京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

東福寺臥雲橋からの紅葉

2009年11月30日 05時16分08秒 | 社寺・和菓子


これは、新熊野神社の火焚祭の後の話。
京女と東福寺に行きました。
日曜ということもあり、昼すぎの人の多い時間帯。
東福寺の中に入るつもりは、サラサラありませんが、臥雲橋を通るだけ行きました。



すごい数の観光客。
臥雲橋は立ち止まることもできないぐらい人が多かった。
紅葉は、ちょっと例年にくらべると少ないかな。
それでも萌えるような色は元気がもらえる。
向こうに見える通天橋もすごい人だった。





臥雲橋を渡ってすぐに東福寺を離れる。
「東福寺に拝観しなかったの?」と言われそうだけど、
通天橋に入るために、おそらく2時間待ちぐらいだっただろうな。
義母をひさしぶりの大黒へお蕎麦を食べにつれていく約束なので時間がありません。
東福寺を後にして京女の里までひたすら歩きました。


長久堂「錦秋」




こなし、備中白こしあん
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京都御苑の秋景色

2009年11月29日 07時09分39秒 | 風景・和菓子


京都御苑は、当然のことながらきれいでゴミも落ちていない。
車も通らないから小さい子供を連れて散歩に最適。
子供がふたりで平和な時代によく散歩にきたものです。
じゃりの上を裸足で歩くのもいいですよ。
当然ガラスや釘は落ちていないしね。







春は梅や桜、桃がとてもきれいに咲きます。
秋もなかなかどうして美しい。
人の多い観光地よりもゆっくり秋を楽しめる。


↑二條若狭屋「いちょう」外郎、粒あん

京都は、全体的に先週ぐらいが見頃だったかな。
でもまだ、きれいです。


↑紫野源水「銀杏黄葉(いちょうもみじ)」


↑外郎製、白小豆粒あん入り





京都御苑は、紅葉の本数はあまり多くないけど、
木の形がとてもいいんです。


↑鍵善良房の干菓子

光が当たって燃えるような黄色や朱色が目に鮮やか。
なんだか元気をもらえます。
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秋のかまくら?

2009年11月28日 05時15分48秒 | 社寺


といっても鎌倉に行った訳ではございません。
久しぶりに安井金比羅宮に行った(というか通った)ときの写真。
年に一回ぐらいは出てくるポイントね。
徒歩の場合、ここを通って建仁寺に行くのです。
ここは、悪縁切りの専門神社。



崇徳天皇(すとくてんのう)がお祀りしてある。
他に、大物主神(おおものぬしのかみ)源頼政(みなもとのよりまさ)が祭神。
源頼政は、近衛天皇の時、鵺(ぬえ)退治で有名。歌人でもある。
大物主神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)の和魂(にぎみたま)にあたる神様。
和魂は、荒魂(あらみたま)の荒々しい面に対し、平和的な面のことをいいます。
荒魂はダークサイドみたいな解釈かな。



うっすら憶えのある名前でしょ。
崇徳天皇は、悲劇の天皇なんです。
お母さんが待賢門院(たいけんもんいん)で、お父さんが叔父である白河法皇と通じた不義の子であると言われています。ほんまのことはわかりません。あくまで週刊誌レベルの噂です。
父親である鳥羽天皇からうとまれ、天皇の座から引きずり落とされ、異母弟の近衛天皇を呪詛して殺したと週刊誌に書かれ、屈辱と怒りから、藤原頼長と共謀してクーデター起こした。
いわゆる「保元の乱(ほうげんのらん、1156年)」。
「平治の乱(へいじのらん、1159年)」とペアでてくるから、うっすら憶えているでしょ。
平治の乱で平清盛が活躍するんですよ。



崇徳天皇は、保元の乱クーデターが失敗し、皇族なのに讃岐に流されて軟禁。
仏教に帰依し、反省を込めて写本を朝廷に贈ったりもしたのですが
「呪いが込められているに違いない」と突っ返されてしまう。
この讃岐の金比羅宮で欲を断ち切って仏教に帰依した時、愛する烏丸殿とも分かれねばならなかった。ちなみに烏丸殿は、烏丸少将文麿のことではない。どうしても成田三樹夫さんの顔がでてくる。これわかる人は、あまりいてはらへんやろな・・・。
このエネルギーが男女の仲を裂く悪縁を切ってくれるとなったらしい。
なんだか悲しい話やね。



怨んで亡くなった偉い人を祀るというのが京都の常套手段。
「あんたさん、神さんなんやから、あんまりエゲツナイことしたらアカンデ。自覚シヨシ」という神社が京都にはいっぱいあります。



このカマクラ正式な名前は「悪縁切り縁結び碑(いし)」
お札に切りたい縁や結びたい縁を書いて、表から裏へ穴をくぐり抜け、悪縁を切り、裏から表へくぐって良縁を結ぶ。そしてお札を碑に貼るんです。
アップすると結構生々しい内容が多いんです。
だから全体的に一種異様な雰囲気を醸し出しているんです。


↑ここの蔵の表のデザインがおしゃれ。

穴の直径が50センチやから、ひょっとしてくぐったきり詰まってしまう恐怖もあるかもね。
そんなになったら、どうするんだろう・・・。
石けん水をかけるのかな・・・指輪と違うか。
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お火焚き饅頭

2009年11月27日 05時41分13秒 | 和菓子


お火焚きといえば「お火焚き饅頭」です。
この火炎宝珠の焼き印をつけたものです。
京都市内の町内では、最近はどうか知りませんが氏神さんのお下がりで必ずはいってきた。
お火焚きのお下がりの三種の神器は、「焼きミカン」「お火焚き饅頭」「柚子おこし」ね。
この火炎宝珠の焼き印が押してある。



小さい時はこの焼き印がなんかお稲荷さんを想像していややった。
狐のイメージがなんだか不気味で怖かったのかも。
それと「お下がり」というのがいやな長男的性格。
お下がりにスルメが入っている時もあったんです。
焼きミカンやスルメの香りが移っているお火焚き饅頭は、絶対に食べなかった。





写真のお火焚き饅頭は、両方ともこしあんやけど、普通は紅い方が粒あんだったのもある。
新熊野神社の神職さんがおっしゃっていたけど、昔は漢方薬が入っていたそうです。歓喜団と同じような状態だったのかな。
京男は、粒あんが小さい時は苦手だった。
それとこの饅頭の皮がボソボソしていたのもあるだろうな。
お嫁さんのおまん(結婚式の引き出物や挨拶回りの時に配る、地方によってはとんでもない言い方やろうね)の粒あんも苦手だった。
最悪なのは「白粒あん」だった。
備中の白小豆はさらっとしていいけど、白いんげんや白花豆からつくった白あんがきらいだったかも。
デンプン質の粘り方できらいだったのかな・・・。
小さい子供ってかなり味覚的に敏感なことも多いんです。
子供やからと手を抜いた食物は禁物ね。

粒あんのおはぎもやね。母方の実家のつくる巨大なおはぎは恐怖の対象だった。
黄白上用(不祝儀の時の上用)は、「死」のイメージがするので子供心にいややったな。
京都の行事に上用饅頭は必ずでてきました。
入学式、卒業式、創立記念、結婚式や葬式、新築祝いに必ず上用はつきもの。
だから京都市内の古い地域には、必ずお餅屋さんやおまん屋さんがありました。
マーケティング的にいうと「餅菓子屋の多い地域は、参入が難しい」と言いますが、行事や儀式が多く地域の結束が強く、よその人が入り込めない。いまだに京都はそうだと思う。



「柚子おこし」
これもお火焚きにはつきもののお菓子。
日本で最も古い歴史をもつお菓子だそうです。
『日本書紀』の神武天皇の祝詞(のりと)に「糒(ほしい、干し飯)」を蜜で固めたものと記されている。
豊作祈願として神に捧げられていたのがわかる。



また「身を起こし、家を起こし、国を起こす」から「おこし」という縁起物として珍重された。
小さい時は、ちょっと苦手だったな。
あみだ池大黒の「福の花」は、ピーナッツやアーモンドがはいっていたので食べたけど。
なつかしいな。あみだ池大黒。
「だれがいけというたんや!」「あみだがいけといいました」は落語『阿弥陀池』か。(笑)
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焼きミカン

2009年11月26日 06時06分04秒 | 社寺


昨日の記事の続き。
新熊野神社の火焚祭も佳境に入りました。
事前に配っていただいた「般若心経」を皆で唱える。
神職も唱えます。
これは不思議な感じ。
「般若心経」って仏教のものというイメージがするもの。
これは不思議。
今回は、大祓詞はなしだった。
あまりミックスしたら具合が悪いのかも。
降神までしているしね。



日本の神仏習合っていいな。
他の国では、こうはいかんでしょう。
普通はキリスト教の神父が、般若心経を唱えないもの。
日本人は、信仰心がないと他国では考えるけど
本質というか真理は同じと考える日本の懐の広さが好きやな。
こういうの懐の広さが世界に拡がるといいのに。



唱えている間にミカンが焼かれます。
神聖な炎で焼くミカンを食べると、風邪をひかないといいます。
ミカンは、とてもいい果物。
このミカン、スジ(実の300倍)や袋(実の50倍)の方がポリフェノールが多いのを知ったはりますか?
できたらスジや袋を食べた方がいいですよ。



またこうやって焼いたミカンは、酸味が緩和され、必然的に甘くなる。
これは、雪国の智恵なんだそうです。
ミカンを雪の中で保存すると凍る。
それを囲炉裏の中で焼いて、融かしたらしい。
食べると酸っぱいミカンが甘くなっていた。
昔のミカンはあまり甘くなかったんでしょうね。



加熱したミカンは、してないミカンより、血行の促進や風邪の症状、腰痛、冷え症に効果があると伝えれる。
一日一個程度でいいんだそうです。
変なワクチンよりいいかもしれませんね。
後は、いっぱい「笑う」こと。
可笑しくなくても、笑いましょう。
その内、本当に笑えてくるから不思議。
脳は、錯覚するらしい。
笑うと免疫力が強化されます。
昔の人は、魔や鬼なんかを笑うことによって避けたそうです。
「笑う門には福来たる」とはうまく言ったもの。



ミカンや護摩木を燃やすのが終わってから、唱えた般若心経の紙で身体の穢れを拭います。
そしてその紙を火の中へ入れ、炎で浄化、焚き上げをする。
京女が「古いお札を持ってきたらよかった」と言った。
京男「お札に入神しなおしたら使えるんだけど」と言った。



最後に御神酒もいただきました。
アレルギーとはいえんものね。
濁り酒が炭酸を飲んだときのシュワシュワとなったのが印象的だった。





これは、新熊野神社からお下がりでもらった焼きミカン。



他にお下がりの新米もいただいた。
新熊野神社の神職、関係各位の皆様
ありがとうございました。
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火焚祭&新嘗祭

2009年11月25日 05時17分46秒 | 社寺


実は、伏見稲荷大社以外の火焚祭に行ったことがないんです。
だからおミカンを焼くのも見ていない。
そこで、今年は新熊野神社の火焚祭に行くことにしました。
京女と二人ずれでした。
彼女も実際に見たことがなかった。
お下がりで、焼きミカンやお火焚き饅頭、柚子おこしとかは知ってはいたけど。



火焚祭のはじまりは宮中の新嘗祭(にいなめさい)なんだそうです。
新嘗祭は、夜に天皇が神とふたりきりになってする大切な行事。
現在でも行われている行事です。
この新嘗祭が民間に伝わったのは室町時代で、それ以降、新米を炊くことから竈(かまど)の神の祭り、火の神の祭りへと転化していきました。



ここ新熊野神社(いまくまのじんじゃ)は、ホームページによるとこのように説明されています。
新熊野神社は、熊野信仰の盛んな平安時代末期、永暦元年(1160年)、後白河上皇によって創建された。後白河天皇(第77代)は1155年に即位され1158年に退位されましたが、退位後も引き続き院政を敷かれ、そのときのお住まいとなったのが現在三十三間堂の東側にある「法住寺」です。当時は「法住寺殿」といわれ、その鎮守社として創建されたのが新熊野神社、鎮守寺として創建されたのが三十三間堂です。その造営には法皇の命を受けて平清盛が当たりました。
法皇は一生のうちに34回熊野に参詣されましたが、当時の都人にとって熊野に参詣することは大変なことで、そう何回も行ってはおられません。そこで、熊野の新宮・別宮として創建されたのが当社で、当社は長らく京の熊野信仰の中心地として栄えました。当社が「新熊野」と書いて「いまくまの」と読むのは、紀州の古い熊野に対する京の新しい熊野、紀州の昔の熊野に対する京の今の熊野という当時の都人の当社に対する認識が、その由来となっています。



当社は熊野信仰の盛んな平安時代末期、永暦元年(1160年)、後白河上皇によって創建された神社です。後白河天皇(第77代)は1155年に即位され1158年に退位されましたが、退位後も引き続き院政を敷かれ、そのときのお住まいとなったのが現在三十三間堂の東側にある「法住寺」です。当時は「法住寺殿」といわれ、その鎮守社として創建されたのが新熊野神社、鎮守寺として創建されたのが三十三間堂です。その造営には法皇の命を受けて平清盛が当たりました。

法皇は一生のうちに34回熊野に参詣されましたが、当時の都人にとって熊野に参詣することは大変なことで、そう何回も行ってはおられません。そこで、熊野の新宮・別宮として創建されたのが当社で、当社は長らく京の熊野信仰の中心地として栄えました。当社が「新熊野」と書いて「いまくまの」と読むのは、紀州の古い熊野に対する京の新しい熊野、紀州の昔の熊野に対する京の今の熊野という当時の都人の当社に対する認識が、その由来となっています。


↑まず神職が周囲をお清めされます。紙吹雪がいいですね。

さて、火焚祭の大まかな順序をうろ覚えだけど書くと、お供えをする→周囲をお清め→降神(神様を依り代に降神いただく→玉串を供える→聖護院の山伏さんたちの読経→点火→般若心経を唱える→ミカンを焼く→般若心経の書いてある紙で自分の身体を拭う、そして火の中にいれる→護摩木投入→直来
こんな流れだと思います。


↑そのあと降神。マスクはインフルのせいではありません。手袋も。




↑玉串をささげる


↑これは火打ち石


↑点火





明日へ続く。
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親子丼、行列の謎

2009年11月24日 05時54分05秒 | 
親子丼は、あんまり食べたことがない。
親子丼は、次女の縄張りみたいと思(おも)てるしかな。
京男は、木の葉丼か衣笠丼が多い・・・安いしね。
なんか親子丼は贅沢な感じがする。
なんでやろね。



天丼や牛丼は、京都人なんでしょうね、あんまり食べへん。
だから牛丼はあまり食べたことがない。
牛とタマネギしか入ってないのも気に入らん。
せめて卵とじにしてほしい。
最近ありますね。看板に書いてあった「牛とじ丼」と。
それは「他人丼(たにんどんぶり)」というんです。知らんのかな・・・。
牛丼がなくなるとお江戸で騒いだことがあったけど、
京都では痛くもかゆくもなかったな。
そういえば狂牛病はどこにいったんやろね。あれだけ騒いだのに。
まだ潜伏期間中だからかな。

昨日、スーパーで「メキシコ産豚肉」というのが売っていた。
豚インフルエンザの本場モノやんかと、妙に感心した、買うてませんが。
新型インフルエンザというネーミングもモッサイ。
せめて「インフルエンザEX」「インフルエンザ2009」程度にしてほしい。
旧型(?)インフルエンザでも毎年1000~2000人は亡くなっている。
インフルエンザが元で肺炎になった人も10000人前後は亡くなっているし。
そのこともチャンと報道しなくちゃね。



閑話休題
圓徳院から石塀小路(いしべこうじ)を抜けて下河原通りに抜けた。
ここの敷き詰められた石畳は、昭和50年代に廃止された京都市電の敷石を移設したそうです。
この路に沿って料亭や旅館、スナックが建ち並んでいます。
京都らしい雰囲気を醸し出しています。
ここは、一時期「お妾通り」なんて呼ばれていたこともあったそうです。
なるほど、そんな雰囲気。



ここが親子丼を食べた「ひさご」
いつ前を通ってもすごい数の人が並んでいます。
もちろん、入ったことがない。
並ぶのが大嫌いなんです。京都人は大抵並ぶのを嫌がります。
京都は狭い地域なので、並んでいる時に知った人に会うのが最悪やね。
「○○ハン、この間、丸寿でお芋さん、買うたはったなぁ~」なんて言われるのを嫌う。

ところがこの日、定休でもないのに人がいなかった。
なら一度どんなものがと入ってみた。
注文は、名物らしいので親子丼。
「山椒がかかっていますが、よろしいですか?」とお店の人の言にはびっくり。
山椒が食べれない人が多いのかも。味覚がお子ちゃまの人が多いのかな。
席は満席状態。
スイカの種(修学旅行の制服がゾロソロ状態を京都人はそう呼ぶ)も数グループ。
元お嬢さんのグループ、そうだ京都へ行こう的落ち着き目の独身女性グループ。
出張の途中で名物を食べておこう的なスーツ姿のうらぶれた独りおっさん。
このおっさんたち(二人いた)は「次のアポに間に合わへんがな・・・」的にいらついていた。
(立ち食いそばにしといたらええのに)
そんな(なごやかな)雰囲気でした。
注文してから20分経ってもお箸・お茶・お漬物しかでてこない。
めずらしく待っている間に、寝そうになった。
ご飯炊いたはるんやろか・・・。



「帰ったろか!」と思ったぐらいに出てきた。
見かけは普通の親子丼でした。
卵黄がのっている、卵かけご飯状態でないのが救いか。



お味も不味くはないけど感激するほどではなない。
なんで人が並ぶのかな・・・。
「そうか!」注文してから出てくるまで時間がかかるから、客の回転が悪いのか。
だから行列ができてしまうんだ。
それとKY(空気読めない・読めてない)女性のグループが多く、
どうしてもおしゃべりが多くて食べるのが遅い。
なんか妙に納得してしまいました。
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そろそろ亥の子餅も食べ納め

2009年11月23日 05時42分05秒 | 風景・和菓子


時間の経つのが早いですね。
結局、旧暦10月亥の日は26日やろか。
亥の刻は、午後10時に亥の子餅を食べると
万病除去・子孫繁栄を祈るとよいといいます。



だから、大体11月いっぱい亥の子餅を売ったはります。
お火焚き同様、収穫祭もかねているんだろうな。
なかなか普通の家では、やりませんね。
こういう行事は廃れてくるのかな。
収穫に感謝する心まで、なくしてはいけませんね。


紫野源水「いのこもち」


羽二重、こしあん

そういえば、本日23日は「新嘗祭(にいなめさい)」
知っていますか?
ただ単にハッピーマンデーと違います。



宮中や神社にとってはとても大切な行事なんだそうです。
京都の神社でも今日、新嘗祭を行うところも多いようですね。
ただ神社なんかの場合、本殿の奥でやらはるからようわかりません。
新米とか食べるときにちょっと天に感謝しましょうね。
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秋にやきもち・・・

2009年11月22日 05時59分36秒 | 風景・和菓子


こういう秋の黄色が好き。
なんだか心なしか暖かくなったような気持ちになる。
紅葉の燃え上がるような感じもいいけど、まったりしないもの。



特にお天気のよい時はすばらしい。
今日は天気が崩れるそうだから、銀杏は葉っぱを落としてしまうかも。



珍しく上賀茂神社に行った時に、神馬堂が開いていた。
いつも閉店していることが多くて、なかなか食べれない。





正式な名前は「葵餅(あおいもち)」
焼きたてのこげ目のついた香ばしいやき餅を食べました。
ここのやき餅は、時間が経つと固くなる。
東寺餅もそうやな。





まわりは地味だけど秋の色合いが美しかった。



もう来月は12月。
また宝船のお飾りのシーズンやね。
写真は、昨年末のもの。
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菊がきれい

2009年11月21日 06時31分10秒 | 和菓子


先日、用事であるお店に行ったらきれいに菊が咲いていた。
紅葉や銀杏に目を奪われがちですが、菊もなかなかどうしてきれいです。



菊は、東洋でもっとも古くからある観賞植物らしい。
日本には、平安時代に中国から渡来。
最初は漢方的に用いられたのだそうです。


↑紫野源水「寒菊」



関係ないけど、鍋の菊菜が好き。
春菊と菊菜とどう違うんやろ・・・。
最近サラダで食べたりする用の菊菜もありますね。


↑外郎、白紅あん



菊菜のゴマ和えとか美味しいですよ。
すりゴマとめんつゆを同量合わせ。
菊菜を熱湯でさっと茹で流水にさらします。
ボールにめんつゆ、同量のお水、菊菜を加え、混ぜます。
仕上げにゴマ。
バターピーナッツなんかでも美味しいし。
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すぐきの季節

2009年11月20日 05時44分00秒 | 社寺・和菓子


こういうなにげない葉っぱがすごく美しく感じます。



ここは、上賀茂神社。
鳥居がお化粧直しをしたのかな。
とてもきれいになっていました。



境内ですぐきの天秤押しがあった。
神社に奉納もかねてかな。
そうか11月になるとこのあたりの農家ですぐきの漬け込みがはじまる。
四斗樽の底から1段ずつ塩をかけなら渦巻き状に並べ、最後に天秤押しをする。
テコの原理で圧力をかける。
すぐきの酸味は好みがわかれるけど、私は好き。
すぐきは、京都の三大漬物といわれている。
「すぐき」「柴漬」「千枚漬」
京都人は、ご贔屓のお店があるんです。
だから、手土産で持って行くのは難しいものなんです。



すぐきは、酸茎菜(すぐきな)というカブの変種でつくる。
賀茂川と高野川にはさまれた三角州の中、北端が深泥池で作られる。
いまでもそうなんだろうか・・・。
独特の酸味は、乳酸発酵の働き。
微生物の力はすごい。
お漬物の写真がないけど、いつか紹介します。



いまの時期の上賀茂神社は行事もないだろうからとても静か。
ゆっくりと秋の色を楽しめます。
なにも紅葉ばかりが秋じゃないものね。



神職さんたちがゾロソロ。
なにかのお祓いの行事をしたはりました。



紅葉はいっぱいの人を見に行くだけじゃない。
葉っぱ一枚でも充分たのしめる。
春の桜と違うところかな。


紫野源水「織部薯蕷」


こしあん
色んな生菓子があるけど、結局こういう薯蕷(上用)饅頭がいいな。
飽きがこないというか。職人さんの腕がわかるのはこういうものですね。
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お久しぶりカレー

2009年11月19日 04時57分22秒 | カレー


美味しそうでしょ。
すごく美しい。
実はカレーを外で食べるのは久しぶりなんです。
ここは、ビィヤント



京女と二人で実家に行った帰りに行きました。
私は辛口のビーフカレー。



京女は、このシーフードカレー。
これは甘口。
二人で食べるのは久しぶりかな。
子供の分は、テイクアウトでルーを持って帰りました。



これは、いま机の上に置いてあるもの。
一カ月ぐらいこんなものと果物、お茶で暮らしました。
カメラの新しい機能「1:1画像横縦比撮影」のテスト撮影。
当初の選択肢は16:9、3:2、4:3の3種類だったのが追加になった。
正方形も面白いかもしれませんね。
ブログ向きかもしれないな。
ピンホールやサンドブラストと組み合わせると面白い写真が撮れそう。


↑普通の白黒


↑これは、ハイダイナミックの白黒

このハイダイナミックのカラーで紅葉とか撮るといいかもしれない。
まだまだ、カメラを充分に使いこなせてないかも。
オートのホワイトバランスの性能がよくなったかも。
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黄葉と紅葉そして褐葉

2009年11月18日 05時20分58秒 | 風景・和菓子


万葉集の歌に詠まれる「もみじ」は、「黄葉」と書かれているものが圧倒的で、
「紅葉」はごくわずかなんだそうです。
私は、黄色も結構好き。




本家玉寿軒「並木道」

「黄葉之 落去奈倍尓 玉梓之 使乎見者 相日所念」
「黄葉(もみちば)の、散りゆくなへに、玉梓(たまづさ)の、使(つかひ)を見れば、逢ひし日思ほゆ」
これは、柿本人麻呂さんが詠んだ歌です。
秋山の黄葉(もみぢ)が散ってゆくとともに、使いの人がやってくるのを見ると、妻に逢ったあの時のことが思い出される。
奥さんを亡くさはった、悲しさが伝わってきますね。


外郎、黒こしあん

この玉梓(たまづさ)というのは、枕詞で「使」の意味。「たま」は霊的で神聖なもののこと。人の言葉を伝える使者が持っていた、梓(あずさ)の杖(つえ)から、玉梓という言葉ができ、それが「使者」のことをいうようになった。
梓で作った弓を鳴らすことが、魔除けの力があると信じられていたようですから、杖は、気持ちを伝えたい人の言葉(の霊)を相手の人まで、何者にも邪魔されずに伝えるという気持ちの表われ。
関係ないけど「玉梓の怨霊~」というのが里見八犬伝でありましたね。



昔の人の方が自然を奥深く楽しんでいたように思います。
きっと寿命も短いし、儚さみたいなものを切実に感じたのでしょう。


紫野源水「紅葉」

赤く変わるのが「紅葉(こうよう)」
黄色に変わるのが「黄葉(こうよう、おうよう)」
褐色に変わるのを「褐葉(かつよう)」と呼ぶそうです。


煉切、白小豆こしあん

紅葉は「アントシアニン」によるもの。
黄葉は「カロテノイド」によるもの。
褐葉は「タンニン」によるもの。
化学的にいうとなんか味気ないな。
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三倍美味しい「三面大黒」

2009年11月17日 05時48分09秒 | 社寺


さて圓徳院の北庭を出たところに三面大黒を祀ったお堂があります。
ちなみにこの開けた場所に辻利がありますよ。
ここなら並ばなくてパフェが食べれるかも。



この三面大黒は、豊臣秀吉の守り本尊として、常に身近においたはったそうです。
三面とは、毘沙門天と弁財天がそして大黒天が合体した究極の福の神やね。



京男やったら、大黒天・恵比須天・弁財天で三面にするかも。
大黒天→財運、金運、福運
恵比須天→商売繁盛、根回し
弁財天→技芸、人望、コミュニケーション
あなたならどういう組み合わせをしたいですか?



この灯明は面白い。



秋の色。
これから真っ盛りになっていくんだろうな。



ここは、歌仙堂。
歌仙堂は長嘯子(ちょうしょうし)を祀り、もと霊山(高台寺の東の山)にあったものを木下家の関係でここに移築した。
長嘯子(若狭藩主だった勝俊)は木下家定の甥、すなわち北政所の甥で 歌聖として知られている。
なお歌仙堂は、詩仙堂、雅仙堂と合わせ、京都の三堂といわれる堂で、詩歌を志す人の信仰を集めている。



ここは、圓徳院から高台寺に登っていく道。



ここが高台寺。
今回は、入りませんでした。
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圓徳院北庭

2009年11月16日 05時27分26秒 | 社寺


一昨日の記事の続き。
さて圓徳院のハイライト「北庭」





北庭は、北書院の東に位置する。
石組みで天下一といわれた賢庭が作庭した伏見城北政所化粧御殿の池泉回遊式庭園を移したもの。
移すのに際し、敷地面積にあわせて枯池泉座視式に改められた。
さらに小堀遠州により整えられた姿が現在に伝わっているそうです。
国指定の名勝。





この時、誰もいなかった。
国指定の名勝を貸し切り状態でしばらくぼーっとお庭を眺めていた。
贅沢でしょ。





欲をいえばもう少し紅葉が進んでいたら文句なしなんだけどな。
いいだしたらきりがない。
きっと昨日ぐらいには、観光の人がたくさんだっただろうな。
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