の観世音寺――天智天皇が母・斉明天皇の冥福を祈って創建した(746 年完成)お寺――から菅原道真公作の十一面観世音菩薩を請来し安置。
鎌倉末期の応長元年(1311)、無人如導宗師が中興し律宗となって、観世音寺に倣って観音寺と改称している。宗師は花園・後醍醐・光厳・光明の四天皇や足利尊氏から帰依をうけ、観音寺は北野天満宮の神宮寺となった。
本尊の十一面観音像を安置する本堂が東向きであるところから東向観音寺といわれる。当初東向・西向の両観音堂あったが、応仁の乱(1467)や火災等で焼失し、慶長12年(1607)になって豊臣氏が北野天満宮を復興した際、西向観音堂は再興されず東向観音堂のみ再建された。その時に再建された本堂が現在の本堂。



さて本日のタイトルの土蜘蛛です。
土蜘蛛は、実在のクモの名前ではない。
1.天皇に恭順しなかった古代の土豪の名前。
2.日本に伝わる巨大なクモの妖怪で、別名「八握脛(やつかはぎ)」「大蜘蛛(おおぐも)」
3.能の演目。五番目物の鬼退治物。



2月17日「綱さんの燈籠」と関係あるのが土蜘蛛。
14世紀頃に書かれた『土蜘蛛草紙』では、京の都で大蜘蛛の怪物として登場する。酒呑童子討伐で知られる平安時代中期の武将・源頼光が家来の渡辺綱を連れて京都の洛外北山の蓮台野に赴くと、空を飛ぶ髑髏に遭遇した。不審に思った頼光たちがそれを追うと、古びた屋敷に辿り着き、様々な異形の妖怪たちが現れて頼光らを苦しめた、夜明け頃には美女が現れて目くらましを仕掛けてきたが、頼光はそれに負けずに刀で斬りかかると、女の姿は消え、白い血痕が残っていた。それを辿って行くと、やがて山奥の洞窟に至り、そこには巨大なクモがおり、このクモがすべての怪異の正体だった。激しい戦いの末に頼光がクモの首を刎ねると、その腹からは1990個もの死人の首が出てきた。さらに脇腹からは無数の子グモが飛び出したので、そこを探ると、さらに約20個の小さな髑髏があったという。
※京男なら美女がでてきたらだまされてしまうかも・・・。



土蜘蛛の話は諸説あり、『平家物語』には以下のようにある(ここでは「山蜘蛛」と表記されている)。頼光が瘧(マラリア)を患って床についていたところ、身長7尺(約2.1メートル)の怪僧が現れ、縄を放って頼光を絡めとろうとした。頼光が病床にもかかわらず名刀・膝丸で斬りつけると、僧は逃げ去った。翌日、頼光が四天王を率いて僧の血痕を追うと、北野神社裏手の塚に辿り着き、そこには全長4尺(約1.2メートル)の巨大グモがいた。頼光たちはこれを捕え、鉄串に刺して川原に晒した。頼光の病気はその後すぐに回復し、土蜘蛛を討った膝丸は以来「蜘蛛切り」と呼ばれた。この土蜘蛛の正体は、前述の神武天皇が討った土豪の土蜘蛛の怨霊だったという。この説話は能の五番目物の『土蜘蛛』でも知られる。



一説では、頼光の父・源満仲は前述の土豪の鬼・土蜘蛛たちの一族と結託して藤原氏に反逆を企んだが、安和の変の際に一族を裏切って保身を図ったため、彼の息子である頼光と四天王が鬼、土蜘蛛といった妖怪たちから呪われるようになったともいう。



なんか凄い話しですね。
映画化したら面白いだろうな。



「土蜘蛛」灯籠由来
この蜘蛛灯籠は、もと七本松通一条にあって、源頼光を悩ませた土蜘蛛(つちぐも)が棲んでいたところといわれた。明治年間に、この塚を発掘したところ、石仏や墓標の破片したものが出土し何等参考となるものはなかった。
そのときの遺物が、ここにある「火袋」で、当時、ある人が貰いうけ庭に飾っていたところ家運が傾むき“土蜘蛛の祟り”といわれたので、東向観音寺に奉納したという。
なお「土蜘蛛」とは我が国の先住穴居民族で背が低い、まるで土蜘蛛のようだったといわれる。(謡曲史跡保存会高札より)



2

本当の土蜘蛛の姿は、日本の先住民族なんだろうな。
縄文人の生き残りとか。
ひっそり山奥に住んでいた人々。
それを渡来系の中央政府の人たちが、自分たちと生活や文化が違うということで滅ぼしたのだろうな。
平和な人たちだったのかもしれない。

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梅、真っ盛りかな・・・

2011年02月24日 06時06分24秒 | 社寺・和菓子


入ったらそうでもなかった。



ここ数日、桜の時期の陽気がつづく京都です。
所用があり天満宮によってみた。
でも梅苑はまだダメだった。





でも個々の花は実に綺麗だった。
境内の香りはとてもいい。
深呼吸するとうっとりしてしまいます。





やっぱり梅の花が好き。





本当は、違う記事にするつもりだったけど、
地味な色合いの記事が続ので、梅を登場させました。
本日は写真をお楽しみください。


↑亀屋良長「左近右近」
もうすぐ桃の節句ですね


↑こしあん、粒あん

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人工なのに自然・・・回遊式の庭

2011年02月23日 05時17分23秒 | 社寺


等持院は、水上勉の小説『雁の寺』の舞台となった寺でもある。
ご存知ですか?



雁のガン子は、夫のコッタ君とお寺の池で暮らしていた。
コッタ君がインフルエンザで亡くなってしまい。
若いポンタ君と再婚した。
同じ池にいたカルガモのスイトン君の複雑な心境と
スイトン君が最後は殺雁してしまう。
ちょっと悲しい物語。
なーんちゃって。





夢窓国師の作と伝えられる回遊式の庭園。
伝ということでかならずしも本人が作ったとは言えないという意味です。
夢窓国師は、麻雀と関係ないらしい。
それは「国士無双(こくしむそう)」や。





このお庭を歩いていると不思議な感覚になる。
そんなに広大な庭ではないけど、とても広く感じる。
人工なのに自然なんです。
とても感性の鋭い人が設計したんだろうな。
歩く度に風景が変化する。
すごい距離を歩いた気持ちになるんです。





新緑の時期に再度きてみたい。



春ですね。
これからドンドン大きくなっていく。

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こんな庵がいいな

2011年02月22日 05時14分44秒 | 社寺・和菓子


今日の記事も等持院。
茶室編です。



この茶室は、義政公の好みと伝えられているが子細はわからないらしい。
義正って誰?と思うでしょ。
足利義政(あしかが よしまさ)は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年- 1473年)。





幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎んだ。幕政を正室の日野富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、自らは東山文化を築くなど、もっぱら数奇の道を探求した文化人であった。
政治家としては全然ダメな人ですね。
だけど少なくとも文化は残した。
庶民からすると最悪な人だったかも。





賀茂川の流れが餓死者の死体で止まるぐらいの被害をだしている真っ最中に、文化的な建物を建てていた。
自分の後継者をめぐって起こった応仁の乱の真っ最中でも酒宴や連歌の会を開いていたらしい。
いまならIT革命※が起こっただろうな。
いまの中東はそんな感じなのかな・・・。
※森喜朗が提唱した「イット革命」のことではなく、エジプトやリビアでおとりつつあるFacebook等で起こった革命のこと。





義政は政治的にはどうしようもなかったけど、このおっさんがいたから現在の京都の観光名所はできたから、京都に貢献したことになる。
複雑な気持ちになりますね。



このおっさんの好みで作られたのがこの茶室「清漣亭」。
つくられた当初は茶室という感じではなかったらしい。
見晴らしがいいもの。
でもお茶をいただきながらボーッと庭を見ていたらいいでしょうね。
こういう草庵風の仕事場があるといいな。


↑亀屋良長「芽生」


↑外郎、白あん

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有楽椿

2011年02月21日 04時41分30秒 | 社寺・和菓子


「有楽椿」というのは、「胡蝶侘助」という名前が通称だそうです。
この等持院の有楽椿は樹高十数m、根元の幹周「100㎝」地上85cmで三つに分かれていて、現存する有楽椿最大樹だそうです。
織田有楽の時代秀吉が秀頼に寺を再興させたときに庭園の修復とともに植えたものと伝えられるもので四百有余年の歴史を誇る椿とか。





もうひとつ樹全体がはっきりわからなかった。
四百年も経っているのかな・・。





「有楽椿」の学名も「Camelia Uraku」です。
関東では「太郎冠者」と呼ばれることが多いようです。
ちなみに、利休が好んだ「ワビスケ」は「有楽椿」の子孫と考えられています。


↑真ん中の木が有楽椿

秀吉さんに因んだ神社やお寺は椿が多いけど、好きな花だったのかな。
それとも当時は茶道が盛んだったからかな。


↑本家玉寿軒「のどか」


↑羽二重、白あん

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南北朝時代か・・・等持院

2011年02月20日 07時05分12秒 | 社寺


ここは、等持院。
臨済宗天龍寺派の寺院。山号は万年山。
嵐電の北野白梅町の一つ手前の駅で降りていきます。
こんな説明では、京都以外の人にはわからないか。





足利尊氏が暦応4年(1341年)に中京区柳馬場御池付近で建立し、その2年後の康永2年(1343年)、現在の京都市北区等持院北町に別院北等持寺を建立したとされている。この柳馬場御池本寺が応仁の乱で焼けたので、いまの別院である等持院が本寺になった。
時代的にいうと南北朝時代の後にできたことになる。
後醍醐天皇(南朝)と光明天皇(北朝)の日本全体を巻き込んだ争い。
宮中と武家の覇権争い。
日本史的には面白い。

2

その立役者の足利尊氏はたしか真田広之かな。
NHK大河ドラマ「太平記」ね。
このころの大河ドラマの方がよかったかも。




↑方丈の廊下は鶯張り(うぐいすばり)でした。こういう時はなぜか音をささないように歩く習慣がある。なんでやろ・・・昔、忍者でもしていたのかも。



閑話休題
等持院は、足利尊氏の墓所なんです。
足利の歴代将軍の像が霊光殿に納められています。
これって結構面白いですよ。
木造に個性がでているように見えました。





それと夢窓国師作がつくったというお庭がいいです。
奥行きがとてもあるように見えるのです。

観光客も少なくゆっくり境内を楽しむことができました。

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椿さんはエライ!

2011年02月19日 04時53分47秒 | 風景・和菓子


いまの季節は梅の方に目がいきますが、椿もさいている。
まっかな椿は冬の花の少ない時、はっとするぐらいきれいに感じます。
葉っぱの艶々とした緑もいいです。





いま頭皮が感想しているので椿油で頭皮パックをしています。
髪の毛も綺麗になりますよ。
できれば黄楊のヘアーブラシを物色中。



椿はとても有益な樹ね。
1.椿の木材
椿の木材現在少ないので建築には使われていない。現在は工芸品や細工に使われる。

2.木灰
木灰は、日本酒を作る時に重要なんだそうです。特に椿は珍重されるそうです。
また椿木灰はアルミニウムを多く含むので染色用に珍重される。
でも椿の木灰はきわめて入手が困難らしい。

3.椿油
椿油は、種から絞るのですが、和風オリーブオイルとも言われ、高級な食用油、整髪料、灯明の燃料として使われてきた。搾油で出る油粕は川上から流して、川魚、田螺、川えび等を殺すのに使われた。
京男が小さい時、庭にある椿の実をなんとか食べられないか試行錯誤していたな。

4.鑑賞
花は茶道で冬によく使われる。他家受粉で結実するために変種が生じやすいことから、古くから品種改良が行われてきた。

5.薬用
葉のエキスが止血薬になる。すごいでしょ。



今回は、等持院へ有楽椿を見に行ったのですが、有楽椿の前に普通の椿を紹介しました。先のお楽しみ。


↑本家玉壽軒「寒椿」


↑こなし、白あん

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最近あまり食べなくなった・・・食べるラー油

2011年02月18日 05時05分12秒 | 


最近「食べるラー油」を食べていないな。
好きなんだけどある程度極めると興味がなくなるのかも。
結局4回つくったかな・・・。
私の場合、3回作るとレシピが確定する。
確定するとそれで満足してしまうのかも。



京福電車で四条大宮から等持院駅に行った。
等持院駅へは帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅で乗り換える。
ちょうどお昼だったので、改札を出る。
菜館Wongへ向かう。
もし人が並んでいたらあきらめるつもりだった。
並んでいなかったから入る。
(厳密にいうと電車の中からチェックしていたかも)
ランチは初めて。





人がいないので拍子抜けをしながら席に着く。
ランチを注文する。
前みたいに待たされたらどうしょう・・・・。
心配していたけど、すんなりきました。
久しぶりにこのお店のラー油を食べてみる。
やっぱり自分で作った方がいいかも。
ここのは旨みがないのと塩分が強すぎる。



ランチはよかったですよ。
でもラー油は買わなかった。



ラー油もあれからいっぱい発売されましたね。
結局、いい材料でつくれば美味しくなる。
コマーシャルなモデルは、コストを考えるから美味しくならない。
単純な理由。





いま、「食べる○○」というのが新しくきましたね。
「食べるウスターソース」「食べる焼き肉のタレ」「食べる醤油」「食べる七味」「食べる花粉」「食べる火山灰」「食べるマニフェスト」「食べるTPP」「食べる生姜」「食べる岩石」・・・どれが実際にあるでしょう?
こういうって流行に終わるケースが多いですね。
御飯にかけておかず無しというのもなんだか寂しい。
それにたくさん食べたら身体を壊しそう。
ほどほどにね。

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綱さんの燈籠

2011年02月17日 05時47分27秒 | 社寺
これは、以前も紹介しまししたね。
北野天満宮の境内にある燈籠。



由来は、渡辺綱(わたなべのつな、953年~1025年)。
渡辺綱は、源頼光(みなもとのよりみつ)四天王の筆頭。
頼光四天王とは、渡辺綱(わたなべのつな)をはじめ、卜部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいさだみつ)、坂田金時(さかたのきんとき)の部下をいいます。
この中で坂田金時さんだけしっています。
熊と八百長相撲をとった人ね。
五月人形で登場します。
いわゆる金太郎さん。
この時の熊はいま吉本新喜劇で活躍しているそうです。
いまは病気らしい。はやく復帰してね。



渡辺綱さんはある日、京都の一条戻り橋を渡ろうとしました。
すると、綺麗な女性が家まで送ってほしいと言いました。
しかたなく一緒に歩いていると、女性は恐ろしい鬼に変わり、綱さんを捕まえて舞い上がり愛宕山に向かいました。
ちょうど北野天満宮の上空に来たとき綱さんは鬼の片腕を切り落として逃げることができました。
綱さんは天神さまのおかげだと感謝して、この燈籠を寄進したそうです。
その燈籠がこの燈籠。
夜に知らない綺麗なお姉さんに声をかけられた気をつけよう!



この片腕、鬼が奪還し、その鬼を退治するために頼光四天王が出動し退治する。
そんな話しです。
映画的に面白いかもね。
一条戻り橋ということで安倍晴明(921年~1005年)も絡んでくるだろうな。
年代的にもちょうど同時期だし。


↑お賽銭のつもりだろうけど、どこでも小銭を置くのはいかがなものでしょう。

この話しが一条戻り橋じゃなく。
羅生門やったという話しもあります。
羅生門っておばあが死人の髪の毛を抜いていたのを学校でならってちょと怖かった。
鬼よりそのおばあの方が怖いな。
でもいま思うと悲しい話しですね。
芥川龍之介の『羅生門』は。
黒澤明の映画もありましたね。


↑このハートが妙にかわいい

この鬼が大江山の酒呑童子だったそうです。
この酒呑童子の話も面白いんですよ。
なんで鬼になったか。ストーリーがあるのです。
人間の業の怖さのエピソード。
面白い話しですよ。



大黒さんの鼻かな口かな・・・に石が止まりました。
石を財布にいれて置くといいそうです。
でも鼻結石になるかも。



梅の紋がかわいいですね。



いい天気。
しかもいい香りがいっぱいの北野天満宮の境内でた。

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こんにちは!北野ウシです

2011年02月16日 03時46分45秒 | 社寺・和菓子

↑こんにちは。北野モウです

ここは北野天満宮。
天満宮といえば牛。


↑横顔は別牛に見える

天神さんといえば牛。
なんでかというと下記のような理由なんです。


↑お約束ねっ!

・菅原さんの誕生した年が丑年で、亡くなったのがこれまた丑年、牛の月ということらしい。
・闘牛士の服装した刺客から牛さんが護ったという話しもあります。
・道真さんがヨダレクリだった
・愛人がミル姐さん(検索して探してください)だった
・菅原さんが政界引退後、太宰府で焼き肉チェーン店のオーナーになった
・あだ名が「ハンバーグ」、それは違う菅原さんか


↑美味しそうな外モモ、テール



この間は、相方しか紹介してなかったな。



この間の写真は嬉しそうだったのに。
不思議だな。


↑京都鶴屋鶴壽庵「光琳の梅」


↑薯蕷、こしあん

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不思議な祠

2011年02月15日 04時30分37秒 | 風景


源融(みなもと の とおる)の河原院跡というと高札(こうさつ)がある。
どんな人なんやろう?
この人ペンネームが「河原左大臣」。
百人一首にあります。
弘仁13年(822年)から 寛平7年8月25日(895年9月21日)の生涯だった。
若い時は政争の日々だった。
中盤戦からは、このあたりに広大な豪邸に住み、雅な生活をしてらしい。
紫式部『源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの一人なんだそうです。



この住居の河原院が後の河原町の語源になっているのかもしれませんね。
裏付けのない話しですが。



この高札の後ろに不思議な祠がかわっているでしょ。





中を見てみるとお稲荷さんらしい。
ひょっとして河原院の時代からあった祠なのかな。



裏に格子の窓があるのが面白いですね。
明かり取りになっている。



熱心な方がこういう祠を建てられたのかも。

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ミルクの渦巻きが銀河に見えた

2011年02月14日 04時32分33秒 | 甘味・喫茶・その他

↑カフェオレ

ここは五条大橋の側にあるの「エフィッシュ(efish)」に行く。
結構久しぶり。
しばらく行かないうちに駐車場ができていました。
これは便利かも。
我が家からすると早ければ10分もかからないだろうんです。
四条から駅にして一駅南なのに結構落ち着くんです。




↑ここに座っていると向こう岸からフォーカスされるかも。(笑)

ここは、ゆっくりできます。
鴨川も眺めることができていい気持ちです。



ランチの時間になったら簡単な食事もできるんもいい。
この日は、アボガドとクリームチーズのサンドイッチをいただきました。
日替わりのスープがついています。



打合せにぴったり。
もちろんデートでもいいですが。


エフィッシュ地図
この地図の範囲に家があるんですよ。


↑14日午後3時、エライ雪が降ってきた。積もらへんとは思うけど。


↑ベランダ桜もこのとおり

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