京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

パン、美味しかった

2011年08月26日 04時57分41秒 | 風景


昨日に引き続き比叡山山頂風景。
京男らしくない花のオンパレードですね。
確かに洋の花は珍しい。







たまにはいいじゃないですか。
お楽しみください。
名前はわかりません。
名札があってもカタカナはしっかり読めない・・・。





あちらこちらと散策し、お昼ということになりました。
レストランは1軒だけです。
メニューもすくなかった。


↑ビーフシチューセット


↑味は普通


↑ハンバーグセット


↑ソースが変わっていますね

セットのパンは二つ選べました。
ここのパン結構美味しかったですよ。
期待していなかったからよけいそう思ったのかな。
まあ、わざわざ買いに来るというほどではなかったけどね。





食事の後、足湯に行こうとしました。
足湯の場所にいくと比叡山の山頂なのにトドみたいなおばさんが2頭・・・じゃなかった2人寝転がっていました。
それで入る気がなくなり、撤収ということになりましたとさ。
メデタシメデタシ。

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南フランスのイメージかな

2011年08月25日 04時56分06秒 | 風景


昔は、京都と琵琶湖はつながっていました。
いつの頃か比叡山が隆起してきて比叡山になったそうです。
京男は見たわけでないのではっきりとした時期はわかりません。
深泥池(みぞろがいけ)や広沢池(ひろさわのいけ)で、琵琶湖固有のプランクトンがみられるのはその証拠なんです。







この山頂に昔は小さな遊園地的なものがありました。
たしかブランコが回転する乗り物なんかもあったと思います。







かつては比叡山頂遊園地と比叡山人工スキー場があったが2002年(平成14年)までにすべて閉鎖され、スキー場の跡地はコスモス園、山頂遊園地の跡地は美術館「ガーデンミュージアム比叡」になっている。
きっと京男は両親に連れられていったと思う。その風景をかすかに覚えている。
我が家で行った子供は長女ぐらいかな・・・。
一人の時は平和だったもの。









本日の花の写真で名前がわかるのは、ハイビスカスぐらいかな。
花はとてもきれいに咲いていた。
庭園風に植えてあるから植物園というのを感じさせないのがいい。

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比叡山頂上

2011年08月24日 04時20分19秒 | 風景


さて今日から比叡山の頂上です。
この頂上部分は京都市左京区なんでよ。
これは以外と知られていない。
京都市左京区というのはすごく広い範囲なんです。


↑モネの睡蓮風の池。モネの絵なっていないかも。







比叡山の山頂は、1959年にオープン。
お化け屋敷、展望台、ミニ観覧車、高山植物園、比叡山人工スキー場があった。
私はやっぱりお化け屋敷やね。
本物がでると噂がありました。
ちょっと怖い雰囲気だったな。


↑半夏生が結構普通に咲いていた。葉っぱの匂いも堂々と楽しみました。


↑立派なトンボだったな。ひさしく見ていないかも。

頂上の施設は2000年1月24日に閉鎖。
いまは、跡地を美術館ガーデンミュージアム比叡となっている。
印象派の絵画をテーマに花を植えてあります。
結構、いい感じでした。
でもなっかいも行くかな・・・。
何が足りないのかな。
企画がちょっと甘いきがしますよ。F先輩!
プロが言っているから間違いないです。
冬はどうするのかな・・・休園させるのかな。


↑なんか寂しいな



お花も綺麗だったし、手入れもいいから惜しいな。
京男は、ガーデニング的な庭はあまり好きじゃないかも。
お寺のお庭になれているからかな。


↑向こうに見えるのが琵琶湖

明日は、カラフルな花をご紹介しますね。

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比叡へ

2011年08月23日 04時27分02秒 | 風景


8月の暑い日お客様をご案内するために比叡山へ行った。
比叡山なら涼しいだろうと。
実際は神戸における六甲山みたいな訳にはいかなかった。


↑叡山電車出町柳駅構内

比叡山は、私の小さい時や我が家の子供たちがまだ長女だけの平和な時によくいきました。
電車で行く場合は、京阪の出町柳で叡山電車に乗換る。
出町柳~八瀬比叡山口駅


↑八瀬比叡山口駅構内


↑八瀬比叡山口駅構

八瀬比叡山口駅に到着。
案外近いんです。
昔は、八瀬遊園によく泳ぎにきたものです。
八瀬遊園は2001年11月30日に閉園。
跡地がホテルになっているらしい。
時代の流れですね。


↑この川が高瀬川から鴨川の上流なんです

さて八瀬大原の駅からケーブルに載ります。
ケーブルに乗り、ロープウェーに乗り換える比叡山に登ります。
この料金が可愛くない!


↑ケーブルの乗り場


↑クラシックな感じは昔のまま

ケーブルなんて久しぶりかも。
一番最近は香港だったかも。
昔と全然かわっていないのが懐かし。


↑ロープウェー乗り場

ロープウェーの乗り場も以前といっしょだ。



さてこれから乗ります。
結構な高さだ。
紅葉のシーズンなら綺麗かも。
秋の課題だな。



なんだか旅行をしているような気分になります。
京都なのにね。
続きは明日のお楽しみ。

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蛍の夢

2011年08月22日 06時02分13秒 | 風景・和菓子
今日蛍の夢を見た。
蛍が乱舞しているのです。
そんな状態は見たことないのに・・・。
そうかテレビを観たしだ。
http://www.nhk.or.jp/kochi/niyodo/index.html



単純だな・・・私も。
でも夢の風景はきれいだった。
いっぱい蛍が飛んでいた。
命の乱舞。

蛍って幼虫から成虫になって10日ぐらいしか生きないそうです。
蝉よりは長いけど短い。
そんなことを嘆きもせず。
懸命に光っている。
「ここにいるよ!」と。

最後に蛍は飛ぶことができなくなり水に落ちていく。
水に落ちて命が尽きる瞬間まで光る。
それも飛んでいる時より明るく。
命が光っている。
人間も最後の最後までそうありたいものだ。

夢でその風景をたくさんみた。
夢を見て感動したのは初めてかもしれない。
いまも頭の奥で清流の音がなっている。



夢って面白い。
そういえば最近食事の夢はみないな。
私はチャンと夢の中で食事ができるのですよ。
いいでしょ。

初夢で「一富士、二鷹、三茄子」ってご存じですか。
縁起の良い夢。
「一富士」は、山の代表。
「二鷹」は、鳥の代表。
「三茄子」は、麻婆茄子じゃなく、花が咲くと必ず実がなる。つまり成功する。
そんな意味。
茄子が苦手な次女からすると茄子の夢は悪夢だろうな。

落語でこの初夢の噺がある。
甲「昨日、大きな茄子の夢をみた」
乙「どのぐらいの大きさ?家ぐらいの大きさ?」
甲「いやもっと大きい」
乙「なら山ぐらいの大きさ?」
甲「いや違う、暗闇にヘタをつけたような・・・」



本日は、不思議な記事でした。
まあ、こんな日もあります。


↑長久堂「秋海棠」
秋海棠(シュウカイドウ)って植物なんですね。夏から初秋にかけて草丈 70cm 前後に生長し、扁心形で左右非対称の葉を互生させる。この葉は長さが 20cm 程度と大きい。葉にはシュウ酸が含まれる。葉にシュウ酸か、私にとっては天敵だ。この葉を食べる機会はないだろうけど。


↑外郎、備中白あん
俳句では秋の季語として詠まれる。
「秋海棠 西瓜の色に 咲きにけり」 松尾芭蕉

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夏休みももう少しだ・・・

2011年08月21日 05時15分54秒 | 

↑今井食堂おすすめ定食

昨日今日と地蔵盆をやっている町内が多い。
本式の行事をするところは少なくなった。
来ているのは、かなり前に子供だった人ばかり。
地蔵盆みたいな行事はダンダン廃れていくのかもしれないな。
ちょっと寂しい。


↑今井食堂おすすめ定食

小さい時は、地蔵盆になるとソワソワしてくる。
もう夏休みが終わりになるからである。
そろそろ宿題をしなくちゃ。
なんて思う時期。


↑サバ煮定食


↑サバ煮は骨まで食べられます

まあ学校が始まってからクラスの子にドリルを交換したりしていた。
『夏休みの友』なんかは、発行している出版社に電話して解答付のものを手に入れたこともあったな。
昔からそういうことには頭がまわった。


今井食堂地図

さて親の立場の夏休みは辛いです。
今年もまだ双子君たちがウロウロしている。
京女は仕事に出ているからどうしても私がお昼の面倒をみています。
子供が一人の時は外食。
バイクででかけます。


↑別の日は冷麺のお店


↑酢をたっぷりいれて食べるといい感じ

今年は、私があまり食べたくないからおとなしいものが多い夏でした。
暦上は秋ですね。
ちょっと涼しくなりました。
もう少しの辛抱。

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風神雷神

2011年08月20日 04時59分13秒 | 社寺

↑雷神

さて今日も柳谷観音の写真が続きます。
門の所にある風神雷神が印象的でした。
清水寺の内陣にも風神雷神がいてはりますね。



観音さんと風神・雷神は、つきもののようです。
他に観音二十八部衆というものある。


↑風神

風神・雷神ともにインド最古の聖典とされる「リグ・ヴェーダ」に登場する神で、その名が示すように自然現象を神格化した原初的な神々です。



風神は、ヴァーユと呼ばれ、数頭立ての馬車で天を駆けて悪神を追い払い、富貴栄達を授ける神とされ、一方の雷神は、ヴァルナという水神だといわれます。
仏教では、仏法を守る役目とともに、悪をこらしめ、善を勧めて風雨を調える神と信じられています。



奥の院に入る前から雲行きが怪しくなり、中へ入ったときにすごい雨。
「ええそんなん聞いてないよ~!」
状態でした。
本堂に建物の中を通っていけるので長い急な階段を一人歩いていきました。







外はすごい雨。
結構不気味な感じでした。
夜は怖いだろうな・・・。


↑本堂のところの狛犬



本堂まで降りてくると雨は止んで日が差してきた。
面白いですね。
おかげで涼しくなりました。





さて晴れている間に帰るとします。
また秋に行事がある時に来てみよう。

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現役のお百度・・・柳谷観音2

2011年08月19日 04時43分56秒 | 社寺・和菓子

↑縁日ということでお詣りの人が多かった

今日も柳谷観音。
お寺の説明をしておかないといけませんね。
歴史は古いようです。
以下お寺の説明の引用です。


↑御詠歌が聞こえてきました

大同元年(806年)京都清水寺開創の延鎮僧都によって開山されました。
僧都はある夜、夢の中に観音菩薩が現れ、「京都西山に行けば生身の観音菩薩を仰ぐことができる」とのお告げを受け、直ちに西山に踏み入ると、柳の生い茂る渓谷の巌上に生身の十一面千手千眼観世音菩薩が顕現されました。僧都は、そのお姿を刻まれ、その場所に堂宇を立て安置し、日夜給仕をされていましたが、清水寺のご本尊をお守りする大切な任務があるため帰洛されました。


↑眼力稲荷


↑お百度用の竹。現役なんです。実際お百度を踏んでおられました。はじめてみました。



やっぱり清水寺と関係あるのですね。
観音仲間というやつかな・・・・。
なんで眼病なんかという点も疑問ですよね。


↑奥の院



引用を続けます。
延鎮僧都が下山された後、811年弘法大師(空海)が度々当山に参拝されていました。ある時、堂の傍らにある巌窟の溜まり水で眼のつぶれた小猿を抱き、一心不乱に眼を洗っている親猿の姿を見かけられ、空海は小猿のために17日間のご祈祷を行いました。すると満願の日に小猿の目がパッチリと開き、喜んで山へと帰っていったそうです。空海は、この不思議な湧き水を眼病に悩む人々のために霊験あらたかなる霊水にしようと決意され、さらに17日間の祈祷を施し、独鈷で持って深く掘り広げ、眼病平癒の霊水に成就されたと伝えられています。 
この霊水が今も湧き出す独鈷水(おこうずい)です。また、江戸時代に第112代霊元天皇が眼病を治癒されたことをきっかけに明治に世に至るまで天皇家に独鈷水を献上していたと伝えられています。 普段は、ご自由に各自で汲んでいただけます。少しづつ溜めている水であり、また眼病平癒の霊水として信仰を集めておりますから、決して粗末に扱わないで下さい。このお水を一度観音様にお供えしてから持ち帰るのがここの慣わしです。観音様にお祈りしながら目を洗ってください。


↑護摩堂


↑京男も目のために祈祷してもらいました

なるほどね。
だから眼病に霊験があるのですね。
きっと昔は、眼病が多かったのでしょう。

写真が地味なのでおまけに生菓子をどうぞ。もう秋ですね。


↑二條若狭屋「初萩」


↑葛製、白こしあん

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柳谷観音の霊験

2011年08月18日 04時33分03秒 | 社寺


昨日17日、柳谷観音のご縁日。
行った動機は極めて軽い。
今月5日、清水寺の森清範貫主の法話にでてきた。
清水寺と柳谷観音とは、落語で結ばれているんです。
『景清(かげきよ)』。
ご存じの方は少ないかな・・・。
桂米朝版、桂枝雀版ともに何回も聞きました。
この話しは好きかも。



主人公は、京都の目貫師(ねぬきし、彫金職人)の定次郎。
この定次郎が目が見えなくなってしまう。
医者に言っても治らない。
そこで眼病平癒で有名な柳谷観音に21日間の願掛けに通った。
この道のりが凄い。
定次郎の家が麩屋町綾小路(ふやちょうあやのこうじ)、藤井大丸の西南側になるのかな。ここから柳谷観音まで行く。阪急電車のなかった時代にです。
もちろん車もない。目が見えない状態で歩いて行った。
すごいことですよ。


↑本堂

京男が行った場合でも、阪急電車の河原町から準急で大山崎までいって、そこからバス(縁日にバスがあるのです)で山道を20分ぐらいの距離です。
本当に行けるのかな・・・。


↑独鈷水へ行く入り口

柳谷観音のお堂で延命十句観音経(えんめいじゅっくかんのんきょう)をひたすら唱えた。

延命十句観音経(えんめいじゅっくかんのんきょう)
観世音(かんぜおん) 南無仏(なむぶつ)
与仏有因(よぶつういん) 与仏有縁(よぶつうえん)
仏法僧縁(ぶっぽうそうえん) 常楽我浄(じょうらくがじょう)
朝念観世音(ちょうねんかんぜおん) 暮念観世音(ぼねんかんぜおん)
念念従心起(ねんねんじゅうしんき) 念念不離心(ねんねんふりしん) 
〔和訳〕
観世音菩薩に帰依いたします。仏に帰依いたします。わたくしどもは仏と同じ因、
仏と同じ縁をもった世界に生きております。そしてそれは仏・法・僧の三宝とひとつ
につながっている世界です。この世界は常・楽・我・浄の理想世界です。
朝に観世音菩薩を念じ、夕べに観世音菩薩を念じます。
その一念一念はすべて悟りの世界から起こったものであり、悟りの世界を離れた
ものはなにひとつありません。


↑弘法大師お砂踏み


↑四国八十八ヵ所霊場のお砂があります。なんかお得。


↑この間の満月の時、トラに変身いた名残が足の甲にありますね

このお経、落語で覚えたんですよ。(笑)
落語も為になるな。

21日目に目が良くなっていたのに、女性でしくじった。
そこで自暴自棄になっているところをご隠居に清水寺の観音の方に行くように勧められる。
清水寺なら比較的近いです。




↑独鈷水を容器に入れてもらえます。それを持ち帰るのです。

だからとても柳谷観音が気になっていたんです。
なんか前置きが長くなりましたね。
写真はまだあるので次回に続くとします。

「柳谷観音」地図

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送り火・・・

2011年08月17日 04時18分31秒 | 風景・和菓子

↑左大文字

昨日は五山の送り火やった。
お精霊(しょらい)さんたちが帰らはる。
また来年・・・。
この送り火、初盆の時は感無量だったのを思い出す。
これでお盆が終わり。
地蔵盆というのがある。
なんでまたやるの?
子供の時そう思いました。
地蔵盆を調べてみました。
以下のようなことです。


↑昼間の左大文字

地蔵盆(じぞうぼん)は、地蔵菩薩の縁日(毎月24日)であり、なおかつお盆の期間中でもある旧暦7月24日に向け、その前日の宵縁日を中心とした3日間の期間を指し、またそのうちの日を選んで行われる地蔵菩薩の祭のことをいう。地蔵盆は一般には寺院に祀られている地蔵菩薩を対象とした祭りではなく、道祖神信仰と結びついた路傍あるいは街角(辻)の地蔵が対象となっている。
旧暦7月24日以外の地蔵菩薩の縁日の24日は、地蔵会(じぞうえ)、地蔵祭と呼ばれるが、旧暦7月24日については盂蘭盆(お盆)期間中であり、それにちなんで地蔵盆と呼ばれるようになった。現代では、参加する人々の仕事などに合わせ、多少日程をずらして土日に行うところも増えている。


↑左大文字

小さい時、子供が参加するから「児童盆」だと思っていたし・・・。
まあ、ある意味で子供と関係ありますが。
親より先に亡くなった子供を「親に先立つ不孝物」とよばれ、あの世の賽の河原で石を積まさされる。完成したら鬼がでてきて潰される。また積むということの繰り返し。「ひとつ積んでは父のため、ふたつ積んでは母のため~」と歌いながら作業する。そんな可哀想な子供の霊を救うのがお地蔵さんなんです。虐待で亡くなった子供もやっぱり親に先立つ不孝者なんだろうか・・・。お地蔵さんどうなんですか?
このお地蔵さんは、地獄の地主でもある。地獄運営の組織に土地を貸しているのです。だから地獄でも顔が利く。閻魔さんでも頭があがらないそうです。
だから冤罪で地獄に落ちている人も救済できるのです。


↑左大文字

京都は、昔から町内に一体はお地蔵さんがありました。
きっと上記のような事情があったのでしょうね。
それが明治初期の廃仏毀釈でかなり潰された。市電の敷石になったお地蔵さんも多かったそうです。
お地蔵さん、現在の地球上の可哀想な子供たちをしっかり救済してほしい。
お願いしますね。


↑船形

五山の送り火から話題がそれてしまいました。
今年はなんかシラッ~としてしまいますね。
あの騒動は、京都人特有の答え方がトラブルの原因だったかもね。
あの話しがきた時に、「へ~、よろしおすな~、かんがえさせてもわりまっさ」と言ったのかも。
この答えを聞いた他府県の人は、「前向きに検討してくれるんだ」と思ったかもしれません。
相手が京都人ならそれで通用する。
京都人は、きつく断らないです。
理由は、相手を傷つけないのと自分も傷つきたくないからです。
京都は色んな権力者が変わった。明日権力者がかわったら命を落とすかもしれない。
だからあたりさわりのないような答え方をするのがDNAに入っている。


↑鳥居形

よく舞妓さんを誘う時の話しがある。
他府県の客「○○奴ちゃん、こんどこんどお茶でも飲みに行こうよ」
舞妓「へぇ、おおきに~」
この場合、「あんたとお茶なんて行くのいやや」という意味もある。
それに気づかないといけないのです。
さらに「何日にする?」
舞妓「へえ、おおきに!」
これは、「この田舎物、やぼやな~、ええかげんわからんのか」というような意味になります。
もちろんニアンスで意味が変わりますが。

送り火の件は、話しをもっていった人が「かんがえときまっさ」を間違って解釈したかも。言った京都人も相手が他府県の方だと配慮しなかった。
ひょっとして話しを持っていた人が「大文字焼で燃やして欲しい」と言ったかな。
京都人は「五山の送り火」を「大文字焼」と言われるのを絶対嫌うから。
ちょっと腹を立て「かんがえときまっさっ!」と断ったのかも。
なんてことをかってに妄想しておりました。


↑鶴屋吉信「宵待草」
五山の送り火に因んだ生菓子は、欲しかったけど私の独断と偏見で該当なしでした。
やっぱり夏場の生菓子はいけません。


↑焼皮、粒あん

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子子子子子子子子子子子子?

2011年08月16日 06時05分17秒 | 社寺・和菓子

↑冥土通いの井戸

子子子子子子子子子子子子は、日本の言葉遊び。
「ねこのここねこ、ししのここじし(猫の子子猫、獅子の子子獅子)」と読みます。
この問題を考え出したのは嵯峨天皇、解いたのは小野篁(おのたかむら)なんだそうです。


↑この井戸から小野さんは、地獄へ出勤していたそうです。

「子」という漢字には、「ね」(訓読み、十二支から)、「こ」(訓読み)、「し」(音読み、呉音及び漢音)、「じ」(「し」の変化形)の4通りの読み方がある。
このため、このような読み方が可能となんです。
篁の機転をあらわす話であるといえる。
凄いな・・・。


↑本堂の置くの方にあります。

この話の初出は宇治拾遺物語(1213~1221年頃成立)の巻第三の十七「小野篁広才の事」。
前半の「無悪善」のくだりは平安時代後期の江談抄の第三(1104~1108年ごろ成立)が初出で、十訓抄(1252年成立)の第七などにも出てくるが、後半の話は「子子子子子子子子子子子子」ではなく「一伏三仰不来待書暗降雨恋筒寝」(月夜には来ぬ人待たるかきくもり雨も降りなん恋いつつも寝ん)となっている。
このため、元からあった「無悪善」の話に、宇治拾遺物語の成立した鎌倉時代初期までに「子子子子子子子子子子子子」の話が付け加えられたと考えられます。


↑本堂横、ここから置くをみます。

嵯峨天皇の時代、内裏に「無悪善」と書いた立て札が立てられた。天皇が篁に読み方を尋ねたところ「さが(悪)なくてよからん(嵯峨天皇がいなければよいのに)」と読んだため、読めたのは篁が書いたために違いないとして怒った天皇は、自分は何でも読めるのだと弁明する篁に「子」の字を12個連ねたものを篁に差し出し。「ならば、これが読めるか」と問うたところ、「ねこのここねこ、ししのここじし」とたちどころに読んだため、天皇の怒りが解けたという。


↑小野篁

この小野篁は、遣唐使の小野妹子の子孫なんです。
役人の他に、学者、歌人でもある。
地獄行きの井戸を通って、閻魔大王のお手伝いをしていただけではないのです。


↑普段は静かな境内なんですよ



「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」(百人一首11番)

「泣く涙 雨と降らなむ わたり川 水まさりなば かへりくるがに」(古今和歌集)

なんて歌も詠んでいます。
昔の人の教養の方がいまの学者より数段上なのはなんでやろ・・・。

※そういえば、今日大文字の送り火や・・・。


↑鶴屋吉信「ほおづき」


↑外郎、白あん

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堂々巡り

2011年08月15日 06時09分00秒 | 社寺・和菓子
「堂々巡り」という言葉がありますね。
「話しが堂々巡りする」とか、「会議が堂々巡り」とか同じ内容がぐるぐる回ることをいう。
この言葉、実は清水寺が言葉の語源なんだそうです。


↑清水寺本堂側面の傷

いつか清水寺の七不思議というのを紹介したと思います。
1.首振り地蔵
2.馬駐(うまとどめ)の金具
3.阿・阿の狛犬
4.八方にらみの虎
5.仁王門、通称赤門の西側、カンカン貫(ぬき)
6.鐘楼の柱、数が多い
7.景清爪彫りの観音
以下番外
8.三重の塔の屋根瓦
9.轟橋の門
10.轟橋
11.手水鉢の堂を支える脚が二本しかない
12.梟の手水鉢
13.本堂側面弁慶の指跡
14.弁慶の足形石
15.弁慶の鉄の下駄と杖
16.清水寺舞台の柱


↑清水寺本堂側面の傷

この不思議番外13番の本堂側面弁慶の指跡なんですが、実は願掛けのお百度参りをした人々が、夜真っ暗で辺りが見えない為に、目印として本堂につけた傷だとも言われています。
後の人々も、この傷を目印として、お百度参りをしたそうです。


↑阿・阿の狛犬



落語「景清」の京都で三本の指に入ると評判の目貫師(彫金職人) の定次郎が失明した。最初は、柳谷観音に行っていたのだがうまく行かず、清水寺観音様に願掛けをするというので登場します。





柳谷観音の方が眼病には効くらしいんですよ。
調べると実際にある。京都市内からするとえらい遠い。
目が見えなくていけるのだろうか?

堂々目ぐらいって会社の会議なんかでありますよね。
あまりいい意味じゃない。
私はあまりなったことがないかな。
いちいち同じ発想でグルグル回っていたら「バターになってしまう」というか死んでしまいます。
一人で脱出する訓練は積んでいるんです。
だから問題解決に時間はかけません。
なんちゃって。(笑)


↑亀屋良長「星月夜」




↑きんとん、粒あん

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やっぱりこういうのが好きかな・・・

2011年08月14日 05時04分24秒 | 

↑パンはおかわり自由。うれしい♪

これは先月に大阪に行った時のランチ。
ここは、心斎橋と難波の中間ぐらいにあるビストロ・ダ・アンジュ。
やっぱりここに来てしまう。
長年行っているから安心なんだろうな。
料理のグレードも保っているし。


↑キッシュ


↑パテ、これでワインは美味しいだろうな。

さてこの日のランチメニュー。
そういえば私は夜にあまり食べないように思います。
このお店もランチだし。
きっとお腹が膨れてから京都に帰るのが億劫なんだろうな。
夜は9時から10時ぐらいに寝てしまうのも影響しているのかな。
寝る3時間前は、ものを食べないと20代ぐらいから決めてあるしね。
9時に寝ようとすると6時には夕食を終えておかないといけないのです。
お酒を飲む人からすると考えられないでしょ。


↑鶏もも肉のコンフィ


↑パリッとした皮が好き

家族でも私だけがそういう生活パターンなんです。
私だけが寝てしまう。
すっきり目が覚めたと思ったら1時半ぐらいだったことが結構あります。
さすがに起きないけどね。
3時なら起きます。
テレビを観なくなったというのも原因かもね。
地デジになってから観ていないんですよ。
普通のテレビの番組はもう衰退期に入ったかもしれませんね。


↑魚料理、なんの魚か忘れました。


↑美味しかったな

ニュースだって妙に知りたいことを報道していないし。
とても視野が狭い内容が多い。
もっと世界の情報がみたいものです。


↑本日の自家製タルト アイスクリーム添え

それでも必要な情報は結構手に入ります。
政治や経済の専門かの人の情報の方が正確。
情報は一次情報と直感というかインスピレーションがよいかも。
直感に関してはもう少し自分性能について分析しないといけないかな。


↑キャラメルバナナのミルフィーユ

写真の記事の内容が全然関連していない。
まあ、現時点であまり食に興味がないからそうなるかも。
食べることより重要なことは結構ありますからね。
でもまた涼しくなったら戻ると思います。
心配無用。


「ビストロ・ダ・アンジュ」地図

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ヤマトタケルって誰?

2011年08月13日 04時47分40秒 | 風景・和菓子


本日も醒ヶ井の風景続き。
醒ヶ井を歩いて行くとヤマトタケルの神社がありました。
なんでこんなところにいてはるのかと思いしらべました。





ヤマトタケルと書いてもわかる人は少ないかな・・・・。
クロネコを創業した人でも、宇宙戦艦をつくった人でもない。
『古事記(こじき)』や『日本書紀』の後半にでてくる人物です。
九州の熊襲(くまそ)のボスを単身潜入して、女装してだまし討ちにしたエピソードが有名。
熊襲ってきっと大和朝廷に従わなかった種族なんでしょうね。





滋賀県醒ヶ井「梅花藻(バイカモ)」2


もともと西に東に派遣されたのは、お父さんに疎まれていたかららしい。
きっと実力はあったのでしょうね。
義経みたいな人だったのかも。
義経も戦闘や戦術はうまかったけど、戦略と政治に疎かったのと同じかな。

1

そのヤマトタケル(日本武尊)がこの醒ヶ井に来ていたのです。
そのあたりを書いてみます。



尾張ではまだしなければならないことがあった。それは伊吹山の神を征伐することだった 。ヤマトタケルは素手で戦うからと草薙の剣を美夜受比売に預けて出かけることにした。伊吹山を登り始めてしばらくすると、白く大きなイノシシが現れた。山の神の使いが変身しているに違いないから大したことはないと先に進んでいった。ところがこのイノシシが山の神自身が変身していたのだった。山の神はヤマトタケルに大氷雨を降らせため、大きな痛手を被ってしまい,やがて病にかかり伊吹山を下りた。



ヤマトタケルが攻撃されたのは伊吹山3合目あたりらしい。西側登山道を登った3合目付近にヤマトタケル遭難碑があるが、山頂にはヤマトタケル像が建っている。
この像の写真をみると大魔神の変身前の状態みたいね。



伊吹山を下り、毒気にあたって命からがらにこの泉にたどり着いたヤマトタケルは玉倉部の清水を飲んで体を休めた。ここの清水の効果は大きく、高熱がさめたという話が伝わっている。



昔,醒ヶ井は中山道を往来した人たちの休憩所でもあった。ヤマトタケルが傷をいやしたことから「居醒(いざめ)の清水」と呼ばれ、醒井(さめがい)という地名もこの話が元になったと言われている。



結局、ヤマトタケルは、この後病気になって亡くなってします。
なくなって白鳥になって飛ぶ。
このあたりの映像はなぜか覚えている。
あぶん『日本誕生』という映画かな。
ヤマトタケルは、三船敏郎だったかな。

日本誕生





↑本家玉寿軒「滝つぼ」




↑みじん羹、白こしあん

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梅花藻のある宿場町

2011年08月12日 04時43分12秒 | 洛外


本日は京都を離れた記事。
先週の暑い日、梅花藻(ばいがも)を見に行こうとなりました。
京都からJRに乗り滋賀県の米原から一駅目の醒ヶ井へ。
醒ヶ井(さめがい)は中山道の宿場町。



町並みがとてもきれいに整備されています。
故郷に帰ったきがします。
私の場合は、京都の西陣で生まれ、平安神宮の近くで育ったので故郷は西陣になるのですが・・・。
皆さんがされうようなお盆の帰省がちょっぴり羨ましかったな。
いまは、京都市内で生まれ、帰省しなくていいのが嬉しいけど。
3日に一度ぐらい帰省しているし。(笑)
そのことを抜きにしても、懐かしい風景ですね。


↑JR醒ヶ井駅、駅は普通のローカルの駅


↑郵便局


↑懐かしいポスト

最初「醒ヶ井」という名前を聞いたとき、京都の銘水かなと思いました。
事実、京都市内に醒ヶ井通というのがあるんですよ。
この滋賀県の醒ヶ井は、梅花藻で有名らしい。


↑川のある風景は綺麗







滋賀県醒ヶ井「梅花藻(バイカモ)」1


梅花藻?
梅花藻は、清流に生える藻で7月~8月に水の中で花が咲く。
実際に見ると「ああ昔見た」。
八瀬駅からケーブルカーに乗り込む前の川にいっぱい生えていた花だ。
昔は、結構ありました。


↑この時は、百日紅は終わりにちかかったのでピンクの花はすくなかった。このピンク色のものは百日紅。


↑梅花藻のアップ写真。



地元の方々の美観を維持する努力がいろんな場所にうかがえます。
もう少しゆっくり見学したかったな。
1時間もいなかった・・・・。
写真はまだあるので明日も醒ヶ井です。
目から涼感を味わってみて下さい。

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