京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

大晦日で大切なこと

2011年12月31日 05時11分02秒 | 
今日は大晦日。
信じられない早さで12月が終わった。
昨日、夜、子供たちがそれぞれの友人たちのところへ行った。
夫婦二人で食事となった。
「せっかくだからディナーに行こう!」となったけど、夜は油っこいものは食べたくない。ということは大黒屋あたりでそばかうどんとなります。
家からタクシーでいくんですよ。そば屋にいくのに。


↑にしんそば

こんな年末に大黒屋は珍しい。
京女の父親は、いつも大晦日に大黒屋で天ざるでお酒を飲んでいたらしい。
お酒が飲めたらそうするだろうな・・・・


↑程よい味と柔らかさでした

年越しそばのかわりにと、私はニシンそばを、京女はたぬきうどんを注文。
木の葉丼は、半分こねっ!
食べながら「なんで大晦日にそばを食べるのか」ということを話していた。
やっぱりうどんじゃないのね。


↑つるつるかめかめ

調べてみました。
『蕎麦辞典』から抜粋してみると次のようになります。
1.鎌倉時代に博多の承天寺で年を越せない貧しい人に、そば餅を振る舞ったところ翌年から運が向いてきたことから年越しそばがはじまった。

2.室町時代に増淵民部という長者が、大晦日に無事息災を祝って「世の中にめでたいものは蕎麦の種花咲みのりみかどおさまる」と歌いそばがきを食べたのが年越しそばの始まり。

3.そばが細長いので、長く細く生きられるように願って年越しに蕎麦を食べた。
そばは、切れやすいので一年のいやなことは切り捨てたいと願って年越しに蕎麦を食べた

4.金細工師が散らかった金粉を集めるのに、そば粉を使ったので、そばは金を集める縁起物だとい言って年越しに蕎麦を食べた。

5.そばは健康に良いという説が流行ったから年越しに蕎麦を食べた。

6.ソバという植物は、風で倒れてもすぐ起き上がるので、そのたくましさにあやかったから年越しに蕎麦を食べるようになった。

他にもありますが、だいたいこんな感じです。
というおとは大晦日にどうしてもなければいけないものではないかも。


↑たぬきうどん

それより今日しなければいけない大事な神道の行事があります。
それは「大祓(おおはらえ)」です。
大祓は、6月末と12月末の2回ある。
特に12月末の大祓は、大晦日に歳徳神を各家庭にお迎えする時、穢れた身体でお迎えするわけにいかないでしょ。
だから神社で半年分の穢れを祓ってもらわないといけない。
神社もあまり大祓のことをアナウンスしない。
初詣の方がお賽銭がたくさん集まるからかな・・・・。
なんか趣旨が違うように思う。


↑やっぱり木の葉丼

もう一度いいます。
あなたの家に歳徳神が来るのです。
それを家に定着させればその家は1年安泰なんです。
歳徳神が来る方角が「恵方」となります。
歳徳神は、女神さんなんですよ。知らないでしょ。
例年の恵方は北北西(北微西)です。


↑夜にくるのは珍しいかも。しかもお正月準備が終わっているし

その歳徳神をお迎えするために、門松、注連縄、鏡餅があるのです。
そして大晦日の夜は、歳徳神がこられるのだから、寝てはいけないのです。失礼でしょ。神様が家にくるのに。
だから初夢は2日の夜に見るのを初夢というのですよ。
家に歳徳神が定着するのに3日間ぐらいかかるのです。
雨戸をしめて、ひっそりとして三が日をすごすのです。
だから三が日は他所の家に挨拶に行ったり、初詣に行ったりしてはいけないのです。
お節料理も三が日、外に出なくていいように保存食なんです。
お節を祝う三種は、京都でいうと「ごまめ(田作)」「かずのこ(数の子)」「たたきごんぼ(牛蒡)」があればいいのです。それがらいなら作れるでしょ。
それを守るだけでいいのです。なんとかホテルのお節料理はいらないのですよ。
もういいかげんオリジナルにもどした方がいいかもね。
年賀状なんかもだんだん意味がわからなくなってきた。年賀ハガキの横流し問題もあるしね。
お正月をいっそのこと旧暦にしてしまった方がいいかも。
そうそう成人式も15日にもどした方がいいですよ。
なんか熱くなってきた。(笑)
皆、訳がわからなくてただ商業主義に踊らされているんだもの。
それも景気を助けているといえばそうだけどね。



※付録
京男の家に門松(葉杖)を立ててみました。どうやって撮ったのか?でしょ。(笑)

蕎麦の事典 (講談社学術文庫)
クリエーター情報なし
講談社


Twitter→@kyo_otoko
コメント (10)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常照我

2011年12月30日 05時36分49秒 | 風景
昨日は、天気がよかったので墓地の掃除に行った。
両親は、体調もあるから代行です。
お墓といっても京男のところは分家だから、夭折した妹が入っているだけです。
京男、京女、そして次女の三人でいきました。
正直にいうとお墓へ道は厳しかった。
あんな凄い坂だとは思わなかったな。


↑小さい時、この実が美味しそうに見えたな・・・

家からズッと降りで、その後、お墓まで登りなんです。
そういえばいつも女坂を降るだけだった。
渋谷街道を降る方がはるかに厳しい。
京女たちを先に行かせて、私は後からトボトボ歩く。


↑この駐車場は怖いでしょ。土日祝日にボーッと車を入れると出る時びっくりするだろうな。

マンションから東大路通までは、清水寺から五条通りとほぼ同じ距離と勾配。
そしてお墓までまた登るんです。


↑奥が大谷本廟。我が家は中を通るだけです。

あえぎながら歩いているとこんな碑が目にとびこんで来た。
大谷本廟にあった碑。



「常照我」
これは、「大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)」ですが、源信和上(げんしんかしょう)の著作『往生要集(おうじょうようしゅう)』の中にある「大悲無倦常照我身」を引用されたもので「阿弥陀様のお慈悲の光明は、どんなときでも常に私自身を照らし続けてくださっている。
最近、そんな実感もありますね。



こういう形も面白いな。
いままであまり目に止まらなかったけど、最近スピードが遅くていっぱい見えてくるんですよ。
遅い速度もいいこともあります。


↑お墓のお花も正月モードにしてもらいました。

お墓を掃除し、すべてセットアップして、両親には携帯で写メを送ります。
便利な時代になりましたね。

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

器の条件

2011年12月29日 06時19分00秒 | モノ
机の上のスプーンや湯飲み茶碗に目が止まった。
目があったという状態。
もっとも湯飲みやスプーンに目はないけど。



この湯飲みやスプーンの何が大切なんだろう?
素材?ブランド?デザイン?値段?
どれも大事だけど正解ではない。



一番大事なことは、空間が空いているということ。
「あたり前でしょ!」と言われそう。
でも以外と気付かない。
内側の空間が陶器だったら役に立たない。
スプーンも同じ。



だから、使ったらよく洗って空間を維持しないといけない。
汚れで埋まったら使えなくなるものね。
人間もそうかも。
色んなことを勉強し、色んなことを覚える。
国のエリートさんたちは、いっぱい詰め込みすぎて頭が動かなくなっているのかも。
使い終わった知識は、どんどん捨てていった方がいいのかも。
大事なのは常に空間を確保しておくということ。



手でモノを掴んだままで、モノは掴めない。
いったんパーにして、改めて掴むのがいい。
手に入れたモノや智慧を人に渡さず、使わずにさらにモノを得ようとするのは愚かなこと。
すべてはそうなっているのかも。
手放すのは、怖いように思えるけど、それは思い込み。
でないと中身のつまった湯飲みのようになりますよ。



人間の場合、難しいのは、捨てるモノが人によって違うということ。
違うから面白いということもいえる。



さてあなたは何を捨て、何を掴みますか?
息子たちがテレビで「ワンピース」を観ていた。
私は息子たちに質問した「主人公は、海賊王のお宝を求めて旅をしている話なの?お宝ってなに?まさか金銀財宝じゃないよね」と。
何十京円分の宝石や黄金なんて邪魔になるだけだしね。
それで幸せになれないだろうな。
なら何をもって「お宝」というんだろう?
興味があるな・・・。
世界中の人が集まって真剣に考えた方がいいかも。

過去の記事をご覧になりたい方はこちらからどうぞ↓
※「京男雑記帳1」へは、この文字列をクリックすると移動します

Twitter→@kyo_otoko
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京男と牛のタンどちらが美味?

2011年12月28日 04時39分02秒 | 
筋肉で動かして一番疲れない箇所ってどこだろう?
心臓・・・確かに心臓はすごい。
疲れて休んだりしないものね。
次に舌、五時間ぐらい喋っても疲れない・・・私だけか。
指先なんかも疲れないらしい。
鳥なら羽ばたく箇所の筋肉。
渡り鳥は途中休めないものね。



そういうよく動かす筋肉は美味しいのではと思う。
この夏、意識不明で倒れた時におもいきり舌を噛んだのです。
出血が500ccぐらいだったそうです。
私は覚えていないのでよくわかりません。
長男がいなければきっと窒息していたと思う。
いまだにその時の血痕がシュータンにある。
舌が腫れて口いっぱいになっていた。
当初、喋れなかったし、味覚もなくなった。
舌を噛むというのは怖いことですよ。
昔、舌を噛みきり自殺するというのがあったけど、本当なんですね。


↑京都ヨドバシレストラン すみび 和くら 京都ヨドバシ店「とろたん定食」

それから四ヶ月、歯の調整を仮だけどして性能を調べております。
今回は、敵討ちのように牛タン焼き。
弾力のあるタンをはたして食べられるか?
そういう実験でした。



久しぶりのタンは美味しかった。
京男の生タンよりもズッといい。
牛に負けてしまいました。



お陰様でこんなものが食べられるようになりました。
感謝感謝です。
麦とろも美味しくいただきました。



次回は、台湾風の豚タンも食べてみたいな。
京都ではちょっと無理か。
最近、ユッケや生レバーが食べにくくなったですね。
ユッケは、甘いからあまり食べないけど、タルタルステーキは食べたいな。
寂しい時代になってね。




↑付録
昨日は長女の誕生日。自分でキル フェ ボン 京都店 (Quil Fait Bon)のケーキ。

Twitter→@kyo_otoko
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歩け歩け

2011年12月27日 05時24分11秒 | 風景・和菓子


昨日は、病院へリハビリ納めに行った。
最近、歩いて行くことが多い。
朝、家を出てしばらくすると雪が降り始めた。
ちょうど女坂をおりた頃だった。
空は結構曇り空。



智積院に北門を通りフト見るときれいに山茶花が咲いていた。
雪の中だけど、思わず写真を取り出す。
今、撮っておかないと次はないかもしれないしね。



ピンクもいいけど、白のもいい。
石畳も滑ると怖いのでゆっくり歩きました。



お地蔵さんのところで一休み。
空を見ながら「いいかげんにせいよ!!」と一喝。
今熊野商店街のアーケードのところまで行くことには止んで青空がでてきました。
これで帰りも歩けるか。
結局、JRで京都駅に行くことになりました。
あの時、写真を撮っておいてよかった。


↑鶴屋義信「姫椿」


↑外郎製、白こしあん

さて、今日はこれから出張だ。
湯の山温泉は、雪大丈夫だろうか・・・・。
もちろん温泉は入りませんけど。
松葉杖で露天風呂は無理だりね。(笑)
露天風呂なんてもう一生入れないのかも。
そんな予感がします。
ちょっと寂しいな。

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスイブはインド風で・・・イブの大阪大冒険?

2011年12月26日 04時58分06秒 | 洛外

↑住宅街のマンションの地下にお店がある

24日の大阪に行く。
京都から阪急電車で大阪へ。
梅田に着くと昼だった。
いつもならインデアンカレーなんです。
この日は、時間がちょっと遅かった。
人がいっぱいお店の前に並んでいた。
そこで気がついた。
もしカウンター席に座れても、隣の人との距離の狭い席で松葉杖をどう置くの?
後ろに置いたら席につけない・・・。
いつも行くお店はカウンター方式の店が多い。
人にダンダン酔ってきた。
仕方なく地下鉄で新大阪へ。


↑この階段は怖かった。しかも夜だり。よく考えたら夜は初めてだ。・

新大阪でなにか食べようと考えた。
それも甘い考えだった。
どこも座席がせまく、人が多い。
席があっても食べるものがない。
やっぱりまだ脂っこいものはちょっとね
それに梅田の匂いにムカムカしてきていたし。
美々卯のうどんなら空いていたけど、うどんの気分でもなかったし、店内の照明が明るくないのもちょっといややった。
ダンダン疲れてきて、タクシーで会合のホテルにいく。
なにか食べようと思ったら時間切れ。


↑エビ&やさいカレー定食

会合が終わって忘年会。
でもまだ食欲がない。
ホテルにアルバイトを終えた次男が迎えに来てくれた。
彼に立食のものを食べさせて、私はお喋りを担当しておりました。





さて、早めに会場を後にして、さすがに何か食べようと思った。
地下鉄中津で降りて歩く。
カンテ・グランデならちょっと駅から離れているから人も少ないと計算。


↑チャパティ定食

お店まで松葉杖にはちょっと遠かった。
しかも!
入り口の階段のことを忘れていた。
結構すごい階段だった。
そんなこと考えたこともなかったし。
ドアもきっと一人では開けられなかった。









店内は、計算どおり空いていた。
よかった。
この温かい空間が空き。
さて食事。
ここは、インドの喫茶店的な雰囲気です。
インド料理という感じじゃないけどカレーは美味しい。
もちろんチャイもね。


↑かぼちゃのプリン、クリスマスなのでロウソク付らしい。(笑)


↑ハニー・チャパティ

次男にとっては初めて。
彼にインド料理のこと、紅茶のこと、気功のこと、瞑想のこと、心のことを話しながら食べました。
最近、双子君たちには、色んな話しをすることが多い。
他の家庭からすると不思議な親子だと思う。
話している時は、親子という感じじゃないしね。
先輩や教師が指導している感じに見えるだろうな。
実践的に役立つことを伝授しております。
食べ物の注文の仕方なんかも教えている。
遺言っぽいかもね。
自分の身につけたことを少しでも次世代に受け継いで欲しいと最近思う。
この1年で3回も死にかけるとそういう気持ちになります。
いつ、なんどき、どうなるか、まったく判らないものね。


↑次男注文のアールグレイ。なかなかシブイところを注文するな。いつおぼえた。

京女から「いつ帰るの?」と電話がかかってきたので京都に撤収しました。
淀屋橋はすごい人だったですよ。
松葉杖で京阪の特急に間に合うか冷や冷やしました。


↑チャイ、やっぱりガラスのコップが雰囲気やな。

大阪は、階段がいっぱいだった。
予想通り人は松葉杖に気付かなかった人が多い。
歩数計を見ると9000歩だった。
またリハビリ担当から注意されうだろうな。

「カンテ・グランデ」中津本店地図

Twitter→@kyo_otoko
コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマス・・・

2011年12月25日 05時03分41秒 | 和菓子


世間では、今日はクリスマス。
最近あまり関係ないかも。
子供が大きくなるとプレゼントもしないしね。
ケーキも用意しないし。



京男は、カトリック系の幼稚園だった。
クリスマス会で聖劇というのをやらされた。
主役のマリアさんは、可愛い女の子がやる。
小さくて痩せたゴンタでヘンコで暴れ者の京男はヨセフの役をもらえない。
そりゃそうだよね。
1年目は、未で台詞が「メェェ~!」
2年目は、丑で台詞が「モォォ~!」
いまだにキリストが好きになれないのはそのお陰かもね。
シツコク憶えているし。(笑)


↑総本家駿河屋「寒椿」

サンタ(正体は、スイス人の園長というのは知っていた。可愛くないガキだ)にプレゼントをもらう時、どのぐらい髭を取れるかを数少ない友人の園長の息子と競っていた。みんなが祭壇を拝んでいる時に後ろを向いている証拠写真がある。どこにあるかな・・・。


↑煉切、白あん

京都では、東京当たりに比べると悲しいほど小規模な四条河原町近辺は、クリスマスの飾り付けをしてあるけど、若い子たちは別にして、あまり盛り上がっていないように見える。
12月25日といえば終い天神やしね。
しかもお正月の準備に血眼になっている人も多い。
京男のサラリーマン時代は、新年早々のために仕事に追われていましたよ。
徹夜徹夜の連続だったな。
京女と出会う予定のパーディーにも行けなかったし。
出会うまでそれから1年もかかった。
七夕さんみたいだ。


↑長久堂「大原の里」いまの京都大原は、こんなイメージなんだろうか

二つ目の会社では、クリスマスパーディーをしていたな。
自前のタキシードを持っておりました。
もちろんデザイナーズブランド。
華やかなバブルの時代でした。
いまの若者たちは、バブルの時代をしらなくてちょっと可哀想。
大恐慌の時代は辛いですね。
いまは、まさしく大恐慌。後の歴史ではそう教科書に載るだろうな。


↑こなし、赤ごしあん

子供たちが生まれるとプレゼントが大変でした。
4人ですからね。
どれぐらいまでサンタクロースの実在を信じさせられるか努力しておりました。
事前に玩具を大阪のキディランドで買って、家に隠していた。
狭い家で隠すのが大変だったな。
子供にはサンタの進入経路を説明していました。
敷地に煙突があったのです。
サンタは煙突から進入し、屋根ずたいに物干しに来て、この部屋に入ってくると説明。
クリスマスの朝、姉妹兄弟同士がヒソヒソ声で話しているのを聞くのが楽しみでした。懐かしい思い出です。
たぶん↓の本の影響かも。

サンタクロースっているんでしょうか?
クリエーター情報なし
偕成社


Twitter→@kyo_otoko
コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フラクタルな野菜?

2011年12月24日 04時19分52秒 | 風景
フラクタル(フランス語:fractale)は、フランスの数学者ブノワ・マンデルブロ (Benoît Mandelbrot)が導入した幾何学の概念。図形の部分と全体が自己相似になっているものなどをいう。
自己相似 (じこそうじ、self-similar)とは、何らかの意味で全体と部分とが相似であることをさす言葉である。
自己相似ってようするに、大きさを変えても同じ形というおこと。



宇宙全体も太陽系も人間を構成する原子内の素粒子配列も同じかもしれない。
神というのが存在するなら、それは自己相似の構造になっているのかも。
なら私たちも神と同じということになるのでは・・・・
何て歩きながら考える時があります。
松葉杖で超ゆっくり歩くから時間はたっぷりあるしね。
もちろん「ランチは何を食べよう」などというのも考えますが。(笑)


↑マンデルブロ図形

人間は歩きはじめて15分から20分もすると、ベータエンドルフィンとか、エンケファーリンという「快楽ホルモン」が脳の中で分泌されていきます。この時脳は最も活発に働く状態となり、まさに快楽ホルモンという名の通りに「やりたいことが、どんどん湧き上がってくる」「しかも、すべてのことを快に感じてできそうな気がする」という、そんな“プラスの状態”になるのです。
「ランナーズハイ」という言葉を聞いたことがありませんか。
これはマラソンでランナーが走っているうちに、脳内が快楽ホルモンで満たされていき、走ることがまったく苦痛でなくなり、楽しくて楽しくて仕方がなくなる。ちょうど、そんな状態です。
※この状態はある意味でいいんだけど危ないかもね。ジョギングを提唱したジム・フィックスは、結局52歳でジョギング中に心筋梗塞で突然死している。いま走るのが流行っているけどちょっと危ないと思っています。走りすぎはよくないのかも。



これは生物の進化の中でも、ホモサピエンスだけが獲得した特殊な能力です。人間が自然の中で生き残れたのも、実はこの能力があったからこそと考えています。
誰の脳にも「こうありたい」と願った想いを、ひとりでに実現させようとする「自動目的達成装置」が組み込まれています。男性であろうが、女性であろうが、自分のかなえたい夢をインプットして、後は正しく装置が機能さえすれば、基本的にどんな夢も実現します。



快楽ホルモンによって、考え方は前向きになり、性格は楽天的になります。楽天的になれば、不確実な未来に対しても希望がもてるようになります。明日の幸せまでを考えて工夫したり、発明したり、食料を保存したりするというよいうに、向かう意識が将来へ将来へと展開していきます。
つまりこれが「夢を見る力」へと発展していったというわけです。
ということは、「夢を見る力」は“体を動かす”ということに結びついているのです。
したがって「夢を見る力」をもっと拡大させるために、私たちは何をしたらいいのでしょうか?
そう、“体をどんどん動かす、使う”ということが重要になるのです。


↑ロマネスコ・ブロッコリー

話しがフラクタルからそれてしまった。
写真の野菜はブロッコリーの仲間で、ロマネスコ・ブロッコリーといいます。
時々見かけるのですが、買おうと思うとない。
今回やっと買えました。
見れば見るほど不思議な野菜ですね。
効きそうな感じがするし。
何に・・・。
味は普通のブロッコリーと同じでしたが。

※今日の記事は、京都ともクリスマスとも関係ないですね。すんませんな~。

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒い時の蒸し寿司

2011年12月23日 05時06分17秒 | 
そろそろ京都も寒くなってきた。
うれしいな~。
そんな時、新京極を歩くと右手に湯気が見える。
これは小さい時から同じ風景。



「坂本漢方堂」も子供の時は不思議な感じのお店だった。
四条から新京極に入ってすぐの「さかゑ家」という和洋中華なんでもあるお店も小さい時憧れやったな。
「ロンドンヤ」で、ロンドン焼が自動でできあがるのを飽きずにずっと見ていたな~。



そしてこの湯気のでている「乙羽」も不思議だった。
小さい時は入ったことはなかった。
大きくなっても入ったことがなかった。
このタイプのお寿司は食べなかったもの。
でも最近、こういう京都らしいお寿司に興味がある。



京都のお寿司らしい作りです。
中身は穴子と椎茸がいっぱいはいっています。
それを蒸す。
熱々がでてくる。
おそらく酢飯も蒸してちょうどいいようにつくってあると思う。
そうでないと美味しくない。



昔、母親のつくるばら寿司・・・京都では生ものを使わないちらし寿司を言った。
ちりねんじゃこ、かんぴょう、しいたけ、れんこん、錦糸玉子、紅生姜でつくる。
季節によっては竹の子なんかも入ったかな。
それが残った次の日に蒸すんです。
私は好きでなかった。
いまなら電子レンジで温めるのあかな。



その蒸したお寿司のイメージがあるから入らなかったのかも。
同じ予算でもう少し自分の好みのものが食べられたしね。
普通のお寿司はとういと大抵、先日紹介した京風のお寿司だった。
江戸前なんて本当に最近のような気がする。
だからマグロをやたら有り難がったりしないかな。
あれは東京の文化だものね。
私の場合は、お酒を飲まないということもありますね。



乙羽の蒸し寿司は、最近有名らしい。
お客さんは、たいてい蒸し寿司を注文されています。
あつあつの蒸し寿司は、これから節分にかけての食べものです。
京都らしい一品だと思う。
お勧めですよ。



お持ち帰りもできます。
紐をひっぱると暖まる形式になっています。
私なら帰りの新幹線で食べるな。
お土産にもいいし。
ただお値段は結構しますけど。



「乙羽」地図

Twitter→@kyo_otoko
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

docomoにデモドリ

2011年12月22日 05時24分46秒 | 洛外


iPhone3GSの2年契約の更新時期が来た。
ディスクトップのスケジュールカレンダーに契約更新期間を書いてあり(こういうことって大事ですよ)、手続きをしました。これでソフトバンクの電波状態のストレスから解放される。スマホの敏感すぎる液晶からも。いままでのiPhone3GSは電話機能以外はそのまま使います。Skypeだって使えるしね。使いませんが。
番号を持ってdocomoにデモドリです。
携帯の機種はなんでもよかった。
携帯のメールはあまりしないからなんでもいい。
読み上げ機能もメールぐらいしかしてもらえないので、どのメーカーでもよかった。
最低限のコースで設定する。
携帯電話を持つというのはどうも好きじゃない。
でも最低限は必要。
そこで馬印的※に根付(ねつけ)を手に入れました。
ちょっと付けてあるだけで携帯を持とうという気持ちになる。
しかも落としたら電話よりも根付がもったいないという緊張感もあります。
※馬印、馬標、馬験とも書く。戦国時代から江戸時代において戦国武将達が己の位置・武威などを誇示する為に備の旗や自身の周りに置く印。



今回の根付は瓢箪。
瓢箪は古来より縁起の良いものとされ、三つ揃えば三拍(瓢)子揃って縁起がよい。六つ揃えば無病(六瓢)息災といい、六瓢の掛け軸を飾ったら難病で苦しんでいた人が不思議にも健康になったともいう。瓢箪から駒が出るということわざがあるように、六瓢は六つの吉運を呼ぶ神秘の開運霊力があると言っている人もいる。
妙心寺にある『瓢鮎図』も有名。
絵を見たらどうみても鮎じゃないない。
調べてみると瓢箪で鯰を押さえるという禅の公案を描いたものです。題は、鮎とありますが、これは中国では鯰のことです。鯰という字は、日本特有の漢字なのだそうです。ちなみに、鮎を中国では香魚というそうです。


↑『瓢鮎図』

そういえば、宮本武蔵の刀の鍔が鯰です。
きっとこの公案に因んだものなんだろうな。
「剣の道は、ツルツル、ヌルヌル・・・」な、なんちゃって。
まあ「ドロドロ」じゃないからいいか。
この根付のタイトルは『酔禅』。
京男は、お酒を飲まないから「禅」に酔うのかもね。



この瓢箪を京男の携帯電話の馬印にしておこうと思います。
携帯に電話がかかってきたら狼狽えるんですよ。
京男は携帯に関して守りに弱いのかも。
まだ携帯の使用法やアドレス系がまだなんです。
歩数計は、あまり正確じゃない。
調べたら歩幅を設定できない。
そりゃ使いものにならんだろうな。
みんなこんなもので歩いたつもりになっているんだろうか。
ちなみに「今日、あなたは何歩、歩きました」というメールの機能は真っ先に切りました。

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京男にスジは食べられるかな・・・

2011年12月21日 06時06分15秒 | 

↑入院していた病院の姉妹病院

さてこの日は、歯科へ行きました。
いつもの総合病院の口腔外科からの手紙をもっていつの歯科へいきました。
口腔外科から萼関節の骨折(たしかに折れていた・・・)も結局、人工の萼関節ということにならなかった。
ソッとだけどそのまま置いていいとのことでちょっと気が楽になる。
歯科で噛み合わせの悪い箇所を少し削ってもらった。
これで固いものが少しは食べられる。
治療が終わるとランチ時になった。



本当に食べることができるかどうか試したくなるじゃないですか。
前回・・・退院直後、京女に歯科に連れて行ってもらった。
いっしょに食べようとして行ったら、臨時休業。
定休日を調べてから行ったのに・・・もう・・・。
一度行こうと思うと必ず行くのが執念深いと自分でも思う。
スッポンのような京男。
スッポンといっても、詰まったトイレ用じゃないですよ。
月とスッポン、大市のスッポンのスッポンね。(笑)



この日やまぎこは、開いていました。
でも昼ですごい人だった。
お店に入って、松葉杖でどうしたらいいのかに気付いた。
お店のお姉さんが不安定な松葉杖を預かってくれた。
さて、このお店なら普通、カレーうどんを注文するだろう。
でもこの時は、「辛口すじカレー丼」を注文。
もちろん温泉玉子もつけてもらう。
待っている時、前のおじさんが注文したカレーうどんとお寿司のセットが来た。
カレーうどんと巻き寿司と握りという不思議な組み合わせやね。
合うんやろか?
案外nice!なのかな・・・。



待つことしばし、来ました。
すじを食べられるか?
ドキドキしする。
温泉玉子を割り、そして七味をたっぷり振りかける。
この程度の辛さは、全然平気な筈。
あくまで筈やけど・・・本当はどうなんだろう?
すじは噛めるのか?



悩んでおってもしゃ~ない。
いただきます。
辛さは大丈夫。汗もかきません。
すじも噛めました。
漬物も噛めました。
玉子の殻も噛めました(これはうそ)。
よかった~♪


「やまぎこ」地図

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神さんの考え?

2011年12月20日 05時12分52秒 | 風景


松葉杖のおかげでゆっくり歩いている。
だから考える時間はたくさんある。
街の風景をみながらいろいろな考えが頭に浮かぶにまかせる。
いままでは、バイクで移動だったから考えに集中できなかた。
いまは、ゆっくり頭に浮かんだ考えを味わう。



帰ってからその考えはどこから出てきたのかを探したりする。
PCのハードディスクの中にあるたくさんのノートを見てみる。
PCのテキストなら読み上げソフトで読み上げてくれるから楽なんです。
ただし時間はかかるけど・・・。
私は、本を読んでいて気になっているものを書き写す習慣がある。
その遺産をいまこうして楽しんでいる。
みなさんのコメントも読み上げソフトで読み上げてもらっているんですよ。
返事は、手が勝手に書いてくれる。
不思議でしょ。
この1年、そういうことをしていました。
最近キーボードがかわったお陰で変な文章になることがあります。
すみません。



もっと気に入った文章は、万年筆で書き写していた。
それは特別な文章と判断したのかな。
書き写した書類はドンドン捨てていくのです。
まあPCのバックアップが大変なんですよ。
失われるとダメージが大きいですからね。
いまは、Yahoo!ボックスでネット上に保管しようとしています。
そうしたら多分、出先からアクセスできるし、ネットの書類がなくなるということは地球が変になっているということだから、諦めもつきます。



さて本題、そんなノートの中で『神との対話』を読んだメモから抜粋。
いまこうやって読んでも納得します。
こんな考えが頭に浮かびます。

神にとって最大の瞬間は、
あなたがたが
神を必要としないと気づいてくれる時だ。

愛情のある態度とは
必ずしも相手の好きなようにさせる
ことではない。

神は、
あなたが愛する相手に
自分自身も含めることを
求めているだけである。

罪というものがあるとすれば、
それは、他人の体験で
自分を創りあげてしまうことだ。

魂(たましい)――あなたがたの魂――は、
知る必要のあることはすべて知っている。
隠されていることは何もないし、
知らされていないこともない。
だが、知っているだけでは、充分ではない。
魂は体験したがっている

なにごとも、それを変える第一歩は、選んだのは自分だと認め、
受け入れることだ。個人として責任があると思えなくても、
わたしたちはすべて一体であるとわかれば、
責任を引き受けられる。
それから、間違っているからというのではなく、
ほんとうの自分にふさわしくないからという理由で、
変える努力をしなさい。

悟りを開いたひとは
決して退屈ではない。
ふつうでないかもしれないし、
非凡かもしれない。
だが、退屈ではない。

さまざまなことに対する判断が
あなたがたを喜びから遠ざけ、
期待があなたがたを不幸にしているのではないか。





本日の写真は、豊国神社です。
豊臣秀吉が主祭神の神社。私は元人間の神さんは拝みませんね。
そんなことを言ったらほとんどの神社はだめかも。
京都にある神社の多くは、怨霊対策だものね。
「あんさん、神さんとして祀りまっさかい。えげつないことしなさんな」というような感じですね。

神との対話―宇宙をみつける自分をみつける (サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ)
ニール・ドナルド ウォルシュ
サンマーク出版


Twitter→@kyo_otoko
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食べた後、幸せな気分になれるのはいいこと

2011年12月19日 04時58分51秒 | 

↑海老さんが可愛い

昨日の記事の続き。
なんか食べるものが続きますね。
「京男らしい生菓子の写真はどうして登場しないんだ!」と言われそう。
それには、3つの理由があります。


↑魚料理のメイン、甘鯛だったかな・・・。食べてないからわからない。

1.購入できない
松葉杖のおかげで一人で外出した時、買い物ができないのです。買ってもディバックのようなものに入るものしか買えない。タクシーに乗る時、くしゃくしゃになる可能生もある。
京女と買い物にいくのは、彼女が仕事が終わってからなんです。だから午前中に買いにいけない。何故午前中でないとだめなのか?生菓子は時間が経つと色が劣化してくるんですよ。特に冬場の乾燥する時期はね。写真は自然光で撮るというこだわりもあるんですよ。
というのが一番の理由です。


↑これは歯科じゃなかった鹿の煮込み。タマネギの皮以外はやわらかかった。でも食べましたよ。一度口に入れたものは死んでも食べますからね。

2.買う生菓子がない
このブログはもう6年になります。登場した生菓子が1000種ぐらいになります。重複していない生菓子が少なくなってきた。


↑美しいでしょ。

3.職人さんの腕
おなじデザインでも数年前のはピシッとした形だったのに、最近はどうも形がスッキリしない。全体的に腕が落ちたかな・・・。しっかり若い職人の育成をしてください。お願いします。
しかも迎春用の生菓子というのを予約受付しているけど、どのお店のものも食指がわきません。はっきりいって趣味が悪い。写真も不味そうだったし。カメラマンの腕も落ちているんだろうな。困ったもんです。


↑サラダも端正だ

全然関係ないことを書いてしまった。
皆さんが疑問を持っておられるでそうし、書いておきました。
来年早々松葉杖が必要なくなったら、生菓子は再会します。


↑口直りのほうじ茶のブラマンジェ

さてエルジノの食事の続きです。
この日は、病院へ整形のリハビリに行った帰りで着替える時間もなかった。
体育会系の服装で松葉杖付というnice!な服装。
しかもベレー帽まで被っている。
お相手に断ってベレー帽を被ったままにさせてもらった。


↑リンゴ入りのケーキとアイスクリーム・・・だったと思う



このお店はいろんな思い出がある。
京男の両親と我が家族6人で食べた時、親の不作法ブリに冷や汗を流したな。
あんな親に育てた覚えがないのに・・・。
子供たちは、それなりに食べていたと思う。


↑エルジノ風のモンブランだと思う



ここのお料理はとても端正で目を楽しませてくれる。
しかも美味しいしね。
普通の日のランチ時でも映画『阪急電車』に登場するグルメ元お嬢さんたちが食べておられた。きっと旦那は牛丼かコンビニ弁当なんだろうな・・・なんて思うとちょっと腹が立ちますね。でもそういう人たちが景気の底上げをしてくれているのかもね。


↑京男のエスプレッソ、カップも京男好み

アッという間の3時間でした。
ようやく普段にもどりつつあります。
でもバージョンアップしている感じね。
後は松葉杖の卒業を待つばかり。
雅満雅満・・・。

エルジノの場所をGoogleで調べたら間違っていた。
場所は、京都ホテルオークラの東隣のビル2階です。

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眼福、口福、満腹・・・祝魂

2011年12月18日 06時52分32秒 | 
先週、先月誕生日だった方のお誕生日祝いがまだだった。
気になっていたのでランチということに。
イメージとしては、ブションだったけど定休日だからしかたない。
急遽、エルジノを予約。



この日は病院でリハビリだった。
リハビリは時間が読めるけど、精算は計算外だった。
時間に余裕がある筈がギリギリになった。
以前なら走れるのに、残念ながら松葉杖ペース。
最後の階段もクリア・・・でも入り口のドアが固かった。(笑)
少し遅れただけで到着。
ランチのコースを注文。
飲み物は、ペリエとブラッドオレンジジュースね。


↑松葉杖もこんな風に置くと上等に見えるでしょ

さて前菜の前菜です。
小さなシュークリーム。
もちろん中身は違います。
黒胡椒が効いたフォアグラかな・・・。





一口で食べてしまった。
中身を拝見したらよかったのにね。


↑パルバリー産鴨のパティ・アンクルート

これは、京男のオーダーのパテ。
病院で食べた差し入れも美味しかったけど、やはりこういう雰囲気で食べたいものだ。





表面が美しい・・・。
もちろん美味しかったのはいうまでもない。


↑ちょっともらったけど泡のソースが絶妙だった。

これは、お相手の前菜。
撮らせてもらいました。
ご協力ありがとう!


↑ブリと根菜のサラダ仕立て





さて次はスープ。
牛蒡のポタージュ。



貝柱がはいっていました。
牛蒡の香りがとてもいいんですよ。

話しは各方面に渡って情報交換でした。
身体も心も清らかになったような気がしました。

明日に続く。

Twitter→@kyo_otoko
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノエル

2011年12月17日 05時16分50秒 | その他


街中に出るとクリスマスの飾り付けが目に着く。
しかも年賀状は早く投函してくださいとテレビが言っている。
そういわれてもなんかシラッとしてしまう。



昨日歩いていると冷たい風で帽子が飛ばされそうになった。
松葉杖で歩いていて帽子が飛んだらどうしたらいいんだろう・・・。
苦労して手に入れたボルサリーノのベレー帽。
松葉杖を放っておいて追いかけるかも。(笑)
手のひらが松葉杖を支えるので痛い。
手相を観ていると松葉杖を支えているお陰で生命線が太くなったように見える。
喜んでいいのか悪いのか・・・ようわかりません。



さて今日は、先日マリアージュ・フレールで手に入れた「ノエル」。
ノエルとは、フランス語でクリスマスの季節や歌(クリスマス・キャロル)のこと。"Noël"はラテン語のnatalis=「誕生」が語源。natalis dies=「誕生の日」がクリスマスデー。
このクリスマス時期限定の「ノエル」は、お茶の種類(紅茶・白茶・緑茶・ルイボスティー)で香りの強さや雰囲気が少しずつ違う。
京男と京女は、紅茶ベースがお気に入り。
長女や次女もそうらしい。長男と次男は不明。
これをミルクティーにして寝る前に飲むと幸せな気分になります。
いわゆるクリスマス気分かな・・・。
昔、ギフト用の茶筒がシナモンの皮でできたのがあった。
あれは買っておいたらよかったな。



紅茶にオレンジの皮や生姜、シナモン、クローブ、八角、ペッパーなんかを少しずつ入れた自家製の紅茶もいいかもしれませんね。
ミルクをたっぷりか、ロイヤルミルクティーにするといいかも。
いまぐらいの季節は、そういう飲み物がいい。
ミルクのたんぱく質が消化してできる「オピオイドペプチド」に、神経を鎮静させる作用があり、眠りを誘うと言われています。また、牛乳に多く含まれる必須アミノ酸「トリプトファン」が原料となって、体内で鎮痛や鎮静効果がある神経伝達物質セロトニンが作られるので、おだやかな気持ちになるそうです。
さらによく知られているのは、カルシウムのイライラ防止効果。牛乳に多く含まれるカルシウムが交感神経の働きを抑えることで、気分がリラックスできて心地いい眠りに誘ってくれるそうです。
牛乳はいいのですが、京男の場合温めて飲めないんです。
だからミルクにこういう紅茶を入れると飲める。
気持ちよく寝るのが一番ですよ。



京男は、入院生活したお陰で眠りが浅く、不眠症気味だったのです。
病院は、静かでない環境だったしね。
やっぱり家が一番だ。
遅くまで起きてないで温かい布団に潜り込みましょう。
クリスマス、年賀状、お正月の用意なんてクソ食らえ(失礼)。
お節料理・・・そんなもの必要ありませんよ。
京都の場合なら「ごまめ、数の子、たたきごぼう」の三種あればいいのです。
それぐらいなら用意できる。
それと好きなスタイルのお雑煮とお餅、ミカンがあれば三が日は籠城できます。
百貨店の商売にのったらだめですよ。
しっかり自分の考え行動すればよいのです。

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする