昨日にひきつづき、これもいただきもの。
最近、生菓子はどうも手に入れようとするのですが
この暑さで職人さんも腕が鈍っているのでしょうね。
本来生菓子は、夏はオフシーズンなんです。
だから売ってはいますが、どうしても無理がある感じ。
これは、「くるみ餅」といいます。
ぱっとみたら東北方面の「ずんだ餅」っぽい感じですね。
このいただきもののくるみ餅は、テイクアウト用でタッパに入っています。
お店でならこの上にかき氷をのせ「氷くるみ餅」で食べられるそうです。
なるほどそれも美味しそうだな。
京都にはありそうでないものですね。
店名の由来をHPから引用させていただきます。
かん袋は、鎌倉時代末期、元徳元年(1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。
安土桃山時代に、豊臣秀吉が大阪城を築城し、その際に堺の商人へ多額の寄付を要求しました。文禄二年(1593年)の春中頃、桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人納屋衆を招きました。その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻がえさを運ぶように職人が一枚一枚瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い、毎日奉仕に出ました。餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上に放り上げました。瓦は春風に煽られて、紙袋がひらひらと舞い散るように屋根に上がりました。そこに居合わせた人々は、度肝を抜かれました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と、その腕の強さを称えました。秀吉は、「以後かん袋と名づけよ」と命じ、それより「かん袋」が、和泉屋の商号になりました。
室町時代の中頃(1420年頃)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛は塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名づけました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられ現在のくるみ餅となりました。
かん袋って聞いて童謡唱歌の『山寺の和尚さん』を思い出す。
あの歌詞にでてくるカンブクロってなんだろうって思ったものです。
一説にはお寺ということで棺袋(かんぶくろ)という説もある。
普通は、紙製の袋のことでしょう。
『山寺の和尚さん』
「山寺(やまでら)の和尚(おしょう)さんが
毬(まり)はけりたし 毬はなし
猫をかん袋に 押し込んで
ポンとけりゃ ニャンとなく
ニャンがニャンとなく ヨイヨイ」
※京男バージョン
「山寺の(ホイホイホイ)狸(たぬき)さん(スットコドッコイ)
太鼓(たいこ)打ちたし 太鼓なし(ポコ・ポンポンポン)
そこで金袋(きんぶくろ)を ダラリ出し(アラ・アァ~~ラ!)
ポンと打ちゃ ポンと鳴る
ポンがポンと鳴る ヨォ~イ・ヨイ♪」
※雌狸バージョンもありますが、これ以上やると京男のイメージがダダオチになりますので、慎んで差し控えさせていただきます。
「えっ!もう落ちている?」
暑さのセイです。気のセイです。(きっぱり!)
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