本日も清水寺の不思議シリーズ。
ここは、清水寺の胎内めぐりの側にあります。
このロボットの顔のような石灯籠がある。
この燈籠の穴は、火袋(ひぶくろ)といい火を灯す部分のこと。
この中に線彫りの小さな観音像があるそうです。
どう見てもわからない。
この観音像は、景清(かげきよ)が清水の観音さんを信仰し、牢の谷の獄に入れられている間に爪で石の上に観音さんを彫り、奉納したものなんだそうです。
平景清は、平安末期の武将。忠清の子。俗称、悪七兵衛。平維盛(これもり)らに従って源義仲・行家らと戦い、のち一門と西走、屋島の戦いにおける錏(しころ)引き※で勇名をはせた。平氏滅亡後、源頼朝に降り、八田知家に預けられ断食して死んだという。
※源平屋島の戦いで、平景清が源氏方の美尾谷十郎国俊の兜の錏を引きちぎったという伝説。
歌舞伎十八番の一つである歌舞伎の演目 『景清』は結構有名。
近松門左衛門作の浄瑠璃の演目『出世景清』
笑福亭吾竹原作の古典落語の演目『景清』
私は、落語の『景清(かげきよ)』で平景清というのを知ったかな。
目貫師(彫金職人) の定次郎が、景清の眼を揚柳観世音(ようりゅうかんぜおん)から貸してもらわはる話。
「善哉~善哉~」といって観音さんが出てくるのが印象的やったな。
この噺には、続きがある。
景清の眼を得た定次郎は、目玉と共に豪傑の精まで入ってしまったと見えてやたらに強くなる。大名行列に暴れ込み、歌舞伎の景清よろしく名乗りを挙げ、殿様の駕籠の前に立ちはだかって見得を切ってしまった。
殿様「そちは気でも違ったか」
定次郎「いや、眼が違った」
この部分は、いまではほとんど高座にかからない。
情景が『こぶ弁慶』に似ているな。
※善哉は元仏教語で、「すばらしい」を意味するサンスクリット語「sadhu」の漢訳。仏典では、仏が弟子の言葉に賛成・賞賛の意を表すときに、「それで良い」「実に良い」といった意味で用いられる。
さて豪傑といえば、清水寺の本堂裏側の貫の木目に沿って深さ2センチぐらいの溝がついている。
これは「弁慶の指跡」といわれている。
ずっとこの溝が続いているのは、不思議。
まさか弁慶が傷つけたんじゃないとは思いますが。
さすがにこの日は暑かった。
音羽の滝が比較的人が少なかった。
思わず三杯お水を飲みました。
御利益ですか・・・熱中症にありそうです。
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