京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

今日は「旧暦の重陽」・・・数字の不思議

2009年10月26日 04時16分49秒 | 風景・和菓子

↑この人形本来の置き方と違うかも。男性と女性の位置が逆かも。まあ、雛人形じゃないからいいのか。
でもちょっと気持ち悪い。男性の人形の前にあるのが「被綿(きせわた)」

今日は、旧暦の9月9日。
平安時代から、宮中ではこの日を「陽が重なるめでたき佳き日」としてきた。
民間でも、収穫の時期と重なり、氏神祭などが多く行われる日となっていた。



またこの月を「菊月」とも呼ばれていた。
いまでは、新暦になってしまったので、普通は残暑が続き菊は咲かないですよね。
菊は、もともと観賞用というより漢方の薬として栽培されていた。
いまでも漢方で薬効が認められている。
菊の香りは、邪気を祓い長命を願うということに使われており、それが日本の宮中にも行事として伝わってきた。
お葬式で菊を供えるのも邪気を寄せ付けないということに由来するのです。



九星(きゅうせい)の考え方からすると、数字がこのように配置される。
       南
     巳 午 未
   辰 4 9 2 申
 東 卯 3 5 7 酉 西
   寅 8 1 6 戌
     丑 子 亥
       北
この数字の並びは、不思議なんです。
縦、横、斜め(対角線)のどの列も合計すると、すべて「15」になる。
この並びに不思議を感じませんか?


↑京都鶴屋鶴寿庵「延年」


↑月餅、黒こしあん

十二支でいうと南が「午」になるので太陽が一番高くなる位置を境に午前、午後となる。
この数字の並びが「魔方陣」ということになるそうです。
面白いでしょ。


↑亀屋良長「里の菊」


↑山芋煉切、白こしあん

御所も「君子南面す」ということで、帝は内裏に南面して座された。
その考え方を元に作られているんです。
だから左右も帝から見て右左なんです。
左京区と右京区の謎もこのあたりからわかりますよね。
なんで一番大きな「大文字」が「左大文字」といわれるかもわかる。
帝の方に行くのが上ル、逆を下ルという。
京都の街は、たくみに数字とか方角に従ってつくられていた。
最近は、この法則がちょっと崩れてきているかも。
ちなみに国会で右側に与党、左側に野党となるのもこのため。
コメント (4)
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