京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

鯖寿司が食べたい!

2012年01月31日 03時18分01秒 | 


なぜかわからないけど、鯖寿司が食べたくなった。
私を知る人は、びっくりするだろうな。
でも食べたくなった。
食べたくなったら、即行動するのが京男の行動パターン。
小さい時は、鯖寿司って嫌いだった。
鯖の表面の柄がいややった。
五月のお祭りシーズンに必ず親戚に鯖寿司とお赤飯を持って行くのが子供の仕事だった。もちろんお小遣いをもらうのが楽しみだったのだけど。
自分では、鯖寿司の青い皮の部分以外の場所を食べていた。
いまはいただきます。
でも三切れ以上は食べられないかも。
胸焼けするんですよ。
魚の脂が苦手なんです。
DHAが苦手なのかな・・・だからアホやったのかも。


↑小さい時は、下の段の左端の穴子箱寿司だけ食べていた。

テレビなんかを観ていると寿司といえば江戸前の握りですよね。
みなさん、大トロなんかで興奮している。
私は京都人なんだと思うのは、握りよりこういう京寿司を好むところかな。
この方が仕事をしっかりしないと美味しくない。
京寿司は、お茶屋さんなんかで注文できるお寿司。
乾燥しにくいつくりになっている。
味も変わらないしね。


↑この紫蘇のお寿司も嫌いだったアイテム

作るのに手間と時間がかかります。
小さい時は、かならずしも好きじゃなかったけど。
最近、妙に食べたくなる。


↑この鯖のお寿司も嫌いだった。

この日は、病院の帰りだったから、先日の御寿司「いず松」に行く。
今回は、食べたいお寿司を細かく指示させてもらいました。
そういうオーダーも可能なんだそうです。
今回は、鯖寿司が主役。
主役といっても三切れですが。
やっぱり京寿司が好きやな。
京男は、生魚が苦手なんかもしれへんね。
実は小さい時、鯖なんかを食べると蕁麻疹ができていた。
基本的にはアレルギーなのかも。
それが食べるようになったとは・・・輸血で全身の血を入れ替えたからかも。

なにはともあれ、満足でした。


御寿司「いず松」地図

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「京都五山」ってご存じですか?

2012年01月30日 04時41分09秒 | 社寺
京都五山(きょうとござん)は、京都のお寺のランキング5位と思っていませんか?
また五山の送り火と勘違いしている人もいるかも。
京都五山というのは、京都の禅宗(臨済宗)の寺格、官寺制度なんです。
鎌倉時代末期頃から北条氏は中国の南宋にならい五山制度を導入し鎌倉の寺院を中心とする五山を選定した。
京都で禅寺というと普通は、臨済宗が多いのです。
時の権力者は、文化人っぽく教養をつけるために禅を学んだ。
それに対して地方の豪族は、曹洞宗を学んだ。



京都五山のお寺は、以下の通りです。
・南禅寺・・・ここは別格
・天龍寺・・・第一位
・相国寺・・・第二位
・建仁寺・・・第三位
・東福寺・・・第四位
・万寿寺・・・第五位

以上のお寺でわからないのが「万寿寺」なんです。
どこにあるのかも知らない京都人も多い。
長年の謎がわかりました。
それが今日の写真。



現在は、東福寺の塔頭になっています。
※塔頭(たっちゅう)は、本来、禅寺で、祖師や大寺・名刹の高僧の死後、その弟子が師の徳を慕って、塔(祖師や高僧の墓塔)の頭(ほとり)、または、その敷地内に建てた小院なんです。

この万寿寺、現在は非公開なので中に入れません。
なんでやろね。
ここの歴史は平安時代後期と古いんです。



伏見街道を南に行くと、一橋(いっきょう)小学校がある。
一橋小学校というのは、京女がよく言っていた名前だ。月輪小学校もだけど。
その校内の一角に、かつてこの伏見街道に架かっていた「一の橋」が復元されている。
親柱に「伏水街道」の字が深く刻まれている。
この橋は、もと本町通の10丁目と11丁目の間を流れる今熊野(いまぐまの)川に架けられた石橋だったが、川が暗渠になって撤去された。伏水街道(ふしみかいどう)には4つの石橋が架かっていた。



現存するのは2つだけ。
写真は、万寿寺から西に坂を降りていくとあります。
昔は、川が流れていたんだ。
どんな風景だったのかな・・・。

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新しいカメラ

2012年01月29日 05時52分31秒 | モノ


カメラを衝動買いした。
いままでならなんでもない作業・・・外を歩いていて、撮影するために鞄からカメラを取り出し撮影する・・・がなかなか出来ないのです。
いまのカメラ(LUMIX DMS-LX3 )で何の不足もない。
でも突起とちょっとした大きさが問題になります。
重さもだ。



こんなライフスタイルになるまでは、LUMIX GX1のような一眼タイプを考えていた。
レンズも交換できるし、もう少しグレードの高い画像も欲しかった。
でも前からネックだと考えていた、音の問題でためらっていたのです。
シャッター音は、多くカットをとる京男にとってはネックとなる。
あこがれの一眼への道は遠いな・・・。



このPowerShot S100をヨドバシカメラで見た時、これだと思った。
値段は生意気な値段だけど、いまの私に選択肢がない。
これを首から吊しておくというのが一番なんですよ。
それを口を使ってスイッチをいれ、シャッターを押す・・・これは嘘です。(笑)
ケースはまだ届いていないのですが、純正のケースでいけるでしょ。
色は黒、映り込みを避けたいためにしかたないのです。



いっしょに映したLUMIX DMS-LX3は、もう3年になります。
このカメラは引退させるつもりまない。
和菓子なんかは、撮ります。
色が派手目なのでちょうどいいのです。
色々改造もしたしお気に入りなんです。





病院の外来に行った時、東福寺でテストしていました。
その時の画像は、別の日にご披露します。
今日は写真は、テスト撮影の画像のほんの一部です。
最近あまり社寺に行けないので貴重だし・・・。




↑ストロボなしで、これだけ暗いお堂でこれだけ撮影できたら私的に十分。

いまのところ取り扱いがわかっていないのでカメラ任せで撮りました。
悲しいかな読字障害なので、早く読むことができないのです。
しかも字が小さいし。
デジタルの取説はあるにはあるけど、読み上げソフトと相性が悪い。
だから新しい装備の性能を引き出せてないと思います。
まあ、カメラの専門でないから適当でよいのですが。

さて、一緒にどんな風景を観てくれるか楽しみです。

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トルコ料理もいいですよ

2012年01月28日 05時12分34秒 | 

↑こういう店内スペースを最近好みます。狭い店内はうらいんですよ。

父親が入院して、京男の実家へのサポートがはじまった。
主に母親のサポートが多いけど。
夫婦で百貨店で必要なものを調達したりするようになりました。
この日は、会社が休みだったので午前中に百貨店で買い物をした。
とりあえずランチを二人で食べる。


↑日替わりスープ、豆のスープだったかな

京男が足4本になったので、あまり遠くにいけない。
どうしても四条河原町近辺になる。
この日は、久しぶりのトルコ料理「カッパドキア」でランチとなりました。


↑ラム肉と野菜のソテーランチ


↑私の注文。ラム肉が好き。肉が大きくないから食べれます。

トルコ人は、日本のことをよく思っていてくれるそうです。
歴史的にいうと1890年のエルトゥールル号遭難事件において、日本の人々がエルトゥールル号の生存者にさしのべた救援と同情である。
続く20世紀の初頭頃から、日露戦争でトルコが長年苦しめられてきたロシア帝国に日本が一矢報いたことなどから、アジアの近代化の優等生として認識されるようになった。
やっぱりロシアに勝ったというのは勲章なんですね。
現実は、ギリギリ運で勝ったのだろうけど。
だからいまだにトルコでは日本は尊敬されているそうですよ。
その尊敬に耐えられる国にならないといけませんね。


↑日替わり煮込みランチ


↑ムサカだと思う。味はそうだったし。


↑このパンが美味しい

トルコ料理は刺激はないけど、好きな料理なんです。
先日のネパール料理もそうだけど、トルコは色んな国が混じっている感じがします。
そういう文化の接点みたいな国の料理は美味しい。



満足して階段を降りていった京男です。
トルコ料理「カッパドキア」地図

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見るだけで元気になりそうでしょ

2012年01月27日 05時16分53秒 | 


この間の日曜日、カットに行ったついでに三条に出た。
Loftの時計コーナーで時計のバンドの調整をしてもらいに行ったんです。
痩せた影響で、腕時計がクルクル回っていたのです。
松葉杖で歩くと到着時間が読めないのです。
傷つくのが嫌で、安いデジタルの腕時計をしていたのですが、デジタルでは理解できない時があるのですよ。
読字障害でその傾向に磨きがかかっている。



なんで普通の時計屋さんに行かないか?
Loftに私のしているSINNの時計が売っているからなんです。
7年間持続のバッテリーが入っているのですが、バッテリーを交換する時にメーカーに送ってもらわないといけない。前にLoftで手続きしてもらったのですよ。
そろそろ、次期なのでそれも言っておかないといけないしね。
バッテリーの交換に3ヶ月もかかるのですよ。
ロレックスの分解掃除もおなじぐらい期間がかかります。
維持するのに費用と時間がかかります。
※このSINNの時計をリンクすると前回バッテリー交換は、2007年1月で4ヶ月かかった。ということは、次回の電池交換は2014年1月ということになる。生きているかな・・・。



ラバーベルトを1センチぐらい切ってもらった。
それでもまだ緩い。
手首まで痩せてしまったし・・・。



終わってランチタイムとなった。
日曜日で一人で何を食べよう・・・。
この日は、女性陣は美容室、双子はどこかに行っていたのです。
最近、食事に行くお店が限られてきた。
入れないというか、座れないテーブルがあるのですよ。
お供の松葉杖をつれていると入りにくい場所がある。
カウンター方式はまず無理。
もちろん座敷もダメ。



考えながら「みその」の横を歩いて、「ステーキか・・・」と思った。
さらも四条方面に歩いていくと、大阪の知り合いが携帯で電話をしている。
入院している時にお見舞いにきていただいた。
「ひさしぶり!京都でなにをしているの?」
聞くと娘さんのご夫婦とみそので食事なんだそうです。
「いっしょに食べよう!」と誘われる。
いまさっきステーキと思っていたところだった。
これには、びっくり。
フラッとついて行きました。
他家の団らんをじゃましてしまった。
しかも独演会状態だったし。
でも楽しくいただきましたよ。
娘さん夫妻には悪いことをしたかも。
娘や息子と同じような年だから、私は平気なんですよ。
でも大切なことを話したような気がします。



食べてみて、萼関節が折れているところがまだ本調子じゃないのがわかりました。
こんなお肉なのに厳しいのです。
ニンニクとモヤシが美味しく感じましたよ。
トホホ状態でした。
回復は春かな・・・・今年の冬は長そうだ。



「神戸みその京都店」地図

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洛中上ル下ル、楽しくないハシゴが続く

2012年01月26日 05時24分16秒 | 洛外
テレビやタクシーの運転手さんたちは「寒い寒し」といいますね。
人は、マイナスの発言で仲良くなるきっかけに使う人が多い。
曰く「寒いですな~」「閑ですわ~」などと。
そんな時、同じようにマイナスで返事をすると仲良くなれる。
でもマイナスの共感はあまりよろしくない。


↑なかなか根性のある顔をした肉でしょ。現在に京男にとってだけど。

運転手さん「寒いですね・・・」
京男「昔の京都から比べると温暖化のお陰で温かくなりましたよ。もうすこし盛大にCO2を出したら、京都でもTシャツ一枚で年中暮らせるようになるかもしませんね。シークワサーだって出来るようになるかもしれへんしね」などというと黙ってくれます。
マイナスの共感はしないのが、ツキを管理するコツですよ。
もちろん自分からマイナスで話しかけてはいけません。


↑京都ヨドバシレストラン すみび 和くら 京都ヨドバシ店でステーキ定食。固い肉が食べられるかの実験。肉はやっぱり厳しいな・・・。

昨日今日と百貨店や病院、実家、ビィヤントなどと夫婦や子供と走り回っております。父親は、入院しているので放って置いてもよいのですが、母親をしっかりフォローしなくてはいけません。一人だとご飯もいい加減になるしね。
だから百貨店なんかに行って買い物をして実家に届けます。
以前もそうだったのです。
歩く歩数もかなりのものになります。
松葉杖を使うので手のひらがリュウマチのように痛い。
休まる間がないしね。
そんなことを言っていらえれません。

もし京大病院で京男が倒れて痙攣を起こしたら、病院から救急車を呼んで日赤病院に言ってというんだろうか・・・。
父親の病室に入れてもらうのかな・・・。(笑)
京大病院の方が病院食が美味しそうだった。
部屋はボロイけど。
※「上ル下ル」とは、「君子何面」という中国の考え方がある。御所において天皇さんは、南を向いて政や行事を行う。だから北に行くことを「上ル」。南に行くことを「下ル」という。現時点で天皇さんは、東京におられる。だから東京へ行く電車を上り、大阪へ行く電車を「下り」というのと同じ。
京都では、タクシーに乗るとよく使います。「運転手さん、そこの通りを上がってください。(つまり北に行ってください)
訳のわからない言い方もあります。例「東大路馬町を東に登ってください」これは、京男が家に帰る時の指示ね。


↑亀屋良長「鬼ハ外」
そういえば、来週はもう節分だ。病院のついでに吉田神社が行けるんだけど・・・人ゴミが・・・辛いか。


↑上用、こしあん

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ハードな一日

2012年01月25日 04時50分20秒 | 
ここ2、3日どうも落ち着かなかった。
具体的なことは何もないのに。
そんな時、母親から父親が頭が痛いと電話。
いろいろ話していた。
夜、仕事の帰りの次女に実家に寄ってもらい、様子を見てもらう。
元気そうだった。
でも落ち着かない。


↑たぬきうどん

昨日の朝、電話をしたら本人が電話に出た。
大丈夫、でも病院に行くとのこと。
母親が言うには、一人で行くと行っていたらしい。
病院は近所だからいいのかもしれないけど、二人で行ったのだそうです。


↑にしんそば

なんか落ち着かない。
食欲もない。
なんだろう・・・。
午後になって母親から電話。
検査をしたら脳出血で、緊急手術。
すぐに来て欲しいとのこと。
これか嫌な感じの正体は。


↑親子丼

取りあえず用意をし、京女にメール(仕事中なので)し、病院に行く。
手術をする直前に着いた。
もし雪でも降っていたら大変だっただろうな。
本人は案外元気だった。
ドクターに聞くと、脳の上の層の出血らしい。


↑カレーうどん

ほどんく京女が病院に到着。
母親と一緒に家に帰す。
入院の準備が必要なので。
手術が終わった頃に二人は戻ってきた。
なんとか無事に手術は終わった。
後遺症も今のところなさそう。
よかった。


↑木の葉丼

長女が仕事帰りに来てくれた。
次いで次女も。
次女は、この病院で働いているからすぐにこれる。
双子君たちは、自宅待機。
無事手術は終わって。
しばらく様子を見ていて帰ることにする。
みんなで晩ご飯。
私は初めての食事だった。
なんかハードな一日でした。


↑サービスのわらび餅

またしばらく病院通いだ・・・・
ひょっとしてブログの記事掲載が遅くなったりすることがありますが、それは私の病気のせいじゃないです。


「かく谷」地図
かく谷といえば、節分の時、吉田神社で年越しそばのお店をやったはるな。

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竜宮にようおこし

2012年01月24日 04時01分26秒 | 社寺・和菓子


これは、12日ぐらいの写真が残っておりました。
残り福というのがあるかもしれませんので、お付き合いください。


↑門を入って左のお堂。豊川叱枳尼天と嚴島辨財天がお祀りしてあります。両方とも私と親しい神さんたちかもしれません。そんな気がする。

ここは、三十三間堂の東隣にある法住寺(ほうじゅうじ)天台宗のお寺。
平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたる。




↑辰年にちなんだものでしょうね。


↑百度石、ここまで百度は大変かも。まだ清水寺の方が近いかな・・・それも難しいか。



寺内の「身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)」像は、平安期の作風とされる。この不動像は寺伝では慈覚大師が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かった。義仲の放火のさいに、上皇の身代わりとなったと伝えられており、現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)がいとなまれる。
残念ながら京男は見ておりません。


↑竜宮門、こちらは元々御陵の入り口だったらしいですね。乙姫さんを祀ってある訳ではなさそうです。


↑まだお正月飾りがついております。お寺のお正月飾りは不思議な感じがしますね。

写真全体が地味なので、生菓子をご紹介。


↑塩芳軒「此の花きんとん」
「古今集」仮名序に見える歌「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」からきているのかな。ようわかりません。


↑つくね芋きんとん、白あん

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松葉杖をちょっと改造

2012年01月23日 04時55分14秒 | モノ
「松葉杖は、まだ必要」と整形外科の主治医。
ちょっとがっかりしたけど、こればかりは仕方ない。
なら、快適に使うにはどうすればいいのか考えた。
まずは、無料レンタルの病院からの松葉杖をお返しし、新しい松葉杖を購入。
母親の「あんたは、二週間に一度散髪に行くようの人が、こんなモッサイものを持つのか」と。これが購入の引き金になった。
確かに一理ある。

1

ということで、この松葉杖を購入。
ある朝、アルミ部分を手で持つとヒヤッとした。
なんとか快適にならないかと考えた。


↑この巻き方は元々日本刀の柄からヒントをえた巻き方

家にパラコードがたくさんある。
パラコードとは、パラシュート用のコードで芯部分のも細いコードが編み込んである丈夫なコードなんです。
色んな使い方ができる。
それを松葉杖の柄の部分に巻くことにしました。


↑これでヒヤッとしない

松葉杖の長さ調節用の穴があいているので、それを使いました。
いわゆるストライダー捲きというやつです。
中芯部分を抜いたコードで下巻きをして、その上に巻いていく。
結構、力がいる作業。


↑しかもストラップになる。コードの端はライターで焼いて指で整形しながら固めます。熱い作業です。

これで手が滑らずに持てる。
しかもストラップになり、手から松葉杖が離れても落としたりしません。
外出先で杖を落とすと拾うのが大変なんです。



乗物に乗る時や、立て掛ける時、すぐに倒れます。
それを防止するためにストラップ部分をカラビナでとめる。
そのために、軽く素材のカラビナを見つけて来ました。



グリップの先端に反射板をつけてみました。
他に、靴も色々購入。
靴を抜いて上がるときに苦労するのです。
敷皮も用意。
右足が1センチ短くなったし・・・。
時計のベルトも調節しました。1センチも切りました!ちょっとショックでした。
鞄も使い易いものを手に入れました。
後はカメラをもう少し小型化できないかを検討中。


↑柄の先に反射板を埋め込みました

後この松葉杖の素材をアルミからカーボンファイバーにならないかな・・・。
でも個人でする限度がありますね。
介護用品業界は遅れている。特に日本は。
デザインも美しくないしね。使えればいいというものじゃないと思う。
「使い易く」を追求したら結果的に「用の美」に行き着くと思います。
これからたくさんの人が必要になるだろう。
そんなことを考えておりました。

関係ない人にとってはあまり面白い内容の記事ではなかったかも。
すんませんなぁ~。

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歩みが遅くても、自分を信じ、歩み続ける

2012年01月22日 06時42分25秒 | 和菓子


先週後半、ひたすら手作業をしていた。
やってもやっても終わらない。
メガネをかけることも許されないほど、細かい作業。
神経を集中する、しかも素材がナノレベルなので息も出来ない。
金箔を扱う時ってこんな感じなんだろうな。
時間の制限があるので、ランチなんかも食べる時間もない。

でも頭の大部分と耳は空いているので過去の音声をひたすら聞いての作業だった。
明治時代の人ってすごいと思う。
また会いたいな・・・。
そういえば天風さんは、黒谷さん(金戒光明寺)で講演しておられたから幼稚園ぐらいの時にすれ違ったことがあるかも。
黒谷から真如堂あたりは遊び場所だったしね。
いまの幼稚園の子供たと違って行動範囲が広かったんですよ。
碑があるらしいから近いうちに黒谷さんに行ってみたいと思った。

いろいろ考えながら果てしない手作業をしていた。
やってもやっても終わらない。
人生みたいだな。
諺が二つ頭に浮かんだ。



◆涓滴(けんてき)岩を穿(うが)つ
「涓滴(けんてき)岩を穿つ」とは、わずかなしずくも長い間には岩に穴をあけてしまうことから、わずかな力でも続けて努力していれば、やがて実を結び、成功するということのたとえです。「涓滴」とは水のしたたり、しずくのことです。
「雨だれ石を穿つ(うがつ)」ともいう。
↓こんなのあるかも。
「点滴京男の腕に穴をあける」
京男の腕は血管が探しにくい。
新米の看護師さんは、ブツブツと針をささはります。


↑京都鶴屋鶴壽庵「御所の春」


↑きんとん、粒あん

◆愚行山を移す
村の間に立ちはだかり、交通の妨げになっている2つの高い山があった。
愚行という人は山を平らにすれば人々の生活に大きな利益があるだろうと言った。
このときの年齢は90歳。
彼がこつこつと作業を始めていた傍らで、村人は彼の途方もない企てを馬鹿にしたが、「たとえ私が志半ばで死んだとしても、子供が残り、子が孫を産み、孫も子を産む。このように、山はこれ以上大きくならないのに対し作業を作業を続ける人は尽きることがないので、平らにできないことはないはずはないだろう」。
村人は返す言葉がなかった。
愚行の誠意に感心した天帝は2人の神に命じ、山を動かせた。



続けているといつか必ず到達する。
後は「自分を信じる」こと。
意外とこんな単純なことをしていない人が多い。
それと「自分を愛すること」「自分を尊敬すること」


↑長久堂「鴨川千鳥」

そしてどんなことでもいいから続けること。
「平凡なことを毎日続けて行くのが大切
 平凡がもっとも非凡である」


↑こなし、赤こしあん

作業が終わったら3日過ぎておりました。
背中がカチンカチンになりましたよ。

※身体をほぐすために散歩。生菓子を買いました。

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ネパール料理再び・・・ア・ラ・カルト編

2012年01月21日 05時03分42秒 | カレー
前に紹介してから一週間後に今回は京女と次女と再びくる。
次女にお店を教えてやろうと思う親心。
次女は、タンドリーチキンが好きなんです。
今回は、ア・ラ・カルトを注文してみました。


↑タンドリーチキン


↑アショカも昔は、これぐらいの大きさだった。

「ヤク & イェティ」の方が鶏が大きく、お肉がジューシーでした。
ジュージューの鉄板はあまり好きじゃないけど。
野菜も必要ないと思う。


↑シシカバブ



このシシカバブも満足でした。
ジューシーとスパイシーだった。
鉄板と野菜は必要ないです。
野菜を食べる場合は、フォークでは食べにくいな。
お箸があるといいのかもね。


↑モモ(ネパールの蒸し餃子)

次女のためにモモを注文。
気に入っておりました。
やっぱりね。
これぐらいの数がないと寂しいな。


↑ダール(豆のカレー)とプレーンナン

このお店のナンは、厚みが薄いのでパリッとしており、私は好きです。
ダールは美味しかったです。


↑ガーリックナン

ガーリンクナンも注文してみました。
やっぱりニンニクは美味しい。


↑チキンチリ(激辛)

鶏の甘酢風で辛い状態。
日本人にありますよ。
激辛と書いてあったけど、私には普通でした。
京女と次女はこのあたりで満腹状態。
以前なら私は、カレーをもう一品ぐらいとピラウぐらいは注文なんだけど、食べられなくなっております。

次回は、割り箸を頼もうっと。
あるかな・・・・。

「ヤク & イェティ」地図

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お父さんの神社・・・梅宮大社

2012年01月20日 05時04分04秒 | 社寺


またまた昨日の補足。
今日は、昨日のお父さん(大山祇命/おおやまつみのみこと)の話。
神話では、あまり出てこないのがお父さん。
大蛇退治において、素戔嗚尊(すさのを)の妻となる奇稲田姫(くしなだひめ)の父母、足名椎命・手名椎命(あしなづち・てなづち)はオオヤマツミの子と名乗っている。
結婚したきれいな妹ちゃんが、彦火火出見尊(ひこほほでみ、現代の若い親でもここまで読みにくい名前は付けないだろうな)を生んだのを喜び、天甜酒(あめのたむざけ)を造り神々振る舞ったそうです。
そのことから酒造の神・酒解神となっています。





ここ神社は、京都の西の方にある梅宮大社(うめのみやたいしゃ)。
お父さんが祀ってあります。
この梅宮大社
1871年(明治4年)に梅宮神社として官幣中社に列した・・・官幣中社・・・わかりません。(汗)
潜水艦『伊58』艦長時、原子爆弾をテニアンまで運搬したアメリカ海軍の重巡洋艦『インディアナポリス』を撃沈した事で有名な橋本以行が名誉宮司をしていた。
なんか映画の『ローレライ』みたいな話ですね。
妙に感心。


↑またげ石

この梅宮大社の境内には「またげ石」というまたぐと危険な石があります。
ご祈祷をしたら近づけるらしいけど、危険なのでやっておりません。
この頃「お百度こより」というのが売っています。
祈願してお百度を踏むのです。




↑なにを見てもまたげ石に見えてくるから不思議。

酒造神ということなら近所の松尾大社もある。
あちらの方が敷地が広くて歴史がありそうだけどと思っていたのですが、こちらの方が上みたいですね。


↑猿田彦夫妻の石

お父さん関係の神社は、子育てとか、子授けが多いのかな。
本業は、お酒を作っていたのかも。
謎だな・・・。


↑これが宇壽女命さん(左)と猿田彦大神(右)

境内には、猿田彦夫妻の石のあります。
触ったら子供たできるかも・・・。(笑)

写真は去年の同じような時期です。はやく撮りに行きたいな・・・。梅の時期ぐらいまでにね。

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磐のお姉さんのその後??

2012年01月19日 05時43分33秒 | 社寺
昨日の記事の続き。
まあ、あまり興味ない人は読まなくてもいいですよ。
私のいま、ちょっと調べているので今日の記事はメモみたいなものですから。

話しに出てくる漢字がどうもいけません。
シンプルに表示しておきます。


↑なんとなく「磐のお姉さん」に見えてくるから不思議

・天津日高彦火瓊瓊杵尊(あまつひたかひこほのににぎのみこと)
天照大神の孫。天照大神は、伊勢神宮の内宮の祭神。
住まいは高天原(神界)。地上界に天降った。
表示を「ニニギ」とする。

・大山祇命(おおやまつみのみこと)
神産みの時に生まれた神さん。地上に在住。
ニニギと娘の結婚した時、祝いにお酒・・・天甜酒(あめのたむざけ)を造り神々にご馳走したことから、醸造の神さんとして京都の場合は梅宮大社に祀られる。
表示を「お父さん」とする。

・石長比賣(いわながひめ)
お父さんの二人娘の長女。不老長生の神。お顔が個性的だったらしい。
表示を「磐のお姉さん」とする。

・木之花咲耶姫(このはなさくやひめのみこと)
お父さんの二人娘の次女。木の花(桜の花、あるいは梅の花)が咲くように美しい女性の意味。花が咲くように繁栄を担当する神。
表示を「美人の妹」とする。

高天原から天降って地上に高天原の外郭団体をつくろうとして、地上に出張したニニギは、笠沙の岬(現在の鹿児島県南さつま市の旧笠沙町)あたりで美人の妹と出逢った。一目惚れですぐ結婚したくなり、お父さんのところに行った。
お父さんは、高天原のエリートが自分の娘を嫁にほしいということで喜んだ。
ただし、磐のお姉さんといっしょにもらって欲しいと二人を嫁入りさせた。
面食いのニニギは、個性的な磐のお姉さんを見てお父さんの元に返したんです。

お父さんは、やっぱりか・・・と思いながらも起こった。
「ニニギはん、あんたさんの子孫が磐のように不老長生と繁栄をするために二人を嫁入りさせたのに、磐のお姉だけを返した。あんたとこ、私ら神と比べて短命になっても知らんで」と言った。
それ以来、天孫族の子孫、すまり天皇家は人間並に寿命が短いんです。
怖いことですな・・・・。


↑貴船神社の結社

さて、今日のテーマは「その後の磐のお姉さんはどうなった?」です。
可哀想に家でズッと泣いたはったそうです。
雲見浅間神社と大室山浅間神社に磐のお姉さんのみが祀られているのは、富士山の美人の妹と対峙して祀られているものである。この静岡県伊豆地方では、醜いためにニニギに遠ざけられた磐のお姉さんに同情して、磐のお姉さんの化身である大室山に登って美人の妹の化身である富士山を褒めると、怪我をするとか不漁になるなどの俗信がある。



京都にも磐のお姉さんを祀っている神社がある。
京都では、貴船神社(京都市左京区)の結社(ゆいのやしろ)です。
由来によると出戻りして恥ずかしいけど、これを機会に、この場所で長いこといて、縁結びの神として、恵まれない男女のために働きます。
なんか健気ですよね。
お心当たりのお方は、貴船神社に行かはったらどうでっしゃろ。効くかもしれませんよ。

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鰻が神様のおつかい?

2012年01月18日 05時20分54秒 | 社寺

↑渋谷通(京都にもあるんです)をちょっと来た上がります

今日は、家から近くの神社を紹介。
実は、まだ行ったことがなかったのです。
名前は、三嶋神社。
この神社ちょっと不思議なんですよ。
うなぎが神様のお使いらしい。


↑敷地がすごく狭いのにびっくり

由来を引用してみます。
この三嶋神社の歴史は古いのです。
平安時代末期、後白河天皇は、中宮(皇后)である平滋子建春門院(たいらのしげこけんしゅんもんいん)は子宝に恵まれないことを嘆き悲しんでいました。
そんな時、摂津国嶋下郡三島江村(現:大阪府高槻市)に子授けにご利益がある三嶋大明神という神様がいることを知り、参拝に訪れます。数日後、夢の中に白髪の翁が現れ、「あなたに男児が授かるでしょう。その代わり、私を京の巽(南東)の方角にまつりなさい。」と告げました。中宮は、翁のお告げ通り子を授かり、高倉天皇を出産。喜んだ後白河天皇は社殿を永暦元(1160)年に平重盛公に命じ、三嶋大明神をおまつりした社殿を造営(京都市内で唯一の平氏ゆかりの神社)。京の巽の方角の守護神として、おまつりしたといいます。
平家由来の神社というのは珍しいですね。






↑「触ったららあかん!」これ以上家族を増やさないで。破産する!

御祭神は、
本社 天津日高彦火瓊瓊杵尊(あまつひたかひこほのににぎのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
木之花咲耶姫(このはなさくやひめのみこと)

この神さんたちは、天孫降臨(てんそんこうりん)関係者たちですね。
天津日高彦火瓊瓊杵尊(あまつひたかひこほのににぎのみこと)は、天照大神の孫。
彼がいまの日本に天から、天下りじゃなかった天降りを使用とした時、地上で光っているので何かお婆さん(天照大神)から見て来なさいといわれた。
その光の主が猿田毘古命の鼻だった。
この猿田毘古命が地上を案内した。
その時、天孫降臨について来たはった踊り子さんと仲良うならはった。
この踊り子さんが、天之鈿女命さんです。
天の岩戸に天照大神さんが引き籠もった時に、外で神さんたちが宴会して注意を引いた。その時、踊ったのがこの天之鈿女命なんです。
いまでも神社にペアで祀ってるところがあります。





さてこの天津日高彦火瓊瓊杵尊が地上に天降って、うろうろして笠沙の岬に着いた。美しい娘に出逢った。もう一目惚れ。聞くと大山祇命(おおやまつみのみこと)の娘さんとわかった。天津日高彦火瓊瓊杵尊が求婚しに家にかはった。お父さんの大山祇命は、エエよ。ちょっと条件がある。木之花咲耶姫(このはなさくやひめのみこと)には、姉ちゃん(石長比賣)がいるのよ。いっしょにもらってくれんかな・・・。でもお姉ちゃんの石長比賣は、ちょっと個性的すぎるお顔だった。
天津日高彦火瓊瓊杵尊は、お姉ちゃんの方を里に返さはった。
大山祇命は「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、石長比賣を妻にすれば天津神の御子(邇邇藝命)の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘賣を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約(うけひ)をしたからである。木花之佐久夜毘賣だけと結婚したので、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」だから現在でも天神御子の寿命は長くないのである。


↑秋篠宮さんもお忍びで来られていた!悠仁親王の時かな?なら凄いですね。

この話のお姉ちゃん以外が祀ってある神社なんですよ。
この木之花咲耶姫は、なんと一日で妊娠したのです。旦那の天津日高彦火瓊瓊杵尊はそんな・・・覚えないけどと疑った。他の神さんの子供と違うんか?
木之花咲耶姫さんは、疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り、「天津神であるニニギの本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放ってその中でホデリ(もしくはホアカリ)・ホスセリ・ホオリの三柱の子を産んだ(火中出産を参照)。ホオリの孫が神武天皇となります。
だからこの神社は安産、育児、子育ての神社とあしました。


↑鰻の絵馬

「うなぎはどうした?」と言われそう。
鰻は生物成育の守護人神で土用の牛に鰻を食するのもここからきています。
鰻を食べたら性つきまっしゃろ。
もっといっぱいありそうなんだけど、今日はこのへんにしておきます。
おやかまっさんでした。

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ネパールの餃子?

2012年01月17日 05時01分24秒 | カレー

↑ネパールの焼きそばのアップ

複数の方から聞いていて、まだ行っていなかったネパール料理のお店にいきました。
京女と二人で行く。
メニューを見ているとインドの北方という感じですね。
今回は、様子を見るためにランチメニューです。


↑サービスのスープ

お店に入ると段差がありました。
この程度なら大丈夫。(笑)


↑Dセット/チキンのカレー、生春巻き、サラダ、ナン、デザート


↑生春巻きが不思議


↑ジャガイモのサブジ(野菜煮)、京女がこれが一番辛かったそうです。

お店の女性が「寒いのでスープサービスね!」とスープを持ってきました。
味噌汁のはいっていそうな器ですよね。


↑Bセット/チェウメン(野菜)ネパールの焼きそば、サラダ、ネパールの漬け物。これは、見てのとおり焼きそば。赤いソースは後の餃子のタレと同じ。

メニューを見ているとネパール料理って、インドとチベットと中国がミックスしたようなお料理ですね。
日本人的にはとても親しみがもてるような感じ。


↑モモ(ネパールの蒸し餃子)



これがネパールの蒸し餃子、モチモチして美味しいですよ。
真ん中のタレでいただきます。
芝麻醤にチリソースを加えたような感じです。


↑アイスクリーム、マンゴースースだ。

ランチは、何種類かあります。
このお店はいいと思いますよ。
結構ここは古くからあるそうです。


「ヤク & イェティ」地図

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